26 狼を助けるつもりで
次にはっきりと意識の焦点が合った時、カケルは何も考えずにバラックに駈けこんでいった。
イブを助けなくては。
ボロ切れと化したメス狼を檻からひきずり出して、固く抱きしめる。
尻から飛び出した肉色の固まりが、黒く汚れたコンクリートからはがれるときにかすかな抵抗があった。痛みがあったのだろうか、メス狼はびくりと身体をこわばらせ、ぐったりしたまま低く唸り始めた。
ここに閉じ込められている間ずっと狼の姿だったのだろうか、カケルがどんなに声をかけても人間に戻ることはない。
「イブ! 分かる? オレだよ、イブ、目を覚ましてくれ」
カケルは何度も呼びかけたがメスはずっと低く唸り続けている。
そうだ、狼になって傷を舐めよう、そう思ったせつな、いきなりメスは右手に喰いついた。ためらいも容赦もない、狼としての攻撃、とっさにカケルは狼に変わる。
次の瞬間には、オスはメスの喉首に深く噛みついていた。
ぎしりと牙が咬み合わされ、酸っぱい膿と熱い大量の血があごに落ちた。
メスは全身を激しく痙攣させて、間もなく息絶えた。
ずっと、ずっとすきだったんだよ
隙間風のようにいっしゅん、その声がかぼそく狼の耳をかすめた。それきり、イブの声は完全に消え去った。ホワイトノイズさえ無い、完全なる無音。
バラック小屋の外で待っていた竹中は、ムカイヤたちを撃った銃に寄りかかるように立っていた。顔色が悪く、かなり調子が悪そうだった。
「まだ狼のままだよ、カケルくん」
意味はとれないものの、その穏やかな語りかけに狼はすぐに反応して獣の姿を解いた。
「どうだった」
竹中が訊く。
「持って行けないので、手放しました」
カケルはただ、そう答えた。
竹中は少し黙ったままその顔を見てから
「行こう、着替えは車に積んである」
止めを刺すために踏んでいたムカイヤをまたいで、自分の車に向かった。
血の海に横たわるムカイヤは、多分、カケルが今まで彼を見た中で一番安らかで実直そうな寝顔を空に向けていた。
最初から彼を、この顔のままで知っていたらもう少し何か変えることができたのでは、と思わせる程に、その表情にはなぜか胸をえぐられるようなものがあった。