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心優しき狼よ、曠野を行け  作者: 柿ノ木コジロー
第三章 ― 2 ―
137/148

22 ここで会ったが百年目 2

 メスの、狼。横倒しになった姿は毛が固まりあい、車通りの多い大通り脇に廃棄された毛布を思わせた。

 カケルが檻に触れた時にも、その頭は少しも上がることはなかった。脂のせいで目はあらかた塞がり、口は半開きになったまま。口のはたは黄ばんだ硫黄のような滓で縁取られていた。

 もつれた毛もところどころ抜け落ち、皮膚病におかされた肌の下に肋骨が浮き上がって、それがかすかに上下に動いているのが、唯一の生きている証拠のようだった。


 匂いについ、カケルは鼻を覆う。床に染みた黒い水たまりからするのか、すっかり萎えた下半身から飛び出した妙になまなましい肉の塊からするのか、嗅ぎわけることもできず彼は息を止めたまま檻の入口を探す。


「繁殖に、ずいぶん貢献してくれた」


 ムカイヤが後ろに立っていた。気づいたら近くにいた感じだった。ムカイヤのしゃべり方、昔よく聞いた声の出し方だ。カケルは身をこわばらせる。


「この6年間ここでたくさんの子どもを産んでくれました、この子は……もちろん、狼のね」


「どういうことだ」

「君をつがわせるのは簡単だったが、まだ高校生だったしね」

 若かったよね、ムカイヤは軽く笑った。


「じゃあ……イブは」

「君のいる高校に入れたんですよ、餌付けしたメスを」


 孤児だった彼女を育てたのは私です、とムカイヤはかすかにあごを上げた。それだけで十分自慢げに聞こえる。


 カケルの目の前が真っ赤に染まった。

「曠野を行け」つぶやくと同時に狼が跳んだ。何か口にしかけたムカイヤを押し倒す。


 オマエには餌付けされていないぞ、俺は。目で告げた狼はムカイヤの喉元をがっちりとあごで捉えていた、まだ牙はたてていない。


 ムカイヤの声。「私を殺せないよ」

 彼は携帯電話を狼の顔に押し当てる。同時に何かを押した。


 七色の光か、音か、それともどちらも一緒になのか狼には判らなかったが、確かに見えないはずの色が見え、急激に世界が縮んだ。


 床に投げ出されたのは、カケルだった。


 覆いかぶさる影は、落ちつき払った動作で黒い箱状のものを出し、彼の腹に当てた。


 体中に走る激痛、筋肉がこわばり悲鳴すら上げられない、一瞬意識がとんだ、何をしていたのか思い出せない、その時身体のどこか遠くでちくりと何かに刺された痛み。


 カケルは手を伸ばす、だが何かを掴む前に世界は暗転した。


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