09 狼なんだよ、私と一緒で
ねえカケル、どうして私とする時にはいつもこういうなのか、わかる?
どうして私が最初にキスしていいか、聞いたかわかる?
それから
黙って。ちょっと待って。
大学二年の夏、クーラーが壊れたらしく、下宿部屋の中はむんむんと熱気がこもっていた。クライマックスに達する努力も、少し気を許せば全然別の内容に頭がすり替わって情慾などどうでもよくなってしまいそうな危険、そんな瀬戸際で彼はイブの背中にしっかりとしがみついていた。汗がべたついて、腕の間から彼女が逃げてしまいそうだった。セックスの前に冷たいビールをかなり呑んでいたのが悪かったのだろうか、イブは飲めないので代わりに、といってカケルは2缶飲まされていた。普段ほとんど酒は飲まないのに、あまりの暑さについ、ぐいっと空けてしまったのだった。
ようやくことが済んで、彼はベッドから落ちるように、ごろりと冷たい床に寝ころんだ。
仰向けになって、まずティッシュでよくぬぐってから中にゴムを丸めて包み、足もとにあったゴミ缶に放る、それから腹ばいになってみた。
昨夜は徹夜で論文を書いていたので妙に眠くなった。見上げたベッドの上でも、イブがうつらつらしているようなので、少しだけ、と思って目をつぶる。
何か嫌な痛みを感じて目が覚めた時には、表はすっかり暗くなっていた。部屋にはいつの間にか電気が灯されていた、ベッドの上にイブの姿はなかった。
急に左の耳がかゆくなって、手をやる。耳たぶの所に何かが触った。画びょう? 針金だろうか。ちょうどここに当たっていたんだな、そう思ってとりのけようと引っぱったとたん、激しい痛みに思わず起き上がった。
「……」耳たぶがズキズキする。寝像が悪くて何か刺さってしまったのだろうか、おそるおそる再度耳に手をやると、やはり耳に何かがついていた。丸い輪のようになった、金属が耳たぶを貫通している。
ちょうど、バスルームからイブが姿を現した。「目がさめた?」白いバスタオルを体に巻き付け、長くなった髪を挟むように拭いている。肌が上気して、目は煌めいていた。
「待って、耳に触っちゃだめだよ」
イブが小走りで駆けよる。カケルは途方にくれたままイブに手をとられ、洗面台の前に導かれた。
「見て、これ」
カケルは目を見開く。鏡に映っていたのは、自分とイブ。
彼はまだ裸のままだった。汗ですっかりくたびれたような顔をしている。少し長くなりかけた髪はくしゃくしゃにもつれ、まるでジャングルから助け出された少年のようだった。
そして、イブが立つ側の自分の耳たぶに、金色に光るものがみえた。一円玉くらいの大きさの弧をもつ輪が下がっている。
「何だよ、これ」
また触ろうとして、やんわりと押しとどめられる。
「ビアスだよ」
「見りゃあ、判るよ……」横目で鏡の中のイブをにらんだ。
「キミがやったのか?」
黙ったままだったので、少し語気を強め「ねえ、イブ」呼びかけると
「しばらくつけたままにしといて」さも当然のように、彼女は言った。
「傷口が固まって、ちゃんと穴になるまで1ヶ月は外してはだめ」
「あのさ」急に腹の底から怒りが沸き上がる。どうしてこんな酷いマネができるんだ。
「なんでオレがピアスなんだよ、何か悪い事したか? オレ」
「怒らないでよ」
「怒るにきまってるだろう」
「仕方ないんだよ」
「なにがだよ」
彼女は、自分の耳をみせる。同じように、左の耳たぶに穴が開いていた。ピアスはない。
それでもかなり昔に開けたようで、ちゃんと穴は穴として残っているようだった。
「なにそれ」カケルの怒りは収まらない。
「キミも開けてるから、お揃いで、ってコトか? 好きだからピアスも一緒、ってか? やめてくれよ、オレは血を見るのとか痛いの、大嫌いなんだよ」
「血は出てないでしょう」
「寝てたから気がつかないけど、出たんだろう?」
「舐めといたから」
「はあ?」頭がおかしいのだろうか? 血を舐め取った、って?
「カケル、全然気がつかなかったの」
可笑しがる様子ではない、心底不思議そうに、イブは言った。
「アナタ、気がついてなかったんだ。ねえ、カケル。
アナタは狼なんだよ、私と一緒で」