想いは一つの手紙に乗せて
この一週ほどの間、アーフェン=ロクシアの心はざわざわと騒いで仕方が無かった。寝ても覚めても、とある少女のことが気になって仕方がない。突然去ってしまって呆然としたし、戻って来たら嬉しかったし、結局旅立つと聞いて落胆もした。焦がれるような勢いのままに、旅立つ彼女の護衛を買って出てしまったことは、小恥ずかしさこそ覚えれど、後悔はしていない。
初々しい恋慕の情、それこそ彼が葉揺亭のアメリアに抱いている想いの正体である。口にしようとした途端に酸っぱくなってしまうから、まだ青い少年は今の今まで誰にも言わないで来た。
どうしよう、早く言わないと彼女は遠くに行ってしまう。でも、言って嫌な顔をされるのが怖い。だけどお別れの時は刻一刻と近づいている。しかしアメリアの背後にはマスターが付いているから下手なことを言えない――そんな風にアーフェンの思考は堂々巡りするばかり。
中折れ帽のかぶさった頭を抱えながら、今日も葉揺亭の扉を開く。
ほどよい暗さを持つ小さな空間は、ゆったりとした落ち着きに染まっていた。いつもならここに金色の花のようなアメリアの挨拶が咲き誇るのだが、今日はそれもなく。アーフェンはがっかりと肩を落とした。
「いらっしゃい。もしかして、旅の打ち合わせに来たのかい?」
少女の鈴のような声の代わりに、マスターの綿で包み込むような優しい声が響いた。これはこれでいいものだが、いま求めているものとは少し違う。アーフェンは失礼なきよう少し笑んで、曖昧な答えを返した。
マスターはくたびれた大鳥の羽ペンを置いて、困ったように微笑んだ。
「だったら残念、すれ違いだよ、アメリアも君と相談したがっていた。君のギルドに行って、ついでに写真屋にもよってくるって」
「あー……そんな……。いや、でも、それだけならすぐ戻ってきますよね。私がギルドに居ないってわかったら、すぐに」
「さあね。下手すればそのまま遊び歩いて夜まで戻らないかもしれない。もちろん戻ってくるかもしれないが……あいにく、僕にはどちらとも言えないな」
軽く肩をすくめて苦笑するマスターに「どうする」などと聞かれる前に、アーフェンはカウンターの席についた。
ギルドに居なければ、自分はたいてい葉揺亭に居ると、アメリアだってわかってくれるはず。だから、話したいことがあるのなら、きっと急いで帰ってきてくれるだろう。いや、そうであってほしい。自分にとっての彼女が特別であるように、彼女もまた自分のことを思っていてくれれば――そんな空虚な妄想が、心にうずいて仕方がない。
「ご注文は?」
「あっ……おまかせします」
夢想から引き戻されて、アーフェンは慌てて答えた。所在なく手をわたつかせる様はマスターの失笑を買い、気恥ずかしさに顔を赤くする。
それと、万が一にもマスターにこの想いを知られてはまずい。あれは白月の頃だから、もう二節ほど前だ。アメリアが恋文をもらったと知った際、マスターが天地の崩壊に等しく動揺して大騒ぎして見せたのは、今でも目に焼き付いている。あんなもの見せられては言えやしない、絶対に。
立ち上がり、丸く白いティーポットを取り出すマスターの様子はいつもと変わりない。強いて言うなら、少々お疲れ気味であることくらいだ。微笑みを湛え静かな音を立てて茶の用意をする姿に、躊躇い迷い苛立ちの類は一切見られなかった。
それならいい、アーフェンもまた普段通りを装って、いかにもくつろいでいるかのように、頬杖ついてぼんやりして見せた。
とはいえ心はそぞろ。宙に向いた目は、落ち着きなく行ったり来たり。最終的に緑色の瞳が吸い寄せられたのは、食器棚の頂上だった。
肩寄せ合って座る店主と店員を模した人形だ。非常に精巧な造りで、なおかつ人形らしい愛嬌も存分に発揮されている。もちろん、本物の方が何倍もかわいいと思うが、それはさておくとして。
正直、羨ましいと思う。アーフェンは嫉妬に近いまなざしを、マスターの人形に向けた。自分だって、ああやって――。
再び妄想に捉われかけた少年だったが、本物のマスターの軽やかな笑い声が聞こえてはっとした。あたふたと店主を見れば、茶の葉をポットに入れながら上目づかいでこちらを向いている彼と、視線がかち合った。
マスターは意味深な笑みを浮かべて、言った。
「そんなに気持ちの整理がつかないのなら、恋わずらいを冷ます茶でも用意するけど」
「いぃっ!? まっ、マスター!」
「そこに座ったら、心の機微はお見通し。であってこそ、良き店主として振る舞えると思わないかい?」
マスターから得意げなウインクが飛んでくる。葉揺亭の主を舐めてはいけない、秘めたる思いも全て筒抜け。この事実に顔を赤くしないでいられようか。アーフェンは息の切れた魚のように、口をぱくつかせていた。
とはいえ、いつまでもそうしているわけにはいかない。幸いにも、マスターは起こっていないようだ。うわずった声混じる咳払いを一つしてから、アーフェンは伏し目がちにごにょごにょと口走る。
「一応、つけたつもりですけど。だけど……」
いざ別れを目の前にすると、未練が沸き起こってしかたない。「彼女が決めたことだから」ときっぱり割り切るには、少年はまだ若すぎた。
アーフェンは悩まし気に顔を伏せる。ちらりと見たマスターは、沸き立つ湯がのぼらせる白い靄の向こうに居て、何を考えているのかわからない。ただ、彼は気持ちの整理をつけたのだとは、ふるまいからして察しがついている。
かたんという軽い音は、マスターの手によりティーポットの蓋が閉じられた響き。真鍮のポットをとろ火の焜炉へと戻してから、彼は迷える少年の前に座った。
「どうするかは君次第だ。ただ、後悔だけはしないようにしなさい。じゃないと、これから死ぬまで引きずることになるよ」
それは真摯な声だった。言ってから、一瞬、マスター自身が泣きそうな顔をしたのは、気のせいだろうか。アーフェンはそう思いこそすれ、特に何も言わなかった。
茶の蒸らしの間、互いに沈黙が守られていた。マスターはもう一工夫という風に呈茶に係わる仕事を続けているし、アーフェンは己の内側に向き合うことで忙しかったからだ。
自分で決めろと言われても、結局答えは出ないまま。どうやってアメリアにこの想いを伝えるか、いかにこの恋心を収めるか、どうするのが正しいのか全くわからない。
迷い続けて長い時間が経った気がする。そこへ、すっとティーセットが差し出された。カップには既に紅茶が注がれている。ふわりと混ざる花の匂いはマツリカのものに違いない。
「デジーランとマツリカの茶に蜂蜜を、金色のレモンとローズの花びらを添えて。こんな感じで、いかがかな」
会心の笑みで解説されるがままの物が、アーフェンの目の前に置かれていた。淡い色合いの紅茶の水面に、ピンク色の花びらが一枚浮かんでいる。赤色や桃色は愛にまつわる色、からかわれているのではないにしても、気恥ずかしさは同じ。ごくりと生唾を飲み込んだ。
レモンに至っては、普段輪切りなのに、今日はくし切りにされてカップの縁に引っかけてある。見様によっては、長いブロンドの娘が腰かけているようになるのは、偶然ではないだろう。
アーフェンは震える手でカップを取った。マスターの腕前には定評がある、味にはまったく文句が無い。甘酸っぱいマツリカの花紅茶、本来なら心落ち着く味わいだ。
と、ティーセットの隣に羊皮紙とペンが差し出された。何事かとマスターを見上げると、彼は慈しみに満ちた顔をしていた。それで、静かにゆっくりと口を開く。
「声音にて伝えられない想いなら、手紙に乗せて伝えればいい。直接渡せぬというのなら、時空のはざまにでも流せばいい。自らの心のままに語った言の葉は、縁が無ければ、どこか知らぬところへ消えて終わり。強い縁があるのなら、幾千もの時や異界の空をも飛び越えて、想う相手のもとへ届くものさ」
柔らかいが真に迫るような重みがある、マスターの語り口調はそんな風だった。あれだけ惑っていた心の中に、すとんと真っ直ぐ落ちてくる。
古書に用いられているように、羊皮紙は思う以上に丈夫だ。アーフェンはぼんやりと思いながらペンを手に取った。
二つほど時が進んだ頃、アーフェンは時計塔のたもとに居た。冷たい壁に背を預け、日が西に下りつつある空を見上げてぼんやりと。ジャケットのポケットには、二つ折りにした羊皮紙が大事にしまわれている。
しばらく葉揺亭で粘ってみたものの、アメリアが戻ってくる様子はなかった。マスターも自分の書き物にご執心と言った風で、その前でぼんやり待ち続けるのも落ち着かず、ここで待っていると伝えて欲しいと頼んで店を出て来た。
一方的な待ち合わせ、彼女が来てくれるかはわからない。アーフェンは憂いを帯びた目で、天高く流れる雲と遊び回る鳥とを眺めていた。
もしも来てくれなかったらしかたない、縁が無かったということ。だけど、来てくれたら――
「アーフェンさぁん!」
待ち人の声に、アーフェンは大きく肩を弾ませた。
太陽の下、アメリアは笑顔を満開にして、ぶんぶんと手を振りながら、ブロンドの三つ編みを揺らして駆けてくる。眩しすぎて直視に耐えられない。込み上げてくるものを胸に、アーフェンは気恥ずかしげに帽子のつばを前に下げた。
「今日はどうしたんですか?」
「い、いえっ、その……」
大きな青い目に覗きこまれて、とくりとくりと脈が跳ねる。こんなに簡単に心かき乱されて、我ながら情けないとアーフェンは思った。
ぐっと拳を握り、一歩を踏み出す勇気と共に、声を上げた。
「ちょっと大変ですけど、時計塔に登りませんか? 頂上にテラスがあるでしょう? あそこまで」
「行けないですよ、鍵がかかってるんですもの――あっ」
「私にはそんなの関係ありませんから。手を繋いでいれば、アメリアさんだって通れますよ」
得意気に言ってみせれば、アメリアは楽しそうに目を輝かせた。後半は声が上ずっていたこと、彼女は気にしていないらしい。
ノスカリアの中心にそびえ立つ時計塔。内周に沿うように延々と階段が設置されていて、上に登れるようになっている。昔は万民に解放されていたが、時計の機構へのいたずらや、目立ちたがりによる悪ふざけが問題となり、今では整備に関わる人間しか入ることは出来ない。
暗く埃っぽい空間の上から、時を刻むからくりが動く重低音が降ってくる。それに紛れて、二人分の足音と、アメリアの息が切れる音が響き渡っていた。長い階段を上りっぱなしは疲れてしかたがない。
やがて、ふうと息を吐きながら、アメリアが立ち止まった。採光用の小窓から外を眺め、額の汗を袖で拭う。
少し先行していたアーフェンも、すぐに気づいて、慌ただしく階段を降りて来た。日に照らされたアメリアの顔には、明確な疲れが滲んでいる。
「大丈夫ですか?」
「なんとか……。でも、もうだいぶ上に来たんですね」
「もう少しです、だから」
「ええ。ここまで来たら、登りきっちゃいたいですもの」
前向きな声と共に、再び足は進みだした。
やがて巨大な歯車回る場所に差し掛かる。ちょうど文字盤の真裏だ。ずっと続いていた階段が入り組んだ通路へと変わった。
頂上へ行くためにはもう少し登らなくてはいけない。狭い通路を抜け、ひたすら上へ向かう。もちろん足元にも注意だ。うっかり足を滑らせて、ごうごうと音を立てるからくりの中に落ち込みでもしたら最悪だ。
アーフェンはアメリアの方を振り向いた。暗がりの中に目を凝らし、物珍しそうに歯車を覗きこんでいる、彼女の足取りは浮ついていて危なっかしい。
冷たいものが背中に走り、たまらず駆け寄って、反射的に手を取った。
「アーフェンさん?」
「あっ、ええっと、ほら、危ないですから……もし、落ちたりでもしたら……」
「そうですね。ありがとうございます」
アメリアの柔らかい手がしかと握り返してきて、アーフェンの身体はぽっと熱くなった。暗くて良かった、これが外なら、顔が真っ赤なのが一目瞭然だっただろう。
手を引いて駆り立てられるように前へ進む。再び長い階段だ、これを登りきれば頂上。いよいよだ、と気を改めるように、アーフェンは喋りだした。
「この時計塔は、ずっと昔に、大陸中の技術者やアビリスタが大勢集まって、力を合わせて作ったものなんです。『ノスカリア文化史』という本に書いてありました」
「へぇ」
「地域が違うと色々な垣根があるものです。でも、それを全部越えて協力した。だから、この時計塔には縁結びの力があるとされました」
「素敵ですね。ノスカリアは、旅人さんがみんな通りますもの」
よい反応だ。アーフェンは小さく頷いた。
「それだけじゃなくて、言い伝えがあるんですよ」
「はあ」
「この塔に、一緒に登りきった二人は――」
「あっ、階段終わりですよ!」
言いかけた言葉はアメリアの黄色い声に遮られた。前方には確かに、細い光の線で切り取られるように、扉の形が浮かんでいる。
たまらないとばかりに、アメリアは繋いでいた手をほどいて駆け出した。所在なくしたアーフェンの手が、後髪を引くように伸ばされるも、もう届かない。
はあ、と息を一つ吐いて、アーフェンは少女の背を追った。
年季の入った木戸を押し開けた。暗がりに慣れた目には、太陽の光が強く刺さる。展望テラスで羽休めしていた鳥たちが、予想外の来訪者から逃げ出すのが音でわかったが、二人仲良く眩んだ目では姿を捉えることはできなかった。
「わぁ……」
アメリアは感嘆の声を漏らしながら、一足先に石造りのテラスの柵へと駆け寄った。
素晴らしい展望だ。赤茶の屋根連なる都市部を一望できるのはもちろん、南を向けば平原の向こうの山脈が、東には広大な森林が、北にも西にも丘陵が続くのがはっきりと見えた。アメリアは興奮した足取りで、ぱたぱたと四方を走り回る。
しまいには西側に向かってアメリアは身を乗り出し、大きく手を振った。
「マスター、私、時計塔の上に居ますよ! 視えますか!?」
「……さすがに無理ですよ」
「どうでしょうか? マスターなら、わかってくれますよ」
アメリアが自信あり気に言うのがなぜなのか、アーフェンにはついぞわからなかった。ただ、彼女がそういうのなら、そうかもしれないと笑って濁すのみ。そう考えると、次にマスターに会うのが恥ずかしいなと思いながら。
アメリアが片手をついて身を乗り出す隣に、アーフェンは立った。ふと真下を見ると、広場に行きかう人が胡麻粒のように見えた。もしも落ちたら――ぞっとして、隣の少女に真顔で向かう。
「アメリアさん、気を付けてください。そんな風に前のめりになったら……」
「あ……落ちたら、死んじゃいますもんね」
アメリアも下を見て、少し顔を青くして身を引っ込めた。
しかし、ふっと笑みをこぼすと、意味深な顔でアーフェンに向いた。
「それとも、落ちたら助けてくれますか? かっこよく、空中で、ばしっと抱きしめて」
「えっ、あ、そりゃ、そうしたいですけど……でも、私は空なんて飛べませんし……ああっ、でも、助けないと……どうしたら!」
「うふふ、冗談ですよ」
本気で悩んだ少年は、アメリアの悪戯な笑顔に深く安堵した。性質の悪い冗談はやめてほしい、そう責めかけて、ふと思う。
「もしかして、不夜祭の時のお話ですか」
「はい。ちょっと思い出したんです。ちょうどあの辺から落っこちて、助けてもらっちゃいましたもの。それと……あっ、ううん、なんでもないです」
アメリアははにかんだ顔を見せて、もう一度遠くを見やった。「色々あったなあ」と呟く姿は、思い出に浸っていることを如実に表している。
アーフェンはそんな彼女の横顔を見ていた。小さな喫茶店の、可愛らしい看板娘。いつもにこやかで、ちょっとおてんばな面もある、自分と同じ年のいたいけな少女。
しかし、今目の前にしたアメリアの顔は、アーフェンが思っていたよりも、うんと大人びている風に見えた。さっきまでとは違う意味合いで、胸がどきりとする。
そして、アメリアがくるりと顔を向けた。
「アーフェンさん、ありがとうございます。最後にこんな景色が見れて、よかったです」
最後、という単語がアーフェンの心を叩いた。そう、二人きりになれるのは、これがきっと最後だ。
汗が吹き出す手をジャケットのポケットに動かしながら、アーフェンは生唾を飲み込んで、震える唇で言葉を送り出す。たった一言、好きですと。ただ一つ、手紙を渡すだけ。そのためにここまで共に登って来た、迷わず言おうと決めた、はずだった。
しかし、アーフェンはここにきてもう一度惑いの道に立ち帰っていた。口をついた言葉は、当初意図したものではなく。
「本当に、本当に行ってしまうんですね」
「はい! お世話になりました」
「未練はないんですか。怖くなったり、後悔したりするかもしれない――」
「大丈夫です、自分で決めたことですもの。なにがあっても頑張ります。じゃないと、マスターに叱られちゃいますし。あんなに大きいこと言ったくせに、って」
屈託なく笑うアメリアの目は、遠く広がる青空よりも澄み渡り美しかった。彼女はもう、なにがあっても振りかえらない。ただ前を未来を向いて、進んでいくのみだ。
それがわかるから、アーフェンは何も言えなくなった。彼女が自分を特別に想ってくれることはない、いやそれ以上に、下手なことを言えば、アメリアの邪魔をしてしまいそうだから。
「アーフェンさん、そろそろ降りませんか? もし日が暮れたら、塔の中真っ暗になっちゃいそうですから」
「そうですね。歩くべき道が見えないと、困りますからね」
アーフェンは顔を隠すように帽子のつばを下げながら言ったのだった。ポケットに入れて羊皮紙に触れる手はそのままに。
アメリアは、また先走って扉へ向かう。しかし、途中でくるりと振り向いた。
「そう言えば、さっき言いかけていたのは何だったんですか? 時計塔に二人で登ったら、なんとかって」
「あっ、あれはっ、その。二人で、登ったら、その二人は……」
アーフェンはアメリアの期待に満ちた視線から目を逸らした。
ノスカリアの時計塔にある言い伝え。もし、この塔を男女二人で上まで登りきったなら、二人の絆は強く結ばれて、一生の愛を捧げ合うことになるだろう。そんな恋人同士の縁を深めるための、いわば願掛けのようなもの。
しかし、今さらこんなことを言う気にはなれなかった。もし伝聞そのまま説明すれば、アメリアは素直に信じ込むだろう。彼女の純粋さには定評がある。
それは完全にアメリアの足を引っ張る行為だ。真剣に悩んで、顔を曇らせるだろう。そんなことをアーフェンは望まなかった。
だから、ふっと笑顔をつくって嘘をついた。
「二人は、一度別れても、またどこかで会える。ここは、出会いと別れの町ですからね、そうやって、お別れを寂しくないものにしたんですよ」
さも真実のように語る内容は、いま即席で考えたもの。しかし、アメリアは嬉しそうに聞いてくれた。「そうなるといいですね」と。
アーフェンはおもむろに羊皮紙を取り出した。懇々と自分の想いが書き連ねられている手紙だ。後悔しないように、とありったけの気持ちを詰め込んだ。
だが、後悔するなというのなら、この手紙を渡すことはできない。アメリアのことが好きだから、彼女の後ろ髪を引っ張るような真似はしたくなかった。
届けるつもりの無くなった想いは、一体どこに流そうか。そよ風と共に振りかえれば、遠く空が広がっている。
アーフェンは開かれることのない二つ折りを、さらに折り始めた。山をつけ、谷をつけ、アメリアが不思議そうに見守る中で出来上がったのは、大きな翼を水平に広げた鳥のようなかたちのもの。
「鳥みたいです」
「わかりました?」
「はい」
「ええ、そうです。だから、アメリアさん、よく見ててください。この町から飛び立つ鳥は、どこまでだって行けるんですよ。ほら、こんな風に――!」
テラスの縁から、アーフェンは紙の鳥を飛ばした。優しく送り出されたそれは、すうっと町の南西へと飛んでいく。途中うまく上昇する風に乗り、ふわりと高度を上げながら、どんどん遠くへと。
やがて小さな鳥は、遠くに川が流れる風景に飲まれ、見えなくなった。一体どこを飛んでいるのか、想像するしかない。
「アーフェンさん、ありがとうございます。私、きっと素敵な場所にたどり着ける気がしてきました」
アメリアの言葉が心地よく耳に響いた。吹き抜ける風も、かつてないほどに爽やかに感じられた。
「さあ、帰りましょうか」
「ええ」
「あっ、それと、今度の旅立ちのことなんですけど。時間が許すなら、葉揺亭でお話したいのですが」
「そうですよ! 私、今日、そのためにアーフェンさんのこと探してたんでした」
顔を見合わせて、二人は笑い転げた。
善は急げ。暗がりの足下には十分気を付けながら、時計塔を早足で降りていく。今度はアメリアが前、アーフェンが後ろ。少々危なっかしいが足取りはかろやか、そんな少女の背中を見つめて進むだけ、後ろを気にして振りかえる必要はない。
アーフェンの自身の足も来たときよりもずっと軽く、そして一つ強くなっていた。
これにて追補編も含め完結となります。
気が付けば大長編、ここまで楽しく書き続けてこられたのは読者の皆様が居たおかげです。
連載中、感想・ブックマーク・評価なども頂き、とても励みになりました。
ここまでお付き合いいただき、どうもありがとうございました! 楽しんでいただけたのであれば幸いです。
2016/9/30 久良 楠




