美味しく楽しく元気よく ―下準備―
交易都市ノスカリアの要、商店通り。日中の往来ははなはだ多く、彼らに呼びかける商売人の声も、みなぎる活力と共に響き渡る。立っているだけでも元気を分けて貰えそう、そんな気分にすらなる場所だ。
しかしそんな空気はどこへやら、ブロンドの少女はなにやら難しい顔をして石畳を歩いていた。胸の前で木箱を抱え、ふうふうと息を切らせて。時折よろめくのは、重荷なだけでなく足下が見えづらいから。額に浮かんだ玉の汗が、太陽の光にきらきらと輝いている。
「ああん……重い……!」
結局こらえ切れなくなって、少女アメリアは通りのど真ん中で木箱を降ろし立ち止まった。くたびれた手のひらをひらひらと振る。朝方の火傷の痕はもう無い。マスターが「内緒だよ」と引き出しより出してくれた薬草の粉を練って塗りつけたら、瞬く間に痛みが引いたのだ。
ふうと息を吐いて、袖で汗をぬぐう。凝り固まった肩を回してやれば、筋肉がほぐれて気持ちがいい。
いっそこのまま箱の上に腰を降ろして足を休めたいくらいだ、しかしそれには少々人目が多い。それに馬車が通ることだってある、鼻息荒い馬にはねられるなんて考えるだに嫌だ。
深呼吸を最後に小休憩を終わらせる。ぐっと伸びをして、さて、もう一頑張りだ。葉揺亭までの帰路はまだ長い。
と、その時だった。
「アメリア?」
後ろから自分の名前が呼ばれる。そのテノールの声はアメリアも知っているものだった。
あっ、と思って振り返るより先に、声の主たる若人がアメリアの隣に立った。仰ぎ見るだに目に映る、一つに束ねた青の長髪が非常に印象的だ。顔立ちは中性的、作り物のように整った眉目が、アメリアを憂うように見下ろしている。
「ティーザさん。こんにちは」
「大荷物だな。店に戻る所か?」
「はい」
アメリアは三つ編みを大きく跳ねさせて頷いた。すると青年は顔色一つ変えないで屈みこみ、少無愛想な木箱を預かると、さっと立ち上がった。
「あっ。ありがとうございます」
「気にするな。同じ方向に行くんだ」
そっけない物言いだが、心根は優しいものだとアメリアは知っている。ふふっと含み笑いをしてから、彼の後ろを弾むような足取りで追った。
彼ことティーザ=ディヴィジョンは、葉揺亭主の知人なのである。マスターがノスカリアに越してくるより以前から親しい仲だ、アメリアはそう聞いている。
しかし詳細は不明だ。興味津々に聞いても、二人ともがいつも上手くはぐらかしてしまうから。
知っていることと言えば、ティーザは西方大陸にある「魔法自治都市コルカ・ミラ」に住んでいたということくらいである。そしてマスターとが知り合ったのも、その頃の話だろうと、アメリアは推測していた。今朝に見た魔法素材のことを考えるにも、それなら納得がいく。
さて、身軽になったアメリアは、いっそ急ぎ足で道を行く。歩幅の広い青年の隣につくには、そうでなくては追いつけないのだ。
ふと、ティーザが木箱の中身を問うてきた。重量を疑問に思ったのだろう、一体何をこんなに買い込んだんだ、食器にしては扱いが粗雑だ、などと。
無理な荷物を抱えていた理由は。アメリアは頬を染めながらも素直に白状した。
「あのう……実は、全部食べ物なんです。お肉とか、お野菜とか、色々。ちょっとお料理してみようと思って」
「それにしても量が多い。あいつはそう物を食わんだろう?」
「あはは、その通りですよ」
アメリアは困ったように肩をすくめた。マスターは成人男性として異常なほどに小食なのだ。平均すれば、一日一回、パンを一切れと一口二口の主菜を食べる程度。下手すれば茶を飲むだけで、他なにも口にしないことすらある。それでも、平気な顔で生きている。否、平気な顔だった、今朝までは。
「今朝、マスターが病気で倒れちゃって。だから、ちゃんとご飯を食べて栄養とって、それから良く休んで元気になってもらうんです」
「……病気? あいつが?」
「はい。すごく顔色悪いですし、足もふらふらで……。自分では『もう大丈夫だ』ってお店やってるんですけど、私、すごく心配で……」
ちょっと早く目が覚めて店に降りたら誰も居ない。マスターの部屋に呼びかけても、返事どころか物音一つ聞こえない。あんな肝の冷える思いはもうたくさんだ。
表情暗く沈めるアメリアの隣で、ふむ、と、ティーザは考え込むように虚空を眺めた。が、すぐに少女に目線をやり、淡泊な口調で語った。
「心配いらん。殺しても死なんようなやつだ、あれは」
「ええ!? そんな! だって本当に――」
「今ごろ自分で薬を作っているだろう。立って店に出ていられるようなら、大したことではないさ」
そういえば薬――本人は「茶」だと言い張るが――を飲んでいた。それに加えて、知古の友が言うのだ、本当に大丈夫なのだろう。
理解はしつつも、日頃の不摂生も間違いない事実。気になってしょうがない。少女は憂悶の溜息は止まらなかった。
切り立つ崖の下に寄り添い建つ葉揺亭。樫木細工の玄関扉の前に、アメリアの目利きにかなった食材が詰まる宝箱が据え置かれた。
涼やかな顔で立っているティーザに、アメリアはぺこぺこと頭を下げる。
「ありがとうございます、助かりました!」
「ああ。……じゃあ、俺はこれで」
微かに口元を緩ませながら、男はさっと立ち去ろうとする。アメリアは呆気にとられたように目をぱちくりさせていた。
「え、ええ? ここまで来たのにお茶は飲んでいかないんですか? ティーザさんが来てくれたら、マスターも喜びますし」
「……あいつに捕まると長くなる。これから俺も仕事なんだ。勘弁してくれ」
紺青の目を細めてティーザは言った。「面倒だ」と口にしないものの、気配にありありと現れている。
しかし、それぐらいで退くアメリアではない。仲は良いはずなのに、ティーザは滅多に葉揺亭にやってこない。それもあってか、彼が顔を出した時のマスターの楽しそうな様子は、普段自分といる時とはまた違う類のものなのだ。それを知っているから、どうにかして引き合わせたい。
とは言え、向こうも暇な身でないことは良く知っている。上手い折衷案はないだろうか。
「ええと、今日は木花の日だから、お仕事は『先生』の方、ですよね。あっ、じゃあ、終わったら来てください! ちょっと覗いてくれるだけでいいですから!」
ティーザと言う男は様々な顔を持っている、「スラムの学校の先生」はその一つだ。ちなみに政府の治安局での仕事が別の側面であるそうだが、さておき。
ノスカリアの生活水準は世界屈指の高位にある。それに加えて商売に必要というのも相まって、読み書きや算数は基本的な素養となっていた。
ただし、例外がある。町の北西、高台の崖と水路に囲まれた地帯にあるスラム街の住民たちである。華やかな町の陰へ陰へと追いやられ、暗い世界にへばりつくように暮らす人々に、教育を受ける余裕など無い。それがさらに格差を生む、そんな悪循環ともなっている。
社会的底辺に這いつくばり生きる中で荒んだ者は、町の平和を脅かしかねない。懸念した政府機関は一つの方策を打ち出した。それがスラム街の住民を対象とした「学校」を設立することだったのである。
当初はスラムの子どもを対象に、一般常識だけを教える場として開校された。しかし、政府のお偉方が言うそれでは不十分。そう考えた現場の運営陣が試行錯誤と尽力を重ね、また人々の関心や善意を糧に、今では、スラム外からも子どもがやってくるような、多種多様の授業が開講される場となったのである。
ティーザも教師陣の一角として、決まった曜日に授業を受け持つ。文字の読み書きから、足し算引き算、歴史の勉強、あるいは異能文化やとっさの護身術まで、実に幅広い知識を教授しているとのことだ。
学校があるのはスラム街の入り口、葉揺亭からは非常に近しい、広場に行くよりも早いくらいだ。アメリアが実際に訪れたことはないが、一通りの仕事を終えてから足を向けたとしても、宵の口の閉店には間に合う、と踏んでいる。
「本当に、少しだけでいいんです。そんなに遠くないですもんね、顔出すくらいなら、遅くもならないですし」
アメリアは強く念を押す。彼女のきらきらと輝く目が、冷静な青年を明るく照らしつけていた。
やがて、ティーザは諦めたように頷いた。
「……わかった」
「必ず、ですよ!」
アメリアの青空のような笑顔と対照的な、遠慮気味の微笑みを見せると、ティーザはひとまず去って行った。
その背中を見送って、やりきった感満載でアメリアは葉揺亭の店内へと向かう。扉をくぐれば、すぐにマスターの声が聞こえた。
「おかえり。誰か来てたのかい?」
「はい。ティーザさんに、ここまで荷物を」
と言いながら、アメリアは重い木箱を抱え持ち、よろよろとカウンターの中へと歩いた。
ふとマスターの顔を見る。血色は良くなっているものの、疲れた風なのは変わりない。おまけに、この瞬間には寂しげな気配まで溶け出していた。
「そっか。まったくあの子は。減るわけじゃないんだ、顔くらい見せてくれてもいいのにさ」
「これから仕事なんですって。終わったら来てくれますよ、きっと。ティーザさん、見かけによらず優しいですから」
「ああ、そうだ。よくわかってるね、アメリアは」
「マスターの隣で見てましたもの」
木箱を抱えたまま、アメリアは得意げに平らな胸を張った。
「ところで、それは何だ?」
「うふふ……すごいですよ。今日の晩ご飯です」
どん、と箱を作業台の上に鎮座させる。一息の間のあと、アメリアは爪先立ちになって箱の中に手を伸ばした。中身を拾い上げては、それほど広くない作業台に所狭しと並べて披露していく。
オニオン、キャロット、丸イモ。紫色のガーリック、網の袋にまとめられたむき身の赤いマメに、幾種類かのキノコの仲間。次へ次へと飛び出してくる食材、それをマスターはびっくり箱でもあるかのようにあんぐりと見守っていた。
「それで、これがとっておき!」
両手で引っ張りだしたのは、丸々太った野鶏の肉だった。ノスカリア東の森林地帯に生息する「大金襟」と呼ばれる鶏で、よく脂も乗った柔らかい肉質なのが特徴だ。少々値段も張るが、大事な人の健康のためなら金を惜しむことなどあるものか、アメリアは思い切り奮発したのだった。
肉屋の好意で羽をむしってもらい、おまけに内臓まで抜いてくれた。ここまでになっていれば、調理するのは比較的楽である。
そんな戦利品を披露しきったアメリアは、腰に両手をあてやり切ったような表情で胸を張っている。
一方、マスターは困ったような微笑みを浮かべていた。
「贅沢すぎるよ、もったいない。それにしても……これだけ揃えて一体何を作る気だい?」
「何にしましょう」
お互い笑顔を貼り付かせたまま、間の抜けた沈黙が流れた。
アメリアは。とりあえず栄養の有りそうなものを手当り次第に買って来ただけだったのだ。計画性も何も無い、もちろん、特別なレシピなんて微塵も考えていなかった。
はあ、とマスターがうなだれつつ息を吐く。
「君のことだ、どうせそんなことだと思ったよ」
「えへ」
「誉めてはいないよ」
苦言を呈しつつも、マスターは豪勢を醸す食材の群れを前に、しばらく考えている。何度か思考を行き来させた後、ひらめいた。
「せっかくの新鮮な鶏だ、そのままオーブンで焼こうか。それと赤豆のスープかな、野菜たっぷり使ってさ」
「わぁ、美味しそうですね」
「……調理は君がやるんじゃあないのかい?」
「や、やりますよ! でも……教えてください」
徐々に小声になるアメリア。そんな姿を見て、マスターは笑っていた。
「じゃあまずは野菜を刻んでくれ。量は……これくらいかな。刻みもそんなに細かくなくていいからね」
マスターが鶏の腹に詰めるだけの野菜を取り分けて、アメリアに指示する。彼女は一つ返事をして、早速、普段は茶に添える果物を切っている小ぶりのまな板とナイフとを用意した。
葉揺亭の裏、住居部分にも小さな台所があるのだが、店舗にある設備の方が使いやすいのだ。だから今のように客が居ない時は、食事の調理も大概ここでやっている。たまに料理中に客が来て、においで腹を鳴らせてしまうこともままあること。食べたいとせがまれることはあっても、文句を言われることは無かった。
アメリアが最初に手に取ったのはオニオンだ。皮をむいて刻むと、同時に目に痛みが襲い来る。刻んでは顔を背け、またナイフを動かしては悶絶して。潤んだ目をこすってばかりで、なかなか作業は進まない。
そんな少女を尻目に、マスターもマスターで調理を進めていた。店で出すハーブティ用の香草から、適当に数種類取り出し、混ぜ合わせる。
ひぃひぃ言いながらオニオンから目を逸らした時に、アメリアは彼の手仕事の内容に気づいたのだった。
「あれっ、それ、お茶の材料ですよね」
「うん。でも、臭み消しと風味づけになるからちょうどいいんだ。むしろ、この辺りの香草は料理に使うのが主かな。独特の風味の物が多いから、茶として飲用するのもおもしろいんだよね。――ほら、アメリア、手が止まってるよ?」
「あっ、はい!」
アメリアは前を向き直す。最後は雑に刻み終えて、どうにかこうにかオニオンの地獄を抜け出す。次は色も綺麗なキャロットが相手、それが終わるとイモもある。
ナイフが奏でる不定律ながらも軽快な音楽を聞きながら、マスターは鶏を処理していた。塩と胡椒、それと先ほど調合した香草を、鶏肉の表面に丁寧に擦り込む。
その途中で、アメリアの分担が終わった。
「マスター、こっち終わりました」
「じゃあ、それを軽く炒めて。そしたら鶏に詰めよう」
アメリアは焜炉の上に鎮座する真鍮のケトルを退け、代わりに鉄鍋を取り出した。
少し油をしいて、刻んだ野菜を一気に投入する。じゅう、という音が気持ちよい。
そのままオニオンの色が透き通る程度に炒め続ける。もちろん、焦がさないようにじっくり弱火だ。
「うーん、そろそろ……。マスター、これくらいでいいですか?」
「そうだね。じゃあこっちに持ってきて」
一旦野菜を皿に上げ、マスターの手元に持って行った。既に鶏の腹は上手く切り開かれていて、詰めるだけの形にしてある。いや、もう中に香草とガーリックが入っていた。準備が良い。
アメリアが炒めた野菜で空だった鶏のお腹を満たせば、下ごしらえは終了だ。そのままオーブン用の金属皿に乗せ、火を入れる。焼き上がりを想像すると、もうお腹が鳴りそうだった。
満足感あふれる顔で立っていると、マスターから声がかかった。
「アメリア、スープも今から仕掛けておいで。じっくり煮込んだ方が美味しい」
「そうですね、そうします!」
アメリアは残りの材料を木箱に入れ直すと、それを持って裏へと向かった。スープを煮込むのは時間がかかる、しかし店の焜炉は一つのみ。営業用のお湯を沸かさなければいけないのだから、長時間塞ぐことはできない。台所の古い薪ストーブの働きどころだ。
小さな台所は古びてはいるが、汚れてはいない。アメリアがいつもきれいに掃除しているからなのと、使用頻度の低さもある。
なぜ使わないのか、原因の一つは、薪を起こさなければならないことだった。アビラ・ストーンの手軽さに慣れてしまうと、着火も火加減の調整も、薪でやるのは面倒でしかたがない。
「私も、こう、えいっ! ってやったら」
暗い炉に向けて人差し指を振る。が、当然何も起こらない。アメリアはアビリスタでも魔法使いでも何でもない、普通の少女なのだから。
誰も見ていなかったのに、なんだか恥ずかしくなって、アメリアは顔を赤らめたままいそいそと薪をくべたのだった。
「マスター、ただいま……」
スープを一通り仕込んで戻ってくるころには、アメリアはくたびれきっていた。もちろん時間も長らく過ぎている。
別にスープを作るのは難しくない、材料を切って煮込むだけなのだから。が、火を安定させるのには多大な労が必要だったし、これからもこまめに様子を見てなければならないとの重圧もある。料理一つ作るのも、なかなか骨が折れるものだ。
そんなアメリアをマスターは朗らかな声で迎え入れた。作業場所はすでに片づけられて、いつもの喫茶店のそれに戻っていた。まな板もナイフも綺麗に洗われてあった。レモンの匂いが漂っているのは、これらを消臭したからだろう。
「おかえり。アメリア、お茶が入っているよ」
「わあ!」
「さっき料理に使ったハーブから、ローズマリーとレモングラスのお茶だ。ちょっと香りには癖があるけど、味は飲みやすい方かな」
待ってましたとばかりに、マスターが真っ白のカップに勢いよくお茶を注いでくれた。水色は極淡く、水面が波打ち湯気が上がると、すっとした刺激のある香りも立ち昇った。
アメリアは白磁のカップを手に取った。舌を焼かないよう、二度、三度と息を吹きかけて、一口すする。
爽やかな味わいだ。熱気のこもる脳味噌に清涼感のある風が吹き抜けて、疲れが吹き飛ぶほどに心地良い。
「なんかこう……すっきりって感じです」
「集中力の向上、疲労回復、精神安定、食欲増進。効果としてはそんなところだね。頭が冴えて元気が出るような、爽やかな味だ。目覚まし代わりにもちょうどいい」
まるで客に聞かせるようなマスターの饒舌な語りは聞き流し、アメリアはごくごくと茶を飲みほした。葉揺亭の仕事をしながら、料理を作りながら。せわしない時間は夕暮れ時までもう少し続くが、この一服で頑張れそうである。
葉揺亭 スペシャル・メニュー
『疲れた時のリフレッシュに』
ローズマリーとレモングラスのブレンドハーブティ。
柑橘系のさっぱりした口当たりで、疲れた体や脳をリセットするのに有効。
疲労回復、血液循環の促進、脳の活性化、消化促進等に効果が期待できる。