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喫茶店という世界 ―後―

「いらっしゃいませ!」


 店員の女たちによる快活な輪唱が響いた。耳だけでなく目に見ても、皆にこやかな顔をしていて気持ちが良い。たくさんの光源石のランプが照らす明るい世界を、彼女たちがさらに華々しく彩っている。


 一歩入ったところで周りを見回していると、一人の店員がすかさず近寄って来た。他より少し年配で、身のこなしも優雅で風格がある。店員のリーダーみたいなものかもしれない。


 それにしても、店の顔にふさわしい大変な美人だ。おまけに胸も大きい。ここにあって葉揺亭にないもの、考えながら、アメリアは思わず自分の胸に手をやった。こちらはほぼ何も無い、まったいらだ。


「いらっしゃい。お嬢ちゃんひとり? それなら一番端が空いてるから、どうぞ」


 人好きのする笑顔と柔らかい声音で案内されたのは、カウンターの席。アメリアはその席に座った。


 布張りの椅子の座り心地自体は特に良くも悪くもない。が、少し狭い。隣の人との距離が近すぎて、談笑しながら食事をしている男の肘がこちらの腕を時々掠めていく。目算するには、葉揺亭で六席が作ってあるスペースに八席無理矢理詰め込んだ風だ。たくさんの客をさばくには仕方ないのかもしれないが、しかし、これは居心地が悪い。アメリアは何度も姿勢を正した。


 わずかな後、さっきとは別の若い店員がメニューと水を持ってきた。はじめに水が出てくるのは、ノスカリアの飯屋ではよくあるサービスだ。街道の町ゆえ水の補給を求める旅人が多い、そんな町の事情に起因していて、昔からの風習だとも言い換えられる。なお、葉揺亭では実施していない。お茶の前に水が出てきたら、それでお腹がいっぱいになってしまうじゃないか、とはマスターの談。


 無駄に急いで来たから喉が渇いていた所だ。アメリアは喜んでひんやりとしたグラスを傾けた。 


 そしてメニューを開く。厚紙を三つ折りにした形式で、見開きのみならず折り返しの部分にも色々書き連ねられている。びっしり具合は、先ほどアメリアが書いたものといい勝負だ。


 まず目を通すのはやはり茶のメニューだ。そこでアメリアは己の目を疑った。


 期待していたより、ずっと少ない。単純な数で葉揺亭の半分に届かず、種類ついてもシネンスやらアセムやらデジーランなどなど、ノスカリアの店を探せば普通に売っているものが多い。ともすれば、「世界の名茶が飲める」という触れ込みは、ブレンド・ティの類を指し示しているだけなのかもしれない。これらは「西方のベリー・ブレンド」やら「東方の緑茶ブレンド」などと、各大陸の名を冠してつくられている。それも結局六種しかないから、決して豊富とは言えないのだが。


 とにかく少なさが気になる。メニューを全部見渡しても、茶はこれっきり。聞いた話が勘違いだったのか、それとも茶以外の飲み物も充実しているから良いということなのか。アメリアはううんと首を傾げた。


 いや待てよ、と思い立つ。葉揺亭でもメニューにすべての茶を書いているわけではない、載っていないが出せるものはたくさんある。むしろ、マスターが客の希望を聞いてその場でブレンドし始めるから、無限にあると言ってもいいくらいだ。もしかしたら、ここもそういう方式でやっているのかもしれない。それだ、とアメリアは自分を納得させた。


 そこへ注文を聞きに、最初に案内してくれた年配の店員がやってきた。穏やかな物腰だから話しやすい。アメリアは思い切ってたずねてみた。


「あの、ここに書いてないようなお茶とかもあります?」

「えっと……書いてあるのから選んで欲しいかな」

「あっ、そうですか……そう、なんですね」

「えーまあ、そうねぇ、おすすめはやっぱりデジーランかしら。紅茶が好きな人はみんなこれが一番って言うわ」

「じゃあ、それでお願いします」


 拍子抜けした勢いで言ってしまったが、すぐに後悔した。ここで葉揺亭にある紅茶を頼むのはもったいない。デジーランがおいしいことなどアメリアはとっくに知っている。「繊細で豊かな香りの紅茶だ。それに、産地や採取の時季で見違えるほどに味わいを変えるのも魅力的だよね」などと饒舌に語るマスターの言が、頭の中で鮮明に再生された。


 だから追加で「西方のベリー・ブレンド」なる一品も頼む。すると、店員が怪訝な顔をした。

 

「お茶二杯?」

「あっ、じゃあ、あと、『本日のお昼の焼き立てパン』も」

「……はい、かしこまりました」


 不思議そうな顔をして美人店員は去っていった。


 やはり茶を二つも頼むのは変だろうか。急に恥ずかしくなって、アメリアは顔を赤くした。恥ずかしさがあまり、周りの目までも妙に気になってくる。


 しかし、しかしだ。自分は茶を飲みに来たのだから、飲み比べをしたっていいじゃないか。葉揺亭でもアーフェンあたりが時々やっているが、マスターは別に何も言わないし、自分も不思議に思ったことはない。むしろ大歓迎だ。決して不審な行為ではない、堂々としていて大丈夫だ。アメリアはそう強く考えることで、しぼみそうになった心を持ち直した。


 第一、今日は経営の参考に来たのである。しょぼくれていないで、出不精なマスターの代わりにしっかりと相手を観察して帰らなければ。気合いを入れ直すためにふうっと息を吐き、ぴっと背筋を伸ばした。


 飲み物を作る場所はカウンターの向こう側、葉揺亭と同じだ。アメリアより年上の若い女性が一人で作業をしているが、店内の繁忙っぷりからは少々浮いたのんびりとした所作である。忙しくて殺気立っているようなところはあまり見たくないから、ちょうどよい雰囲気だ。


 料理を作る厨房は奥に別であるようだ。カウンター内の壁に料理を受け渡す窓が開いていて、調理をしている姿がわずかに見える。それだけでも、壁で隔てた向こう側が異様な熱気に包まれているのが十分すぎるほど見て取れた。


 うーん、とアメリアは唸った。もし料理を葉揺亭で行うなら、抜本的な改築が必要そうだ。それに加えて人手もいる。テーブルを用意し注文を聞き、飲み物を作っては出し、料理を作っては出し、お客さんが帰ったら片づけて次の客が入れるようにする。この店のようにテーブルを満席にし続けるとしたら、とても二人きりで回せる仕事量ではなくなる。マスターにも指摘されたことだが、こうして実際目にするとそれがよくわかる。どうにかして店主の重い腰を上げさせない限り、無理な話だ。


 そんな風に頬杖をついて思い悩むアメリアは、先ほどから、どうにもちくちくとした引っかかりを感じていた。いや、それは店の改善云々にではない、こちらへ向けられる視線に、だ。


 飲み物を担当していた女と、先ほどアメリアの注文を聞いて行った店員とが、ひそひそと話しながら横目で盗み見るようにこちらをうかがっている。アメリアが目を向けると、二人は揃いも揃って慌てて目を逸らし、話してなどいない風の素振りを見せる。


「やな感じ」


 自分も店のことをじろじろ見回していたから、あまり強くは言えないが。それでも気分が悪いのは事実だ。



 背後一帯から湧き起る他人の食事の音を聞きながら、そぞろな心で待つことしばらく。


 ようやくアメリアの注文した品々がやってきた。三度となるあの年配の店員が、トレーに乗せて運んできた。


「はい、『デジーラン』と『西方のベリー・ブレンド』、それと『本日のパン』です」

「ありがとうございます」

「ねえ、あなたもしかして崖の下の喫茶店の子?」

「えっ、あっ、そ、そうですが……なんでしょうか」

「ふふっ。そう縮こまらなくていいのに。ごゆっくりどうぞ」


 店員は笑って去っていった。優しかったその顔は、アメリアの気のせいかもしれないが、いやに優越感に満ちたものに見えた。これがまた、アメリアの心をちくりと突く。


 ええい、気にするものか。アメリアは軽く頭を振って悪いものを振り払った。敵情視察だとばれたからといって、別に委縮する必要なんてない。それに、規模は負けていても、ノスカリアに先にあった喫茶店は葉揺亭なのだから、こっちが先輩面してやってもいいくらいだ。


 気を取り直して、ひとまずアメリアは飲み食べることに移った。目の前にはカップに入った二種類の紅茶と、皿に乗ったきつね色のパン。パンは花のつぼみのような形をしていて、上にとろけて焼き色のついたチーズがかかっている。実においしそうで、アメリアは生唾を飲み込んだ。


 しかし、ここは紅茶の味から試してみなければいけない。なぜならば、アメリアは喫「茶」専門店からの刺客、茶が第一にあるべきだ。


 誇りに近いものを胸に掲げながら、アメリアはまず、自分の店に無いベリー・ブレンドの紅茶を手に取った。そういえば、この店はポットで出してくれるわけじゃないんだな、と思いながら。


「あっ、おいしい」


 甘酸っぱいベリー類の香りが強く、これがとてもアメリア好みだった。それでいて、匂いに紅茶の味が負けてしまうこともない。全体としてはすっきりとした味わいで非常に飲みやすく、舌のどこかで青葉の面影ある味が見え隠れするのも、少し目新しさを感じた。


 これはなかなか。もちろんマスターの作ってくれるイチゴたっぷりの甘いフルーツ・ティが大好きなのだが、そこにはひいき目もある。それを考慮すると、かなりいい勝負だ。茶を推す店というのは嘘ではなかったらしい、少し見直した。


 しかし。アメリアが視線を向けた先のカウンターの中では、先ほどと同じ二人が、やっぱりこちらを見ながらくすくすと笑いあっている。本当に嫌な感じだ。賞賛の心がみるみるしぼんでいった。


 その後味が響いたのかもしれないが、次に口にしたデジーランは、マスターに圧倒的な軍配が上がった。おいしいはおいしいのだが、なにかが足りなくて寂しい感じがする。


 お茶を一通り味見したところで、お次はパンだ。ちょうど昼食時、おいしそうな料理の匂いが漂う中にずっといたから、アメリアのお腹もぺこぺこである。偵察のことは一時頭から遠ざけ、食欲に正直にまだ温かいパンへかぶりついた。


 外はかりっと、中はふわっと。申し分のないおいしいパンだ。加えて中からとろっと溶けたチーズが出てきた、これがたまらない。その中に散りばめられた、赤っぽい色あいの、ぱりっとした食感で、馬蹄のように曲がっている何かの食材がとても強い旨みをもっているのだが、アメリアにはその正体がわからなかった。ノスカリアでは珍しい食材なのだろうと思う。


 アメリアは夢中でパンを平らげた。口の中が渇くから、時々水を飲みながら。頼んだお茶でないのは、甘い香りがパンにあわなそうだったのと、熱い茶より水の方が潤いをもたらすによかったから。がつがつといきたい時には、お茶を吹いて冷ます時間すらもったいない。


 だから残りの紅茶はパンを食べきってからゆっくり楽しもう。そう思っていたのだが、一つ問題が生じた。


「んー、温くなっちゃった。ポットで出してもらえるように頼めばよかった」


 カップに出した紅茶は意外とすぐに冷めてしまう。ゆっくり飲むならポットから少しずつ注ぎながら飲むべきだが、完全に失念していた。より詳しく言うなら、葉揺亭の様式が身にしみついており、紅茶はポットで出てくるのがあたりまえだと思っていた。よくよく考えてみると、食堂なんかで茶を頼めばカップに入って出てくる。


 まあ、過ぎたことは仕方ない。アメリアはぬるくなり渋みの際立ち始めた茶を、ちびちびと口に入れた。


 そんな最中、アメリアの隣の男が席を立った。なんでもない動作だったのだが、席間が狭いせいでそれがやたらと気にかかった。


 隣の男が連れと共に帰っていくのを横目で見ていると、彼らが去るのを待っていたかのような素早い反応速度で店員が近寄ってきて、空いた皿を重ねて下げていく。と思えばすぐに皿を置いて戻って来て、こんどは持ってきた台ふきでカウンターをささっと拭き、そのまま次の客を招き入れた。空いた席はこうやってあっという間に埋まる。


 新しく横幅のある男が座るのを見ながら、アメリアはほけっとしていた。なんともまあ素早い身のこなしだった。喫茶店の店員として、ここの人たちの方が一枚も二枚も上手な気がしてきて、心中穏やかでなくなる。これは店の抜本的改善だけでなく、自分の鍛錬も――


「このお皿、引いちゃっていいかしら」

「はっ、はい、大丈夫です」


 考え事をしている中にかけられた声、慌てた返事の声は裏返ってしまった。店員はそれに特別な反応は示すことなく、パンを食べ終わった皿を持つと、早足で去っていった。


 ――えーと、色々考えていたけどなんだったっけ。


 気を取り直すようにアメリアはベリー・ブレンドの茶をすすり、もう一度初めから考え直す。


 と、今度は後ろから大爆笑が轟き、びくんと肩をすくめることになった。驚いて振りかえれば、中央のテーブルの団体客が、机をばんばん叩き、足をばたばた踏み鳴らしの大騒動だ。誰も彼も顔が真っ赤、どうやら昼間から酒を飲んで酔っぱらっているらしい。


 振りかえりついでにそのまま客席を広く見渡してみた。そして、気づいた。お茶を飲んでいる人が異様に少ない。時間帯が昼の食事時であるせいかもしれないが、それにしてもどのテーブルにも料理の皿ばかり。中には菓子を食べている人だっているのに、紅茶のカップがある卓は非常に少なく見える。


 アメリアは違和感を覚えた。ここは、茶が売りの喫茶店ではなかったのだろうか。どうしてみんなお茶を飲まないのか。確かに食事もおいしい、でも、紅茶が本命で、それもしっかりおいしいのに。不思議でしかたがない。


 もやもやとしたものを抱きつつ、アメリアはベリー・ブレンドの紅茶に舌鼓を打った。ちょっと渋みは立ってきているものの飲みやすい温度だったから、ついごくごくと干してしまった。空になったカップを置きながら、甘い香りの余韻を楽しむ。


 さあ、色々と材料は揃って来たから、今度こそ真剣に考えてみよう。葉揺亭がこの人気店に負けないようにするには、どんな手段があるか――


「お水お注ぎしますね」

「はっ、はい!」


 二重の意味で水を差され、アメリアの思考は中断した。グラスに水が注がれるのを黙って見つめている、その間なんだか落ち着かず、思考がぴたと静止する。


 おまけに、店員は空いたカップも黙って持っていってしまった。空だったのだからよいのだが、食器が無くなってくるとなんとなく寂しい気持ちだ。


 最後に残されたデジーランのカップを砦として、アメリアは再度、ひとり作戦会議を始めた。


 が、やはり気が散ってしかたがない。とかく客の声が賑やかでそちらに意識を持っていかれるし、動き回る店員が視界の端に映ると、その忙しなさに心が引きずられる。料理の匂いも、じっくり考え事をする今となっては邪魔にしかならなかった。


 葉揺亭を変えるには。それに対して何も良い案が浮かばないまま、紅茶のみが減っていく。すっかり冷めて鋭い渋みが出てきはじめた、もうあんまりおいしくない。


 今のうちに飲み干してしまった方がいい。わかっているけれども、アメリアはわざと一口分を残したままにした。空にしてしまえば、またすぐに取っていかれてしまうだろうから。さすがになにもない卓を前に、堂々とくつろいで見せる図太さはなかった。


 カップをおいて、頬杖をつきぼんやりと思う。マスターだったら、この店に来たらなんと思うだろうか。そうだ、一度彼になりきって考えてみるのはどうだろう。名案だ、とアメリアは思った。


 マスターがするように足を組み、カウンターに肩肘を付いて。散らかった心を穏やかに静め――。


 駄目だった。案が悪かったのではない。また店員が背後にやってきたことにアメリアは気づいてしまい、思考を中断させたのだ。


 声をかけられたところで振り返る。今までとはまた別の店員だった。にこやかにほほえむ顔は人好きのする気持ちのいいものなのだが、どことなく不自然でもあった。


「お客様、メニューをお持ちしましょうか?」

「……へ?」

「もし何か追加でご注文がありましたら」

「ええ!? いえ、ありませんよ」

「……そうですか、失礼しました」


 店員の貼りつけたような笑みがにわかに曇ったのを、アメリアは見逃さなかった。あげく、彼女は去り際にカップを一瞥していった。


「……やだなあ」


 本音が口をついて出た。店側の気持ちはわかるが、ああも露骨に注文を催促されては嫌な気持ちになる。


 ――いけないいけない、気が散っちゃってる。


 アメリアは一生懸命ぼーっとしようとした。一度雑念をなにもかも綺麗にして、今度こそ考え事に集中するために。


 しかし。視線が気になる。じとっとしたまなざしが、一本二本ではなくもっとたくさんアメリアに向かって注がれている。これをまったく無視して居られるほど、アメリアは無神経ではなかった。


 落ち着かない心を紛らわすため、最後の一口をさらに細かく分けたちょびっとの紅茶でアメリアは口を濡らした。ああ、もうすっかり渋い。きゅうと眉間に皺が寄る。


 そんなアメリアの目の前に、隣の男の肘が出てきた。向こうははみ出していることに気づいていないらしい。カウンターが狭いからしかたないだろうが、気にさわる。


 ――いいや、とにかく考え事に集中。気にしない、気にしない。


 だが、そうやって無心になろうとするほど、店内の騒々しさが、料理の匂いが、店員の目線が存在感を増し、アメリアの心は――。




 一人の客も居ない喫茶店に、蔦の葉扉が開く音が静かに響いた。ゆっくりと、どこかくたびれたような音色だった。


 カウンターの内で瞑想に浸っていた店主は顔を上げた。


 やってきたのは客ではなく、アメリアだ。出ていったときの勢いはどこに置いてきたのか、疲れたどころか擦れたような顔をしている。少女らしい快活さがどこにもない。


 マスターは努めて普段通りの声音で言った。


「やあアメリア。ずいぶんお早いお帰りだったね。それで、敵情視察の感想は?」

「おいしかったです。でも、なんか……好きじゃないです」


 ふてくされたように言いながら、アメリアはカウンターに歩み寄り、なぜか客席側に座った。


 マスターは片眉を上げた。妙な行動である。アメリアは座ってうなだれたきり、なにも言わないし。


 しかし、カウンター越しに対面するならば、そこで望まれることはただ一つ。マスターは無言のまま、とりあえずシネンスの紅茶を一煎仕立てて、客にするのとなんら変わらぬように白いポットとカップとストレイナーをセットにしてアメリアに出した。


 アメリアも何も言わずにポットから紅茶を注いで、静かに飲んで。それから、頬杖をついてぼんやりとする。彼女の青い目は何も無い宙を眺めていた。


 無の空間。そう断言して過言ではない静寂に葉揺亭は包まれた。


 そのまましばらく時が流れ、そして、アメリアが不意に大声を出した。 


「やっぱり違う!」


 きんきんとした声が空気を割いた。マスターが面食らって思わず耳に手をやる。


 アメリアはそんな主人に向かって、心の中に溜まっていた鬱憤をまとめた言葉を思いの限りぶつけた。


「駄目ですよ、あんなの! せっかくお茶がおいしいのに、みんなご飯ばっかりで。だいたい、お茶が自慢って聞いてたのに、全然少ないんですもの! メニューに書いてあるだけで全部、ですって。信じられない」

「いや、それは僕の方が特殊というか、異常な側でさ……それが普通だよ。責めるんじゃない」

「でも、それだけじゃないです。ポットじゃないからすぐに冷めちゃって、ゆっくり飲めないし。考え事したくっても、うるさいし狭いから全然落ち着けないし。ぼーっとしてたら、嫌な感じでじろじろ見られるし! マスターだったら、お客さんがなにをしてても、寝てる人にだって文句言わないのに。……おかしいです、間違ってます! 最低です!」


 目をいからせてわめきたてるアメリアを前に、店主は困ったような溜息を隠さなかった。


「やれやれ……極端から極端に走るなあ、君は。見る前はあんなに絶賛してたのにさ」

「だって! 変ですもん、あんなの。あんなお店に――むぎゅ」


 止まらない暴言を見かねて、マスターはカウンター越しに手を伸ばし、アメリアの頭を押さえつけた。そしてそのまま、わしゃわしゃと金色の頭を撫でまわす。


「うん、言いたいことはよくわかった。君の感想としては聞くよ。でもね、その頭ごなしの否定を押し付けないように。向こうには向こうのやり方、考え方があるんだよ」

「でもう……」

「そうだなあ、ただ足を休め喉を潤おすだけならば、椅子と場所さえあれば十分だ。ただ舌と腹を満たすなら、重視されるのは味と量、それを押さえておけば問題ない。別にのんびりなんてしなくていい、会話に勤しむ暇なんてなくていい。ああ、この忙しないノスカリアで商いをするには、実に理にかなっている。オーベルさんが喚くのもよくわかった」


 根っからのノスカリア人であるオーベルには、新店の商売にかける情熱がより肌身に感じられたのだろう。いかに空間をうまく使い、いかに効率よく席を回転させ、いかに広く客を集め儲けるか、そこに心血を注いでいる。だからこそ、葉揺亭が潰されないかと危機感をいだいた。至極当然の流れである。なおかつノスカリアの商売人としてしのぎを削るなら、おそらく向こうのようなやり方が正しいのだ。


 傍から見て異界じみたことをしているのはこちらだ、マスターは重々理解していた。それでも譲れない物がある。アメリアが空回りながら店のことに真摯になっていた間、マスターとて何も考えていなかったわけではない。


 葉揺亭をどうするか。自分がこの喫茶店の主として、どんな世界を創っていきたいのか。考えて、結論を出した。結局は再確認になってしまったのだけれども。


「アメリア。僕はね、葉揺亭には、ただがむしゃらに飲食をするためだけの場所にはなってほしくないんだ。僕の大事なこの場所を、そんな風に乱暴に扱われたら、とても寂しいから」


 食べるだけ、飲むだけ、それだけではない。喫茶店には人が居るし、外から切り取られた特別な空間がある。そのすべてをひっくるめ、やっと一つの店になるのだ。マスターはそう信じていた。大事なのは全体の調和、食べ物ばかりが取りざたされ、己が心を注ぐ他のものがないがしろにされるような事態は望まない。


 目と目を合わせて伝えられた思いは、すんなりとアメリアの心の中に納まったらしい。


「私も、そんなの嫌です」


 彼女の答えは力強かった。




 それから十日が経った。


 葉揺亭はなにも変わらなかった。客は少なく、マスターとアメリアとで和気藹々としている時間の方が長いぐらいだが、これが平常だから問題ない。アメリアが書いた例のメニューも、とっくにごみとして燃やしてしまった。


 そして、欠かせず毎朝やってくるオーベルも、それが日課になってしまったとばかりに、件の新しい喫茶店ことをわめきながら教えてくれる。別に聞いてもいないのに、だ。


「おいおい、昨日もあっちの店は大繁盛だったぜ。うちのかかあも夕方に行って、ささっと菓子食って来たっていうしよ。まったく、すげえもんだよ。いよいよやべえんじゃねえの、ここもよ」


 不安を煽るように言われても、アメリアはもうなんとも思わなかった。


 しかし、これが毎日続いているものだから、ついつい意地悪もしたくなってしまう。アメリアは後ろ手に組んで、茶化すような口調で言った。


「でもオーベルさんは葉揺亭に来てくれるんですもんね。お茶飲むのなら、そちらのお店でもできるじゃないですか。わざわざお家から遠いここまで来なくたって。オーベルさんは、よっぽど葉揺亭のことが大好きなんですねえ」


 うふふといたずらっぽく笑うアメリア。


 うっ、とオーベルは息を詰まらせた。わざとらしい咳払いをして、少し視線を泳がせる。うろたえる様子を、アメリアもマスターもにやついて鑑賞していた。


 やがてオーベルは開き直って胸を張った。


「おう、そうだよ! 大好きだよ! あー、だからなんだ。俺は、この店が無くなってもらっちゃ困るんだよ! わかったかこんにゃろ!」


 言ってから照れくさくなったのだろう、オーベルは二人より視線を外し、いそいそとコルブの紅茶が入ったカップに手を伸ばした。


 

 この通り、今のままの葉揺亭を好いてくれる人が居る。メニューの量や質だけではない、この店の持つ世界そのものを求めてやってきてくれる人が居る。だから、このままでいい。それが、葉揺亭だ。


 だからオーベルの答えは何より嬉しいものだった。葉揺亭の二人はカウンターの中で顔を合わせ、幸せそうに笑いあったのであった。

ノスカリア食べ物探訪

「西方のベリー・ブレンド」

新規開店の喫茶店「ウィナーズ・ウィンド」で飲める舶来の紅茶。

西方大陸のシネンスの茶葉をベースに野イチゴやクワノミ、フランボワーズの乾燥品をブレンド。

また野イチゴの葉も共に茶葉に混ぜてあるのが特徴


「チーズと小エビのパン」

喫茶店「ウィナーズ・ウィンド」の日替わりパンの一つ。

チーズと乾燥小エビを具にして焼き上げた出来たてパン。温かいうちに食べるべし。

小エビは大陸北岸の漁村で水揚げされるもの。内陸のノスカリアでは一般的な食材でない。

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※本作品を再構成・加筆修正を行った新版を2023年に公開はじめました。順次掲載していきます。  ストーリーは大きくは変わっておりませんが、現在本作品をお読みの方はぜひ新版をご覧ください  https://ncode.syosetu.com/n9553hz/ またはマイページから
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