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呪い返しのおまじない

第七話「祝祭には甘い菓子を」と第八話「秘蔵の素材は」の間に起こった事です

 ルクノラム教の祝祭でにわかに繁忙を迎えた葉揺亭だったが、それも過ぎ去りしこと。降誕祭の翌日以降は穏やかさを取り戻していた。


 非常に快適だ。いつにましてマスターは朗らかに笑っていた。憑き物が落ちた、そんな風に。


 ただ、その隣でアメリアがとても残念がっていたが。暇になってしまった、つまらない、と。それが何日経っても止まないから、マスターはこんこんと説いてなだめたのである。


「あれは、異常なことだったんだ。熱気あてられた狂騒で、冷めればこうなるのは自然なこと。普通のことだよ、むしろこうなってもらわないと困るくらいだ。惜しむことではないよ」


 するとアメリアは、むくれたままこんなことを言い返してきたのだった。


「でも、あの時にお店を気に入ってもらえれば、もう少し賑やかだったと思いますよ。それが残念です」


 確かにそれはマスターとしても歯がゆかった。。早い話、自分の茶では彼らを魅了しきることができなかったのだ。神に盲目な宗教家であるから高い壁でなのだが、むしろそうだからこそ引きこめたら本物の腕と断言できたろうに。趣味的な店としてやっているから客数が増える増えないはどうでもよいのだが、複雑な心境だ。


 じゃあまったく成果がなかったかといえば、そうでもない。降誕祭以降、葉揺亭にはルクノラム教徒が訪れることが、若干ながら増えていた。布教とか例の茶を求めるとかではなく、純粋に喫茶を楽しむ客として。


 もとより総客数が少ないから、新顔がくればすぐにわかる。数日たてば確かな変化が起こっているとはっきりとした。そうなったらアメリアの不満も解消され、いつもの元気で楽しそうな姿に戻っていた。


 そうして平和な日常が続いて、ある日のことである。


 時は正午やや過ぎ。現在、葉揺亭の窓辺の席にて、若い女のルクノラム教徒が聖典を開いて、写経にふけっていた。


 少し甘口の紅茶カメラナにレモンの輪切りを浸したカップを傍らに、一人集中して神の教えを写し、学び取る。真剣に静かに没頭する姿は、周りにも不思議な緊張感を染み渡らせる。店の者たちもなんとなく私語を慎んでいた。


 静寂な空間だ、わずかな音もよく響く。例えば、壁にかけてある時計の針が動く音など。


 たまたま歯車の調子がそうさせたか、いま動いた長針は、ひときわ強く音色を奏でた。


 その音が、黒服の女の集中力をぷつんと切った。ぴたりと手を止め、彼女は顔を上げると時計を見やる。


 すると、みるみるうちに顔が青ざめた。ついでに、うめきとも悲鳴ともつかない謎の音を口ごもらせて。


 先ほどまでの静謐な気配をかなぐり捨て、慌てふためく動きでテーブルの上に広げた亜麻紙をかき集めると、乱雑に聖典と重ねて抱え、転げ出るように椅子を立った。


 あわあわとした所作で懐から取り出したのは銀貨。それをテーブルの上に置くと、


「ごちそうさまでェす!」


 と、裏返った声を残して駆け出していった。


 マスターもアメリアもめんくらって硬直したまま、所在なくしてゆっくりと閉まる蔦の葉レリーフの扉を眺めていた。


 ばたん、と玄関が完全に閉まった音で、時は再び流れ出す。あぁ、とマスターが憐れむように苦笑した。


「あの様子じゃあ、遅刻だろうな。なににかは知らないけど」

「すごく集中してましたもの。時間が経つのも忘れちゃったんですね」


 ふふっと笑い声を上げながら、アメリアは客のカップを下げに出た。水で濡らした台ふきも片手にして、仕事ぶりはばっちりだ。


 まずはカップと代金とをカウンターに持って来て、それから慣れた手つきでテーブルを拭く。それと、大きくずれたままの椅子を元に戻すことも忘れずに。


 と、その時。足下に亜麻紙が一枚落ちていることに気づいた。あんまり慌てていたから、手から逃げたことに気づかなかったのだろう。


 葉揺亭では、忘れ物はどんなものでも本人の手に戻るまで保管することになっている。たかが紙きれ一枚でも、あの女の人には大事なもののはず。しわ一つつけないように気をつけて、アメリアは亜麻紙を拾い上げた。

 

 床に面していた側には、黒インクで書かれた字がつらつらと並んでいた。


 別に聖典とやらに興味があるわけではない、が、なんとなく、アメリアはそれを読んでみる。


 そして顔を暗くした。心なしか手も震えている。


「アメリア? どうした?」


 大事な看板娘の異変に気づいたマスターが、カウンターの内より問いかけた。


 するとアメリアは、危急迫った顔を紙面から上げると、言った。


「マスター、あの人……悪い人です!」


 それはそれは真剣そのものな物言いだった。が、マスターは曖昧な返事をするしかできなかった。一体なにがどうしてそうなった。見る限り、少々おてんばだが真面目な神の徒だったのだが。


 疑問の答えは、例の亜麻紙に書かれているらしい。アメリアはそれを持って、先ほどの女に負けない勢いで狭い店を駆けると、震える手で差し出した。


 マスターは紙を受け取ると、柔らかい筆致で書かれている文章を、アメリアと共有するように音読した。少女は胸の前で手を重ね、怯えひるんでいる様子。しかし、読み上げる声には緊張感のかけらもない。


「主より賜りし言の葉にて、この地に晴れぬ呪いをかける。水は枯れ、大地は腐り、命は死ぬ。これも汝らの罪が成す業なり。かくして――」


 なるほど、確かにこれでは呪いの宣告文のよう。マスターは思った。


 しかし、そんな大層なものではないと知っていた。なぜならば、そう、この一文は……。


 マスターの平然面を横から殴るように、アメリアの興奮した叫び声が届いた。


「ほら、ほら、ほらあっ! 大変です、このままじゃみんな死んじゃいます! ノスカリアが滅んじゃう! ああ、どうしよう、どうしよう……そうだ、あのひと、止めないと! 早く治安局の人に知らせて、ええと、それからそれから……!」


 金色の三つ編みを振り回し、きゃあきゃあと騒ぎ、わたわたと右往左往している。アメリアのそんなさまは、傍から見ている分には愛おしくおもしろい。


 だからといって放っておくわけにもいかないだろう。アメリアは感情的かつ行動派、このままでは本当に外に飛び出していって、あちこちに迷惑をかけてしまう可能性が高い。治安局とは政府の警察組織、こんなことで騒ぎを起こして政府から白い目を向けられるなど勘弁願いたいことだ。


 ふう、と息をついてから、マスターは丸い声でアメリアをさとした。


「落ち着きなよ、アメリア。呪いなんかじゃない。第一、そんなものをかけようとする人間が、こんなところでのんびりお茶を飲んでいると思うかい?」


 アメリアがばたつかせていた手を止めて、黙った。


 追い打ちをかけるように、マスターは手元の紙をおもちゃのようにぴらぴらと振って、種明かしにかかる。


「これはルクノラム教の聖典にある文言を、そっくりそのまま写しただけだけだ。君だって見ていただろう? だからこんなの、呪法でもなんでもない」

「そんなのマスター嘘です、あの人もそういうふりをしていただけです。だって、神様の本にそんな怖い文章が載ってるはず――」

「僕は嘘をつかない。本当に載ってるんだって」


 葉揺亭の主は宗教に関して批判的だ。しかし、ルクノラムの聖典は読破して、内容すべて頭に叩き込んでいる。理由は単純、ありあまる暇をつぶす読書に最適だったから。ああも極厚で、かつ簡単に手に入る本など、他にそうそうない。


 この一見非常な文脈は、どんな経緯で出てくるものなのか。マスターは人差し指を立てて講釈した。


「この文章は、ルクノラム教に数える第二の使徒・エルジュの伝説のくだりに出現する。信仰という面では物事の因果や人の縁を司る使徒とされるわけだが、それ以前に、エルジュは長けた魔術師なんだ。修めていた魔法は幅広いが、特に秀でていたのが呪法だった。よって、それが彼の象徴として扱われるのさ。ここに書かれているのはその一端を抜き出しただけ、君が思っているほど悪い力のあるものじゃあない」


 真っ直ぐ目を見て懇々と説いたが、しかしアメリアはまだ疑いのまなざしを返してくる。


「本当ですか」

「本当さ。それともなんだ、僕の言うことを信じてくれないのかい?」


 アメリアは店主に無類の信頼を抱いている――少なくともマスターはそう思っていた。そんな人物の言うことと、紙きれ一枚と。どちらに天秤が傾くかは明らかだ。


 アメリアはぷるぷると首を横に振った。不安に満ちていた表情にも光が戻っている。


 調子をよくしたマスターは、さらに解説を続けた。


「ちなみに、この前後を含めた物語を簡単にまとめると、『喧嘩しないで仲良くしましょう。相手の悪口ばかり言っていると、自分に災いが返ってくるぞ』という教訓だ。経典は人に教えを説くためにあるものだから、必ずそういう結末に繋がるんだよ」


 マスターは得意気にウインクした。


 するとアメリアから「そうなんですね」という風な返事がある……と思ったのだが。


 なぜだろう、今の話を聞いた途端、先ほどやわらかくした表情を、再び硬く暗くさせていた。目を真ん丸に見開いて、悲愴感あふれる気を立ち昇らせて。


 すわ、なにかまずいことを口にしただろうか。心をさざめかせるマスターに向かって、アメリアが悲痛な叫びを上げた。


「だったら、マスターが呪われちゃう!」

「はあっ!?」


 突拍子もない発想に開いた口がふさがらない。脱力のあまり、何故、とすぐに問い返す気にもなれなかった。が、それはアメリアが勝手に白状し始める。


「だって、だって、マスター、ルクノール様のこといつも悪く言って馬鹿にしているから。その使徒の人が怒って、マスターのこと懲らしめにきます! ううん、もう、呪いをかけられてるのかも……ああっ!」


 ぱあんと手を叩いた上、迫真の顔でマスターに向く。


「わかった、だからあんなにたくさん来たお客さんが居付いてくれなかったんですよ! きっと、いえっ、絶対そうです! お店が呪われたんです!」

「ねえ、待ってアメリア。いくらなんでもさ……おっと!」


 アメリアが半べそをかきながら胸に飛び込んできた。重心がぐらりと傾いたが、どうにか押し倒されるは免れた。


「私、そんなの、嫌です……お店がなくなるのも、マスターが死んじゃうのも」


 悲痛な叫びは胸に押しあてられてこもった音になった。ひっく、ひっくと小さくしゃくってもいる。


 色々と言いたいことはあるけれど、こんな風にされては。マスターは一旦口を閉ざしてアメリアを抱きしめると、あやすように頭をなでた。


 いくら心配したところで、呪いなど降ってはこない。仮に信じられる通りに神や使徒がいたとしても、悪口を言われたからなどという子どもじみた理由で天罰を下すほど、彼らが狭量なものとは思いがたい。それに、先に天誅を与えるべき巨悪が他に居るはず。


 件のエルジュの伝説にても、二つの国が血みどろの戦いを続けていることを見かねて、安寧を導くべく仲裁に入ったというのが詳細な経緯だ。強大な力を使う時には、やはり相応の理由が必要なものである。


 というわけで、アメリアが思い描くような結末には絶対にならない。


 しかし、だ。こうも恐怖してしまうと、無いはずのものが現れてくる。日常で起こる悪いことをすべて呪いのせいと考えて、そうして自ら呪術を創り上げ自分を縛ってしまうのだ。そしてますます苦しみ、精神をすり減らし、果てには身を滅ぼしかねない。病は気から、などというまさにそれだ。


 アメリアという少女は、まあ思い込みが激しい。暗い妄執に憑りつかれたまま過ごせば、どうなるか。手を打つ必要がある。


 マスターはあれこれ方策を思案して、一つ、とっておきを思いついた。


「よし。じゃあおまじないをしようか」

「……おまじない?」

「そう。呪いも災いも、悪いものは全部追い返す、そんなおまじないさ。魔法には魔法で対抗するのが有効だ」


 アメリアはくしゃくしゃになった顔を上げ、期待を込めたまなざしでマスターを仰いだ。


 さて、具体的なおまじないの手法をどうするか。一応、本格的に力のある呪い返しも実行可能だ。特殊な魔力を持った材料を使えば。


 マスターはちらりと食器棚下部の引き出しに目をやった。四段で二列、その内一つだけつまみが違うところへ。


 だが、すぐに目線を戻した。


 ――今回はパフォーマンスで十分だ、隠している手をわざわざ見せるほどでもない。


 マスターは作業台に並べてある普段使いの材料へ手を伸ばした。使用頻度の高い物は、茶葉もハーブも筒型の紅茶缶に入れて台上に出しっぱなしにしてある。そこから二つ缶を取り、さらに台下の引き出しからも数種の材料を取り出して並べた。こちらは小瓶に入れられているから、中身が何かは一目瞭然だ。


 それを見たアメリアが、むう、と口をとがらせた。


「お茶で使うハーブじゃないですか。どこがおまじないなんですか」

「甘いよ、アメリア。ハーブやスパイスの類には魔よけの力ある、昔からの鉄則だ」


 これも嘘ではない。まだ魔法使いが一般に存在していた古く遠き時代から存在する、ある種の信仰だ。持ち出される種類や具体的な効能は変異に富むが、世界に広く根付いている。


 おそらくは香草や香辛料特有の匂いや刺激を神秘的なものと考え、さらに草本が持つ薬効が魔法的な力と結びつけられた結果ではないか。そう、マスターは考えている。

 

「ミント、タイム、ローレル。ほんの少しのシナモンと。ニワトコの花と、ラベンダー」

 

 手を動かしながら歌うように名を連ねるさまは、さながら魔法の詠唱のよう。彼に呼ばわれたハーブたちは、その手にあずかって一つの器の中に集った。


 単に二人で飲むハーブティを淹れるには量が多い。これだけあるとポット三つ分は出せるだろう。


 マスターは軽く混ぜ合わせたハーブを、薄紙を折って作った袋へ一匙分入れた。口を折り曲げたたみ、きりで穴をあけて糸を通すう。両端を結んで輪っかに仕立てたらできあがりだ。


「これを玄関の扉に吊るしておいで。プレートと重ねてもいいから、どこかに」

「それだけで効くんですか?」

「降誕祭の時の花だって、吊るしてあっただけじゃないか。それに考えてもみなよ。もしも玄関に狼が繋いであったら、君はここ入って来られるかい?」


 楽しく買い物から帰ってきたら、毛を逆立てた狼が店の前に居て吼えている。ちょっとでも近寄ったら、ずらりと並んだ鋭い牙でがぶりとやられそう。そんな想像がしっかり浮かんだのだろう、アメリアは青い顔で肩を縮めながらかぶりをふった。


 即席のお守りを受け取ると、アメリアはさっそくまじないを実行に走った。


 それを見送りながらにマスターは次の行動に移っていた。


 調合したハーブはまだたくさんある。そしてここ葉揺亭は喫茶店だ、決して魔法屋ではない。となればやることは一つ、お茶を淹れること。


 普段はあまり使わない、四、五人前の紅茶がまとめてつくれる大型のティーポットを引っ張り出し、器に残っていたハーブをすべて投入する。


 かさが増えても茶の淹れ方は変わらない。熱い湯をなみなみ注ぎ、ゆっくりじっくり抽出されるのを待つ。


 その間に用意したカップは、計六つ。


 無事におまじないを終えてきたアメリアも、台上の様子を見るなり状況を理解した。ただ、カップの数には疑問符を浮かべる。首をひねりながら、ひとまずは黙って待つことにした。


 

 しばらくしてできあがったハーブティ、マスターの手で六つのカップに注ぎ分けられた。


 しかし、均等ではない。二つは普段の紅茶と同じカップ八分目の量だが、残りの四つは半量しか入っていなかった。


 特別な意図があるのは明らか。そう、まだおまじないは終わりではない。


 マスターは手で示しながら、アメリアに続きを教えた。


「これを室内に置いて、香りを広げる。それぞれの窓辺と、この棚の隅に置いてあれば大丈夫だ。あと一つは君の部屋に持っていくといい。僕のアメリアに狙いが向いたら悲しいから、念のためにね」

「じゃあマスターのお部屋も」

「あとでやっておくつもりだ。くれぐれも勝手に入らないでくれよ」


 マスターはさらりと言ってから、話題を逸らすように残りの二杯へ手を向けた。


 一つはアメリアに渡し、もう一つは自分で持つ。こちらは利用方法はまったく正当なもの。 


「で、仕上げにこれを飲んだらおしまい、と。色々な方法があるけれど、最後は自分の体に取り込むのが一番いいってことだ」


 言うなれば、三段構えの防衛陣。隙が無いように見えるその施策に、アメリアは素直に感心の色を示して、さっそく柔らかい黄緑色のハーブティに口をつけた。


 魔よけの茶のお味は、お世辞にも良いとは言えなかった。色々な素材が個性を主張し合った結果、甘くて刺激的でエキゾチックで、何一つに代表して示すことが不可能、そんな仕上がりになっている。少々飲みづらさすら覚えるほどで、アメリアはぐっと目をつむって喉に通した。呪いを解くならこれくらいの我慢はしないと、そんな気持ちがありありと現れていた。


 アメリアが無事にカップを空にした直後を見計らって、マスターは一つ手を叩くと、晴れやかな声で言い聞かせた。


「はい、もう大丈夫! 呪いだろうがなんだろうが、全部まわれ右して帰っていくよ。ここに居れば怖いものなんてない」

「やったあ! さすがマスターです!」

 

 手を叩いて喜ぶアメリアには、いつもの無邪気で素直な笑顔が戻っていた。泣き腫らした目も、すぐに元通りになるだろう。



 それからなにごともなく時間が流れて、ちょうど昼下がりの休憩時になった。この時間の来客は比較的に多い。仕事を早くおさめて羽を伸ばしに、あるいは家事の休憩がてらお茶を一服、そんな感じだ。


 そして今日もお客がやってきた。一瞬のみ玄関扉の動きが変に止まったのは、客人がぶら下がっている妙な紙袋を発見したせいだろう。なにも知らなかったら、あれこそ呪術の道具と勘違いしそうだ。


 この客はそれくらいの奇妙を目にしたところで、回れ右して逃げ出してしまう手合いではなかった。外の光とともに店内に顔を出したのは、葉揺亭の常連かつアメリアの友人、人形師のレイン=リオネッタだった。手には仕事鞄ではなく、小ぶりのバスケットを下げている。


「こんにちはー」

「あっ、レインさん。もうお仕事終わりなんですか?」

「いーや、今日は最初から休みってことにしたんだ。それで紅茶のケイク焼いたから、アメリアも一緒に食べてくれるかなって思ってさ」

「わあっ!」


 アメリアは台に手をついて勢いよく立ち上がった。今にもカウンターを飛び越えて、レインに抱きつきにいきそうだ。


 しかし彼女はそうする前に、きらきらとしたまなざしをマスターに向けた。にいっと笑って、少し声をひそめて嬉しそうに言う。


「おまじないの効き目ばっちりですね」

「そうだね。……あれ?」


 アメリアの満ち足りた笑顔につられて顔をとろけさせてしまったが、よくよく考えればおかしくないか。冷めたハーブティが今でも各所に置かれたままで、おまじないは確かに継続中である。が、これは呪い返しの、だったはず。


 いつの間に、おいしいものを呼び込むためのおまじないに変わったんだろうか。マスターは頭をかいた。


 しかし。


「ま、元気ならなんでもいいさ」


 玄関入ってすぐのところでレインを捕まえ、アメリアは楽しそうに話をしている。そんな姿を見ていると、わざわざむし返す気にはなれなかった。


 呪いの本質は、常に念としてまとわりつき人の心を苛ますこと。楽しいとおいしいで恐ろしい呪いのことなんて忘れてしまった、そうなれば一番の対抗策となるだろうから。

葉揺亭 スペシャルメニュー

「魔よけのハーブブレンド」

ハーブやスパイスの類には魔よけの力があると古来より信じられている。

信仰の的になるものは地域によって色々だから、好みや目的に応じてうまく取り合わせるのも良い。

実は今回のマスターは割と適当にチョイスした。大事なのは効くと信じること。


魔法とまでは言えないが、ハーブには体に良い効能がある。

健康に不安がある時は、おまじない程度に力を借りてみるのも悪くない。


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※本作品を再構成・加筆修正を行った新版を2023年に公開はじめました。順次掲載していきます。  ストーリーは大きくは変わっておりませんが、現在本作品をお読みの方はぜひ新版をご覧ください  https://ncode.syosetu.com/n9553hz/ またはマイページから
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