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終わりは次の始まり

 葉揺亭のマスターが客に対して露骨に嫌な顔をしたのは、今日が初めてだ。


「何だよ、みんなして押しかけてきてさ。今日から僕一人なんだぞ、手が足りないじゃないか」


 不満も漏れる。がやがやと騒ぎながら玄関を抜けて来る面々は、明らかにアメリアの見送りをしてきた集団だからだ。オーベルを先頭に、レインにハンター、ジェニーは旦那を連れてきているし、その後からもギルド「緑風の旅人(グリンワンダラー)」の面々やアメリア行きつけのパン屋の夫婦など、彼女の顔馴染みが続々と。テーブルにも無理やり詰め込んで、店内は満席。

  

「マスター、私手伝おうかしら?」

「いいジェニー、君はお客なんだ。旦那とのんびりしていてくれ。それにしても、初めて連れてくるなら今日は止めといてくれよ」

「だって、アメリアちゃんにも会いたいっていうから。ねえ」


 新婚夫妻が笑い合うのを、マスターはもう見てはいなかった。いつもなら、尻に敷かれていそうな、もとい気の優しそうな旦那じゃないかとでも茶化してやるところだが、あいにく忙しさが勝る。


 アメリアと出会う前は独りでやっていた、しかしこうも混みあったことはない。馴染みの客とその伝手で新しい顔がふらりとやってくる程度の、閑古鳥がねぐらにしているような店なのだから。そして今日来た連中も、それを知らないはずがない常連たちだ。


 試されているのだ、とマスターは感じた。アメリアが居なくなって独りになり、それでやっていけるのかどうかを見に来たのだろう。全く子ども扱いだ、これではどちらが保護者だったのかわからない、ふんと不満げに鼻を鳴らす。


 が、葉揺亭のマスターに不可能はない。順序立てて、一つ一つ注文を仕上げていくだけだ。丁寧に完璧に、しかしなるべく早く全員に茶がいきわたるように。焦りは禁物、失敗の元であるし、ゆっくりくつろぐはずの喫茶店で店主が慌てふためいているのはそぐわないから。



 並んだ二つのポットから、両手で同時に紅茶を注いでカップをカウンターに出す。


「まずこれがオーベルさんね。で、こっちがハンターさんの。レイン、君のはもう少し待ってもらって……ああ、アメリア、珈琲を――」


 誰もいない空間に向き直り、マスターは硬直した。珈琲をまとめてドリップするから、人数分の豆を挽いておいてくれ。癖でそう指示を出そうとして、彼女がいない現実に引き戻されたのだ。はあ、と溜息を吐く。これは自己嫌悪だ、まるで気持ちが切り替わっていないことに対する。


 ぴしりと一度頬を叩いて、手づからコーヒーミルを構う。いつもはこうじゃないんだけどね、とジェニーが旦那に囁く。カップを持って怪訝な顔をしていたオーベルが、同じような面持ちだったハンターと、こっそりカップを入れ替える。いつもなら見逃さない目の前の情景も、無理やり無心を貫きミルのハンドルを操作するマスターには、映らなかった。

 


 どうにか全員分の注文を一人でこなした。あれ以降、うっかりアメリアの名を呼ばわることはなかった。手が足りない、今彼女の手があれば、そう思ったことは何度もあったが、口に出さずに飲み込んだ。失敗らしい失敗もない、せいぜい珈琲が一人前多かったくらいだ。これは自分の分だ、そういうことにして批判は逃れる。


「どうだ、僕は別に平気なんだ。昔は一人でやってたんだし、その頃に戻っただけだ」


 自信満々に強い口調で言いながら、マスターは内心ほっと胸をなでおろす気分だった。ようやく腰を落ち着けられる。だからあまりの珈琲を手に取った。それをミルクで割ってアメリアに分けてやる必要がないことに、むずむずとした寂寥感が沸いてくるが、苦い珈琲と共にごくりと飲み下す。


 さて、仕事も一段落して、常連たちとの楽しい雑談の時間だ。と言っても、今日はいつもの茶話とは少し違い、質疑応答の様相を呈していた。


「まあ、なんだ。お前さんの気持ちはわかるがよお、マスター、早いとこ新しい子雇ったほうがいいな。その気ねえのか?」

「冗談じゃあない。アメリアの代わりなんて、どこにも居ないんだ。アメリアはもう、僕のところには居ない」

「でも本当に大丈夫? 一人で。気持ちが塞いじゃうんじゃない?」

「いいんだ。僕は、あの子が幸せなら。あの子が世界のどこかで幸せをつかむというのなら、それでいい」

「強がりだよね、それ」

「泣けばよかろう。お前さんのことはよう知ってるから、誰も責めぬぞ」

「いいんだって。僕が悲しい顔をすると、アメリアが悲しむから。僕は、そんなの嫌だもの」


 紛れも無い本心だ。もう泣かないし、もう追わない、後悔もしない。そう決めて、送りだしたのだ。


「わかってないなあ、君たちは」


 マスターが不敵に笑んで人差し指を立てる。だんだんいつもの調子が出て来たのだ、語る言葉がみるみる沸いてくる。


「考えればわかることだ。この別れは悲しいものじゃない。アメリアが自分の人生を歩き始めたがゆえの祝福に満ちたもの。親は子の幸福を是とする、なればこそ、歓喜の涙は流しこそすれ、己の寂寥は表に出すべきでない。そう、あの子は僕の自慢の娘なのだから、元気に旅立って良かったんだよ。……そりゃ、ずっと一緒に居られたら、そんな素敵な話はなかったけどさ」


 最後に少し本音を交えながら、マスターはぼんやり窓の外に目を向けた。明るい、いい天気だ。


 

 終わらない物語は無い。雨の日に始まった二人の世界の物語は、晴の日に締めくくられた。読んでいた本を閉じ、背表紙を向けて棚にしまう。浸っていた世界の余韻にたゆたいながら。


 だが、一つの終わりは、次の始まりでもある。二人が一人になって、少し空気が異なろうとも、この世界は、日常は、続いていくのだから。今がちょうどその節目だ。



 窓の向こうの風景に、人影がうろついている。先ほど――マスターが呈茶に取り掛かったあたりから、ずっと続いていた。何か悩まし気にして、時折店の中を覗いたり。気づいてはいたのだが、注目してどうこうする余裕がなかっただけで。


 硝子越しの姿に目を凝らす。見覚えのある人物ではない。赤茶色の長い髪が、右往左往するたびに舞う。白いリボンのついたつば広の帽子を被っていて、服装からは清楚な女性という印象を受ける。だが、顔立ちはまだあどけない少女の面影が残っていた。


 さあ、彼女は何をしているのか。マスターは珈琲片手に思いめぐらせる。きっと入ろうか、入らまいか悩んでいるのだろう。混んでいるし、そもそも何の店かもわかりづらい。いや、店なのかも。さしずめ、大移動をする集団に興味を持って後ろを付いてきたが、いざその中に混じろうとするには、少々勇気が要ることだった、そんなところだろうか。


 マスターはカップを置いて立ち上がった。カウンターの中にあった椅子を持ち、外に運ぶ。これはアメリアが使っていた物だ。客席用の椅子とは型が違うが、高さは同じだから大して問題は無い。


「ごめんレイン、ちょっとつめて。もう一人くらい、座れるだろう」


 きょとんとして見つめて来るレインに、窓の外を見るように促す。ちょうど、知らない誰かさんが店内を覗いているところだったから。マスターは手招きしてみたが、彼女ははっと息をのんで、玄関の裏に隠れてしまった。


 すぐに合点が言ったらしいレインは、自分の椅子と茶器とをずらす。つられて隣も、隣もと連鎖して、やや窮屈だが一人が茶を飲むには十分な席が出来た。


 

 入ってくるだろうか。絶対に来る、マスターはそう確信し、ゆっくりと玄関の近くへ向かう。今頃跳ね上がる心臓を抑えて、しかし勇気を振り絞って、小さな拳を握るようなことをしているだろう。そして、どきどきしながら蔦の葉が彫られた扉に手をかけて。一、二、三――


 葉揺亭に新しい風が吹き込んだ。


 いきなり目の前で待ち構えていた店主に、客人は面食らった様子だった。しかし、恭しく礼をするマスターの姿に、警戒を解く。


 店主自らこうして迎えの口上をするのは久しぶりだ、ここ最近は相方の役目と化していたから。


「いらっしゃいませ、当店は喫茶専門店『葉揺亭』でございます。さあ、少々混み合っておりますが、席はありますから、どうぞ」


 丁寧な物腰で、貴族の令嬢を迎えたように、急ごしらえのカウンター席へと案内する。腰が低すぎやしないか、いつもの偉そうな口調はどうした、そんな野次が常連たちから飛ぶが気にしない。初対面の相手にいきなり自分を開け広げる、その方がどうかしているというものである。別に猫を被って居るわけではなく、客に対する店主として当然のことをしているだけだ。 


 椅子に座りながらも、まだ緊張している様子の娘の前に、マスターはメニューを広げて置いた。圧巻の品数が、アメリアの丁寧で愛嬌のある字でつづられている。マスター自身の流麗な字より読みやすいと好評だから、今後はもう書き直せない。しまった予備を作っておいてもらうべきだった、と心の中でぼやきながら、口には説明の言葉が流れて来る。


「これらは全て紅茶でございます。本来の香りを楽しんでいただくもの、それにフルーツ・ティやハーブ・ティも、僕の自慢の品々です。お嫌いでしたら、珈琲や果汁などもございます。ああ、もしお任せいただければ、貴方にぴったりの物をお出ししましょう」

「えっと……ああ、でも、こんなにあったら決められない……待ってください」

「ええ、もちろん。時間など気にせず、ごゆっくりお決めください」


 そしてマスターは静かな足取りで自分の場所に戻った。ゆったりと力を抜いて椅子に腰かけ、脚の上で両手を緩く組む。新顔のお嬢さんは、メニューの端から端へぐるぐると目を動かし続けていた。そんな見方では、目を回してしまうぞと苦笑する。


 さて、彼女は一体どんな茶を所望するだろうか、一体どんな茶がふさわしいだろうか。マスターは思いを巡らせる。期待に満ちていた、楽しみだった、一杯の紅茶の向こうにどんな物語を描いてくれるのか。



 別れの後に待つのは、新しい出会い、新しい物語。かくして、葉揺亭の日常は、楽しい茶話と共に続いていく。



異世界茶話 ~喫茶専門店「葉揺亭」の日常~


これにて完結です。

長きに渡るご愛読ありがとうございました!


7/15追記

次ページより「追補編」と題して、本編終了後に追加で書いた話を掲載します。

後日談ではなく、時系列は本編中に戻ります。




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※本作品を再構成・加筆修正を行った新版を2023年に公開はじめました。順次掲載していきます。  ストーリーは大きくは変わっておりませんが、現在本作品をお読みの方はぜひ新版をご覧ください  https://ncode.syosetu.com/n9553hz/ またはマイページから
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