酔いてたゆたい元通り ―前―
日常に帰った葉揺亭には、待ち焦がれていたかのように馴染みの客たちが続々と訪れた。この三日間の繁盛っぷりは記録的なもの、二人でまったりとした時間を、ということもできなかった。
そしてやってきた客らには、アメリアの門出の旨が告知されたのだった。彼女が自ら一人ひとりに丁寧に口伝える、その発表は皆をひどく動揺させた。惜しまれ、泣かれ、嘘だと言われ。それでも最終的には、自立を祝福される結末になったのだった。
忙しなさが一段落し、久し振りに二人きりの葉揺亭になったこの日。アメリアは自分で決めた出発の日取りをマスターに伝えた。次の地陸の日、今日から六日後である。地に足つけた旅をするのに縁起がよさそうな曜日だ、と思ったから。
準備期間としても妥当なところ、それもあり、マスターからの異議は一切無かった。
「ちゃんとみんなにお話しできたもんね。やり残したことが無いのなら、いつだって、君が思った日に、旅立てばいいさ」
先日とは見違えたような穏やかさ、ありがたいものである。
しかし、アメリアは怪訝さを隠せなかった。「みんな」ではない、帰還してからまだ一度も顔を合わせていない人物が一人、いや、二人いる。もっとも、片方は頻繁に来るような顔ではないから不思議でない。ただ、随一の常連たる男のことに関しては、マスターが努めて言及を避けていると明白だった。
気持ちはアメリアにもわかった。しかし、このまま放置してわだかまりを残すなどしたくなかった。原因の一端は自分にもある。
ひとまずは穏便に話を切り出そう、そう思って、まずは二人のうちあたりさわりのない方の名前を出した。
「まだ、ティーザさんに会ってなくて。……たぶん知ってるとは思うんですけど」
「そうだね、僕が話してしまったから。でも、君の口からも伝えた方がいいかな」
「ですよね。だから、明日学校の方に行ってこようと思います。ちょうど海淵の日だから居るでしょうし、他の先生方やみんなにもご挨拶できますし」
「それがいい、もう二度とあの子はここには来ないだろうから」
後に続いた自嘲気味な笑い声に、アメリアは嫌な予感を覚えた。――まさか。
彼女の中に浮かんだ予測を肯定するべく、マスターがぽつりと呟いた。
「喧嘩したんだ。ひどいことを言ってしまった、あの子の尊厳を踏みにじること」
いつ。決まっている、あの夜だ。アメリアはくらくらとめまいを覚えた。
「マスターぁ……」
「君が気にすることじゃないよ。むしろあの子は君のことを尊重している立場だ。今回のことがきっかけになっただけで、根の原因はもっと別、僕にあることだ。喧嘩別れは宿命だったのさ」
鷹揚に笑っているが、そのまなざしは切なげに細められていた。
さて、アメリアは閉口していた。原因は別、と言われてしまえば、これ以上彼らの間に立ち入るのは無粋である。おまけに、本題まで切り出しにくくなってしまった。運命だ仕方ない、などと流されてしまいそうだから。
しかし、こうしてしこりを残したまま幕を降ろすわけにはいくまい。
そちらはそちら、こちらはこちら、別の問題だ。そんな風に意を決して、アメリアはおそるおそる口火を切った。
「あと……オーベルさんなんですけど」
それは過剰にも過ぎる反応だった。笑みは蝋燭の炎のようにふっと消え、うめき声と共に深くうなだれ、抱えた頭や背中から立ち昇る気が重く暗く周りを淀ませる。
アメリアは気分がどん底まで落ちたマスターを、呆気に取られて見つめていた。触れないようにしていたのは、これほどまで落ち込んでいたせいだったらしい。
「大丈夫ですか」
「オーベルさんは……僕にとって空気みたいな人だから……」
突っ伏したまま絞り出された声は、悲哀に満ちていた。
空気のような人、存在感が無いとの意ではなく、むしろ逆だ。空気が無ければ生きていけない、それと同様、オーベルの来訪が無ければ、葉揺亭の朝が始まらないのである。
アメリアにも同じ存在だ。マスターから遅れて店に入ると、オーベルも既にそこに居る、眠気の残る頭でとりとめのない雑談をする、そこから日常が始まるものだったから。朝に彼の影が無い三日間、どうにも調子が狂って仕方がなかった。
全てが決壊したあの日、もう来てくれることは無いだろうと思ったのは、悲しくも的中してしまったらしい。あれだけ怒っていたのだから、ある意味当然なのだが。
では、「仕方ない」と放置したままで良いだろうか、いや、良いはずがない。自分とマスターの問題で周りに与えた不快、そこから生まれた悪い結末、アメリアには看過できなかった。
「謝りに行きましょう。迷惑かけてごめんなさいって、一緒に」
ゆっくりと顔を上げた店主は、しかし不服な面持だった。
「なぜ僕が? 勘違いで殴られたのは僕なんだけど。あのねえ、すぐ治せるし我慢できるってだけで、痛いのは痛いし、打ち所が悪ければ死ぬんだよ」
「だけど、そもそもは私に掴みかかってきたマスターが悪いんじゃないですか。オーベルさんは、私のことを助けようとしてくれただけなんです。もちろん、殴ったらだめですけど……でも、そうでもしなかったら……マスター、何してたかわからなかったと思います。怖かったですもの」
うぐ、とマスターが息を詰まらせた。否定できようか、頭に血を昇らせて果たして何をする気だったのか、自身でも不確かであるが、振るうべきでない力を解き放す寸前だったのは違いない。
ばつが悪くなって顔を背けたが、アメリアも正面を追ってきた。
「ねえマスター、あんな風にお別れになって、それでいいんですか?」
「……店に来るかは客が決めること。ここに来ない以上、僕からどうこう言うべきじゃない」
「本当にいいんですか。絶対に後悔しますよ。私だったら嫌です」
「そんな、後悔だなんて……」
マスターが言いよどんだ。後悔はしない、そんなこと言い切れようか。むしろその場は良くても、後々になって心が痛くなってくるから、後悔というのである。何度も何度も味わって来た気持ちだ。
「……後悔なんて、もうしたくない」
「じゃあ」
「顔を見せには行こう。それからどうなるかは……神のみぞ知るってところかな」
マスターは意味深げににやりと笑った。時は午後のお茶時が過ぎ、宿屋に一泊の客が寄せる前。実にふさわしい頃合いである。
引きずるような長い丈のローブ、外出時のマスターにはお馴染みの姿であるが、問題はその色だ。先日の朝と同じく、彼は赤い衣を着ていた。似合わないわけではないが、白の印象が強いだけに、違和感は否定できなかった。
「今日も赤なんですね」
「だって、これしか残ってないもの。黒いのは目くらましに置いて来ざるを得なかったし、白いのは君がずたずたに引き裂いてしまった。あれ、完璧に仕上がった傑作で、すごく気に入ってたのにさ」
「あっ……」
「いいんだ、別に。君の気持ちが嬉しかったから。時間はかかるけど、衣なんてまた紡げばよい。しばらくはこれで我慢するよ。昔使っていたものだから結構傷んでるけど、ちょっと出歩く分には問題ない」
傷んでいるとは、見た目からして明らかだ。ローブの裾はぼろぼろになっている。擦れ、破れ、黒ずみ、穴まであく。型自体はきっちり整っているのに、そこだけが尋常でなく見苦しい。
「裾がぼろぼろ」
「端の方は防護魔術が効きにくくて。それで擦り切れた分もあるけど、それ以上に、昔ちょっとやんちゃされたんだ。頭から油被せて燃やされた、ひどい話だろう?」
「あっ……! それ、ヴィクターさんですね」
「大正解。活きが良い奴だとは思っていたが、本気でかかって来るとは思わなかった。あの気概だけは秀逸だが、あいにく彼に殺されてやるつもりなんてない。僕には賞金もかかっていないのだしさ」
マスターは皮肉めかして笑っていたが、不意に真に色を変えた。機嫌が悪くなったわけではなく、何か大事なことを思い出した雰囲気である。
彼は小走りで裏へ行くと、やや後、黒い手袋をはめた右手にきらりと光る物を携え戻ってきた。
あっ、とアメリアは思わず声を漏らした。見覚えがある、真っ暗の空間で失くしてしまった銀のダガーである。
「アメリアごめん、返すの忘れていた」
「見つけてくれたんですか!?」
「探すってほどでもないさ。通りかかったついでに拾って来ただけだよ。僕は借りたものは返す主義だからね。それに、君にとっては大事な宝物でもあるようだし」
「……マスター、これ、ヴィクターさんからもらったの、知ってたんですか? 私、言ってないのに」
「そんなの見たらわかる。君が持っていた時は、彼の静かに熱い赤色の気で満ち溢れていたから」
言いながら彼はダガーを台上に置いた。本来の鞘はまだアメリアが持っているから、代わりにさらりとした布を巻き刃を隠してある。飛び出す柄の部分は美しく磨き上げられ元より輝きを増しているよう、宝飾品としての価値がほとばしっている。
「清めておいたから僕の気もきれいに抜けている。だから今後持ち歩いていたって、君が過誤に遭うことは二度と無い」
「それってやっぱり、その、気とかなんとかのせいなんですか」
「そうだ。知っている者にとっては、僕が持つ魔の気質は相当独特でわかりやすいらしい。そしてそれは生命力と同等でもあるから、早い話、僕は色々と防護策を講じなければ外にも出られやしないのさ」
魔術を施したローブしかり。そして、他の方法も。マスターは食器棚の引き出しも開いた。
取り出したのは白いゲル状の液体が入った底広の瓶。中身を手近なカップに一すくいして、水で薄める。
それから、彼は濁った液の中に指を入れ、濡らした指先で自分の首周りに触れた。
マスターの指は首の後、肩、顔の輪郭と、方々をなぜるように動いていく。都度指をカップに突っ込むのは、羽ペンにインクをつけるくらいの自然な流れだった。
アメリアは怪訝な面持で見守っていた。彼の正体を知ってからでも、奇妙に見えるものは奇妙に見えるのだ。
「それも策ですか、変なの」
「フードが無いから代わりに即席の式で魔力遮断を。ま、顔が見えてしまうから、気休め程度にしかならないけれど」
得意気に片目をつむり、その瞼に指を這わせる。それからマスターは頭の回りの空間上に手を向け、流麗な文字を書くように走らせていく。アメリアには何も見えないが、彼には見えているのだろう、悪意や邪念を弾く不可視の盾が築かれていくさまが。
理解はできないが、何かすごいことをしているのはわかる。アメリアは感心して、しかしどこか不満げに主の挙動を見守り、思わず漏らした。
「マスターの魔法って、地味ですね。もっとこう、びしっ、ぶわっ! って感じでかっこよくやってください」
「嫌だ、魅せるべきと隠すべきは違うからね。何でも見かけで判断するのはいけないとよく言っているだろう? 地味なことしかしなくても、イオニアンの史上で五本の指には入る大魔術師だぞ、僕は」
「自分で自分を褒めすぎじゃないですか。えぇーと、アルヴァイス様?」
アメリアの冗談にマスターが時を止めた。表情が失せ、思考を隠す暗闇の目が、責め問うようにアメリアに向いた。
「わ! ちょっとした悪ふざけです、冗談です! そんな顔しないでください!」
あわあわと手を振り、虫の居所を悪くした主をなだめる。が、彼は目を細めて黙り、ただ手を動かすのみだった。
アメリアは肩を落として頬をかいた。怒らせてしまったばつの悪さが沸き起こる。それと同じくらい、面倒な人だという呆れも。隠し事はもう無しという風だったのに、触れてはいけないとは誰が思うか。
それとも自分の知らないきまりでもあるのだろうか、アメリアはむうと考えた。例えば魔法使いの名前を呼んではいけない、などと。契約がどうしたとか、束縛がどうのとか、空想の物語ではよく出てくる。
しかしこの空気はどうしたものか。アメリアがもやもやと悩んでいるところで、不意にマスターが両手を叩き合わせた。軽い音が響くと共に、一瞬、姿が霞んだようになる。
驚いたアメリアが瞬きをしている内に、それは元に戻って、後には意味深な笑みを浮かべる主の顔があるのみだった。
さて、どんな嫌味を言われるのか。身構えるアメリアに、静かな口調で語られたのは。
「アルヴァイス、古き言葉で『世界の理を守る者』と。正しく誠実なる人に育てと父母の願いが込められた、良き名だ」
遠い目をしてマスターは天井を仰ぎ見る。彼の面持はどこか誇らしげだった。
ややあって、マスターは再び口を割った。
「僕の真名はね、師によって禁忌として縛られた。人の道を踏み外した身に、父母より賜りし名を掲げる資格は無い、ってね。尊くて絶対の師だ、今となっても、逆らうことはできようか。ただ、真名の代わりに師がくれた呼称は、やたら長いし、他にも不便な面が多くてね。だから僕は『サベオル=アルクスローザ』という名を使うことにした」
「自分でつけたんですか?」
「そうだよ、葉揺亭を開いた時にね。だけどみんなして『マスター』って呼ぶんだもの。まあ、僕自身もそれでいいやって感じだったし、思えばつけた意味はあんまり無かったな」
ふっと彼は苦笑した。確か、開業に関する書類を求められ困り、とっさにつけた名前だった。
「ああ、無駄話が過ぎたかな。じゃあアメリア、行こうか」
「ついでにお散歩でもしません?」
「いいや、なるべく早く戻らないと。時が流れ魔法が解けてしまう前に」
マスターは軽く肩を揺らし、先んじて玄関の方へと足をだした。
しかしその時だった。葉揺亭の扉が、けたたましく開いたのは。
「あ、ら?」
マスターは張り付けた微笑みを引きつらせた。彼だけでなくアメリアも、呆気にとられて客人を見る。
陽光の風景を背に立つずんぐりとした影は、まさに今会いに行こうとしていた人物の物だ。
オーベルもぎょっとした顔をしたが、そちらはマスターたちとは違う意味で。
「なんだよ、そのけったいな格好は」
衝撃が思わず口をついて出た。喧嘩別れした後、久しぶりに顔を合わせた第一声としてはどうかと思う代物だが、飛び出してしまったものはしょうがない。
しかしその軽さが、マスターにとっては快かった。後ろ暗いことなど一つも無いように、からからと笑って言い切る。
「僕に赤は意外だろう? そういうのがいいんだよ」
「いや色だけの問題じゃなくて、もっと根本的にだ。……じゃねえや、お前さんの服のことはどうでもいい、後だ後」
「なにさ、アメリアと同じ反応するんだ、おもしろいなあ」
「知るかぁ!」
オーベルは反射的に噛みついてから、むしゃくしゃして髪をかく。
彼とてあれから全く思い悩まなかったはずがない。自分の宿に籍を置くギルドの面々が、聞いても居ない葉揺亭の様子を連日報告してくるのだから、苦悶の色濃い日々であった。
とうとう意を決して来てみたら、この出鼻の挫かれっぷり。話の切り出し方もあれこれ用意してきたのも、全て水の泡に帰した。はあ、と息を吐いてさっさと本題に触れる。
「その、なんだ。この前は殴ってすまんかった。……死んでなくて安心したぜ」
「なに。殺したつもりだったのか」
怪訝な面持をする店主に、オーベルがのけ反り手のひらを振り回しながら、慌てて弁明する。
「いや、まさか、違う、ほら、なんだ、あれから音沙汰なかったからよ、しばらく店も開いてないって聞いてたもんだから、俺のせいでどうかしちまったのかと……死んでないにしろ、頭がおかしくなったとか」
「安心してよ、この通り。僕、見た目よりは頑丈なんだ。少し頭がおかしいけど……それは元々かな」
小気味よく笑いながらマスターは手を開いて見せる。常に同じく余裕風を吹かせる男に、オーベルは安堵の息を漏らした。
これにて一件落着。
――ではない。アメリアは面白くなさそうに後ろからマスターを小突いた。こちら側にも非はあるのだ、過ちは認めなければ。
アメリアの言わんとすることがマスターにわからないはずない。彼もまた、素直に謝罪する。
「あれは僕も悪かった。アメリアともども、見苦しいところ見せてすまなかったよ。それに、オーベルさんが止めてくれなかったら、僕はきっと暴走してた。だから、あれでよかったんだ」
言いながらマスターは右手を開いて差し出した。握手を求める姿勢、オーベルは迷うことなくその手を取った。
固く交わされた握手と共に、わだかまりはほどける。
マスターはその笑顔のまま、アメリアの方に首をひねった。
「で、アメリア。君も、言わなきゃいけないことあるだろう?」
「ん? なんだ、アメリアちゃん」
オーベルはにこやかに笑いながらアメリアに向いた。
言いづらい、とアメリアは思ってしまった。過日、彼の宿屋に避難した際にも、喧嘩の理由は話さなかった。来店したギルド『緑風の旅人』の顔ぶれには次第を言ったが、オーベルの様子からして、吹聴してくれてはいないらしい。
話さなければいけないことだとは言え、こんな天から地に落とすような機会で振らなくてもよいのに。アメリアはマスターに恨み節を捧げながらも、しかし言うべきことはきっちりと言うため、大きく深呼吸した。
「……あの、誰かから聞いてるかもしれないんですけど。私、葉揺亭を離れることにしました。マスターと喧嘩したのも、実はそれで」
オーベルの髭面が、登場の時よりもはるかな驚愕に染まった。そして響くは大絶叫。
「ぬわっ、にーっ!? 聞いてない、聞いてないぞそりゃ! くそっ、あいつらなんで教えてくれなかったんだ馬鹿野郎! 畜生、覚えてやがれ!」
かあっと己を仲間外れにした連中に恨みごとを吐き捨てる。それから一転、オーベルは感慨深げな表情になり、アメリアを見据えた。尊く眩しい物を視るように、目が細くなる。
「そうか、あのアメリアちゃんがなあ……なあ! 独立だってよ! 出てっちまうんだなあ、そうかあ! そんな日が来ちまったかあ!」
「わ、わ、泣かないでください」
「これが泣かずにいられるかよ……!」
声を湿らせながらオーベルは目頭を押さえた。熱いものを静め、少しの後、彼は努めて静かに、かつぶっきらぼうな声を発した。対象はアメリアではなく、マスターへ。
「なあおいマスター。ちょうどいい機会だ、ちょっと付き合え」
「へ? 付き合うって?」
「決まってんだろ、酒だよ酒。前々から考えてたんだが、人生の先輩として、ちょっとおめえさんには色々話してえんだ。男と男で喋んなら、当然、飲みながらだい」
オーベルはにたりと笑いながら、既にマスターの腕をがっちり捕まえていた。
さて、亭主は。元々白い顔からさらに色を失くして、慌てふためく様子を隠さない。
「ちょっ……ま、待ってよ、まだ昼間だし、仕事してるし、オーベルさんだって――」
「んな細けえこと気にすんな、酒場が開いてりゃ飲んでいいってことよ。店なんて、アメリアちゃんに任せておけばいいじゃねえか。なあ? アメリアちゃん、ちょいと見といてくれるだろ?」
「いや、アメリア、ねえ、そうだろ、そんなの――」
「いってらっしゃい、マスター。楽しんできてくださいね」
引きずられ連行されていく主人を、アメリアは天使のような顔で手を振り見送った。彼自ら種を明かして準備はしていたから、おきまりの「外に出られない」という言い訳は通用しない。縋るように名を呼ばれても聞く耳持たず、だ。
別に嫌がらせをするつもりはなかった。マスターには純粋に楽しんできてほしい。
そして一切の思うところを解消してほしい。聖域で二人語らったように、酒でも飲みながら話し合えば、男たちは分かり合えるだろうから。
割れたカップは元には戻らない、魔法で奇跡を起こさない限り。しかし幸運にもマスターは魔術師だ、だからきっと以前の葉揺亭に戻せる。そのための最後の欠片が、オーベルが戻ってくること。
アメリアはマスターの代わりに彼の席に陣取り、一人留守番を始めた。明日の平和を夢見る顔はにこやかだった。




