時はざまの宝物
昼前、手製のパンが焼ける香り漂う葉揺亭にアーフェンがやってきた。小脇に真新しい木の箱を抱え、開口一番に言う。
「自慢してもいいですか?」
帽子の影で目は弧を描き、口元も無邪気に上がっている。
迎え入れる方は口をそろえ、もちろんだと応じた。
アーフェンは堂々と胸を張って、木箱をカウンターに下ろした。
歪みない直方体の箱そのものも、薔薇を彫刻した蓋と、重厚な金具で補強された作りからして、それなりに良いものに見える。
しかし、自慢したいのは外側ではなく中身だ。少年は蓋を開いて見せた。
布を緩衝材に詰め、収められていたのは、純銀に宝石をあしらったティーセットであった。短い足の着いた雫型のポットが一つと、カップとソーサーが二組。いずれにも繊細な紋様が彫金されている。
アメリアは感嘆の息を漏らし、うっとりと見惚れるように言った。
「綺麗ですね」
「でしょう? ここ最近で、一番の収穫ですよ」
アーフェンは鼻高々と言った様子だ。無理もない、彼の銀器には明らかに巷の食器には無いオーラがあった。一目見て、宝物だと認めさせるような。
「失礼」
マスターが宝の箱に手を伸ばし、カップをつまみあげた。
遠慮もなく眼前でまじまじと眺める。店主の黒い目は活き活きと輝き、口元は笑みを隠せないでいた。
「素晴らしい、全く素晴らしい。この紋はエイグ朝か、あるいはスィーヴァン王国か――いずれにせよ、古の王朝の物には違いない」
「わかるんですか、マスター」
「知識だけは誰にも負けないつもりだ。それにしても、こんなもの、よく買う気になったね。ずいぶん高かっただろう?」
「ああ、買ったんじゃないんですよ、拾って来たんです。私も異能者ギルドの端くれなので、たまには宝探しくらいしますよ」
「……ギルドってそんなこともするんですか?」
「何でもやりますよ。特に、うちは割と自由ですから」
アーフェンは軽やかに笑った。
彼の言う通り、異能者ギルドと言う物は活動の幅が広い。世間一般でも、それぞれ得意な分野はあれど、頼まれれば何でもやる便利屋という扱いだ。
そして依頼が無ければ、彼らは狩猟採集や探索遠出にて、身銭や次の仕事の足掛かりを得る。その中でこうした稀品が見つかることもあるのだから、冒険家気取りなのも馬鹿にできない。
ではアーフェンはどこで銀食器を見つけたのか。誰が問うまでも無く、彼はべらべらと喋りだした。
「実は、私、『時忘れの箱庭』に行って戻ってきたんです。ほら、東の森に『神隠しの家』ってあるでしょう? あそこから」
誇らしげに語るさまに、アメリアは顎が外れそうになっていた。
『神隠しの家』は知っている、以前ハンターと共に森へ行った際に実際に見た。小さな古家が、『時忘れの箱庭』と呼ばれる異世界空間に繋がっているとは、ノスカリアでまことしやかに囁かれる噂である。
もちろん根も葉もない流言というわけでなく、実際にかの扉をくぐってから消息を絶った人間は数多くいて、ゆえに近寄ってはならないと、アメリアも老翁から釘を刺されたものだ。
それが、アーフェンはそこに行って、なおかつ帰ってきたという。にわかには信じがたいが、しかし現に古の王国の遺物が目の前にあるのだ。
しばらく驚愕していたアメリアだったが、徐々に尊敬の色を示し始めた。
すごい、かっこいい。どんなものがあったのか、どんな景色だったのか。言いたいことが激流のように溢れて、上手く言葉に出来ない。
そうこうしている間に、信じられないとばかりに絶句していたマスターが、先に口を開いた。
しかし、それはアメリアとは違う、苦味と呆れに溢れたものだったが。
「呆れた。顔に似合わず、存外危ないことをするんだな」
「いや、最初に言いだしたのは、私じゃないですけど」
「止めなかった時点で同罪だ、いわんや同行したのなら。全てを失ってから悔いるのでは、遅い」
重い口調で言いながら、マスターは銀のカップを元の箱に戻した。
叱責を受けたアーフェンは、少し眉をひそめながら、弁明するように手を開く。
「半信半疑だったんです、どうせ我々のような若輩をおどかすための嘘だって。そういうものもよくありますからね。で、実際に探検してみたら……というところですよ。本当に、偶然です」
「その偶然が何より恐ろしいんだよ。あそこは完全に時空の摂理が破綻している、どこに連れていかれるかなんてわかったものじゃない。さすがの君でも、二つの世界を分かつ壁は越えられないだろうが」
知ったような口ぶりの説教に、むうとアーフェンはうなった。
しかし、すぐに不敵な笑みを浮かべて言い返す。
「でも、ちょっとくらい危ない橋も渡らないと、どこにも行けませんから」
その顔つきはいつもよりずっと頼もしく見えた。いつだったか、降りかかった災いに、震え上がって飛び込んできた少年と同じには見えない。
羨ましい、とアメリアは思った。それだけ彼を変えるような素晴らしいことが起こったのだ。それが偶に見た異界で起こったことなのか、はたまた生家の籠を破って得た日常の世界そのものでなのかは、断定することは出来ないが。
アメリアの思うのは、一つ。素直に口に出す。
「いいなあ、私も見てみたいなあ、別の世界」
「アメリア。僕の話聞いてた?」
「でもアーフェンさんは無事に帰ってきてるじゃないですか」
「それこそ偶然だ。たまたま神の機嫌が良くて、誰も不幸にならない運命へと駒を進めた、それだけのこと」
あれ、とアメリアは思った。怪訝な面持で、店主を問い詰める。
「マスター、都合がいいですね。いつもは神様なんて信じないって言ってるくせに」
マスターに向けるは疑いのまなざし。一貫性も何も無く、相手を批判したいだけではないのか。それこそ、神様気取りで、自分が絶対だと。
アメリアが突き刺す視線を、マスターはいたって平静に払いのけた。口ぶりは淡々と、しかしどことなく重々しい。
「少し言い方を変えようか。ルクノールは神だ、なんてことは信じない。無論、他に神と呼ばれる存在も是非を問う余地はある。でも、無意識的に僕らを操る、そんな神なる存在は居ると思っている。地に足着く人間には、不可視不可触の領域にね」
伏し目がちにマスターは締めくくった。静かな声だった、そしてどこか悲痛な。
だが次の瞬間にはぱっと目を開いて、飄然とした風をまといながら、アメリアの方へと向き直った。
「そして今、オーブンの中の空間は二つの未来に分かれている。パンが黒焦げになるか、そうでないか。神はどちらを選ぶのかな?」
あっ、とアメリアは声無き声を上げた。言われれば確かに、漂う臭いが焦げ臭くなっている。
慌ててオーブンに近寄って、重い扉を開けた。
当然吹き出す高熱。アメリアは思わずのけ反った。勢いで尻餅まで付いてしまう。
自分で自分に呆れていると、頭上から店主の笑い声が響いてくる。それがまるで自分を弄んでいる神のものに聞こえて、アメリアは頬を膨らませた。
幸いにも、パンは真っ黒になる前だった。少々焼き色が濃いが、ふっくらと仕上がっている。香ばしい匂いの影に潜むハーブの香りが、実に心地よいものだ。
少し冷ましてから切ろう。そう頷きながらアメリアが立ち上がると、同時にアーフェンが口を開いた。すっかりマスターのペースに乗っ取られてしまったせいか、いささかおずおずと。
「あの、マスター。それで、これを使ってみたいんですが……」
「なるほど、そういうことだったのか。ただ見せびらかしに来ただけかと思ったら」
問題ない、と笑いながら、マスターは大切な茶器一式を受け取った。
ポットもカップも、多少色がくすんでいる物の、使用されていたという風ではない。飾って置いてあっただけだと思われる。
「ちょっともったいないような気がしません?」
アメリアは思わず口に出していた。使ってしまったら、宝物としての価値が下がるのではないかと。
ところが、アーフェンはかぶりを振った。
「使わないほうがもったいないですよ。せっかく手に入れた貴重品なのですから」
価値観の違いがある。当然のように少年は言うが、しかしアメリアには理解しがたかった。
まあ、持ち主が言うなら仕方ない。そうですかと一言返して、アメリアは触れる程度に熱の飛んだパンにナイフを立てた。
分厚い長方形の一枚を、片手で取って食べやすい、小さな四角形に切り分ける。空気のたくさん詰まった断面は、白くは無く、少し褐色味のある色合いだ。
それを二切れ取って、小皿に乗せた。ふるまう先は、もちろん客人だ。
「どうぞ。ローズマリーとフィダーのパンです」
「いいんですか」
「素敵なものを見せてもらったお礼です」
笑いかけながら、アメリアも自分でパンを頬張った。フィダーは魚粉を塩と植物油で練ったペーストで、普通は塗って食べるが、こうして練り込んでもなかなか良い。塩がほどよく生地に馴染んでいるし、生臭みもローズマリーのおかげで気にならない。
ただ、喉は乾く。お茶ができてからアーフェンに出せばよかったと、アメリアは口をもごつかせながら後悔していた。
「はい、お待たせ。手が熱いから、これも使ってくれ」
マスターは中身の入った銀の茶器を客に返すと共に、折りたたまれた白いクロスを渡す。なんでも、銀は熱を伝えやすいから、陶器と違って持ち手の部分までもが茶と同じ高温になるという。店主として、客に火傷させるわけにはいかない。
そんな注意をあえて無視して、アーフェンは美しいポットにそっと触れた。が、握る前に慌てて手を引っ込める。なるほど、と頷きながら、白いクロスに手を伸ばした。
先細った口から注がれたのは、暗い色合いの紅茶だ。カップの材質による錯覚を差し引いても、ずいぶんと重い見た目である。
「ずいぶん濃そうですね。今日は一体、どんなものなんですか」
「アセムを主軸にして、若干渋みの強いブレンドにしてみた。僕の感覚になるが、古臭い風に」
古臭い、と若い二人が口をそろえた。
そうだと答えて、店主はぴっと人差し指を立てる。
「薬のように苦いくらい濃い茶が、古きは権力者に好まれたのだよ。茶は高級品だったからね、それを湯水のように消費できるのは、権威があるしるしだと」
そもそも茶葉自体が洗練されていないから、味もたかが知れている。雑味も多いし、渋もひどい。そんなものでも、紅茶を嗜むこと自体に価値があった時代があったのだ。
さらに畳みかけるように、マスターはシュガーポットを取り出した。蓋をとり、附属のスプーンで中の砂糖をこんもりすくって見せる。
「そしてそこに、これまた貴重品だった砂糖を山盛り入れるのさ。贅の限りを尽くすためにね」
二度、三度と、マスターは砂糖をすくっては落とし、またすくってはその場で戻し、と繰り返した。本当はそれを、ティーカップとの間で行うのだろうが。
甘いものは好きなアメリアも、さすがにそれはないだろうと首を振ってみていた。あり得ない、もったいない、と。
マスターはシュガーポットに蓋をすると、そのままアーフェンの前に出した。彼も当然、苦虫をかみつぶしたような顔をしている。
「……それは茶の味を殺しませんか。」
「もちろん好み次第だが、僕はあまりおすすめしない。ただ、当時の者たちには、権力を誇示する方が重要だった。それだけだ」
味は二の次、それよりも外からの評価に重きを置いていた。それも全ては、現代との価値観の違いだ。
「だから、もちろん君は好きなように飲めばいい。君は、現在を生きる人間なのだからね」
そう言ってマスターは自分の語りを締めくくった。
喋っている間に、カップもすっかり熱を持ってしまったらしい。先ほどの忠告を忘れていたアーフェンは、まず持ち手を触って顔をしかめ、ついで口をつけて唇を焼きそうになった。見ている側が不安になる。
「……大丈夫ですか」
「ええ、これくらい」
少し強がるような顔を見せ、今度は慎重に息を吹きかけてすすった。
しばらく舌で味わった後、アーフェンはシュガーポットを取る。スプーンの半分くらいの砂糖を紅茶に加えて、もう一度飲み。そうしてやっと、眉目を上げた。
ほっとしたような顔で、マスターに感想を述べた。
「美味しいです。茶器がいいものですから、余計に」
「それには同意するよ」
「わかります、わかります。私もクシネちゃんの魔法のカップで飲むお茶、大好きですもの」
一同首を縦に振る。味覚には気分の影響も大きい、お気に入りのカップで飲めば、あるいは一級品の茶器を扱えば、不思議と味も良くなって感じられるのだ。
だからもしかしたら、砂糖の味しかしないようなお茶も、当時の王族たちは最高だと思っていたのかもしれない。真実は時を遥かさかのぼった先だから、知る術はないけれども。
カップ片手に話は弾む。もちろん、アーフェンが「時忘れの箱庭」で見たものに関してが、一番の花を咲かせた。
石造りの建物で、ひんやりとした空気だった。彼がティーセットを見つけた部屋には、他にも金の冠や銀の仮面、翡翠や琥珀の装飾品などなど、あらゆる財宝が棚に並べられていたと言う。まるで、蒐集品を陳列するように。
ちなみに茶器が収められている箱は、帰ってきてから街の木工職人にこしらえてもらったものらしい。実際には、他の物品と同じように、輝きを見せつけるかのごとく裸で据えられていた。
「ま、結局、あれは古代の城だったんじゃあないですかね。私が入ったのは宝物庫で、他の部屋じゃあ剣とか、鎧とか、弓矢みたいなものまで色々と見かけましたから。仲間も色々取ってきてましたよ」
「それ泥棒じゃないんですか」
「誰も居なかったし、住んでいる風でもありませんでした。それに『時忘れの箱庭』の物は、見つけた人のものだっていう暗黙の了解が」
誰のものでもない遺跡や秘境を探索するようなものだから、と彼は弁明する。もちろん、アーフェンだけではなく、いわゆる冒険者の内では当たり前の感覚だった。おまけに、万が一生きている現地人に出会って、素直に返そうが力ずくで奪ってこようが、他者の知れることではないのだから。
果たしてそう言うものなのかしら、とアメリアは首をひねった。疑問に思えど、かといって自分が同じ状況になったら、きらめく宝石を前にすごすごと帰って来られる自信はない。もちろん、強奪しようとも思わないが。
マスターはどうなのだろうと、アメリアは店主の方を向いた。すると彼はふっと笑った。
「いいんじゃないかな。時の狭間に埋もれて消えるより、後代に脈々と存在を示した方が、物だって浮かばれる」
きっぱりとした良い方だった。
そしてこう断言されてしまうと、不思議なことに、マスターが言っているならそうなのだろう、といつも納得させられてしまうのだ。
じゃあ、いいや。とアメリアは過去の遺物の持ち出しを肯定したのだった。
そして思う。
「宝箱っていいですよね、憧れちゃいます。私も探しに行きたいな」
「探さなくても、今ある大事なものをつめて君の宝箱を作ればいいじゃないか」
「あっ。それも素敵ですね」
アメリアはそれだと手を打った。現在から未来へと自分が残す、自分の宝箱。将来の自分が眺めるかもしれないし、大事に取っておけば子どもや孫の団欒の種になるかもしれない。
作ろう、自分の宝箱。アメリアは固く決めると、さっそく中にしまうものに思いを巡らす。
いや、それよりはまず箱だ。アーフェンのように、丈夫で立派な箱を作ってもらおう。いくつの時を越えても、風化しないような。
銀のポットが最後の一滴を絞り落とす。カップに半杯の最後の紅茶は、すでに温んでいて、アーフェンはあっという間にそれを干した。
そして、思いついたかのようにアメリアに声をかけた。
「アメリアさん、ギルドに見に来ませんか? 他の宝物も。まだ売り払われてないと思いますし」
「行きます!」
即答だった。異界の品々が見られるなんて、またとない機会ではないか。
それだけではない。異能者ギルドに遊びに行くなんて、初めてだ。アーフェンの普段の話しぶりからするに、きっと楽しいところに違いない。想像するだけでわくわくする。
が、気になるのは。アメリアはおずおずとマスターの方を向いた。つられるようにか、アーフェンも同じように。
店主は二人の方を向いたまま、何やら考えているようだ。しかし、その胸中は計り知れない。
やがて、マスターは言った。
「ま、いいか。それだけ片づけて行ってよ」
それ、と指さしたのはアーフェンのティーセットだ。すでに飲み切っているから、洗うだけ。何も難しい条件ではない。
快活な返事をして、アメリアは弾かれたように行動したのだった。
綺麗に洗い上げ、水滴を拭い、元通り木の箱に食器を戻す。蓋を閉めたら完了だ、アメリアとアーフェンは思わず嬉しそうに顔を見合わせた。
では、さっそく。前掛けを脱いでアメリアはカウンターの外へと飛び出す。
その背中に、マスターののんきな声が刺さった。
「でも気を付けてね。下手なことすると、おっかない大将殿が、銀の牙で噛みついてくるからね」
「は、はあ……?」
「まあまあ、いってらっしゃい。楽しんでくるといいよ」
アーフェンの所属するギルド「銀の灯燭」は、ノスカリアの南西部にあるらしい。葉揺亭からは、南へ向かうことになる。
二人並んで歩くアメリアの心を濁らせていたのは、出かける間際の主の言葉だった。
マスターの言いぶりからするに、いつものようにからかってきただけの可能性は高い。しかし、冗談ではなく、真実だったとしたら。
アメリアは恐る恐る、隣の少年にたずねた。
「……アーフェンさんのところのリーダーさんって、猛獣か何かなんですか?」
「たまに。普段は人間ですけど」
「えっ!? あ、ああ。アビリスタだからですね。そうですよね、びっくりした」
「その通りです。怖くも無いですから、安心してください。むしろこの上無いくらい優しい方ですよ」
からからとアーフェンは笑っていた。アメリアはほっと胸をなでおろす。
「ですよねえ。もう、マスターったらいっつも変なこと言ってからかうんだから」
「心配なんでしょう、アメリアさんに悪い虫がつかないかって。アメリアさんは、ほら……かわいいですから」
と言ってから、アーフェンは気恥ずかしそうに顔を背けた。心なしか、頬が赤い。
ありがとうございますと微笑んでから、アメリアは愚痴をこぼした。
「ちょっと過保護すぎるんですよ、マスターは」
「確かに、そうかもしれませんね」
「ええ! 私だって、やればできるんですもの!」
アメリアは、えい、と拳を振り上げた。マスターの代わりにお茶は出せるし、行こうと思えばどこにだって行ける。ただし、マスターが許しさえしてくれれば。
結局のところ、アメリアは葉揺亭の主が作った籠からは出られないのだ。その現実を見てしまえば、揚々とした気分もしぼんでしまう。
いや、無理やり逃れようとすれば出られるだろう。それこそ、やればできる、だ。目の前の少年が、家出して自由を手に入れたように。
ただしアメリアは彼とは違う。だから、そんな考えを浮かべると、心が痛んでしかたがない。
「……アーフェンさん」
「はい?」
「お家に帰りたくなったり、しないですか?」
「全然。今がとても楽しいので。そりゃ多少は……悪いことしたとは思ってますけど」
罪悪感、それだ。両親と不仲だったアーフェンでさえ感じるなら、アメリアの場合はなおさら。
マスターのことは大好きだ、葉揺亭のことも大好きだ。もちろん、やってくる皆のことも。だから、アーフェンのように全てを投げ出して去ることはできない。
それでもまだ見ぬ世界へ旅立つ欲求も捨てられない。その堂々巡りが、もうどれだけ続いているか。
いい加減、覚悟を決めないといけない。
アメリアの心の曇りは、顔にもすっかり現れていた。不安げにアーフェンが尋ねて来る。
「どうしたんですか。どこか具合でも悪いのですか?」
「いえ、ちょっと考えごとです。宝箱に、何を詰めようかなって」
「ああ、そうですか。それはやっぱり、アメリアさんが価値のあると思うものですから――」
アーフェンは楽しそうに話しかけてくる。少しだけ申し訳ない気分になりながら、アメリアは彼の話に耳を傾けていた。
嘘はついていない。大事な思い出を宝の箱に詰め、まだ見ぬ未来へと進む覚悟を、アメリアは決めたのだ。
その先にどんな嵐が待っていようとも、独りぼっちになってしまったとしても、強く足を進める覚悟を。
ノスカリア食べ物探訪
「フィダー」
川魚由来の魚粉を塩と植物油で練ってペーストにしたもの。調味料として、保存のきくタンパク源として、幅広い料理に活用されている。
雑多な魚で作られる安価なものから、珍魚や味を追求した高級品まで色々ある




