祝福をもたらす神名の花
朝日きらめく青空の下に、アメリアの上機嫌な鼻歌が流れていた。片手には藤編みのバスケットが楽しげにゆれている。
今日は時計塔広場に大市がたつ。だから買い出しに行くのだ。ワンピースのポケットに入っているマスター手縫いの財布には、金銀銅貨が目一杯詰まっている。だが、ちっとも重さを感じない。
はやる気持ちが足にも影響して、あっという間に広場へたどり着いた。
平素から人々の憩いの場としてにぎわっているが、今日の活気は段違い。さまざまな露店が広い空間にずらり並び、そこかしこから呼び込みの声が上がって、買い手の人だかりもたくさんできている。
アメリアも市の波へと飛び込んだ。人をかきわけ、露店をあちこち覗いてまわる。
一応、買いたいものは決まっている。お茶の葉とか果物とか、あるいは香草や薬草など、要するに、葉揺亭の商品として使えそうなものだ。マスターからも「あれば欲しいものリスト」なるものを預かっているから、基本はそれを探せばいい。
だが、マスターからは、おもしろいものがあればなんでも買ってこれば良い、と言づけられていた。
『色々なことに好奇心を持つのはいいことだ』
そんな風に言われるのは、なにも今日に限ったことではなかった。
だから、アメリアも遠慮はしない。気になるもの、欲しいもの、いいものを見つけ次第、買う、買う、買う。
あっという間にバスケットは重たくなった。マスターからの注文品もおおよそ揃ったし、上々だ。
けれどもまだ財布は空になっていない。だから、次の楽しみを探して、アメリアはきょろきょろと市の中を歩き続けていた。
そして次に足を止めたのは、山野草の並んだ店の前だった。この類の露店はいくつも見てきたが、まったく同じ品ぞろえのところは無いから、飽きることはない。
古絨毯を敷いた上に、かごや木箱が並ぶ。陳列されているのは、真っ赤な実を連ねる蔓や、毛玉のような白い花、黒に斑点のある星空で染めたような木の葉など。それがどういうものなのか知識はない。でも、珍奇な植物たちは見ているだけでおもしろいのだ。
アメリアが青い目をめぐるましく行き来させていると、店の男から声がかけられた。
「お嬢さん、『降誕祭』の準備は済んだかい? うちで扱ってるルクノ・フロラはとびきり大輪だよ! どうだい?」
アメリアの耳がぴくりと反応した。
にこやかな顔の主人は、古い樽を利用したバケツを指示していた。たくさんの青空色の切り花がさしてある。六枚の花弁を持っていて、対角線を繋ぐ様に一本の白い線が入っているのが特徴的だ。ルクノ・フロラと呼ばれるこの花は、見た目と傷みにくいことから、この時季花瓶に差されていることが多い。
だが、ルクノ・フロラにはそれ以上の役割があるのだ。アメリアもはっとして手を打った。
「そうですね、『降誕祭』! そろそろ準備しないと」
降誕祭。それはこの世界イオニアンの神、ルクノールの降臨を祝う日のことだ。もともとはかの神を崇める「ルクノラム教」の宗教行事である。しかし、ルクノール自体は神話に語られるこの世の最高神だから、教徒か否かに関わらず、民衆に広く親しまれている。だから、降誕の祝祭は教会のみならず大々的に行われるのだ。
アメリアも特別信仰心があついわけではない。が、日常の中で神様頼みをすることはある。だから、お祝いくらいしっかりやりたいし、日ごろの感謝の意味をこめてやるべきではないかと思うのだ。
それ以上に、お祭りという魅惑的なものに乗っかりたいという気持ちが強いが、さておき。
ルクノラム教の敬虔な信徒たちは、来たる神聖な日にかけて、厳粛な儀式めいた取組をするらしい。だが、おおよその民衆はごく一部をたしなむ程度ですませる。
いくつかの慣習はあるが、その中で最も簡単なのが、神の御名を宿したルクノ・フロラを玄関先に吊るして、ルクノールの加護を招き入れる、というものである。
われ主役たりと咲き誇る青い花を前にして、アメリアはうきうきと目を輝かせていた。
「――ということで、今年もちゃーんとやりますよ、降誕祭」
葉揺亭に戻るなり、アメリアは満杯のかごをマスターに押し付けて、ルクノ・フロラのかたまりだけを取り出し、ブーケに仕立てはじめた。
ご機嫌この上ない。珈琲の香りが漂う空気に、小さな鼻歌が溶けこんでいく。
一方で、湿ったため息も空気の中に混じった。発生源はマスターだ。
「君はよく毎回こんなくだらないことに熱心になれるね」
呆れというか不満というか。いい印象は無い声音だ。
アメリアはきっとマスターを見て、ぶうと口を尖らせた。
「いいじゃないですか。ちゃんとお祝いすれば、神様に守ってもらえるんですよ」
「そんな花を吊るして? なんの意味があるんだ、それに」
「でも、それがお祭りの決まりですから。こうしなければ上手くいかないんですよ、きっと」
「儀式の一部より派生したと考えれば、意味のある行動とも言えるが。しかし、ここまで簡素で形骸化された式だ、そこに自己満足以上の価値があるとは――」
「もうっ、またマスターは難しいこと言う。お花を飾れば神様が来る、たったそれだけのことじゃないですか。私にもできちゃうくらい、とっても簡単なことですよ。誰も損はしないですし、うるさく言う必要なんてないじゃないですか」
「いや、まあ、うん。損得の問題なら、君の言う通りなんだろうけど……」
「ほら!」
勝ち誇ったようにアメリアは胸を張ってみせてから、ぷいとそっぽを向いた。
先ほどよりいっそう愉快な様子で、青い花の茎を束ねることに集中する。リボンはよく映える赤にしようか、それとも上品な白にしようか。試しにかけてみては、解いて、またかけて、迷う迷う。
小さな背中越しにマスターがそれを見ていた。さっきからずっと、まだなにか言いたげに立っているのだ。アメリアが無視を決め込んでいるから、なにも言わないだけで。
それはカウンターの内で繰り広げられる光景だ。しかし、葉揺亭は小さな店、二人のやりとりは客席に筒抜けなのである。
現在、客は一人居る。窓側の席に、ジェニーが。いつものように書類仕事をしていたのだが、不意にその手が震えて止まった。ついでに、もう片方でおかしそうに歪められた口を覆う。
結局、我慢できずに、ジェニーはマスターへ思うことを告げた。
「マスター、気に入らないからって、そんなにつんつんしなくたっていいじゃないの。かわいいものじゃない、なんでも信じることが大事よ。信じていたら、神様だって来てくれるかも」
「いいや、信じて裏切られるよりも、最初から信じない方がいい。神として語られるルクノールなんて、誰かが勝手につくり上げた願望の象徴だ。現実にはそぐわない。そんなものに期待をかけるなんて愚か、僕はそう思うよ」
「あらやだ、辛辣ね。そこまでルクノール様のこと否定するなんて……マスターは異教徒なの?」
ルクノールが主たる神とはいえ、世界は広い。地域によってはまったく異なる系の神を崇めている。そこの民であれば、異教の神の祝祭にかまけることができなくて当然だ。
が、マスターは即刻首を横に振った。腕を組んで、きっぱり言いきる。
「どんな教えだって同じだよ。僕は神だなんて信じていない。誰がなんのために花を飾ろうが、三日三晩祭壇で祝詞を上げようが、そんなこと心底どうでもいい。……いや、どうでもよくはないな。こうやって気分が荒れるから、積極的に勘弁願いたいことだ」
歯に衣着せぬ物言いに、女性たちはそろってむっとした。
特にアメリアの食ってかかりようは激しい。台をぺちぺち両手で叩きながら、丸い目を一生懸命尖らせて、仁王立ちする主へ抗議する。
「だけどマスター、そう言いますけど、よくルクノール様たちのお話を聞かせてくれるじゃないですか。神様について書いた本も読んでましたし、本当はすごく信じているんじゃないんですか? マスターの嘘つき」
「僕は嘘をつかない。そして、君の言うものは信仰などではない。あくまでも記録、歴史の一部として神話や伝説を語るのみだ。君の言い分に乗るなら、僕は他の神々も同様に愛しているさ。各地の土着神、精霊信仰、北方神話――人々から崇め奉られる存在には、必ず、興味深い歴史や物語がつきものだよ」
「むー……マスター、つまんないの。嫌いです」
ぐさっ。そんな音が心臓から響いたような。実際に、マスターは青くなっている。
アメリアに嫌われること。それがマスターの最も恐れること、最大の弱みである。
そんな主に目もくれず、アメリアはぷんとふくれっ面のまま、花束を持ってジェニーの方へ行ってしまった。テーブルをはさんだ向かいに飛びこんで、人懐っこい笑みを惜しげなく披露する。
「あの。ジェニーさんのところでも『降誕祭』はやるんですか?」
「ええ、もちろん。うちの会長、お祭りごとが大好きだもの」
「私と一緒ですね」
「そうね。だけど、会長のおかげで商会の事務所っていつもすごいことになってるのよ。今だとルクノラムの降誕祭以外に、商売の守護神バール・ハンドレをお招きするって御神台を作ってるわ。だけどその部屋って、もともと東国の女神の絵が飾ってあるの」
「うっわぁ、神様ぎゅうぎゅう詰めですね。たいへん」
「フフッ、そのうち喧嘩はじめるかもね。女神たちが『私の方が綺麗なの!』とか言っちゃって」
「えー? きっと仲良しですよ、神様ですもの。みんなでご飯を食べたり、歌ったり、踊ったり」
古今東西の神々が広間に閉じ込められたら、という図を、二人はてんで勝手に想像する。ひたすら愉快で滑稽な、あるいは幻想的で神々しい光景を。お互いに自由な空想を披露しては、笑っていた。
一方、カウンターに居る男はというと。胸を押さえて深呼吸をすることで、どうにかショック状態から立ち直った。
窓辺から嫌でも聞こえる神様談義。ちらと見たら、アメリアもジェニーも楽しそうで、羨ましい。
だが、茶々を入れないように意識した。なまじ知識があるのが仇になる。下手に彼女らの幻想を破壊して、また「つまらない」とでも叩き斬られたら、今度こそ立ち直れないかも。
マスターはアメリアが持って帰ってきたバスケットを掴んだ。ルクノ・フロラが退いた下には、あらゆる素材がぎゅう詰めになっている。これらは乾燥させるなり、細かく刻むなり、不要な部分を捨てるなり、色々と処理が必要だ。
マスターはさっそく手仕事にとりかかった。雑念を払うには、ちょうどいい。
黙々と作業を続けて、しばらく。手にしているのは長くつらなるツルイチゴ。小指の爪ほどの大きさの実は潰れやすいため、多大な集中力が要求される。赤黒い実を蔓か外し、そっと小皿の上に置いて、その繰り返しだ。
ふっと外の音声を耳が拾う。すると、いつの間にか女性陣の話題が変わっていた。
「でも、なんでこのお花は神様の名前なんでしょうか。降誕祭に使うから、神様の名前をつけたんですかね」
アメリアは青い花束を見つめ、小首をかしげている。
少女のなにげない疑問対する答え、それをジェニーはきちんと持ちあわせていたようだ。優しい笑顔で、すぐに教える。
「ルクノ・フロラは枯れてもなかなか色褪せないことは知ってるかしら? そのことが永遠を象徴しているって意味になったわけ。そこから、永遠にこの世界を見守る神ルクノール様と関連づけられて、神様のお名前をもらったのよ」
「ふわー、そうだったんですね!」
アメリアは目を輝かせて、花束を愛おしそうに胸に抱いた。
さて、会話をまるっと聞いていたマスターは。知識人の性がうずいて、どうしようもなくなっていた。隣人の無知を聞いては、黙っていられるものか。
雑念に身を引かれたとたん、指先のツルイチゴが一粒潰れてしまった。
「あっ」
――仕方ない。駄目になったイチゴは、さっと口へ入れて処分した。
それを飲み込んでから、マスターはわざとらしい咳払いを一つ。
ジェニーとアメリアが一斉に振り返った。
店主は努めて穏やかな微笑みを浮かべ語った。もう一つ、努めてつまらなくない言い方を心がけて。
「それだけじゃないよ。ルクノールなる存在がこの世界に顕現した瞬間、青空に閃光が走ったのさ、空を割るように。そもそも降誕の日の事は『閃光の日』と古来は記し……いや、この話はいらないな。とにかく、その花に入った白い線を、光が走った青空に見立てているんだよ。降誕祭では、その花を束ねて逆さ吊りにするだろう? それがまさに見立てだ。玄関に空を再現することで、神をその場に降ろすと」
「へぇ、そうなのね。そこまでは知らなかったわ」
「さすがマスターです!」
続く称賛の声、なにより過剰なまでに己を慕うアメリアが戻ってきたことが気持ちよい。マスターは内心で、天を割らんかの勢いで勝利の拳を突き上げていた。
さて、マスターも人間である。おだてられれば調子に乗るし、もう一泡吹かせてやろうと思いもする。
「ねえアメリア。よかったら、その花を一輪くれないか?」
「いいですけど……急にどうしたんですか」
「ちょっとね。葉揺亭流の降誕祭の儀式をやってみようかと」
「あら? さっきまであんなに鬱陶しがっていたのに?」
「ま、いいじゃないか」
肩をすくめると、ジェニーが呆れた顔を見せた。銀縁眼鏡の向こうにある目が、単純ね、と語っている。……気づかなかったことにしよう。
アメリアから一本の花が手渡された。空色に凛々しく咲き誇るそれは、見た目はまあ美しいと言えよう。
マスターは鼻の近くに花を寄せた。花弁が鼻先をくすぐるほどの至近距離、しかし、なんの香りもしない。――知っていた。
この花は蜜や花粉もほとんど持っていない。いっそ口に含んで咀嚼しても、不気味なほどに味がしない。染物に使うような色水も作れないし、神の名を冠しているからといって、なにぞ不思議な力を持っているわけでもない。マスターは断じる、ルクノ・フロラは無用の長物、と。
ではそんなものをどう利用するのか。考えるまでもない。立派な見かけを活用させてもらうだけだ。
マスターはすらりとした指で、青い花をがくからちぎり切った。
たやすく手に落ちた永遠の象徴は、ひとまず台上によけて置く。ついでに葉も摘み取って並べる。葉も花と同じ用途だ。
さて、肝心の紅茶だが。まったく難しいことはしない。細かいシネンスの茶葉に、乾燥したレモンの皮をみじん切りにして配合する。いつも店で出しているレモン・ティだ、こんなもの今さら失敗しようがない。
普段と違うのは、硝子のポットを使った点ぐらいだ。陶器に比べると保温性に劣るし、やや破損しやすい。だが、中が透けて見えることが無二の長所である。今回はそこが重要なのだ。
硝子の向こうには、茶葉たちが踊るのが見通せる。透明だった水が徐々に茶色く染め上げられていくのも同様に。
抽出が終わった頃合いを見計らって、マスターはポットの世界に手を入れた。銀の匙で一かき、それで立ち上がった弱い渦が、さっと水色を均一化させる。ふわと嗅覚をくすぐる香りも立った。
このままで十分美味しいレモン・ティである。だが、もう一工夫。いや、主役のご登場だ。
マスターは脇に避けてあった葉と花とを、そっと水面に浮かべた。相対的に大きな空色の花は、ポット上部の空間を覆い尽くすほどになった。まさに紅茶の海にかかる、青い空と一線の光になっている。
そんな小さな世界に蓋をして、念のため味を確認する。
――よし。まったく、いつも通りのレモン・ティだ。これなら安心して人に出せる。
「さあ、できたよ」
マスターは手づから客人のいる卓へと茶器一式を運んだ。
女性陣の注目の中、熱いポットとガラスのカップが供される。カップはもちろん二つ、どちらも曇りなく透き通っており、窓越しの光にきらきらと輝いていた。
テーブルに置かれたポットの中には、葉揺亭の主が築いた世界がある。細かい茶葉が躍る水に、上に広がる深緑の葉。そして、圧倒的な存在感を放つ天蓋の花。
顔を近づけて眺めている二人を前に、マスターは人差し指を立て、得意気に講釈した。
「これが僕なりの『閃光の日』の見立てだ。イオニアンの大地と森林、そこに暮らす人間や動物は茶葉とレモンの皮とで。そして、天を覆う青空に走る光の一閃」
「なんと言うか……すごいわね。こんなのを即席で思いつくなんて。マスターって、お茶に関してだけは神様並みの技量よね」
「それは、お褒めの言葉ありがとう、と言っておけばいいのかな」
マスターは苦笑して肩をすくめた。
一方、アメリアは。青い目をぱっちりと開いて、飾り入りの茶を眺めている。黙って、ずっと。
なにかおかしなことでもあるのだろうか、と、大人二人が怪訝な様子で顔を見合わせた。
ちょうどその時に、少し落胆したような息が漏れ聞こえる。
「これ、お茶が青くなるわけじゃないんですね」
「そうなんだよね。伊達に永遠に色褪せないと言われるだけあるよ、ちっとも色が出てこやしない」
「ううん、あんまりおもしろくないですね。神様だったら、もっと、わあっ! って、すごい感じになってもいいのに」
「えーと……まあ、うん。じゃあ、そろそろお味の方へ」
果たしてアメリアはルクノールに対してどのような幻想を抱いているのか。気になりもするが、今は置いておこう。そんな話を始めたら、お茶が冷めてしまう。
マスターはしなやかな腕を伸ばしてポットを手にした。ストレイナー越しにカップへ茶を注ぐ。アメリアも指摘した通り、普通の琥珀色の紅茶だ。
二人分を取るとちょうど空になり、ポットには茶葉の出がらしだけ残っている。そこから青さ衰えぬルクノ・フロラを取り出して、二枚ある白線の入った花弁を摘み取ると、それぞれのカップの上に浮かべてやった。
「食べられないんだけどね。あると多少は気分が違うだろう」
そして、どうぞ召し上がれ、と促した。
待ちきれないという勢いで飛びかかるアメリアと、優雅にしずしずと口をつけるジェニー。二人は共にしばらく味と香りを賞味して、それから同時に感想を口にした。
「マスター、これ、すごくおいしいです! 元気が出る味っていうか、ああ、そう、神様のすごい力のお茶って感じです!」
「花からなにか出てるのかしら。味に深みがあるし……ほんとにレモンだけ? なんだかいろんな果物の味がするような気がするわ」
「えっ、と。まあ、気に入ってもらえたのなら、なによりだ。けど……」
消えゆく語尾と共にマスターの笑顔は引きつった。中身は普通のレモン・ティだし、花は一切合切なんの力も持っていない。味が同じであることは、直前にしっかり確かめたのだ。
それでもアメリアもジェニーも大はしゃぎしている。不思議だ。
茶の味を変えたのは、さしずめ彼女たちの思い込みの力だろう。そうとしか考えられない。
信じる心とはかくなるものか、とマスターは呆れ半分で感心していた。
そうこうしている内に、アメリアとジェニーは、今度は「神様の食事はどんなものか」という題目で空想劇を繰り広げ始めた。
楽しげに語らい合う彼女らに、ルクノ・フロラのことを告げるか告げまいか。マスターは悩んだあげく、そっとしておくことにした。
客人が気分よく過ごせるのなら、亭主として本望。それが自分がしたことの結末なら、なおさら壊すのは無粋だ。
マスターは長い燕尾を翻して、自分の業務に戻る。早いところツルイチゴの処理を終わらせないと。アメリアが好奇心の向くままに入手してきたものは山ほどある、腐ったり劣化したりする前に、全部を検めて、適切な処理をしてやらなければ。
マスターは再び、茶の素材と向き合い自分の世界に没入していった。
各人それぞれの時が流れる葉揺亭。神の名前が付けられた花のブーケは、忘れられたようにカウンターの上に転がっていた。褪せることのない美しい空をその身に宿し、神の訪れを待っているかのように。
葉揺亭 スペシャルメニュー
『葉揺亭流・降誕祭記念茶』
ガラスのポットで作った、シネンスの茶葉に細かく刻んだレモンの皮を混ぜたお茶。
白い筋のある青い花とその葉っぱを水面に浮かべれば、神の誕生の瞬間を見立てた風景に早変わり。
味はいたって普通のレモン・ティ。
カップに花弁を浮かべれば、神に救われた気分になれるかも?