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ひみつのおてがみ

 葉揺亭にはマスターが一人。主の憂鬱は、店そのものをほの暗く変える。


 原因はアメリアの不在だ。営業中に出払うことがこのところ続いており、マスターの心をかき乱している。あるべきが無いのは落ち着かない、それが愛する少女の息遣いだというなら、なおのこと。


 と言っても、彼女の行動をがんじがらめに制限することも、自分の心が望まなかった。定休日も設けていないのだし、それくらい許さねば息も詰まってしまうだろう。雇って間もない頃は外出そのものに怯えていたことを思えば、今の明るいアメリアは非常に好ましくもある。


 何より、帰宅後に出来事をあんまり嬉しそうに語ってくれるものだから、文句の一つも言えなくなってしまうのだ。


 自分が少しのあいだ寂しさを我慢すれば、アメリアは幸せだ。彼女が戻ってくるまで、ちょっと辛抱するだけ。そう言い聞かせることで、マスターはどうにか心のざわめきを抑えていた。



「ただいま、マスター」


 天使が聖域に帰還した。案の定、いい笑顔である。


 今日のアメリアの行先ははスラムの学校だった。実は、このところ足繁く通っているのだ。


 それ自体はマスターも高く評価している。学問という意味では、あそこで学べることは少ないかもしれない。しかし学ぼうとする意欲と、他者とりわけ年少の子と交流することには他に代えがたい価値があると考えていた。


 今日はどんなことがあったのか。爽やかな微笑みと共に訊ねようとする。が、口を開く前にふと気づいた。


 アメリアは後ろ手に何かを持っている。笑顔はいつもにも増した、意味深なにやけ面。なんだろうか、嫌な予感がしてならない。


「アメリア、なに持ってるの」

「うふふふ、内緒です」

「怪しい。見せて」


 人に知られないように秘めるなら、必ずそこには理由がある。大したことで無かったら良いが、そうでなかった時が問題だ。怪訝な面持でマスターはアメリアに手を伸ばす。


 しかし、ぷんとそっぽを向かれて無視された。


「嫌ですよ。私の宝物ですもの」

「そんなの駄目だよ。秘密なんて絶対ろくなものじゃない。見せるんだ」

「もうっ、マスターだって秘密だらけじゃないですか! 自分の事は置いといて、そんなのずるいですよ」


 それからアメリアは悪戯っぽく笑った。


「じゃあ、マスターの秘密もぜーんぶ教えてくれたら、私も見せてあげます」


 それを交換条件にされるのは痛い。アメリアに話すつもりなく胸に秘めていることは、語りつくせない程にある。言えない、言いたくない、だから秘密なのに。


 怯んだ隙に、アメリアはくすくすと笑いながら足早に自分の部屋へと昇って行った。


「……ま、いいさ。どうせ大したものじゃない。うん、そうに決まっている」


 再び一人になった場で、呪文のようにぶつぶつと自分に言い聞かせた。



 その数日後。アメリアは今日も件の学校へ行っている。隠しごとは気になっていたが、蒸し返すのも無粋だろうと流して送り出したのだった。


 幸いにも今日は水魚すいぎょの日、信頼のおける知己・ティーザが教師として在席している。アメリアが良からぬことをしたら、あるいはアメリアが良からぬことをされたら、その全てを退けてくれるに違いない。安心して時を過ごせる。


 店主の心が穏やかならば、店も同様の気配に満たされる。そんな昼下がりの葉揺亭だった。


 なおかつ一人遊惰に過ごすということもなかった。アーフェンが来店したのである。柔らかい気質の少年は、接していて疲れることもない。歳の割に思慮深いから、話し相手としても相性が良く、常客の中でも特別に気に入っていた。


 カウンターにつくなり、雑談が始まって。その中で出てきたとある生き物の話から、アーフェンから一つ茶のリクエストがあった。なかなか貴重な素材を使うものだが、ここは葉揺亭、マスターの気が乗ればなんだって出てくる。


 そんな経緯で用意された一杯を手にして、アーフェンは難しい顔を見せていた。一方、マスターは楽し気に語り掛ける。

 

「どうだい、おいしくはなかっただろう?」

「ええ。何というか……銅貨を口に入れたみたいな臭いがあって。あと、焦がしたような苦さが」

「焦げの味は下処理のせいだな。そのままじゃ粉砕しづらいからね、竜の外骨格なんてさ」


 マスターは緩く曲線を描く灰色の板を掲げて見せた。元は艶のある若草色だったが、脆くするために魔術的処理を施したらこうなる。


 余談ではあるが、古には加工などせず武具や城塞の材に用いるものだった。美しいだけでなく、竜族の体は並の刃では傷ひとつつけられないほど堅牢なものゆえに。


 変色し崩れやすくなったとはいえ、元来の滑らかさは失われていない。感嘆しながら表面に指を沿わせ、マスターはある種の恍惚と共につらつらと語る。


「加工の容易さなら飛竜、美しさなら耀帝ようてい竜、だが、最も均整がとれ価値が高いのは、この緑竜に他ならない。いつ見てもいいものだ、本当に」

「へえ……」

「ま、肉ではなく外骨格を食するなんて他にない例だろうけど。魔術的なものならいざ知らず、ただの好奇心でなどとはね。存分に楽しみたまえ」

「は、はあ」

 

 アーフェンは渋い顔のまま、他に二つとない竜骨の茶が入ったカップを軽くゆすった。しかし、はたと首を傾げる。


「外骨格、って言いました? 鱗じゃないんですか? 竜って、トカゲに翼が生えたようなものだと読んだんですが」

「見てくれだけなら。だが違う、緑竜族の起源と形態は、むしろ甲虫に近い」

「虫……」

「おっと、知らない方がよかったかい? だが残念、事実だ」

  

 一部にも蜥蜴の仲間もいるけれど、そんな風に笑う店主とは対照的に、アーフェンは得も言われぬ淀んだ雰囲気を醸していた。

 


 そんな折、玄関扉が勢いよく開いた。


「マスター、ただいま!」


 アメリアだ。寒風に吹かれて赤い鼻、しかし笑顔は満載である。


 おかえり、そう言いながらも、マスターの目は彼女の腕の先へと向かう。手は後ろに組まれて、まるで何かを持っている様。先日の様子と丸きり同じだ。


 みるみるマスターの表情が曇った。


「……アメリア。後ろに持っているものはなんだ?」

「別に何でもないですよ?」


 アメリアはとぼけた顔で言った。若干のわざとらしさすら感じる。


 ますます怪しい。マスターは目を細めた。


 なんとか彼女の秘密を覗こうと、左右から体を伸ばす。が、アメリアはひらりひらりと蝶舞うように視線をかわした。体の向きを巧みに変え、マスターの目線から対象物をかたくなに守る。

 

 ただ、ここにある目は一つではなかった。カウンターの内側で攻防が繰り広げられる傍、アーフェンがそっと首を伸ばす。こちらに対してはまるで無防備、背中にある物体が何なのか、しかと捉えることが出来た。


「手紙ですか?」

「あっ! ええ、そうです、お手紙です。それだけですよ」


 アメリアは開き直ってすまし顔だ。それでもマスターには絶対に背中を見せない。


 からかい弄ぶ、自分でするのは好きだが、されるのは嫌いだ。んなマスターの眉間に深い谷が形成される。


 腰を折ってずいと顔を突き出し、愛しき少女の青い目をのぞき込む。澄み切った瞳だが、深淵の奥にある心の声までは見通せない。


「アメリア。一体誰からの、どんな内容の手紙なんだ」

「秘密です」

「言えないようなものなのか」

「さあ。どうでしょう、どうですかね」


 アメリアはくすくすと笑いながら、小走りでマスターの隣を潜り抜けた。ちらと振り返って、からかうようにぺろりと舌を出し、さっと扉を抜けて廊下に消えた。


 マスターは顔を引きつらせて閉まった扉を見る。やりどころのないむしゃくしゃを、己の腿を拳ではたき逃がした。


 と、再びドアが開く。覗いた隙間には、悪戯っぽく目をぱちっと開いたアメリアが。


「じゃあ、一つだけ教えてあげますね」


 ふふっと笑いながら、アメリアはぴっと人差し指を立てた。それを振り動かしながら、合わせて一音一音丁寧に放つ。


「こ、い、ぶ、み。ですよ」


 こいぶみ――恋文。音はすぐに単語を織りなし、ある種の時間停止の呪文と効果する。店主は間抜けた顔のまま硬直した。ついでにアーフェンにも波及して。


 石像になったマスターにウインク一つ投げ残すと、アメリアは軽やかな足音を立てて自室へと駆け上がっていった。

 

 扉の向こうからの物音に混ざり、アメリアの声が幻聴として何度も響く。恋文、恋文だと。マスターの頭の歯車が悲鳴を上げ再駆動した。


「おいっ、待て! アメリア! 恋人だと!? どういうことだ、おい!」


 客の前だという羞恥心も、店主の威厳だとかも全てかなぐり捨て、そこに居るのは一人の親として。マスターは声を荒らげながらアメリアを追った。


 大事なアメリアをかどわかすのは、一体どこの馬の骨か。無垢な娘をたぶらかし傷つける小悪党ではないのか、耳が腐るような言葉を吐きかけている気障な奴ではないか。それとも、純情に付け込む悪意の塊ではないか。確かめなければならないことが山積みだ。


 そもそも自分に内緒で恋文のやりとり、理由は自分でもわからないが、非常に癪にさわる。


 渦巻く感情に顔を歪めながら、ここ十数年で一番の疾走と共に、マスターは階段を駆け上がる。


 アメリアは自分の部屋の扉の前に立っていたが、目が合うなり愉悦に満ちた表情を浮かべながら扉の向こうに消えた。必死に伸ばされた主の手は、翻ったスカートの裾をつかみ損ねて空を切る。


「おい、アメリア! 開けろ! アメリア!」

 

 閉ざされた扉を拳で乱打する。押しても引いても動かない、内側から鍵をかけられた。


 巌として佇む壁の向こうからは、男の叫びと真逆の質を持った音が響いてくる。楽しげに揺れる花が囁くような声は、やがて上機嫌に叫ぶ極彩色の鸚鵡オウムのように高らかと鳴った。


 必死さが高じた激流で、マスターの仮面が吹き飛んだ。ドアを打つ手は止まり、一歩二歩と後ずさる。 


「私を、誰だと思っている……!」


 言葉を紡いだ小さな声には、平時にはない得体の知れぬ重圧がにじむ。隠していたはずの素を出している、しかし本人はそれにすら気づいていない。


 愛しのアメリアの姿を隠す岩戸を、並みならぬ面持でにらみつける。いかに処すか。鍵を解く、吹き飛ばす、あるいは、存在しなかったことにするか。手段はあれこれ浮かぶが、いずれにしろ、竜を真っ向から討つより容易だ。すっと手をもたげて、目を細める。


 しかし、彼が何かをしでかすより先に、扉はひとりでに開いたのだった。


 アメリアは引き際を誤らなかった。あるいは、急に訪れた静けさに不穏なものを感じたのかもしれない。金色の三つ編みを垂らしながら、含み笑いをしてひょこりと飛び出す。


 はっと目を見張る主に、アメリアはこともなげに言い放った。 


「もちろん冗談ですよ?」

「冗談!?」

「ええ、ちょっとした悪戯です。嘘なので、気にしないでください」


 その宣言にマスターの思考が再び停止した。――アメリアが自分に嘘をつく、そんな馬鹿な!


 店主の顔色が赤と青に明滅し、そのまま処理限界を超え、ひきつった顔のまま床に倒れ伏せた。


 一瞬呆気にとられて、それからアメリアの悲鳴が階下まで広く響き渡った。



「……ごめんなさい」


 アメリアはばつが悪そうに頭を下げた。続けてカウンターに居たアーフェンにも。急を察して駆けつけた彼の手も借りて、どうにかマスターは階下まで戻っていたのである。


 店主は両手で髪をかき上げながら、深く詰まっていた息を吐いた。右手で頭を抱えるように肘をつきながら、小さくなって椅子に座るアメリアに向かって懇願するように説く。


「こんなことで心臓が止まったら困るじゃないか。楽しい嘘は良き冗談だとしても、悪意があるのはただの嫌がらせだ。僕だって怒るぞ。ほんとうに、勘弁してくれ」

「悪意は、無いです。たぶん」

「たぶん!? 無意識ならなおさら悪い。素直に心の赴くままは君の美点だし、君のような娘のかわいい悪戯なら確かに許せよう。しかし、時には行動の前に立ち止まって結果を見通すことも身につけるべきだ、君自身のためにも」

「でもう……」


 アメリアの視線がマスターのそれの下方でうろつく。言おうか言わまいか、躊躇っているのは明らかだ。


 胸の前でゆるく握った手指が、一定の律動を刻みぱたつく。マスターの無言の詰問の中で揺れた振り子は、正直に言う方向で動きを止めた。


 アメリアは申し訳なさそうな顔で、なおかつ消え入りそうな声で真相を呟いた。


「でも、最初に言い出したのは、ティーザさんなんです」

「な、に?」


 ひっくり返った声を一つ残したまま、三度みたびマスターは間抜けた顔で固まったのだった。


 冗談、悪戯、からかい、楽しい嘘。そういう言葉から最も遠い、冷静生真面目を具現化したような彼の表情がありありと浮かぶ。――わからない。ティーザという存在を一番理解しているのは自分だと自負している。ゆえに頭を抱えざるをえない。


 過去に例が無い店主の困惑っぷりに苦笑してから、アメリアは事の次第を白状した。


 

 アメリアがこのところ頻繁に顔を出すスラムの学校、授業としては常識的なことを教えているのもあり、自分が熱心に学習するよりは、少し年上のお姉さんといった立ち場で、いわば教える側に回ることが多かった。


 先日、字の読み書きの授業があった時が好例だ、アメリアの周りにもたくさんの子どもが集って、文字の書き方を練習したものである。


 手紙の送り主はその時の一人だった。


 一生懸命練習した文字で、たどたどしくつづられた(ふみ)には、字の書き方を教えてくれたことへの感謝が込められていた。「ありがとうおねえさん」と。


 たったそれだけのことである。しかしアメリアには天へと昇るほど嬉しかった。喜びがひしひしと伝わってきたのだから。


 けれども、マスターから見たら、自分だって子どものうちだろう。それが教える方の人間になった、伝えるのが小恥ずかしくて、内緒にしたかったのである。まずそれが、先日の話。一切の邪念はなかった。


 そして手紙のやりとりが読み書き練習になればいい、そんな思いからアメリアは返事を書いて渡した。好きなものはなんですか、将来の夢は。秘密にするから手紙に書いて教えて欲しい、と。さながら先生になったように。


 返事の返事が今日の手紙である。顔を合わせるなり、相手の子は小恥ずかしそうに、握りしめて皺の寄ったそれを渡してくれた。


 それは前回よりもずっと長く、なおかつ子どもらしい無垢な願いが詰まっていた。授業が終わって人気ひとけの少なくなった教室で読んだとき、アメリアは思わず笑みをこぼしたものである。

 

 ティーザが見つけたのはその様子だった。なにやら一人で楽しそうなアメリアに疑問を感じたのだろう、近寄ってきて、どうしたのかと尋ねる

 が、アメリアは手紙を胸に伏せ内緒だと伝えた。自分とあの子の秘密のやりとりだ、先生であるティーザにもこれは見せられない、もちろん自分の主人であるマスターにも同様だ、ときっぱり言い切った。


『わかった。秘密なら仕方ない』


 その一言のみでティーザはあっさり退いた。


 と思いきや、彼は何かを思いついたように眉を上げると、ふっと不敵な笑みを浮かべてこう続けたのだ。


『なら、あいつには恋文とでも言ってごまかしておけばいい。きっと面白いことになる』



「……あの子は、いつの間に、そんな性質の悪い冗談を言うようになったのかなあ?」


 マスターがこめかみを震わせながら乾いた笑い声を上げた。してやられた悔しさあまり、勢いよく作業台を拳で打つ。心なしか、彼の周りだけ黒い霧がかかっているようにも見えるが、気のせいだろうか。


 一方、アメリアはしたり顔をしていた。


「でも、確かにちょっとおもしろかったです。そう思いません? アーフェンさん」

「ま、まあ。マスターが慌てふためくなんて初めて見ましたが……でもその……わかっててやってるなら、軽い嫌がらせじゃないですか……?」

「軽い!?」


 そこには明確な怒気が滲んでいた。アメリアもアーフェンも思わず肩を震わせたが、その矛先は別、裏で糸を引く首謀者に向いている。

 

「軽いどころか、考えうる中で最悪だ。それであれが得たものは、ただの愉悦。これが許しておけようか。……この代償は高くつけるぞ」


 目をぎらつかせて呪詛を呟くマスターを、二人の少年少女は引き気味に見つめていた。


「……いくら何でも、そこまで言います?」

「マスター、大人げないの。学校の子たちの方がよっぽど大人みたい」 


 そんなつぶやきは、燃え盛る火に抱かれた店主には聞こえていない。


 手のつけようのない状況を前にアメリアとアーフェンはお互い困ったように顔を見合わせたのであった。



 あれから再び時は過ぎ、小雪ちらつく木花もくはなの日。


「寝ていなくて大丈夫か?」

「全然大丈夫です。マスターはおおげさなんですよう」


 と言いながらアメリアはくしゃみ一つ。顔も少々赤らんで、早い話が風邪気味だった。


 今日も学校へ行くつもりだったらしいが、マスターが断固として止めた。弱っている時は休養するに限るし、風邪を蔓延させるのはなお悪い。気を使ってのことだ、断じて悪戯の件での遺恨ではない。


 アメリアはひどく残念がっていた。あの翌日には返事をしたためて、ついでに手製の焼菓子をつけて渡しており、今日には相手からの返事が来るだろうという頃合いだったから。


 潤んだ目で空を見る憂悶の少女の姿は、まさに恋煩いをする生娘のそれで、マスターはいらぬ気をもむのだった。



 時が夕暮れに片足を踏み入れる頃、歓談に興じていたアメリアがふと窓の外を見て、途端に目を丸くした。


「あら、あの子……」


 つられてマスターも外を見る。軽い雪が舞う風景に見た違和感、正体は横のへりから覗いた人間の頭だ。


 黒い髪の小柄な女の子、しかしマスターと目が合った瞬間に、その顔は怯えるように引っ込んだのだった。


 もしやと店主の中によぎった予感を、アメリアが立ち上がりながら肯定する。

 

「例の手紙の子です」


 言いながら小走りで駆けて、外に飛び出した。


 マスターはゆっくりと後を追う。開けっ放しの玄関の向こうを覗き、二人の会話を傍観する。


 着古した衣に身を包み、寒さに身を縮めている少女は、しかし中に入らないかとの誘いには首を横に振っている。手は後ろに組んで、どうも何かを持っているらしい。


 アメリアは膝を折って目線を合わせると、鼻をすする娘の頭に手を伸ばし、いつも店主にされるように優しく撫でた。


「どうしたの? よくここがわかったね」

「先生にきいた。……今日はなんでこなかったの?」

「ごめんね、ちょっと風邪なの。みんなにうつしちゃったら、大変だから」

「そっか」


 スラムの娘は少し恥ずかしそうに顎を引く。それからもじもじとしながら、後ろ手に隠していたものをアメリアに差し出した。


「……ん」

「私に? なにかしら」


 アメリアは両手を開いてそれを受けた。


 小さな手に、もっと小さな手が載せたものは、白い粘土で型作り、磨いた小石をあしらった指輪だった。環の形は楕円形に歪んでいるし、幅も不均一で手作り感があり余る。


 しかし温かみに溢れていた。青灰色の石はどんな宝石より美しく輝き、乾いた粘土にはどんな金属よりも重みがある。


「きのう学校でつくった。この前おかしもらったから、あげる」

「ありがとう、大事にするね」


 言葉に違わず、アメリアは宝物を包み込んだ拳を、胸に寄せて抱いたのだった。


「もう、いくね」


 気恥ずかしそうに、しかし嬉しそうな色をにじませながら、スラムの少女は後ずさる。


 だが、それを一つの声が呼び止めた。アメリアではない、始終を見守っていたマスターのものだ。玄関口の柱に背を任せ、人好きのする笑みを浮かべている。


「ねえ、君。一つ頼まれてくれないかい?」


 小動物を撫でるような優しい声、少女は何の疑いも無く足を止めた。手招きされるがまま、寄って来る。


 ――怪しい。アメリアの背中には寒いものが走った。疑り深い目で、普段に比べて毒のなさ過ぎる主をじろじろ眺める。


 アメリアの勘は実に冴えていた。先の悪戯のこと、マスターはまだ根に持っていた。やられっぱなしで面白いはずがない、まさに今、仕込んでいた反撃を放つところなのである。


 もちろんアメリアが対象ではない。彼女の発揮した悪戯心ならここまで執念深くはならなかった。今のスラムの少女とのやりとりを見てしまったら、なお、しつこく責め立てる気にはなれない。それに、彼女は一応、謝罪をしたのである。


 問題は。度の過ぎた冗談を吹き込んでおきながら、結果すら見に来ない不届き者だ。


 マスターはベストの裏から、蝋で留めた封書を一つ取り出し、少女の手に渡した。本当はアメリアに渡すつもりで用意していた。

 

「このお手紙をティーザ先生に渡して欲しいんだ。僕は……先生の先生だ。そうやって言ってもらえば伝わる」

「わかった」


 実にいい子だ。不敵に笑む店主に向かって、何の疑念も抱かず少女は頷き、預かった荷を握りしめ、駆け足で雪降る街に消えていった。

 


 玄関が閉められ、葉揺亭の内と外とが完全に遮断される。途端にアメリアはマスターをしかめっ面で見上げた。


「ちょっと、マスター! あれ、なんのお手紙ですか」

「秘密。悪いものじゃあないよ」

「絶対、嘘ですよね」


 満足そうに悠々と歩く燕尾の背にアメリアが追いすがる。


 すると店主は前ぶれなく足を止めた。とっさの反応が間に合わず、アメリアの鼻が黒い背中に衝突する。ふにゃぁと妙な声が口から漏れた。


 鼻をさすりながら、店主を恨めし気に見上げる。すると、マスターは腰から上を捻って振り返り、にやけ顔で自分をのぞき込んでいた。


「聞きたい?」

「はい。怪しいですもの」

「じゃあ、一つだけ教えてあげるよ」


 マスターは妖しげな薄ら笑いを浮かべた。すっと指を立てた指を一定の拍に合わせ動かし、同時に音を一つづつ紡ぐ。


「こ、い、ぶ、み。……恋文さ」

「はあっ!?」


 アメリアが息の切れた魚のように口をぱくつかせる。顔からは血の気の失せ、力なく垂れさがった手の間からは、大事な指輪すら取り落とされそうであった。昔から知っている親子のものだと聞いていたのに、それが恋人同士だと言うのなら、天地が逆転する程に話が違ってくる。


 いい反応だ、とマスターは失笑した。もちろん自分のことなど棚上げだ。


「嘘……」

「残念、僕は嘘をつかない。じゃあもう、全て教えてしまおうか」


 マスターはウインクを一つ見せてから、飄々とした口ぶりで己が書いた文をそらんじる。一言一句を選んで綴った文言は、一文字たりとも記憶から欠落していない。


「『私の可愛いティーザちゃん。君が私の心を弄んだせいで、どれだけ苦悶の日々を過ごしているか。されど顔すら見せてはくれない。君のことを想い、また君の胸中を想像し、この身は独り震えるばかり。逢瀬を人に知られるのが嫌だというのなら、忍んで参れば良いものを。話したいことは山のよう、近くに必ずその身をゆだねにおいでなさい。いつまでも待っています、あなたの最愛の主人より』……ほら、どこからどう聞いても恋文だろう? 震えているのは、怒りに、だけどね」


 くっくと笑うマスターの顔は悪魔のようであった。アメリアは明らかに引いている。


 そして。はっきりと「全部冗談だ」と宣言することで、ようやくアメリアは氷解した。白いまま引きつらせていた顔は、一転して真っ赤に染まりあがった。


「も、もう! びっくりしたじゃないですか! マスターの馬鹿っ!」


 混乱の渦から解放されたアメリアは、脱力してその場にしゃがみこんだ。マスターが腹を抱えて笑っていても、もう構う気力すらわかない。


 童心丸だしのマスターは、軽快な足取りでカウンターに舞い戻り、食器棚に向かってポットを降ろす。しばらくつかえていた物が取れたような爽快感、晴れやかな気分のまま、大好きな茶を煎じて飲むのは格別だ。


 マスターはアメリアに向き直り、一杯勧めるついでに余談を話した。


「ちなみに。あの子はね、こういう色事を絡めた冗談はすごく、すごく嫌がる。白昼を暗夜に変えるくらいには、どす黒い影をにじませるよ」

「うわあ……それわかってて、よくやりますね」

「本気でむかついたからね。意趣返しさ」


 マスターがふっと不敵な笑みを浮かべる。


「下らぬ戯れごとにて私に勝とうだなんて、千年早い」


 堂々たる勝利宣言は、声も顔も姿勢も、ここ最近で一番決まったものであった。が、アメリアの仏頂面を崩すことはできなかった。と言うのも。


「その割には、この前のマスター、慌てふためきすぎでしたけど」

「……それを言わないでくれ」

「何度でも言いますよ。あんなマスター見たことなーい!」

「うるさいな」


 悪戯っぽく舌を出すアメリアから顔を背け、マスターはいそいそと茶の支度にとりかかった。


 いかな茶を選ぶか。今の気分に相応しいのは、少々苦い辛勝の美酒、そんなところだろう。

葉揺亭 スペシャルメニュー

「竜骨入りの紅茶」

紅茶と共に、西方大陸北部の高山地域にわずかに生息する緑竜の外骨格を煎じたもの。

ただし竜の諸部位の利用は魔術的性格が強く、通常食用にはしない。よって味はかなり不味かった。

かなりの希少品ではあるので、そこに価値を見出せるか否かが分かれ目か。


ちなみに「竜の種類が変われば多少の味は違うかもね。ま、だからといって美味しくなるとは思えないけれど」との店主の談。

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