晴舞台は貴人の茶会で ―令嬢と―
快速な馬車に揺られ、ノスカリアの町の中にはあっという間に帰り着いた。歩き慣れた街並だが、馬車上から眺めるのは初めて。目線の高さが違うといつもと装いが変わって見える。普段は見上げるばかりの屋根が近く、歩き行く人々が小さかった。
街を東に通り抜け、商店街より別れる道から北へ曲がってなだらかな坂を上る。目指す先は高台の上、頂きにあるラスバーナの大邸宅だ。同じ町の中にあるとは言え、アメリアが近隣に足を運んだことがない。想像するだに近寄りがたいから。
そして実際に目の当たりにしても感想は変わらなかった。鉄の門扉をくぐった先に堂々と佇む三階建ての洋館。暗いレンガの外観からは、クロチェアの邸宅とはまた違う厳とした風情が漂っていた。
「……すごいですね」
「そう? でも委縮しなくていいからね。それと、ちょっと強面のが多いけど、それも怖がらなくていいから。一応先に言っておく」
「は、はあ」
よく分からないぞ、そう思ったのもつかの間、玄関で鉢合わせた男たちを見て納得した。みな逞しい上に揃って鷹のような目をしている。サシャから言われていなかったら、びっくりして悲鳴をあげていたかもしれない。
話によると、ここがラスバーナ一族の本宅と商会の本部とを兼ねているそうだ。それゆえか、館の中は想像していたよりずっと賑々しかった。襟の整った服を纏った人々が行き来し、時折大きな声も響き渡る。
それにしても立派な屋敷だ。クロチェア家のような華やかさはないものの、内装の随所随所に格式ある物品があしらわれているのは目に入ってくる。落ち着いて締まった雰囲気にアメリアは圧倒されていた。
「シユ、マルロットに事情を伝えて一式整えてもらってちょうだい。ありあわせでいいからって」
「承知いたしました。どこにお運びすれば?」
「バルコニーに」
と快活な笑みで言いながら、サシャは玄関ホールの階段へと足を進めていく。アメリアは慌てて彼女を追った。
ゆるく曲線を描く階段を登りながら、アメリアは思い立った。
「あの、私は何をすればいいんですか?」
するとサシャは足を止めて、きょとんとした顔で振り返った。
「なんで? あなたは私のお客様なのよ」
――そうだった。アメリアは引きつった笑みを浮かべた。もはや職業病だ、自分が茶を淹れなければと思うのは。今日の仕事は終わった。再度自分に言い聞かせて、アメリアは先を行く令嬢に続いた。
案内されたのは広いバルコニーだった。屋敷の三階に位置し、南に面したそこからは、ちょうどノスカリアの街が一望できる。
「ちょっと待ってて。テーブルに敷くクロスを取って来るから」
それだけ言い残してサシャは姿を消した。
バルコニーには手すり付きの椅子が三脚と、丸いテーブルが一つ。使いこなされた風で、しかしそれが逆に温かみを感じた。
アメリアは椅子には座らず、バルコニーの縁に寄った。胸の位置にある手摺に肘を置き、ノスカリアの街を眺める。
広い町だと思っていたのに、こうして見るとずいぶん小さい。高台より下にある家々はおろか、時計塔ですらなんだかおもちゃのよう。両の手のひらを伸ばせば、その上にすとんと収まってしまう。
葉揺亭は見えるだろうか。冷える風に吹かれながら南西の方角を見やる。しかし、崖のふもとの小さな店を視認することはできなかった。高台の大きな屋敷たちと切り立った崖の影に埋もれてしまって。
でも少しだけ安心した。もし見えてしまったら、自分の過ごして来た場所の小ささに切なさを感じただろうから。
「何か面白いものは見える?」
声に振り返る。いつの間にかサシャが戻ってきていた。しわの無い真っ白なクロスをテーブルに広げながら、アメリアに向かって顔を上げている。
「いいえ。でも、いつもはこんな景色見られないんですもの」
「そう? だけどね、ノスカリアの街は眺めるよりも歩いたほうが楽しいと思う」
サシャが肩をすくめて笑った。違いない、とアメリアも頷いた。
座ってと促されるがまま、アメリアはサシャが引いた椅子に腰を降ろした。そうすると、肩にふわりと何かが触れ、びっくりして振り返る。
何のことはない、若草色のショールをサシャがかけてくれたのだった。三角形のショールの端が、胸元で結ばれる。風の吹きつけるバルコニーでこの温もりはありがたい。
ありがたいのだが、飾り編みの施されたこのショール、相当高級なものとの予感がする。自分が借りて、汚してしまったらどうしよう。
そもそもの疑問、サシャはなんでここまで手厚くしてくれるのか。今日知り合ったばかりだというのに。
「あの、お嬢さま――」
「サシャでいいよ。あなたにお嬢様って呼ばれるの、なんだかむずがゆいもの」
「え、ええ?」
「……まあ、私の気のもちようの問題ね。あまり深く考えないで」
「はあ……」
ソムニが「変わった人」と評したのも、あながち間違いではないかもしれない。少なくともアメリアには、普通とは一線を画す人物に感じられた。
ややしてシユがやってきた。ワゴンに茶器やら菓子やら茶会の必需品を一式乗せてきて、二人の前に着々と並べていく。
金で縁取られたティーポットと揃いのカップ、ミルクと砂糖もそれぞれ白陶器のポットに入れられて。そんな道具類すべてから並々ならぬ高級感が漂っている。
そして菓子。クロチェアの茶会で見た三段スタンドが設置され、各皿には食べ物が色々と並んでいた。最下段は一口大のパンが何種類も盛り合わせられ、中段にはナッツのクッキーと珈琲色のケイク、それにジャムの挟まれたビスケット。最上段には白いクリマと小さな赤い実のあしらわれたタルトが。ありあわせだとはとても思えないような魅惑が詰まっている。
「えーと、一応形式通りにメニューの紹介をしましょうか?」
「必要ない。そんなかしこまったものでもないから」
サシャは喋りたそうにうずうずしている従者を無視して、さっそくティーポットに手を伸ばした。アメリア小さくぺこと頭を下げてから、も彼女に習う。
随分濃い色の紅茶だ。アセムに近いが、それにしては香りが弱い。
まず一口静かにすすってみる。見かけどおり強い風味だ。しかし癖は一切なく、素直で飲みやすい。
「知らない味」
アメリアは無意識に呟いていた。少なくとも葉揺亭には無い茶である。
そこへ、我が世が来たとばかりにシユがすかさず口をはさんだ。
「それはですね、西の大陸の新興茶園の紅茶なのですよ! まだまだ流通量は少ない貴重な茶葉でございまして。お口に合うかどうかはさて置き、もの珍しさを感じて頂きたいかと存じます、ええ、ええ!」
あんまり嬉しそうに語ってみせたものだから、アメリアにも笑顔が移る。
「大丈夫です、ちゃんと美味しいですよ」
「ああ、よかった! マルロット殿にも申し訳が立ちます。無理を言って出してもらったので……」
「さすがねシユ。良い計らいをしてくれる」
そう言ってサシャは紅茶を一口含んでから、アメリアに向き直った。さっき何かを聞きたがっていたみたいだけど、小首を傾げ問いかける。
アメリアはぴんと背筋を伸ばしテーブルに手のひらを重ねて、先ほど投げ損ねていた疑問を飛ばした。
「あの、お嬢……サシャさんは、どうして私をこんな風に」
「そうねえ。あなたのお茶が美味しかったから。それに、あなたが面白そうな子だったから。それじゃ答えにならないかしら」
「で、でも。私……面白い話もできないですし……ほんとに、こんな所に居ちゃいけないような、普通の人間なんです」
「まだ立場を気にしてる? そんなの関係ない。私は敬うべきは敬うし、慕うべきは慕う。そんな私があなたを家に招いて、あなたは一緒に来てくれた。それだけで、ここに居る理由としては十分でしょう」
言葉尻を軽く上げてサシャは言い切り、その手を焼き菓子へと伸ばした。空いている左手でアメリアを促す。その途端、忘れていた空腹感を思い出した。なにせ、茶会の前にパニーノの試食にあずかったっきり。言われるがままにアメリアはパンへと手を伸ばした。
見た目には重量感があるが、触れるとふわりと柔らかい。そんな丸いパンを半分に割ると、中からリンゴの甘煮がこぼれ出て来た。クロスを汚さぬよう慌てて手で受け止めて、そのまま口へと運ぶ。べたつく手もぺろりと舐めて。
――しまった! ぴたと動きを止めたアメリアの顔にうっすらと紅が差す。行儀がいいとは言えない。案の定サシャの笑い声が聞こえてきて、穴があったら入りたい気分になった。
「かわいらしい。それでいて逆風の中でも立ち上がる強さがあって。頑張って、一途で、一生懸命で……私ね、そういう子大好き」
裏のない笑顔で言われたことに、アメリアの顔はリンゴに負けじと赤くなった。きゅうと縮こまりながら口にしたパンは、優しく甘い味わいであった。
それからぽつりぽつりと始まった会話は、すぐに弾むようになる。サシャが尋ねてアメリアが答える、そんな調子で茶会は続く。葉揺亭の日常、ノスカリアの風景、常連たちの話、それからソムニへの愚痴も飛び出して、そのたびに二人はころころと表情を変えていた。
すっかり心のほぐれたアメリアが菓子をつまむ手は止まらない。なぜなら、どれもこれもおいしくてたまらないから。マスターは肯定しないが、甘い菓子があるとより紅茶のおいしさも引き立つと思う。もしも自分の店を持つなんてことがあったら、ぜひお菓子も一緒に出したい。ふわりと考えて、アメリアは温かな気持ちになった。
他愛のない談笑が続いた中で、ふっとサシャが言った。目線はアメリアの左胸に向かっている。
「そのブローチ」
「ああ、これですね。今朝マスターにもらったんです。お守り代わりで、勇気をくれるからって」
増えたばかりの宝物を誇らしげに指でつまみ。少し傾けると雲色の中に虹が輝いて、神秘的な美しさを解き放つ。それだけでなく、マスターからの想いが詰まっているから温かで、見ていると思わず口元が緩んできた。
「仲良しなのね、あなたのマスターと」
「はい。両親みたいなものですから」
「みたいって……じゃあほんとうの親御さんは?」
「あっ、その。色々合って、もう全然覚えてないんです」
アメリアは切なげに笑った。別に隠している訳ではないのだが、葉揺亭以前の自分の事はあまり語ったことが無い。聞いた方が気まずい顔をして、慌てて話題を変えてしまうから。相手が喜ばない話をあえてする必要はないだろう、小さな頭でアメリアはそう考えて来た。
だがサシャは何も言わなかった。ただ、色素の薄い目でアメリアを真っ直ぐ見ているのみ。話したければ話せばいいし、嫌なら口を閉ざせばいい。選択をゆだねる意志がにじんでいる。
――ああ、やっぱりこの人は気質がマスターに似ている。アメリアは思った。そのせいもあるだろうか、物置の奥で埃をかぶっていたような薄汚れた記憶も、ためらうことなく表に出せてしまうのは。
「私、ずっと孤児院にいたんです。お父さんとお母さんは死んじゃったって、院長先生からは聞かされていました」
アメリアは思わず遠くを見る。太陽はいつの間にか傾き始めて、影という影を長く伸ばし地に落としていた。
しまい込んでいた記憶は幸福な年月の間に風化して、気づけば断片的なものになっていた。孤児院に居たこと、あまり豊かな暮らしはしていなかったこと、それは確かだが、交わした言葉や出会った顔はほとんど思い出せない。
片田舎の孤児院に居たアメリアは、とにかく外の世界に多大な憧れを抱いていた。小さく息苦しいここから離れれば、物語の世界で聞くような、美しくて優しくて夢溢れる未来が広がっているのだと。
だからある日、少女は自らの意志で外へと飛び立った。わずかな衣食を携えてこっそり孤児院を抜け出した後、通りかかった荷馬車に忍び込み、遥か遠くの理想郷へとたどり着くことを願い眠りについたのである。
流されるがままにたどりついたのが大陸一の都市ノスカリア。並ぶ屋根と、堂々とそびえ立つ時計塔、そして数多の人間たち。そのすべてに圧倒された。ほら、こんなに世界は広いじゃないか、幼い心には感激の灯がともったし、こここそ望んだ夢の世界だと幸福な気分になったものである。
しかし、物語は所詮物語だ。現実とはずっと過酷で非情なものである。残酷な事実を無垢なアメリアもすぐに味わうことになった。
簡単な話だ。学も無ければ目ぼしい技術もない、出自にも姿にも特筆すべきことが無い、そんなみすぼらしい娘など、人多きこの町では有象無象の一つにすぎず誰の目にも留まらない。雇うにしろ養うにしろ、もっと良い者がいくらでもいるのだから。
冷たい風の吹き荒れる町。縦横無尽に道は走り、雨風をしのぐ建物もたくさん立っている。それなのに、アメリア一人を受け入れてくれる場所はどこにもなかった。助けてと手を伸ばしても、人から差し出されるのは冷笑と侮蔑と罵詈雑言、そして極わずかな憐れみ。拾ったぼろ布を被り、建物と建物の隙間で、施しに与えられたかび臭いパンで食いつなぐ日々。小さな心身はみるみるうちに摩耗されていった。
そして、その日がやってきた。決して忘れられないこの日が。
「あの日は……ひどい雨でした」
道が浅い川になるような大雨だった。人気の無い通りを、アメリアはずぶ濡れになって歩いていた。行くあてなどどこにもない、そもそも居場所すらどこにも無いから、ただ苦痛を忘れるために、石のように重い足を動かしていたのである。
天恵であるはずの雨は、容赦なくアメリアの体力をそぎ取った。辛い、苦しい、悲しい、寂しい。寒さに震えとぼとぼと歩く少女のこけた頬には、雨とは違う雫も流れていた。
ふっと厚く暗い雲に覆われた空を仰いだ。そして神に怨嗟を送った。どうしてこんなにひどい世界を作ったのだ、どうしてこんな仕打ちをするのだ。溢れて止まない悲痛の叫び、しかし実際に口に出す気力すら消耗しきった体には残されていなかった。
やがて視界が滲み、足が動かなくなった。そのまま音も無く地面に崩れる。ざあざあと流れる水に浸り、心にある小さな火が急加速的に消え入っていく。
――ああ、死にたくない。さっきの悪口は謝ります、だから助けて、神様。
動かない唇で紡いだ言葉を雨音に乗せたところで、アメリアの記憶は途絶えている。
次に目を開けた時には、雨も風も無い空間に居た。眩しさに目を眩ませて、しかし生きていると感じた。
視界が定まって来た時にまず目が合ったのは、椅子に座って足を組む一人の人物だった。小ざっぱりした風体の男は女神のように微笑んで、甘く柔らかい声で語り掛けて来た。その言葉は、今も一言一句忘れない。
『求めるものは何でも与えよう。さあ、君はこの私に一体何を望む?』
「――スープとミルクティをもらって、それがすごくおいしくって、温かくって。そうしたら、マスターが『それでどうするんだ?』っていうから、じゃあ雨が止むまで居させてくださいって。そう、最初は雨宿りだけのつもりだったんですよね」
理由はわからないがあの人は自分に情けをかけてくれた。嬉しかった。しかし散々な目に遭ったあとでは、その優しさが逆に恐ろしかった。裏があるのではないか、そんな風に。
次の日も雨、その次も。さらに翌日にようやく晴れた。寒々しいほどに青い空が窓の向こうに見えた。
約束の時だ、行かなければ。しかし……いざ境に立った時、足はすくんで動かなかった。
葉揺亭。厳しい世間の中で、そこはまるで異世界だった。一日中穏やかで、優しささが溢れ、寒さに震えることも、飢えることも無い。暴力に怯えることも、蔑む目に俯くこともしなくてよい。ただ「マスター」と呼ばれる男を中心に静かに時間が過ぎるだけ。ただそれだけのことが、ひたすらに羨ましかった。
自分が欲しかった理想。わずかな時間なれど手に入れたそれに浸っておきながら、さようならと背を向けて自ら色の無い世界に挑んでいく気概など、疲弊しきった幼い少女にはあるはずもなかった。
外を向いたまますくんでいるアメリアの背に、マスターの声がかかった。
『もし君が望むのなら、君はここで働けばいい。そして望むのなら、ここに住めばいい。そうするかは君次第だ』
「――働くって言われても、何をしていいのかわからないし。そしたら、マスター、『ただ、僕の話し相手になってくれればいいんだよ』って笑ってくれたんです。それなら私にでもできるって思ったから、それで、それからはもう、ずっと一緒です」
アメリアは静かに言って、胸に手をやった。
昔話をしている間サシャは一言も発しなかった。そして今も。
「あっ、ごめんなさい。そうですよね、もっと楽しい話がいいですよね」
「ううん、十分楽しかった」
サシャは目をぱちっと開いて笑いかける。
「でも、アメリアさん。一つだけ聞かせて」
「……なんでしょうか」
「今もまだ、外の世界は冷たいと思っている? あなたのマスターの庇護下から外に出るのは恐ろしいと思っている? あなたはマスターのところに居なければならない、そんな風に縛られている? それだけ、知りたい」
アメリアはすぐに首を横に振った。これだけは断言できる。
「そんなことないです! 今はノスカリアが大好きですし、今日みたいにお外で仕事するのも楽しいって思います。確かにちょっと怖い部分もありますけど……でも、やっぱり私は、もっといろんなところに行って、いろんなものを見てみたいんです」
身を乗り出さんかの勢いで答えると、サシャは「安心した」と微笑んだ。すっと傾けたカップの向こうにある表情からは、質問の意図は読み取れなかった。
「でも、どうしてそんなこと聞くんですか?」
「そうね……。私もノスカリアの事が好きだから、かな。愛するものを否定されるのは辛いでしょ。それに――」
サシャは立ち上がり、バルコニーの縁へと歩き寄った。遠くに広がるノスカリアの街を望む。アメリアもつられて視線を動かす。
いつの間にか夕焼け色に染まっていた風景。町には時告げの鐘が打ち鳴らされる音が響き、それはこの屋敷にまで届ききた。一日の終わりを知らしめる音だ。商店街が昼から夜の街へと顔を変え、形骸化された門番が夜警の体勢に切り替わり、ルクノラムの教会では日々の礼拝が行われているだろう。
ノスカリアの愛しき日常風景だ。この町に来たばかりのころは恐ろしい夜が来ると震えてばかりいたけれど。もうあの頃の自分には苦笑いしかできない。閉ざした蓋を開けてみれば、外の世界も思っているより優しくて綺麗だったのだから。
そよ風に乗って、サシャの声が聞こえた。
「私は、神なんて信じない」
冷めた声にどきりとした。同じ文句を使う人をアメリアはよく知っている、しかし彼よりももっと攻撃的に色めいていたから。
「この世界はルクノールの手の内にある。死ぬも生きるも全てはその人と共に。……いいえ、違う! 私たちは傀儡なんかじゃない。あんなものの気まぐれで未来が潰えさせられていいはずがない。自分の運命は、自分の手で決められるべきよ」
きっぱりとした口調と後ろ姿が近寄りがたい気配を醸す。
しかし、次にくるりと振り向いたサシャは、元通り穏やかな笑みを湛えていた。
「だけどアメリアさんは大丈夫だった。ちゃんと自分の夢を抱いて、自分で選んだ道を自分の足で歩いていく。それがわかっていて、できる。誰かに縛られて生きているわけじゃない。だから、安心した。……これが、あなたの質問への答え。わかってくれた?」
「……はい!」
自らが望むように生きる。葉揺亭に居ることを決めたのもそうだった。そして、これからも。
陽はすっかり落ち、町は夜の帳に覆われた。空には白い月が浮かび、暗がりの中に暖かい火がぽつぽつとゆらめいている。昼とは違う顔も、またノスカリアの一部である。
「ごめんね、つい話しすぎちゃった。疲れてるでしょうに」
「いえ。楽しかったです! お招きいただいて、ありがとうございました」
「うん、ありがとう。あなたに出会えてよかった。本当、あの茶会の唯一の成果だわ」
サシャは肩をすくめた。
「そろそろ終わりにしましょう。でも、日も暮れちゃったし……このまま泊まっていってもいいのよ? どうする?」
「それも楽しそうですけど、今日は家に帰らせてください、マスターが待ってますから。たぶん、ものすごい心配してるし、私が帰るまで寝てくれないし」
マスターはどんなときだってそうだ。玄関を開ければ必ずそこで待っていてくれる。不夜祭のときですらそう、真夜中でも夜明け近くでも、いつも変わらぬ顔で待ってくれていたのだ。
アメリアが照れくさそうに頬をかくと、サシャは吹き出した。
「へえ、アメリアさん、ずいぶん愛されてるのね」
「もう、重い位ですよ!」
「そうなんだ。会ってみたいなあ、あなたのマスター」
「ぜひ来てくださいよう。歓迎しますから」
「わかった、必ず。必ず、近いうちに」
「ええ、いらしてください!」
帰路に馬車を出すと提案されたが、さすがに同じ町の中で大げさだろうと断った。それに馬車道だと少し大回りになる、それより大階段を駆け下りて住宅街の細道を抜けた方が葉揺亭には近い。
だが夜道を一人では危ないからと、シユを送りにつけてくれた。おまけにショールも貸したままに。今度葉揺亭で会った時に返してくれれば構わない、そう言って。
こうしてアメリアはラスバーナの屋敷を後にして、ようやく自分の家へと向かったのだった。
「おかえり、遅かったね。茶会は日にあるうちに終わったはずなのに、もうすっかり暮れてしまった。それに馬車の音が聞こえなかった。クロチェア公は復路の足は出してくれなかったのかい? 君を一人で歩かせたと?」
案の定、マスターは座って待っていた。多少そわついているかもしれないというのも予想の範囲ではある。ただ目が全く笑っていないのは想定外、相当ご立腹らしい。
おたおたと手を振りながら、ひとまず突き刺さる尋問を否定する。クロチェア公にいらぬ嫌疑がかかってはいけないから。
「ち、違います。クロチェア公は褒めてくれましたし、ちゃんと帰りの馬車も用意してくれました。でも……」
「でも?」
「今度はラスバーナのお家に呼ばれてまして」
「なんだ、そうだったのか。さてはジェニーに連れてかれたな?」
「それが、違うんですよう」
「違う?」
「茶会に来たのはお嬢様だったんです! それで、私サシャさんとお友だちになったんですよ!」
「……なんだって?」
マスターの声が間抜けた風に裏返った。そりゃ驚くだろう、アメリアだって意外が過ぎる出来事だったのだから。
くつくつと笑いながら、アメリアは胸を張って宣言した。
「心配しなくても、ぜーんぶ話しますよ。マスターに聞いてもらいたいこと、たっくさんあるんですから!」
サシャのことだけではない、茶会の事も全部だ。濃密だった晴舞台の行く末を、主にも知ってもらいたい。あわよくば褒めてほしい。
アメリアはまとめられていた髪をほどいた。シユが結い直してくれた髪は、彼が言った通り今まで崩れなかった、見事なものである。あれから髪型を気にかけることも無かった。
だけどこの方が落ち着くんだ、長い髪を解きほぐしながらアメリアは感じた。今度からは、どんな時もいつもどおりの自分でいよう、こっそりと心に決めた。
「ええと、マスター、何から話しましょう。そう、私、大活躍だったんです! すうっごく褒められました!」
あれもこれも言いたい、伝えたい。疲れているはずなのに、体はまったく重くない。感情も高ぶる一方だ。
興奮は冷めやらぬまま、大団円の後の反省会が始まって、今日の葉揺亭は眠らない。夜はお化けが出るから早く寝ないと、アメリアはもうそんなことに騙されるような幼子ではないのだから。




