晴舞台は貴人の茶会で ―茶会へ―
アメリアは恐る恐る振り返った。
予想に反して、相手の女性は笑っていた。年頃合いはアメリアより上で二十歳近く、大人びた余裕のある優しい笑顔だ。
彼女はアメリアの正面に立つと、穏やかながら芯の据わった口ぶりで話し始めた。
「噂は聞いてる、公がわざわざ外から凄腕の茶師を呼んだって。あなたがそうね」
「は、はい……」
「そう怖がらなくていいのよ。緊張している? 肩の力を抜いて、気楽にやること。お茶って、そうやって頂くものなんでしょ? それを淹れるあなたが肩肘張っているのは良くない」
そう言って、アメリアの肩に手が置かれた。嫌な気はしなかった。なぜだろうか、この人は警戒しなくても大丈夫だと直感的に思ったのだ。
その後つい本音が漏れたのは、心にゆるみができたせいである。
「そうなんですけど、私一人で心細いし……こんなの初めてで……それに……怖い人がたくさん」
「なるほど。まあ、無理もない話よね。私だって、鬱陶しいなあって思うのが結構いるんだもの」
「そ、そんなこと言っちゃって大丈夫なんですか
「ええ、大丈夫。本当のことだもの」
と、どこぞの令嬢は笑ってのけた。しかし後ろでは、彼女の執事が渋い顔で何か言いたげな手を伸ばしている。
「私のことはともかく、あなたのことは大丈夫じゃないよね、そうよね……このままじゃ……」
彼女は一人でぶつくさ言っていたが、不意に一つ手を打って、背後の従者を仰いだ。
「じゃあシユ、このまま傍に居てあげて。一人じゃないだけでも、ずっといいはずだから」
ええっ、と驚く声が、令嬢の前後両方からあがった。彼女は、まずアメリアの方に向き直って言った。
「大丈夫よお嬢さん。シユは優しいもの、おせっかいが過ぎるくらいにね。とって食いはしないし、そんなことしたら私が許さない。ちょっと頼りないところもあるけれど、その分気を抜くための話し相手には抜群だし、給仕くらいならできるし、手が必要だったら何でも頼める。意外と器用だし、ね?」
「しかしお嬢様……それではお嬢様の面倒を誰が……」
「ひどいな、まるであなたが居なくなったら私が何もできないみたい。それとも、厄介ごとでも起こすと思っている?」
「いえ、そんな。さすがにこの場では」
「大正解。それじゃ、私は会場に行くね。然るべき相手に挨拶だけは先にしておかないと、それこそ厄介なことになるかもしれないもの」
悪戯っぽく肩をすくめてから、唖然としている二人の返答を待たずに、彼女は会場の方面へと悠然と歩み去っていった。
小さくなる背中を目で追いながら、アメリアは状況を必死で整理していた。
どこの誰かは知らないが、それなりの身分のお嬢様に目をつけられて、挙句、自分の従者を好きに使えと差し出された次第。何故だかわからないが、たいそう気を使わせてしまったことに違いはない。
「ああ……まったくお嬢様は……」
頭を抱えていた簪の男に、アメリアはおずおずと声をかけた。
「あのう……。なんかもう、色々ごめんなさい」
「いえ、むしろこちらが謝りたいくらいです。申し訳ない、強引に。……許してやってくださいな、うちのお嬢様はああいう方なのです。自由というか、我がままというか……」
はあ、と彼はうなだれる。苦労の色が吐息にありありと滲んでいた。
アメリアは親近感に捉われて、つい笑みをこぼした。自分も時々似た息を吐く、マスターのからかいに振り回されたあとなんかに。
「苦労してるんですね」
「わかります?」
「はい。でも、お嬢様のこと嫌ってはないですよね」
「もちろん! むしろ、それだからお仕えして楽しいのです」
執事の男は決して若くはない顔に、幼子のような邪気の無い笑みを浮かべた。
「そういえば。お嬢さんはクロチェア家の方では無かったのですね。いやはや、私すっかり思い込みで……失礼いたした」
「はい、そうなんです。私、アメリアって言います。普段はノスカリアの町の中にある『葉揺亭』ってお店に居るんですよ」
「なるほど、そうであられたか! ノスカリアの方とはまた奇遇な……あ、いや、まずは自己紹介ですな。私はシユ=ジェツェンと申します。お嬢様、サシャ=ラスバーナ様の専属の執事として雇われておる一介の使用人ですので、なんなりと……いかがなされましたか!?」
「いえ……何でも……」
人の縁はどこでつながるのかわからない。アメリアは思わぬ名前の登場に卒倒しそうになりながら、いつか聞いた言葉を噛みしめていた。
自分が助けを求めて探していたジェニーがラスバーナの縁者で、偶然助けてくれたのもラスバーナの縁者だったとは。挙句の果てに令嬢にまで結ばれるとは。人の縁とは全く不思議なものである。
「なるほど、なるほど。そうでしたか! いやはや、ジェニー殿のお知り合いとは!」
「だけど、ジェニーさんからはあまりお嬢様のお話しは聞いたことが無くって。どんな人とかも、全然」
庭園の片隅を茶会の会場の方向へ歩きながら、二人は談笑していた。
「あの方は会長殿の仕事上での秘書でありますからなあ。我々のような使用人と違って、家のことにはあまり関わりません。真面目で厳しい方ですからな、自分できっぱり線を引いているご様子」
「厳しい?」
「ええ、とても。駄目なことはきっぱり真っ向から。その相手がお嬢様でも、あるいは会長殿でも。実は私、少々ジェニー殿は苦手なんですよねえ」
シユは苦笑した。
彼の評はアメリアの印象とはずいぶんかけ離れている。葉揺亭でのジェニーは、確かに仕事に真摯ではあるが、優しくて親しみやすくて、話していると楽しい人だった。どちらが正しいのではない、どちらもジェニーという人物なのだろう。
「ジェニーさん、今日は来てないんですよね」
「急用で会長殿と一緒に東へ参りましたので。それで代わりにお嬢様が参ったというわけです」
そういうことだったのか、とようやく理解した。
どちらが良かったのかはわからない。ただ、自分の運は決して悪い方には向いていないと思う。少なくともサシャ嬢は敵ではなかったし、この執事に至っては、もう長年の付き合いかのような気配を放っている。
大丈夫だ、とアメリアは安堵の息を漏らした。孤独でないとは心強いことなのだ。
その時、あわただしい靴音が近寄ってきた。
「ああ、アメリア殿! よかった、いらっしゃったか……」
クロチェア公だ。アメリアの顔を見るなり安心したように顔を緩めた。
何かあったのか。そう尋ねると、彼はきまりの悪い風に小声で答えた。
「いや、その……娘が、君が責務を放棄して逃げた、と言い張っていてね」
「私、逃げません! そんな無責任なことしませんよ!」
「わかっている、わかっているよ。あの子の言うことだから、誇張が入っているとは思っていた。ああ、まったくソムニは……」
公は顔をしかめて首を横に振った。その後、わざとらしく咳払いをして流れを変える。
「アメリア殿、少々急かして申し訳ないが、会場に入ってくれないか。気の早いお客様が多くてね」
「はっ、はい、わかりました」
「では、共に参りましょう」
クロチェア公はそう言って歩き出そうとした。が、共にいたシユをみてはたと動きを止めた。彼の顔を見て、必死で記憶を探る。口元に手を当ててしばらく考えて、しかし思い当らなかったようだ。当然と言えば当然、貴族でもないし、自分の家で働く者でもないから。
「……君は、えーと……どこの」
「ラスバーナ家のサシャ様の使用人でございます。お嬢様の命で、アメリア殿の補佐をするようにと」
「ああ、そう、ラスバーナの……。何でも良いが、うまくやってくれよ」
少々冷めた口調で言って、クロチェア公は今度こそ歩き始めた。
アメリアはもやっとした感情を抱いた。クロチェア公だけは非の打ち所のない人格者だと思っていたのに、あの態度を見ては幻想も崩れる。ソムニやその取り巻きたちもだが、自分の立場を鼻にかけた姿は、見ていて気に入らない。
ただ、シユ当人が全く気にする様子を見せないから、アメリアも何も言わないようにした。
なるほどクロチェア公の言った通り、茶会の場には既に人が集い始めていた。既に二十余人は見えるが、椅子の数はまだまだ多い。今いるだけの華美な衣装に身を包んだ人間の集団を見ているだけでも頭がくらくらすると言うのに、ここからさらに増えるらしい。
テーブルの上には、これまた見栄えの良い料理が並べられていた。まず目を引くのは三段のスタンドに盛られた多種多様の菓子類、色とりどりで宝石のようだ。
仕事なんて忘れてあれを見て回りたい。そんなアメリアの思いは空しく、クロチェア公の手でカウンターの中に押し込められてしまった。
「ひとまず私のいる卓にウラッジロットを……いや、ミランダ夫人はシャンターラがいいな。急いで用意してくれ」
早口でそれだけ言って、クロチェア公はマントをなびかせあわただしくテーブルへと向かった。
彼が付いた卓はカウンターに最も近い場所だった。他より少しだけ広く取ってあり、計八人の顔がある。威厳のある老夫婦、クロチェア公と同じ年頃合いの夫妻とその息子らしき人物、そしてカウンターに背を向ける角度で並んでいるのがクロチェア夫妻と、ソムニだ。政界のことには詳しくないが、公が恭しく礼をしているあたり、さぞ賓客なのだろう。
アメリアは気を引き締めて、自分の仕事にとりかかった。人数分のポットを取り、いつも葉揺亭でやるように茶を用意して――
「アメリア殿、アメリア殿。私はいかがしましょう? 何なりとお申し付け下さいませ」
忘れていた。アメリアが振り返ると、シユが朗らかな顔で姿勢よく待機している。
人を使ったことが無いアメリアは少し悩んだ。どうすればいいのだろうか、しかし考えてみれば簡単なことだ。今日は自分がマスターの代わり、それなら、普段の自分の代わりを頼めばいい。早い話が雑用になってしまうから、非常に申し訳ない部分はあるけれども。
「あの、シユさん。そっちでお湯沸かしておいてもらってもいいですか? たぶんこれからどんどん注文が来ると思うので、その、ポットが空にならないように」
「かしこまりました」
「あっ、あと、カップを温めておきたいので、何か大きな器にお湯はって……あ、でもちょうどいいのが無い」
「では何か借りられないか聞いてみましょうぞ」
シユはそう言うなり、手近にいたクロチェア家の使用人へと声をかけに走った。
アメリアは少し心配になった。あまり歓迎されてはいなかったのだから、何か頼んでも断られてしまうかもしれない。シユに不快な思いをさせるのも申し訳ないし、無駄な時間をかけず直接厨房に行ってシエンツにでも頼んだ方がましに思える。
が、杞憂だった。どきどき様子を伺っていると、シユとしばらく会話をした相手は、にこやかな顔の会釈一つで邸宅の方へと小走りで向かっていったのだ。
驚いた。アメリアが目を見張っていると、シユが戻ってきた。
「厨房で何か探してきてくれるそうです。いやあ、助かりましたなあ」
「嫌がられませんでした?」
「いいえ、まったく。むしろ他に必要なものが無いかと聞かれたくらいです」
自分に対する態度との違いに、アメリアは首をひねった。歳の功ということかもしれないが、果たしてそれだけだろうか。
茶を蒸らし終わるまでまだ少し時間がある。手を止めて、小声でシユに聞いてみた。
「私の時はみなさん冷たかったんです。それなのにどうしてだと思います?」
「うーん、そうですね。色々あるとは思いますが……アメリア殿は緊張しておりましたから。向こうもどうしたものか困っていた部分もあるかもしれませんなあ」
「それだけじゃないと思うんです。何か、上手くやるこつってあるんですか」
「こつですか……。慣れというか、場数を踏むというか。さきほどのように頼み事をするならば、意識して姿勢を低くしてみても良いかもしれません、もちろんやり過ぎも駄目ですが。かくいう私も、お嬢様には『腰が低すぎる』と呆れられますよ。ほら、さっきも頼りないって言われちゃいましたし」
シユは声を上げて苦笑していた。
彼が頼りないとはまったく思えない。むしろ頼もしくてしかたがないのに。自分を支えてくれる人がいることの安心感を、アメリアは身に沁み込ませていた。
ちょうどクロチェア公の注文の茶が出来上がった折、他の卓からも茶の注文が来始めた。いつの間にか会場では着席が進んでいたのだ。
しかしまずは出来上がったものを出すのが先だ。ポットを給仕用のワゴンに並べる。銀盤も用意されていたが、とても乗り切る量ではない。
そしてハンドルに手をかけた時、その甲の上にシユの大きな手が乗っかり、歩みを遮られた。
「給仕は私にお任せください。アメリア殿には茶を淹れてもらわねば困りますゆえ」
考えてみればそうである。アメリアは失敗にはにかみ舌を出しつつ、素直にうなずいた。
ただ、少しだけがっかりもする。せっかく予習した茶の講釈だのを披露する機会はなさそうだから。いかんせん葉揺亭とは勝手が違うから、空回りが多い。
そこからは怒涛のように忙しかった。それもそうだ、茶会の開始には一斉に茶が頼まれるに決まっている。
満席になった葉揺亭――そんなこと、年に一度も無いけれど――の数倍の人数の茶をさばく。アメリアは必死だった。マスターですら扱ったことが無いだろう数のポットをずらりと並べて、少しばかりの時間差を設けながら、頭をめぐらしうまいことやりくりする。二つの手ではまるで足りないが、とにかく動かすしかない。
扱う数が増えれば、取り違える可能性も増える。アメリアは手元に神経をとがらせていた。集中が過ぎて、会場はおろか周りもろくに見えていない。だから大事な湯が空になっていることに、ポットを傾けてから初めて気づいた。
「あっ、お湯が……」
ぴたんと雫一つ落として沈黙する金属ポットを片手に、アメリアは慌てて焜炉を振り返った。助手のシユは給仕のため客席とカウンターをひたすら往復するばかり、しばらく焜炉の方へ寄っている暇はなさそうだから、次の湯も沸いてないかもしれない。だとすると非常にまずい。
だが、またも杞憂だった。白い湯気を上げるポットが二つ、焜炉の上にかかっていた。
おまけに、女の使用人が三つめのポットを持って来て、暖炉の上に仮置きしたのである。これには驚いて、状況を忘れて凝視する。
すると使用人が振り返った。見たことがある、そうだ、茶会の前にアメリアが声をかけた優しそうな人だ。
「お湯入ります? 持っていきましょうか?」
そう言いながらも、既に彼女は湯気を噴出するポットを持っていた。ありがとうございます、アメリアが取りも直さず礼を言うと、彼女は微笑んだ。
「何か手伝うことがあったら遠慮せず言ってください。わたしたちじゃあ、言われないとわからない部分が多いので」
「わかりました。じゃあ……これを、あの奥のテーブルにお出ししてください。手前のポットがデジーランで、奥がセント・ルーです。よろしくお願いします」
彼女はアメリアの頼みを受けると、颯爽と給仕に出たのだった。
知らない間に助けてくれる、みな優しい。おかげで自分の役目に集中できる。
始めから怯える必要なんてなかった、怖がっていたから怖く見えた。マスターは居ない、頼みにしていたジェニーも居ない、それでも大丈夫だ、いつも通り一人じゃない。忙しなさに追われながらも、アメリアには状況を楽しむ余裕が生まれていた。
一斉に来た注文を全て出し終わると、ようやく一息つけた。額に滲んでいた汗を腕で拭う。
ここでようやく会場をしっかり見渡せた。それぞれの卓で会話が弾んで、料理にも順調に手が伸びている。そして、自分が淹れた茶にも。
どうだろう、おいしいと思ってもらえただろうか。それが知りたくてアメリアはそわそわとしていた。今すぐにも客席に飛び出して行って感想を聞きたい、そんな気分だが、この場ではさすがにみっともないとの理性が働いた。
手前の卓では、給仕から戻って来る途中だったシユが、クロチェア公の妻につかまって何やら話しかけられていた。
――そうか、ちょっと給仕に出たついでに客と話してくるという手もあるか。名案だとアメリアは手を叩いた。今みたいな手隙の時なら、すぐ戻れば大丈夫だろうから。
「アメリア殿、アメリア殿」
ワゴンを引いて戻ってきたシユが嬉しそうに話しかけて来た。
「クロチェア公の奥方が『今日のお茶は本当においしい、若いのに素晴らしい』と褒めておりましたぞ! やりましたなあ」
「ほんとですか!」
アメリアは天にも昇る心地であった。マスター、やりました! そう心の中で狂喜乱舞する。
「わ、私! ご挨拶してきます! お礼言わなきゃ!」
「いやいや、お待ちください。御夫人から『アスタ・ケラン』を一杯頼まれましたので。一番お好きなハーブティですと。アメリア殿、よろしくお願いしますぞ」
確かにそういうハーブティがあった。極淡いオレンジ色で、黄色い花が入っていて、嫌味の無いすっきりとした甘さが印象的だった。ここにきて試飲した中で、アメリア自身が特に気に入った一杯でもある。何となく、クロチェア夫人とは気が合う予感がした。
そこへ、困ったような顔で一人の使用人が走ってきた。
「紅茶をもう一つお願いします。ポットを落とされてしまいまして」
どうやら少しも離れている暇などないらしい。アメリアは苦笑して、自分の居場所に立ちなおしたのだった。
火のついたような忙しさからは解放されたが、しかし完全に手が空くことも無い。量ではなく質の意味で注文が多く、なかなかに手間がかかるのだ。少し薄めに淹れてほしい、熱いと飲めないから温くしてほしい、そんな風に。個別に聞かなければならないから、ややこしさに拍車がかかる。
とびきり面倒なのは、今も暖炉の端でじっくり煮出しているフルーツ・ティだ。先ほどやってきた真っ赤なドレスの初老の婦人が、盛り合わせで飾り切りにされた果物を小皿にのせて「これを煮出してちょうだい」と持ってきたのである。
リンゴにオレンジに、あとは知らない果物だが、生の果物を使ったフルーツ・ティがおいしいのは間違いない。だからアメリアもつい軽やかな二つ返事で引き受けてしまった。「私も好きなんですよ」というおまけの言葉つきで。
しかし、作る側となるとここまで厄介なものもないだろう。じっくり煮出す時間がかかる上、沸きすぎないように見ていないといけないし、こまめに味を見る必要もある。暇ならそれもいいが、他の茶も同時に進めながらとなると実に曲者だ。
アメリアがフルーツ・ティと格闘する頃、客席にも少し変化が現れていた。最初は着席して穏やかに行われていた茶会が、立食の様相を呈してきている。多くの人間が席を立ち、カップとソーサーを片手に思い思いに動き回る。クロチェア公のもとには次々人がやってくるものだから、席にほど近いカウンターの前も賑やかだ。
アメリアは神妙な顔をしていた。なんだか思っていた雰囲気と違う、まるで祭りのようだ。貴族の社交会とはこんなものなのだろうか。
煮出し中のフルーツ・ティの味を見ながら、待機しているシユに小声で聞いてみた。
「お金持ちの人のお茶会って、こんなものなんですか? ほら、せっかくおいしそうなごちそうがあるのに、席を立ち歩いたりして落ち着かないんですもの。もうちょっと、静かにやるのかなって思ったんですけど」
「それは主催の方針にもよりますが……今日の場合、人数が多いからしょうがないですなあ。卓の配置からしても、最初からこういう形になることを狙っていたのでしょう」
「自由に動き回れるほうが、色々な人と話せるから、ですかね」
「きっとそうでしょう。まあ、が重苦しいよりよっぽど良いですぞ」
確かにそうだ。この空気感ならば、慣れ親しんだ下町とそう変わらない。肩の力も抜けて来る。
フルーツ・ティはちょうど良い風に仕上がった。しっかりと果物の味は出ているが、煮溶けて汚らしくなっていることも無い。このまま自分で飲んでしまいたい、そんな衝動にかられるほどに。
会心の出来の茶を提供用の陶器に移し、銀盤の真ん中に乗せると、給仕担当のシユを送りだした。アメリアは動けない、次の紅茶が待っている。今度は濃いめのアセムだ。自分と同じでミルクティが好きな人なのだろう。なんとなく笑みがこぼれる。
そんな時だった。
「調子に乗ってますわねえ」
嫌な声がカウンターの真正面から聞こえた。顔を上げるまでも無い、ソムニだ。
いつの間に立っていたのか知らないが、相変わらず高慢ちきな佇まいである。さっきより装飾品が増えて、化粧も濃くなっているが、理由はわからない。
――ああ、面倒なのが来た。そう思いながら、アメリアは落ち着いて応対する。
「なにかお飲みになるんですか?」
「いいえ。ただ、あなたを見に来ただけですわ」
ふんとソムニは鼻を鳴らした。
見に来ただけ、嘘だろう。邪魔をしにきたに違いない。アメリアは頭を痛めつつも、外には出さないように意識して、丁寧に言葉を連ねた。
「今、仕事中なんです。話があるのなら、後にしてください」
「あらあ、わたくしは主催側の人間ですのよ? あなたに口答えする資格はないし、だいたい、わたくしが何しようとあなたには関係がない、そうでしょう?」
「でしたらなおさら。私の事なんて構わないでくださいよ。……お願いします」
アメリアの殊勝な態度に、ソムニは少し面食らった。
しかし、すぐにいつもの身分を鼻にかけた嫌らしい笑みを取り戻す。くすくすと下品に笑いながら、手を止めないアメリアを煽った。
「あらあら、まあまあ。『お願いします』ですって? それでしたら、もっとまともな言い方があるんじゃありませんの?」
「……大変申し訳ございませんが、作業の邪魔なので席にお戻りください、お願いします、ソムニ『様』」
「違うでしょう? 行動で見せなさいと言っているのですわ。ほおら、ひざまずきなさい。地面に手をついて、頭を下げなさい。あなたのようなのが私に物言いするのなら、それくらい当然のことですわ」
「できません。手を止めてる場合じゃないですから」
だが本音だった。ソムニとやりあっている間にも、また別の茶が頼まれる。ただ持って来た使用人も、状況を察すると、適当な紙に書き置きして逃げるように客席へと出て行ってしまったが。
アメリアは正論しか言わなかった。本当は馬鹿にされて腹が煮えくり返るほどだが、懸命に抑え込んでいた。だが、ソムニに理性的な論が通じるか。いや、そうであったら、こんなに苦労はしていないだろう。彼女はなぜか勝ち誇ったように笑った。
「まあ! このわたくしの言うことが聞けないですって? おかしいわねえ、立場はわきまえているようですのに。ああまったく、礼儀がなってませんわ。期待したわたくしが馬鹿でしたわね。ノスカリアなんて所詮は商人街、乱暴で騒々しいばかりで――」
「ノスカリアの町を馬鹿にしないでください!」
ため込んでいた苛立ちがあふれ出し、思わず声を荒げてしまった。やり場のない感情を放つように、腕を大きく振り乱す。
ところが、その手が茶を蒸らしていたポットを倒してしまった。熱さと、やってしまったという焦りが、アメリアをさらに乱した。小さく悲鳴を上げながら、慌てて机上に溢れた茶をクロスで拭うおうとした勢いで、目安程度に置いてあった砂時計をも跳ね飛ばしてしまった。
砂時計は勢いよく転がって、カウンターの向こうに落ちた。ぼとんと芝草の上で弾んで、ごろごろとソムニの足元を越え、彼女の白い靴の斜め後ろに到達するとようやく止まった。
ソムニは目を細めてそれを一瞥し、わざとらしい叫び声を出した。
「んまあっ! 人の家のものをそんな乱雑に扱って! ああ、本当に駄目な小娘ですわねえ!」
アメリアが呆然とする中、周囲に轟く金切声。客席からの不審な視線が発生源たるカウンターに集まる。もちろんクロチェア公も顔色を悪くして振り返ったが、あいにく客人と語らっている途中、動くに動けずすぐにテーブルに向いてしまった。
異常を察したシユが慌てて戻ってこようとするのも見えた。だが彼が来たところで上手く取りなせるだろうか? 無理だろう、彼とて外部の一使用人だ、ソムニに口答えはできまい。
アメリアは唇をかみしめた。怒りを爆発させるのは簡単だ、悔しさに泣き崩れるのも簡単だ。だがどちらも悪手である。熱く脈打つ心臓を静めるように、アメリアは左胸を押さえこんだ。はからずともマスターがお守りに持たせてくれたブローチを握りしめるかたちになる。
頭も口も回るマスターなら、うまいことを言って、無難にこの場を切り抜けるだろう。では、あの人なら何を言うだろう。わからない、アメリアの頭では彼の思考を辿ることはできなかった。
このままじっとしていても、ただブローチが手の中で温まっていくだけだ。何か行動を起こさなければいけない。混乱した頭で思いついたのは、とりあえず、砂時計を拾って取り戻すこと。
蒼白なアメリアが足を出した。しかしその時、より早く、芝の上に転がっていた物は拾い上げられてしまった。だが、ソムニの手ではない。
しなやかな手はくるりと返され、砂時計を一周させる。その主は棒立ちになっているソムニを追い越し、アメリアの前に立った。悠々たる微笑みと共に。
「はい。壊れてないし、傷もなさそう。良かった」
「あ、ありがとうございます、サシャお嬢様……」
「あら? 覚えてくれたんだ。ありがとう」
サシャ=ラスバーナは屈託のない笑みを見せた。そのままカウンターに両手をつく。
「ねえ、お茶を淹れるところ、私も見ていて良いかしら? もちろん邪魔はしないから、ね、アメリアさん」
「は、はい! 大丈夫、です」
アメリアは駄目にした茶をやり直すべく、そそくさと動き始めた。まずは散らかしたポットを片づけなくては。その間にも、真向から熱視線が浴びせられて気恥ずかしかった。とはいえ、ソムニに煽られるがままいるよりは、よほど心が楽である。




