カップに映るは未来なのか?
9/11:話順を変更しました。
この話の後にあった「永久の魔術師」が二つ前に移動したため、一話後ろにずれています。
アメリアがお茶を淹れて飲んでいる。と思いきや、どうにも様子がおかしい。マスターに背を向けるようにして、こそこそと何かをやっている。訝しんだ店主は、小さな背中に声をかけた。
「アメリア、どうしたんだ」
「何でもないですよ? ただ、お茶を飲んでいるだけです」
「お茶を飲むのにそんなに背中を丸める必要があるのかい? それに、僕から隠れる必要も」
「た、たまにはそういう必要もありますよ!」
「ほら、今何を隠して――」
手に持ったものを右へ左へ動かして、必死に逃がそうとしていたが、あっという間にマスターにつかまった。諦めめいた声がアメリアから洩れる。
一体何を隠していたのか。意外や意外、一枚の紙であった。黒いインクで文字や図形が刷られている。マスターはひとまず、その表題らしき飾り文字を読んだ。
『日常の中で見える未来。お茶の葉編』
はあ、と彼は眉をひそめた。その様子を見ていたアメリアが、ほら見たことかとおでこを打つ。いい顔をしないのは予測できた、だから隠していたのに。
それは、簡単な占術の指南書であったのだ。何でも、茶葉を濾さずに飲んだ後、カップに残った茶葉がどういう図形を描くかで、近い未来に起こることが予測できるのだという。例えば、綺麗な円形があれば恋愛成就、四つ葉になっていれば幸運の到来、ネズミが居たら逃亡劇の始まり、と言った具合にだ。そして紙上には、何がどんな未来を象徴するのかが、表として書き連ねられていた。
「……まるで子どもだましだな」
呆れ顔のマスターから、アメリアが紙をひったくった。ぎゅっと握りしめるものだから、大切なはずの書面に皺が寄る。
そして、彼女はあえて笑って言った。
「いや、でも面白いじゃないですか。だって、お茶で占えるんですよ? なかなかこんなに、自分にぴったりだって思う占いもないですって」
「まあ、ね。……それ、誰に教わったんだい? レインか? 意外とジェニーあたりか? それか――」
どうせここに出入りする顔の誰かだ。マスターはそう思って、一人ずつ思い起こす。ところが、アメリアは首と手のひらを振って否定した。
「違いますよう。ルクノラムの教会の前で配ってたんです。今日は何とかって偉い人の記念日だって」
「……えーと、今日は白月季の頭だから――わかった、第六の使徒、予言者、ジーフィルサニア=ペイルム=タクロリストの顕現日?」
「あー、なんかそんなぐにゃぐにゃした名前の人だった気がします」
イオニアンの神ルクノールが六番目の弟子、ジーフィルサニア。かの教では、未来を見通す目を持った、稀代の予言者であったと伝えられている。幾度となく人類存亡の危機を回避せしめた救世主として説かれるから、九人の使徒たちの中でもとりわけ強く崇められる存在で、信奉者たちは一歩でも近づくべく、占術の研究に勤しんでいるとよく耳にする。
なるほど、だから、その記念の日に占術を広める活動をしたのか。マスターは納得した。
だが、気に入らない話だ。別に、ジーフィルサニアの逸話の真偽を槍玉にあげたいわけでもないし、安っぽい占術の是非を問いたいわけでもない。そうではなくて、根本的な問題があると彼は感じた。小さく唸りながら腕を組む。
アメリアに言っても仕方ないけれど、と思いながらも、ついつい口に出してしまう。
「未来視と占術を一緒にするのはどうかと思うけどね」
「……はあ」
「現実から未来を予測するか、それとも未来を現在に映し出すか。茶葉で吉凶を見るまでも無く、紅茶の液面に未来図を投影できてこそ、本当の未来視だ。もちろん、そこには魔法的技能と才能が必要だが」
また始まった、とアメリアは遠い目をした。どうにも、魔法の話になるとマスターの舌は周りが良くなる。それ自体は構わないのだが、聞き手の理解力は考慮しないのが問題だ。
魔法都市の学徒や、占術の研究者たちがこの空間に居たならば、談義は白熱しただろう。が、残念ながら、葉揺亭に居たのは、至って平凡な少女アメリアである。難しい話を耳にしても、頭が受け入れるのを拒絶して、逆の耳から抜けていくだけだった。
止まらない高説をただの環境音として聞き流す。そんなアメリアの意識は占術の紙に向いていた。「誰でもできる」、「とても簡単」。魅力的な言葉だ。特に、自身の成長を望む少女にとっては。
彼女は時折思うのだ。自分はなんて、平凡な人間なのだろうと。規格外のマスターを無視したとしても、顔馴染みは誰もかれもアメリアよりも高みに居る。皆、何か誇れるものがある。彼らを尊敬する一方で、果たして自分には何があるのか悩んでしまう。特に年頃合いも近いレインやアーフェンと話していると、なおさら。
何か、自分らしい技能を身に着けたい。それが何かは、まだ模索中なのだが。
葉揺亭の占い茶師、だなんてどうだろうか。そう軽く考えていると、ようやくマスターの聞き手不在の講演が終わりを迎えた。
「――それで? 君のカップは一体何と言ってるんだい?」
あれっ、とアメリアは目を見開いた。てっきり紅茶占いを否定していたのかと思いきや、食いつくような発言がかえって来たではないか。
つい「どうしたのですか」と訝しむことを口にしてしまう。すると、マスターもきょとんとして、一呼吸置いてから、こう答えた。
「だって、別に占術を否定するわけじゃないもの。さては話を聞いてなかったな? どんな占いの方式も、本物の未来を視るための術式の一つに成長する可能性はある。究めれば、それか天賦の才があれば、その眼には将来の姿が映るかもしれないよ」
マスターは不敵な笑みを見せた。そして、目を細めて冗談めかす。
「さあ、アメリア。君には預言者の才能があるのかな?」
これは挑戦だ。アメリアはそう受け取った。願ったり叶ったりの機会でもある。
彼女はすまし顔で、自信満々に言い張る。
「じゃあ、マスターに認めてもらって、紅茶占い始めちゃいますよ?」
「言うねえ。凄腕占い師のアメリアさん?」
主は肩を揺らせて見せた。
気を引き締めて、アメリアはカップに向かう。注がれていたお茶はすっかり冷めてしまっていた。
うんと濃くなった茶を一息に飲み干す。もちろん、茶葉は吸い込まないようにしながら。深い香りが嗅覚を刺激するが、それ以上に、渋が舌に障る。細かい『シェール』と呼ぶ茶葉を失敬したものだから、濃く出過ぎてしまったらしい。
味わいとしてはすっかり失敗作であったが、目的はそれではない。今日の本題は、カップに残った茶葉である。
空になったカップを見れば、細かい葉が集団のように寄り集まった模様が、底に壁にと浮かんでいた。
なるほど、これが何に見えるかを照らし合わせればいいのか。簡単じゃないか。アメリアは内心で勝利の笑顔を浮かべた。
ところが。
「ええと……これは十字? でも、四つ葉にも見えるし……いっそただの四角かも。四角なら『不幸』で四つ葉なら『幸運』? うわあ、どっちかしら……」
思っているほど簡単ではなかった。茶葉が描く形はあいまいなもので、これだと思う物全てに一致して見える。そもそも紅茶の葉が適当に寄り集まったものが、図に示されたような綺麗な形を描くわけがないのだ。
さらに悪いことに、アメリアは細かい葉を選択した。その方が、色々な形が現れるだろうと思ってのことだった。そしてそれは正しかった。ただし、思った以上の効果が過ぎて、目に余るほどの象形を出現させてしまったのだ。
白いカップと黙ってにらめっこするアメリア。刻一刻と時は過ぎていくが、難しい顔のまま微動だにしない。頭から沸騰したポットのように湯気が沸き立つのが見える気がした。
予想はしていたことだけど、と笑いをかみ殺しながら、マスターが声をかけた。
「お手上げかい?」
「だって! こんなに綺麗に出るわけないですもの! でも、もうちょっと――」
「貸してごらん」
背後から手を伸ばして、アメリアの手の中のカップを取り上げる。ああっという少女の落胆の声が漏れた。
それでも諦めきれないアメリアは、もう少しでできると言い張るが、おそらく彼女には無理だろうとマスターは思った。アメリアは素直すぎる。素直過ぎて、書面通りの型をそのまま飲みこんで、全く当てはまるものしか認めようとしないだろうから。
結局、読み取るのはマスターの目に任せて、そこからどういう未来が見えるのかという解釈はアメリアが行う、ということで折り合いをつけた。
打って変わってマスターが、目を細めてカップと向き合う。
「……花が咲いているな。全部で三つだ。それに近くに四つ葉がある。取っ手側には冠スズメが跳ねているね」
「ちょ、ちょっと待ってください。えと、花は『嬉しいこと』でそれが三回。そのあと四つ葉は『幸福』。冠スズメ……スズメなんて無い!?」
「ほら、次だ。その後、風が吹いていて、底に居るのは。おや、こりゃ飛竜だ!」
からからとマスターは笑った。
一方、アメリアは必死だった。目を何往復もさせて、マスターが言ったものを探す。冠スズメは載ってないが、この際百歩譲って小鳥でいいだろう。だが、次の風とはなんだ。一体どういう形をしているのだろうか、皆目見当がつかない。
慌てるアメリアを横目に、マスターはのんびりとした口調で尋ねた。
「それで? 解釈は?」
「その。風の形ってのもわからないし、飛竜だって載ってないです。トカゲならありますけど。『困難から辛くも逃れる』だそうですよ?」
「うーん、竜とトカゲを一緒にするのはよろしくないね。全然違うじゃないか」
「そんなこと言われたって、知らないですよ」
アメリアは完全にお手上げ状態だ。そもそもマスターに任せたのが間違いだったかもしれない。あんな風にまくしたてられては、自分で見て味わう困難さと、さほど変わりない。
ふうっと糸が切れたように息を吐きながら、悔し紛れに言い放つ。
「もう、マスターは自由すぎます!」
「そんなこといわれても。だって、自由に想像力を働かせないと、こんなものただの茶葉のかすにしか見えないからね」
身も蓋も無いことを言ってしまって。アメリアは眉間に皺を寄せた。悲しいかな、同意せざるを得ないけれども。
そして、マスターはアメリアに向き直った。
「じゃあ、答えを言おうか。『花や小鳥のように可愛らしく幸福だった少女は、大人になって竜のように雄大に世界に羽ばたきます』。よかったね、アメリア。君の未来は順風満帆だよ」
「いや、待ってくださいよ。そんなの、マスターが勝手に考えたことじゃないですか。占いでも何でもないですよ」
「いやいや、アメリア。占いってそういうものだよ。何を見出すかは人それぞれ、それでいいのさ。そして、所詮は占い。当たるも外れるも、未来になってみないとわからないんだから」
と言われるものの、アメリアは納得できないでいた。手前勝手に考えたことを述べるのが許されるなら、何でもありじゃないか。こうして占術が形式化されているのが滑稽に見える。
それともマスターは、本当は占術を否定したいのだろうか。
ところが「僕も見てみようかな」などとうそぶいて、アメリアが淹れたポットの残りに湯を継ぎ足し、新しいカップに注ぎ始めたではないか。やはり気を悪くしている様子はない。
「……疲れちゃった」
アメリアは持っていた占術の紙きれを放りだした。ひらりとマスターの隣に舞い落ちる。
そして、上機嫌の亭主に背を向けると、新しいポットを取り出した。花柄の装飾が施された、アメリアお気に入りのポットだ。これで一杯、今度は気分転換のお茶を飲もう。
さて、一体何にしようか。せっかくだから、フレイバーもつけてみようか。アメリアは並ぶ紅茶缶を見定める。前は違いが全く分からなかったけれど、最近は少しわかるようになってきたところだ。
よし決めた。そう茶葉に手を伸ばした時だった。
ずっと背中を向けて占いに勤しんでいたマスターから、声がかかった。
「ああ、アメリア。実は僕には未来が見えるんだ。占いなんかじゃなくて、ちゃんとしたね」
「はいぃ!?」
すっとんきょうな少女の声が響くも、亭主は一切振り向こうとせず、言葉を続ける。
「だからわかる。君はこれから『アセム』に少しヴァニラを混ぜて紅茶を淹れるだろう。だけど、香りをつけすぎて、飲めたものじゃなくなるはずだ。しょうがないからミルクで割って――あっ、缶を戻したな! 既に決まっていたのに、未来が狂っておかしなことになるぞ?」
手を伸ばして「アセム」の缶を定位置に置いた格好のまま、アメリアは青ざめて硬直していた。確かに、マスターはこちらを一切見ていない。なのにどうして戻したのがわかったのだ。
いや、問題はそこではない。アメリアは、まさに彼が言った通りの物を作ろうとしていたのだった。まさか、本当に――。
「……未来が見えるんですか、本当に」
「ごめんごめん、冗談だよ」
手を合わせて亭主が悪戯っぽい笑みを浮かべる。
それが引き金に、アメリアの怒号と安堵の入り混じった叫び声が、葉揺亭の狭い空間に響き渡った。
脱力してその場でしゃがみこみ、アメリアは眉を下げてマスターを見据える。
「ちょっとぞわっとしましたよ。だって、本当にヴァニラを使うつもりでしたもの。一体どうしてわかったんですか?」
「だから未来が見えるから――というのは大げさにしても、別に簡単に予測できることなんだよ。君はミルクティが好きだし、それなら『アセム』の茶葉が合うことも、最近はよく勉強しているからわかっているだろう。その上、間違いなく一工夫したくなる。そして君はミルクに合いそうなヴァニラを選ぶ。理由は、一番手前に合って、なおかつ君が一度も使ったことないものだから。だけど――」
「もう、いいです……違う意味でぞっとしました」
この人は、未来が見えるのではなくて、心が読めるのではないか。そうでなかったとしても、自分のことをよく見てい過ぎではないか。そこまで注いでくれる愛情は嬉しいが、まるで丸裸にされたようで、居心地は悪かった。
面白くない、と思いながらも、結局アメリアはマスターが見通した通りの未来を選んだ。温めたカップに、アセムの茶葉とヴァニラを混ぜて入れる。その先がどうなるかは、砂時計の砂が落ち切るまでわからない。マスターの言う通りかもしれないし、あるいは程よい香りの未来が待っているかもしれない。
椅子に座って待つ折に、アメリアは思いついたように呟いた。
「でも、私にも一つ未来が見えましたよ」
「へえ、どんな風だった?」
「私が占い師になることは、絶対あり得ないってことです」
「そうか、残念だ。占い茶師だなんて、型破りで面白いと思ったんだけど」
残念なのはアメリアも同じだった。きっとお客さんも楽しんでくれると思ったのだけれど、あの体たらくではとても無理だ。
それでは一体、未来にあるべき自分の姿はどんなものなのだろうか。結局見えなかったそれに、アメリアは思いをはせたのだった。
葉揺亭 メニュー
「シェール」
大海に浮かぶシェール島で生産される茶葉。葉揺亭では細かく切られたものを扱っている。
濃い褐色の水色と、深くコクのある味わいは万人受けしやすい。通常扱う「シネンス」を上級にした物に近い。
「ヴァニラ・ミルクティ」
甘ったるい香りが漂うお菓子のようなお茶。
ただし、ヴァニラは香料に過ぎず、そのまま飲んでも茶の味しかしない。
やはりミルクと砂糖を加えて飲むと良し。




