焔色の風が吹く
9/11:話順を変更しました。
二つ後ろにあった「永久の魔術師」がこの話の前に移動したので、一話分ずれています。
「フルスカシアに興味があるのかい? あいにくそいつは売約済みなんだ」
嗜好品販売店「陸の船」の主人は、大きな硝子箱に納められた、赤色の奇怪な植物を眺めていた少女に声をかけた。
「あっ、その。変な形の花だなあって。というか、花、でいいんですよね」
まるでラッパががくより生えているようだ。質感も柔らかい花びらと言うよりは、蝋を固めて作った作り物のそれだ。ひょろ長い茎と丸い葉がついているから植物だと認識できるだけで。
少女アメリアはかじりつく様に眺める。細く奥まった部分は見えない。だが何かが入っているような気配がするのだ。
その答えは、店の旦那が知っていた。
「蜜が入っているんだ。あれを水で割って飲むと、うまい」
「蜂蜜水みたいなものですか?」
「いんや。まあ似てるが……興味があるならバーンの店に行ってみな。飲ませてくれるぜ」
それはどこかと尋ねれば、「陸の船」の三軒隣にある小さな酒場らしい。やや風紀の悪い裏通りの、それも酒場。普段アメリアが足を踏み入れない未知の場所だ。
だが好奇心が勝った。それに、不夜祭で散々な目にあったことが、彼女の心を少し強くしていた。あれ以上怖い目にあうことは無い、そういう開き直りにも近い。
ということで、「陸の船」で茶葉を買ったアメリアは、その足で酒場へと向かったのだった。実のところマスターのお使いだったのだが、少しくらいの寄り道なら、咎められることも無いだろう。それに、目的が未知の味の探求となれば、好意的にとらえてくれるに違いない。店主がそういう性分なのだから。
ただ、風紀の悪い場所に一人で居たと言うことは黙っておこう。余計な心配はかけたくないし、あれこれうるさく言われるのは明らかだ。
件の酒場の入り口に立った瞬間、アメリアの足はすくんでしまった。いたしかたない、どう見ても自分は場違いだ。さびれた雰囲気の店の片隅では、強健な面構えの男たちが酒をあおっている。カウンターの中に居る女主人も、傭兵上がりかと思わんばかりの様相だ。頬に走る古傷が印象深い。
だが場違いだと思うのはお互いさまだ。酒場の主人・バーンはアメリアに目を向けるなり、驚きの色を見せた。まるで、荒野に咲いた金色の花ではないか、と。
戸惑いながらも、入口に立っているということは、客か、あるいは用事があるということを示す行為だ。だから、バーンからどうしたのかという旨の声がかかる。
アメリアは立ち位置はそのまま、上目遣いになりながら、精一杯の声で伝えた。
「あ、あの。『陸の船』で聞いて、フルスカシアの――」
「ああ! はいはい、アレね。まあ、そんな風に突っ立ってないで、座んなさい。すぐ出すから」
主人の手招きによって、棒のようになっていた足がようやく動き出す。ぎこちない歩みで床板を踏み、少し高さのある丸椅子に腰かけた。
腰を下ろしたことで少しだけ緊張が和らぐ。ほお、と息を吐きながら、アメリアはくるりと店内を見渡した。
古びた店だ。調度品も、道具類も、使い込まれている。壁や床には何か所も修繕の跡があるし、傷や染みもたくさんだ。
女主人も険しい気の中に老獪した者らしい優しさが混じっている。声を聴く限りでも、さほど若くはないのだろう。だが、見た目は老いながらも美しい人であった。
どきどきとしながら、アメリアはバーンの顔を見ていた。静かに仕事をする様は、何とかっこいいのだろう。自分が年を取った時に、あんな風に店に立てたら素敵だ。それが葉揺亭のカウンターか、はたまた別のどこかかはわからないけれど。そう、己の未来を思い描きながら。
「はい、お待ち。お嬢ちゃん、最初だろうから弱めにしといたよ」
「……強さとかあるんですか」
「そりゃそうさね。まあ、そいつは物好きでもない限り、弱めで飲むのが正解さ」
バーンはからからと笑っているが、アメリアにはまだよくわかっていなかった。蜂蜜水に似た何か、という程度の認識なのだ。
出て来たグラスの液体は透明だった。恐る恐る匂いを嗅ぐと、花蜜の香りの中につんと鼻をつく匂いがする。この香りは――。
「お酒!」
声高に叫んだそれが正解だ。いや、ここが酒場なのだから、当り前と言えばそうなのだが。バーンは知らなかったのかという呆れ顔だ。
フルスカシアの花は、筒状になった基部に多量の蜜を溜める。その蜜は自然に発酵し酒気を帯びるのだ。それもなかなか強烈な程に。一匙舐めれば最悪昏倒しかねない。こうして水で薄めることで、花の香りの酒が味わえると言うわけだ。
さて、アメリアはまともに酒を飲んだことが無かった。以前、マスターが干しブドウをラム酒漬けにしていた際に、ぺろりと舐めて散々な思いをしたぐらいだ。あれ以来、酒を飲むことに対する興味も無くしていたのだった。
眼の前になみなみと注がれた酒を飲むことに抵抗はあるが、自分で注文したもの。そして好奇心は何よりの原動力だ。
アメリアは両手で包み込むようにグラスを持つと、恐る恐る口をつけた。
一口、二口。始めの印象は薄めた蜂蜜水だ。だが当然、酒類特有の苦みがあるし、フルスカシアの花の香りだろう、甘い匂いが鼻腔の奥をくすぐる。
美味しいのだろうか、よくわからない。アメリアは内心首を傾げながら、更に喉に通していく。
すると体内に炎が付いたように、体の芯から熱が昇って来る。全身がぽかぽかと温まり、頭にも熱い血が上る。ぼうっと顔に火が付いたような気もした。
目をしばたたかせていると、バーンの愉快そうな声が響く。
「お嬢ちゃん、かわいいねえ。それくらいで真っ赤になっちゃって」
「わ、私……ちゃんとお酒飲んだの初めてで……」
初々しくふわふわとした声が、昼間の酒場を彩った。
その時、入り口に人影が差した。新たな客だ。
バーンは定型句を放ちながら、客人の顔を確認する。黒いコートに袖を通した男を見るなり、彼女は嫌味っぽく口角を引きつらせた。
それを見ながら、来訪客は鷹揚に笑い、カウンターに歩み寄った。
「レディ・バーン、久しいねぇ」
「おまえ、まだ生きてたのか。ほんとうにしぶとい奴だねえ」
「それだけが取り柄なもんで」
男は肩をすくめると、アメリアから三席ほど離れた位置に座った。少女には一度視線をやったものの、何も見なかったように前を向く。
一方、アメリアは男に熱視線を浴びせていた。浮つく頭と視界で認識する姿は、どう見ても知り合いの姿であった。
「……ヴィクターさん、ですよね?」
葉揺亭の常客で、旅人で、賞金稼ぎで、店主の知己で、炎を操る愉快な青年だ。さすがに見間違えるはずがない。
だというのに、彼は呼びかけから目を背けるように、体を反らす。
アメリアはグラスを持ったまま、彼の隣の席まで詰め寄った。
「ヴィクターさんですよね! なんで無視するんですか」
そう言いながらアメリアは外套の脇を引っ張る。中に何が仕込んであるのやら、がちゃがちゃと物がぶつかり合う音が聞こえた。
青年は深いため息を吐きながら、観念したようにアメリアの方を振り向いた。
「もう、アメリアちゃん。外で俺のこと見かけても、近寄っちゃだめって言っただろ?」
「だって、久しぶりじゃないですか! 帰ってたんですね! 元気にしてましたか? 今度はどこへ行ってきたんですか!?」
アメリアは、まるで英雄の帰還に立ち会ったかのように目を輝かせていた。勢い余って、ヴィクターの胸に飛びつく。
面食らいながらも、彼はアメリアを受け止めた。慈しむように頭をぽんぽんと叩く。
一方、バーンも目を丸くしていた。
「おやおやあんた、どこでそんな可愛い子捕まえたんだい。ヴィクター=ヘイルって言ったら、泣く子も黙る殺し屋だというのに」
「この子ん中じゃ、優しいお兄さんなんだよ」
「騙してるのかい。悪いやつだねえ」
「前半だけは否定させてもらうよ。――ああ、いつものやつ。あと、この子にももう一杯、俺のおごりで」
「はいよ」
アメリアの素直な喜びの声が響いた。
再会を喜び、隣同士で会話が弾む。もちろん、グラスを傾けながらだ。アメリアはフルスカシアの蜜酒、そしてヴィクターのグラスには蒸留酒の水割りが。
「まさかこんなとこで会うとはなあ。さっき店に行って来たが、あの人が寂しそうにしてたぞ?」
「ええ、でも、マスターのお使い中なんです」
「お使いさぼってこんなところで飲んでんのか。知らない間に、えらくなったもんだ」
「えらくはなってないですよう。でも最近は、色々教えてもらってます」
「へぇ」
人は日々変わりゆくものだ。殊更に、長期間の空白の後再会すれば、その差は歴然と感じられる。ヴィクターはそう考えていた。数節単位でしか戻らないノスカリアの景色は、毎度毎度新鮮な部分を見せてくれるものだ。感慨深い。
だが、時には変化に不安を覚えることもある。ヴィクターは先ほど見て来た、馴染みの店の親愛なる店主を思いながら、ぼやいた。
「なあ、アメリアちゃん。あの人、なんかあったか?」
「え? マスターがどうかしましたか?」
「いや……あそこまで毒がなかったかなあと」
はて、とアメリアは首を傾げた。マスターに何かあったかと言われても、自分が知る限り何もない。やたら語るのは前からだし、確かに不夜祭の直前は妙なことをしていたが、元々妙なことが好きな人ではないか。強いていえば、時々背筋が凍るような顔を見せられたが、あれはアメリアに対して怒っていたから。人間怒れば怖いのは当たり前ではないか。
「あんな風じゃないですか? ずっと」
「いや、前はもうちょっとぎらぎらしてたような気がしたが……俺の気のせいかな。うん、気にしすぎたんだ」
ヴィクターは自己を納得させるかのように笑った。そしてしみじみと語る。
「まあ、実際、気になってたからねえ。このところは夢にも出てきてくれなくなったし」
「夢?」
「あれ? 夢に出て来るってことは、相手が自分のことを気にしてる証だって言わないか?」
「ああ……だから、私の夢には時々マスターが出て来るんですね」
断片的に残る夢の光景では、いつもの格好をしたマスターと、踊った事のないワルツを見様見真似で踊っていたり、遠く続く商店街を二人で手を取り合って歩いたり、そんな非日常が繰り広げられていた。
あれが現実ならいいのに。熱のこもった心で舌打ちしつつ、アメリアはグラスを傾けた。
ところが、何も喉に入ってこない。よく見れば、いつの間にか空になっているではないか。
「バーンさん、もう一杯もらってもいいですか? 何か、もう少し濃くってもいいかなって……」
「大丈夫かい、お嬢ちゃん。ずいぶん酔っているみたいだが――」
「全然平気! だって、お酒飲んでると、楽しいんですもの」
最初は苦いと思った味が、だんだん癖になってきた。それに、少し大人になった気分と、マスターに黙って悪いことをしている背徳感がたまらない。そんなこと普段は思わないだろうが、これも酒のなす業か。
バーンは心配そうに見ながらも、黙って次のグラスを出したのだった。
うまそうにフルスカシアの酒を飲むアメリアを、ヴィクターはにやけ顔で見守っていた。知り合いの娘を見る目に、少し女性を見る気色が混じる。
そして、思ったことを率直に口に出す。
「アメリアちゃんもちょっと変わったな。かわいいだけじゃなくて、色気が出て来た。ああ、いいねえ、俺が平民だったら掴んで離さないところだ」
「ほんとですか? どうなったんですか?」
「綺麗になったし、大人になったな。何か壁を越えたって感じだ」
「だって、色々あったんですよう。……そうそう、聞いてくださいよ! 不夜祭のとき、私、空から落ちたんです!」
「さっき聞いたよ。ひどい話だ」
「でも良かったこともあったんですよ?」
「何が?」
「えへへ、内緒です!」
悪戯っぽい笑顔に、ヴィクターは「まいったね」と脱力した。
アメリアの顔には笑顔が張り付いたまま、消える気配が無い。悪酔いしている風ではないが、かなり酔っているのには違いない。ヴィクターにはそれが少し気になっていた。あるいは、強い酒でも選んでしまったか。
「ところで、アメリアちゃんは何呑んでるの? 随分気に入ったみたいだけど」
「これですかぁ? 『陸の船』の店長さんおすすめの、フルスカシアの――」
その名前を聞いたとたん、ヴィクターが息を詰まらせた。ほろ酔い気分がすっと引いていく。何も知らないアメリアは、不可思議そうに首を倒していた。
そしてヴィクターの苦情の刃は、店主であるバーンに向かった。
「レディ・バーン! そこは止めてくれよ!」
「だから大丈夫かって聞いたじゃないか。客が飲みたいっていうんだから、仕方ないだろ」
「だからってなあ……フルスカシアは――」
フルスカシアの花の蜜は酒になる。だが、ただの酒ではない。やんわりというならば「酔いやすい酒」だと通じている。
実のところは、幻覚作用があるのだ。薄く弱く嗜む分には、少し世界が明るく見えたり、気分が高揚したりするくらいだが、許容量を越えれば、あるはずのないものが見えたり、ひどい場合には狂気の世界に落ちたりしかねない。
今のところアメリアは酔っぱらっているだけに見える。にこにこと笑って、楽しそうだ。
「アメリアちゃん、大丈夫か? 俺の顔見えてる?」
「全然、大丈夫ですよう。ヴィクターさんも見えてます。かっこいいですね」
「あ、うん。ありがとね」
どうやら問題なさそうだ。少しうぬぼれたヴィクターは、再び頬を溶かしながら、酒をあおったのだった。
「アメリア、ずいぶん遅かったね」
葉揺亭に帰り付いたアメリアを、咎めることは無くマスターは迎えた。
きちんと頼んだものが買って来てあるから問題は無い。「陸の船」で購入した茶葉を受取り、ストックにしまう。
その間、終始アメリアがにこにこしているのが気になった。いや、いつも笑顔が素敵な娘なのだが、それにしても今日は一段と機嫌がよさそうだ。おまけに、顔が赤い気がする。
どうかしたのかと言えば、アメリアはその場で小さくジャンプしながら答えた。
「ヴィクターさんに会ったんですよう」
「ああ。さっきまでここにも来てたよ。君に会いたかったみたいだから、ちょうど良かったかな」
「それでね、私、綺麗になったんですってぇ」
いかにも彼が言いそうなことだ、とマスターは思った。
だが、それだけでここまで有頂天になることがあるだろうか。マスターは眉間にしわを寄せた。ろくでもないことがあったのではないか、と。
「アメリア、何かあったのか?」
「怖いことは何にもないですよ。でも、ちょっと変なんです。空が青くて、人の声が黄色くて、でも風が吹くと赤いんですよ」
「……は?」
「ああでも、きっと赤い花だから。だから赤色の風が吹くうー」
うふふ、きゃははと笑いながら、アメリアは掃除をしてくると言って、奥へ駆け込んで行ってしまった。
一体何が何だかわからない。まるで酒酔いしているか、はたまた幻覚でも見せられているかのようだが。
「……変なものでも食べさせられたかな」
ヴィクターが危害を加えることはしないだろうが、ちょっと悪ふざけをするくらいなら考えられる。マスターは深く息を吐いた。
何にせよ一度捕まえて、詳しく見て聞き出すしかない。場合によってはアメリアには解毒剤を、ヴィクターにはお仕置きを。
それとも。アメリアの後をゆっくり追いながら、マスターは思った。
赤と言ったら炎の色。あの男が帰還と共に、本当に焔色の風が吹いたのだろうか、と。
ノスカリア食べ物探訪
「フルスカシアの蜜酒」
無月季のころラッパ状の巨大な花を咲かせるフルスカシア。花の内部で天然発酵・熟成した蜜を水で溶かして酒として飲むことができる。
甘口で花の香りが強い。ただし、酔いが回りやすいので、最初は薄めに作って飲むべし。
蜜には幻覚作用があるので、深酒は厳禁(と言っても大抵はひどい幻覚を見る前に酔いつぶれるのが先だが)