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月なき夜の眠らない街 ―夜明け―

 石橋の欄干に蝋燭の小さな炎が揺れている。橋上を歩くことで起こる微かな空気の動きにすら、頼りない明かりは大きく揺らめき、男の白影をおどろおどろしく映し出した。


 彼は橋の中ほどで一旦足を止めた。見据える先には聖域がある。学校と呼ばれている建物だ。立派な館とは言えないが、しかし未来ある子が集う場としての役割は十分に果たしている。


 スラム街にあってそうと感じさせない、素晴らしい場所だ。某喫茶店の主はそう把握していた。ただ、実際に足を運び自らの目で見るのは初めてだが。


 不夜祭に合わせて、小さな希望の館もきちんと光を纏っていた。屋根からは連ねられた光源石のパネルがぶら下がり、一際まばゆく輝いている。


 特に窓の上方に数が多い。こちらからは反射してしまうが、向こうから見れば外は昼のようにみえるだろう。なるほど、ああ使ったかと、先日貸しを作った主は感心していた。

 

 入り口の脇には粗末な灯火台が二つ。木材を三脚に組んで、適当な金属の鉢を乗せただけの代物だ。ぱちぱちと燃える炎の中に、番をしている女性が薪――いや、木っ端や、紙くずや、率直に言うならよく燃えるごみをつぎ足して、火を絶やさないように守っている。


 いっそ神々しい光景だ。そんな感想を抱いて、彼は目を細めた。 


 

 歩を進める前に、バスケットの黒布の下をまさぐった。冷たい金属質の物体を掴み取り、すっと取り出す。


 仮面だ。目の部分に細く穴が空いて、少し縁が角ばっている他、まったく飾り気のないものだ。彫り自体も少々やっつけ仕事のきらいがある。


 そんなものでも白いローブを着た男が顔にあてがえば、即席のヴィジラもどきの完成だ。もちろんよく観察されればすぐにばれる仕上がりだ。暗い夜であるから成立する。

 

 ヴィジラに扮した男は、一つ深呼吸をおいてから歩みを再開した。そこは人間、慣れぬことをするに際し、少しばかりの緊張は否めない。この後どう転んでも良いように、あらゆる状況を思案ながら、しかし姿勢は泰然と保ったまま進む。


 

 灯火の番たる女性のことは知っていた、教師長だという人物だ。彼女はすぐに来訪者の存在に気づいて、生来の柔和な顔を向ける。なおかつ相手の姿を確認するなり、嬉しそうな足取りで駆け寄ってきた。


「ああ、来られたのですね。今年もアビリスタが暴れたという話ですから、とてもこちらになど顔を出す余裕はないと思っておりましたよ」


 微笑む相手とは裏腹に、仮面の下の顔は面食らった色を示していた。まさかそう来るとは、あり得るが相当低い可能性に見積もっていたのだが。


 しかしそれなら逆に好都合だ、仮面の男は内心で笑んだ。


 この学校で教鞭をとる面々の中に、ティーザと言う名の人物がいる。表向きでは優しい先生かもしれないが、裏では泣く子も黙るヴィジラとして活躍している、とは、きっと自分以外は誰も知らないと思っていた。


 ところが、彼はこの教師長にも、自分のことを打ち明けていたらしい。無意味に掟破りをするような性格ではないと知っているから、実に意外な展開であった。


 間違いなく彼女はティーザが執務を抜け出して来たのだと思い込んでいる。今の見かけでは判別がつかなくて当たり前だ、多少の背格好の違いなどゆるやかなローブは覆い隠してしまうから。


 そして、訪問者は間違いを正すつもりはなかった。今宵はティーザに花を持たせるために来たのに、一体なぜ、自分が葉揺亭の主人・サベオル=アルクスローザだと名乗らなければならないだろうか。


「心配はいりません、こちらはいたって平和ですよ。あなたが持ってきてくれたあの光の板も、子どもたちは大はしゃぎで見てましたから。顔は見せられないでしょうけれど、覗いてやってください。ちょうど校長が読み聞かせをしている最中ですし――」


 穏やかな物腰で口調も柔らか、しかし放っておけばいつまでも喋りそうなオーラを醸していた。しかし、あまり拘束されるのは困る、ぼろが出る可能性は否めない。


 さすがに声を出すわけにはいかず、マスターは顔の前で手を振って、教師長の誘いを拒否した。


 すると彼女は、申し訳なさそうな顔を見せた。


「ああ、向こうでの勤務中でしたものね。あなたが顔を見せればみな喜んでくれたでしょうけど、仕方ないですよね。こうして心づかって来てくれただけありがたいと思わなければ。校長にはお伝えしておきますよ」


 とりあえず頷いておく。後々のごまかしは、ティーザ自身に投げっぱなしでもどうにかするだろう。あれも己が認めるほどに聡い、そんな信頼と共に。


 教師長の話を遮ってからは、手元のバスケットの上部にある黒布の塊を抱え取った。すると、蛍を集めたかのようなぼんやりとした光が溢れる。


 目を見張る教師長に、バスケットごと黙って付き出した。


「これは……?」


 疑問符を浮かべるのも無理はない。薄紙に包まれ光っている玉状の何か、としか認識できないだろう。しかもそれが無数に入っているのだから。


 白衣の人物は掟にのっとり言葉を発しない。その代わりに、袖の下から小さな封書を取り出して、バスケットの上に乗せた。


 教師長はすぐさま開封して、ごく短くしたためられた文章に目を通す。


『月と太陽が眠る夜、星空からはキャンディの贈り物。不思議な魔法の飴玉は、朝陽を浴びたらなくなっちゃうから気を付けて。それと、ティーザ先生によく感謝してめし上がれ。それでは、よい夜を。紅茶が好きな、一夜限りの魔法使いより』


 幾つか封書は用意してきたが――例えば、ティーザの名前を騙って書いた物とか、風来の名無しの聖人になって見たものとか――今ならこれが一番うってつけだろうと思った。末尾にある二つ名の稚拙さについては目をつぶるとして。


「……つまり、飴なのですね? あなたのお知り合いが作ってくれたのですか?」


 正解だと、黙って首を縦に振った。ただし、実際は自分が作ったものである。


 あれは偶然の発見だった。捨てるはずだった失敗作、しかしアメリアなら珍しがって喜んでくれるかもしれないと、おもちゃ程度のつもりで渡してみた。


 まさかそれを迷わず口に入れるなどとは思いもよらなかった。さすがにそんな無防備なことはしないだろうと踏んでいたが、まったく甘かった。


 しかし怪我の功名、おかげで、ちょうどいいプレゼントが見つかったのだった。


 あの後さらに改良は加えて、光は安定させたし、形も球形になるように調整した。先の夕暮れにアメリアの髪飾りにしたものが完成系である。ついでに少しだけ甘さも増やしてみた。子供向けに、だ。


 感謝します、と静かに頭を垂れる教師長に、対する男も深く礼をした。大したことではない、うっかり口に出そうになったのはすんでのところで飲みこんだ。ここで正体が露見したら台無しだ。


 引き際を見誤るわけにはいかない。男は大げさに長衣を翻すと、学校に背を向けた。


 

 良いことをしたのではないだろうか、と彼は歩を進めながら思った。だが自分の功だとは思わない。体が一つしかない彼の手足となって動いた、という心づもりだ。


 もちろんティーザには何も伝えていないから、後々驚かせることにはなるだろう。自分を騙った犯人のことはおよそ察するに違いない、ならば口裏も合わせてくれるだろうから、心配しなくていいだろう。小言の一つ二つは言われるかもしれないが、矮小なことだ。


 サベオルは橋のたもとまでくると、一度だけ後ろを振り返った。教師長の姿は見えない、今頃館内でキャンディを配っているだろう。


 無事に目的は果たしたと、ひとまず胸を撫で下ろす。仮面にももう用事は無い、脱ぎ捨てれば妙な息苦しさから解放された。


 しかし、彼の暗躍はまだ終わらない。ここまでは他者の考えで動いた。そしてこれからが、いよいよ彼流の不夜祭が始まる。



 橋を渡らず、下流へ向かって歩みを進める。光源が遠ざかり、闇はみるみるうちに深まった。此岸をわずかに照らすのは、対岸にある小さな灯火のみ。それでも、白き衣は黒に浮く。


 人の視線は感じない。それを確認すると、男はずっと抱えていた黒い布塊をひらいた。


 それもまた前開きのローブであった。今着ている長衣の上から被って、それを全て覆い隠してしまうような、かなりゆとりのある一着である。


 袖に腕を通して、襟を前で合わせる。裾も長く引きずる程に余るから、腰紐で縛って丈を調節して。最後にフードも被れば、白は完全なる黒に塗り替えられた。

 

 まるで暗幕を体に巻き付けたようだ。もしアメリアが見たら、そう言って指差し笑い転げるだろう。少々厚ぼったい己の衣装を整えながら、葉揺亭のマスターは苦笑した。


 そして別の誰かが見たらこう思うかもしれない。「あらマスター。ルクノラム教に入信したの?」と。かの教は黒い衣を祭服とするのだから。


 その理由は実に単純だ。彼らの神・ルクノールがイオニアンの地上に顕現した際、世界より払った闇を黒衣として纏い人を導いたため。真偽はともかく、教典ではそう伝えられている。


「私は神だなんて信じない。だが……今日くらいは許されるだろうか」


 フードの奥の苦み走った笑顔が、暗い闇に溶けた。



 不夜祭の三日間の最終、今宵は特に重要な日だ。灯火を持った人々が街中を練り歩き、夜闇を払い、新たなる朝を迎える。その安らぎは、全ての人民に平等に訪れるべきである。過日の葉揺亭にて、マスターはそう思った。


 だから、一肌脱ぐことにした。今宵に限り張り付けた「マスター」の仮面をかなぐり捨て、なおかつ皆が信じてやまない理想の神を演じようではないか、と。


 右袖の中に隠し持っていた一振りのワンド。銀色のそれは、先が細まるだけで飾り気は皆無だ。長さは腕の半分ほど、それを彼はしかと握りしめた。そんな姿は、作り話に出てくるような古風な魔法使いそのものである。


 葉揺亭のマスター、いや、突如として現世に降臨したルクノールは、夜闇すら我が物だと言わんばかりに悠然と、スラム街に侵入していった。 



 無秩序に伸びる道々を進み、やがて道幅が広まった場所に至る。ここがスラムの中央地点だ。涼やかな風にまぎれ、据えた臭いが鼻につく。


 闇は深く足下すらおぼろげで、頼む明かりは遠くから届く微かなものと、ほんの一部のあばら家から、至極かすかに漏れ出た蝋燭の明かりのみ。


 それ以上に強くあるのは人間の視線だ。鋭くもべったりとした警戒のまなざしがいくつも突き刺さり、かもされる排他的な空気が肌にさわる。


「……まあ、そこで見ているがいい」


 神を代行する男は不敵に笑った。


 合わせたローブの胸に左手を入れ、最後の隠し種を取り出す。表出した拳の隙間からは、ぼうっと薄明かりが漏れていた。


 手のひらを上に向け、ゆっくりと指を開く。光の球がそこにあった。大きさや形状は、先ほどのキャンディとそう変わらない。


 しかし本質からして違うのは外観からでも明らかだ。光に目を凝らしてみると、透明の薄硝子の中に白い炎が渦巻いている。当然、食べ物ではないし、ただの装飾品でもない。


 いや、何か定義のある物体だとすら言えない。これは魔法そのものが、英知と力の結晶として具象化したものである。このところ、どこかの喫茶店のマスターが精根つめて創っていたのはこれであった。


 しかし目標に対する完成度としては九割にしか及ばない。知識と所持品を総動員し、あらゆる種の魔力を足し引き掛けて割りとしてみたが、思い描いた理想通りに仕上げるには、時間と物とがいささか少なすぎた。


 思い描いていた絵図通りなら、こうして空気に当てた瞬間に、爆発するように光量と体積を増していくはずだったのだが。そもそも薬法のみで完成させるには、少々難儀すぎる術式だった。


 しかし、魔法の方式は単一ではない。完成まで一割足りないと言うのなら、その部分は、別のやりかたで補ってやればいいだけだ。


 黒衣の男は掌を上に構えたまま、すうっと目を閉じ静かな深呼吸をした。その後再び開かれた眼には、銀河を映したかのように凄みのある光を灯していた。


 ゆっくりと右手のワンドを振り上げる。必要な術式は既にこの杖の中に織り込んである。後は、必要最低限の魔力を送り込み、式を動かすのみだ。


 ――このまま流してしまってはつまらないな。ふっと思いついたのは、余裕がなせる業。姿は見えないが観客が居る、ならば、演者としてなにか口上を述べたいところ。


 しばし目を伏せて考えた。記憶の帳面をめくり、場にふさわしき言葉を探索する。


 やがて口を開く。張り上げられた声は、淀んだ空気にもよく通った。


「『光なき夜を恐れることは無い。真に恐れるべきは、心に巣食う暗き闇。全ての灯火を消そうとも、その心に宿る希望の光を消すことなかれ』。さあ、人の子よ。今宵は特別な夜だ、我が祝福を受け取るがいい!」


 それはかつてのルクノールが述べたもの。宣告とともに、不夜祭に降りた神は、ワンドを足元に向かって振った。


 銀杖の先端から、糸のように細い光線が伸び、音も無く地に吸い込まれる。そこ起点として、幾何学模様の花が、七色の光でもって浮かび上がった。言うなれば、魔法陣だ。


 続けざまにワンドを振り上げ、頭上に円を描く。その瞬間、手に据えていた魔法球が強烈な光を放ち始めた。


 そこから腕を振り下ろす動きは流れるように。先端で光球を小突くと、音もなく銀杖が砕け散り、きらめく霞みとなって空気中に舞った。


 そして、一呼吸の後、目に刺さる程にまばゆき柱が天を穿った。大地に描いた魔法陣から立ち上る気は、やがてスラム街の上空にて一つの巨大球へと収束する。


 どんな炎よりも明るい、どんな月光よりも眩しい、そんな恒星の球が、町の夜を一瞬にして昼へと塗り替えた。



 窓から、扉から、物陰から、人の顔がいくつも覗く。崩壊寸前の家屋、襤褸を纏った姿、そんな荒れすさんだ町並みが煌々と照らし出される中、人の心には、確かに火が灯った。


 恐れの強かったざわめきが、いつしか感激の歓声と変貌していた。外に飛び出し、騒ぎ、歓喜し、神に感謝を捧ぐ光景は、不夜祭に興ずる対岸の大衆と何ら変わらない。


 その情景を、主は物陰に隠れて満足気に見ていた。同時に苦笑する。己の闇を彷彿とさせる服は、すっかり場違いになってしまった、と。




 西の空が異常なまでに明るい、まるで時が遡り太陽が昇ってきたかのように。スラム街の異変は、時計塔周辺からでもありありと察知された。


 演目の合間にカラカラ鳥の茹でタマゴ串に舌鼓を打っていた少女たちも、もぐもぐと動かす口はそのままに、怪訝な面持で西方を眺めていた。


「火事……じゃないよね。赤くないもの」

「でも、急にすごく明るいですよね。スラム街でも今日は大盛り上がりなんでしょうか、お祭りですし」

「いやあ、違うでしょ。あそこの人たちには、あんなに眩しい明かりつくる余裕ないもの」

「ですよねぇ」


 じゃあ、一体なんだろう。黄身のねっとりしたタマゴを咀嚼しながら、アメリアは想像を巡らせていた。


 人の熱に煽られて太陽が夜明けを急いだのか、天から星が降ってきたのか。それとも特大の光源石を貧民に贈ったもの好きが居るのだろうか。


 いろいろ考えるが、一番現実的なのは、アビラによって引き起こされたものであること。その見解はレインと、いや、周りの人々皆と一致したらしい。「またあいつらか」という声が、各所から沸いてくる。


「やっぱり、どっかのアビリスタが、まーた馬鹿やったみたいだね。よくやるよ、クロチェア公の張り紙見なかったのかな」

「だけど昨日と違って素敵。明るくて、平和だし」

「そうかな。意外と向こうは大変なことになってるかもよ、人が全員消えてしまった、とか」

「えー、そんな! じゃあ、見に行ってみます?」

「やだよ。これ以上厄介ごとに巻き込まれたくないし。そういうことは、あの人たちに任せればいいんだよ」


 レインが木串の先端でつんつんと示したのは、血相を変えて飛んでいく治安隊の大群だ。もちろん、ヴィジラも同行している。


「あっ」

「どうしたの? 知り合いでも居た?」

「いっ、いえ……何でもないです」


 まさかそれがヴィジラだとは、口が裂けても言えない。幸いにも、レインの追及はなかった。他のことに気がいっているせいで。


「……パレードさあ。ちゃんとできるのかなあ。さすがに今年は色々起こりすぎだよ」

「確かに、少し心配ですね」

「ま! でもすぐ捕まるよ。こんだけ厳しい中でやらかすなんて、相当なお馬鹿さんに違いないだろうし」

 

 レインの言葉の後半はあくびまじりに。おそらく広場の大半の人間が同じことを考えたのだろう、辺りには昨夜ほどの恐慌はなかった。



 ところが、治安当局は結局仕掛け人を暴くことが出来なかった。


 現場で彼らが見つけたものは、荒れた街を照らす正体不明の光球と、その下で踊り騒ぐ、見たことも無いほど明るい顔の住人たち。ただそれだけであった。


 誰がやったのか、そう訊ね歩いても、返って来た答えはまったく手掛かりににならない。大半が「ルクノール様が光を下さった」などとというものなのだから。治安隊はひたすらに頭を抱えるのみ、順に集まったヴィジラたちも制圧する相手がわからなくては動けない。


 そんな中でもただ一人、無言のままに真相を察した者は居たのだ。誰にも語らないし語れないが、白衣のフードの下に青い髪を隠した青年は、こんな難儀かつ無駄なことを、息をするようにやってのける人物を知っていた。


 天で燃える白光の下、そこにはごくわずかに、魔力の残り香があった。間違えるはずもない、ひどく懐かしい心地のするにおいだったから。


 怜悧な仮面の下で静かに吐き出された長い息は、湿っぽい震えをはらんでいた。



 スラム街の騒動は、政府をやきもきさせたものの、祭りの進行を妨げはしなかった。「神が顕れ奇跡を起こしたらしい」、野次馬たちによって広められた噂は、逆に祭りをおもしろく彩るくらいだったのである。


 そして異能の力に翻弄された今年の不夜祭も、例年と等しい終わりを迎えるに至った。明けない夜は無いし、昇らない陽は無いのだ。


 レインとアメリアが待ち望んだパレードも、少し時間が遅れたものの、無事に開催された。


 皆が松明を手に、広い街をくまなく練り歩き、各所に構えられた灯火台に火を分けて回る。四方八方に人が灯した明かりは、天を覆う夜闇を厄もろともに打ち除けて、隠されていた月を空に取り戻す、と言われている。


 楽隊が音を奏で、神々や精霊に扮した者たちが先導する行進は、広場を起点に西へ南へ、東へ北へとゆっくりと回り、再び広場に戻る頃には、日の出の時間が近づいていた。


 大きな時計の針が、重厚な音をたてて時を刻む。一定の間隔で起こる響きを耳にしながら、着々と近づくその瞬間を祝福せんと、広場に集った人々は息も殺すような気持ちで、東の空を見守っていた。


 やがて、漆黒に包まれていた空が白んできた。黒は薄く青を混ぜた色を示し、それも東へ向かうにつれ、黄色に色彩を変化させる。際立っていた炎の光が穏やかになり、明るい風景の中に馴染んでいく。


 陽が昇った。朝告鳥がけたたましく鳴いている声が、風に乗って運ばれてきた。


 広場は安堵と歓声に沸いた。共に迎えた朝の陽ざしを浴びて、手に手をとり今日という日を祝福する。今年も、月なき夜の深き闇は無事に払われたのだった。



 葉揺亭の窓からも、すがすがしい光が差し込んできた。マスターはカウンターの奥から、窓の外を見やって目を細めたのである。不夜祭は終わり、日常が戻ってくる、と。


 真鍮のポットが火にかかり、白い湯気を吐き出している。食器類は綺麗に磨かれ、床にはごみの一つも落ちていない。玄関にはプレートもかけた、白いシャツに黒いベストの衣装もばっちりだ。いつ客が来ても問題ない。


 きいと軋んだ音を立てて、静かに玄関が開いた。すわ一番客、ではなかった。

 

「おかえり、アメリア。楽しかったかい?」

「はい、それはもう――」


 くあ、と娘は大あくびをしてみせた。店内の様子を見て、やっぱり営業するんだと言わんばかりに肩を落とす。


 マスターはただただ苦笑しかない。


「本業に差しさわりを出す内は一人前と言えないな。アメリア、眠気覚ましに一杯飲むかい?」

「お願いします」

「じゃあ、そこに座って待っててよ」


 アメリアはカウンター席に腰かけた。髪についていた白い飾りは、光に風化し塵となり果てている。本人はまだ気づいていないらしいが。


 マスターはシネンスの茶葉をさらに細かく砕いて、ついでにリフレッシュ効果のあるハーブをいくつか混ぜた。アメリアは好かないが、ミントがうってつけである。舌が驚いて、眠気もすっきりさめるから。


 マスターが茶を淹れる間、アメリアは夢うつつなのんびりとした口調で、夜に起こったことをつらつらと語っていた。


「――それで、やっぱりマスターのお茶が美味しいなって思ったんですよ」

「それはありがとう」

「踊りもすごくきれいだったし、びっくりすることもたくさんで。そうそう、マスター、今年は神様もお祭りに来てたんですって」

「へえ? それでどうしたの?」


 ふいに、彼女の言葉が途絶えた。


 不思議に思って集中していた手元より顔を上げる。すると、カウンターとキスをしながら眠っている少女の姿が目に入った。


「……しょうがないなあ」


 名を呼んで軽く頭をはたいてみても、目を覚ます気配はない。苦い笑みがこぼれる。


 完成間近のポットを放置して、マスターはアメリアに寄り添った。そして、彼女を横抱きにして、階上へと運んだ。


 ベッドに寝かせて、布団を肩までかけてやる。


「おやすみ、アメリア。良い夢を」


 口元をほころばせて眠る少女は、一体どんな夢を見るのだろうか。きっと、光に包まれた素敵な夢に違いない。


 彼女の穏やかな寝顔に笑みを向けると、マスターは身を翻した。



 いつもの開店時間よりは随分早い。だが、もうじきオーベルがやって来るはずだ。不夜祭明けはいつもそうだ。


 調子が違うのはオーベルだけではないはず。眠気覚ましの一杯を求めて、あるいは祭りの気分を抜くために、いつもより客足が伸びるだろう。


「今日は久しぶりに忙しくなりそうかな。アメリアも寝てるしさ」


 彼女のために作った茶を自分で消費しながら、マスターは気を引き締めた



 やがて蔦の葉扉が外より開かれた。朝日に浮かぶ横幅のある影が、のっそりと店内に歩んでくる。 


「おう、マスター。お疲れさん」

「おはよう、オーベルさん。意外と元気そうでなにより。アメリアなんか、帰って来るなり夢の世界だっていうのに」

「おいおい、俺はアメリアちゃんと程度が一緒だってか。眠ってられるわけないだろう、今日は忙しいからなあ。祭りの片づけもあるし――ああ、つーわけで、いつもよりうんと濃く作ってくれ」

「了解」


 マスターは肩を揺らした。もともと苦いコルブをさらに濃く、いっそ珈琲の方がいいかもしれないと思ったが、口には出さなかった。習慣を変えるのは、調子を狂わせるもとであるから。


 茶の準備をする間、オーベルがぼんやりと話す。語気はどことなく浮ついていた。


「それにしてもよ、今年は大荒れだったぜぇ? 一昨日もえらいこっちゃだったのに、今度は神が出たなんて話! いやあ、もうこんなこと二度と拝めないぞ」

「そりゃよかったね」

「……あー、その様子じゃ、あんたは普通に寝てたんだろうな。いやはや、もったいねえぜ。ほんと、人生の大損だ」

「そうかい? 別にそうは思わないな。どうせ、どこかの誰かが、神様ごっこに興じただけだろう」

「ん……まあ、そう言うけどよお、スラムの連中と、あと教会の連中は、本物だって信じてるみたいだしよお。今回は割と本当に本物かもしれない」

「誰が何と言おうと、僕は神だなんて信じないよ。それに、『僕』には全然関係がないことだしね」


 喋っている間に茶が出来上がる。さっとカップに注いで、オーベルに出した。ついでに一言添えて。


「さあ、祭りは終わったんだ。神だなんて世迷いごと……これでしっかり目を覚まして、いつもの日常に戻らないと駄目だよ」


 葉揺亭のマスターは毒気のないウインクを見せた。


葉揺亭 スペシャルメニュー

「目覚ましミックス」

いつもより細かいシネンスの茶葉に、リフレッシュ効果のあるハーブをブレンドした紅茶。

かなり濃いめだが、その分脳はさえわたる。また、使うハーブの都合上、仄かにレモンの香りがする。


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※本作品を再構成・加筆修正を行った新版を2023年に公開はじめました。順次掲載していきます。  ストーリーは大きくは変わっておりませんが、現在本作品をお読みの方はぜひ新版をご覧ください  https://ncode.syosetu.com/n9553hz/ またはマイページから
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