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絆の生まれる場所 ―縁の種―

 今日は僕からのおごりだ。店主の提案を、レインは始め固辞したが、結局甘んじて受けた。マスターが一歩も譲らなかったからだ。


 彼女のお気に入りの茶はカカオ・ブレンド。カカオという植物の種を粉末にして茶葉に混ぜ込んでいる。今日は、その手に一層力が籠る。なお、先ほど広げたとある薬の材料は、隅の方にどけられていた。何かの間違いで混ざってしまったら一大事だから。


 その間、少女たちはお喋りに興じていた。話題はもちろんのように、不夜祭のことだ。


「レインさんは不夜祭はどうするんです? あのおっきい舞台で劇をやるんですか?」

「なーんにもやらないよ。だって、見て回る方が絶対楽しいもの」

「うーん、やっぱりそうですよねえ」

「あれ? アメリア何かやるつもりだったの?」

「少しだけ……。でも、なしにしました」

「そっか、ちょっと残念。……じゃあ、一緒にお祭りに行かない? ほら、三日目のパレード!」

「わあ、行きましょう!」


 不夜祭の騒ぎは三夜続く。三日目の深夜には、神や英雄や偉人やらを模した隊列が、まばゆい光の松明を持って東西南北と大通りを練り歩く。そして闇を払い、日の出を迎え、祭りが終わるのが通例だ。このパレードこそ、不夜祭で最も重要な催しである。


 ちら、と二人の少女は揃ってマスターを見た。いかんせん明るく人も多いとはいえ、夜中の外出だ。親代わりの彼が首を縦に振るかどうか。


「そうか、楽しんでおいで。でも気をつけて、夜なんだからさ。――はい、レイン」


 マスターが優しい手つきでポットを差し出した。


 包み込むように触れればしかと熱い。そっとカップに注げば、甘やかな紅茶の香りと共に、芳醇なカカオの香りが立ち上る。心なしか、いつもより強く匂う気がした。


 息を吹きかけて、静かに一口。はあ、とレインは夢を見たかのように顔をとろけさせる。


「やっぱりマスターのが一番おいしい。何で? 茶葉が違うの? その辺で買える紅茶の葉じゃないのかなあ」

「いや、茶葉は買えるよ。それは『陸の船』で扱ってる『カメラナ』に――」

「あああーっ!」


 アメリアの絶叫が響いた。レインの持つカップが波立ち、大粒の雫が跳ね上がる。


 マスターが呆れ口調で、あわあわとしている店員を嗜める。


「アメリア、最近君はよく叫ぶな。今度はどうしたんだ、一体」

「大変なんです! 『カメラナ』の農園が洪水になっちゃって、しばらく手に入らないかもって『陸の船』の店主さんが……」

「げっ。……確かによく降ったからな。でもそれはまずい、大災害だ」


 シネンスほどではないがカメラナも汎用性が高く重宝している。微かに甘さを感じる独特の風味は、特にブレンドに向いている。あの茶葉の可能性は無限大、だから店主のお気に入りでもあった。


 ところが、あまり多くが産出される種類ではない。幸いノスカリアでは近場に農園があったので安定供給が叶ったのだが、そこがつぶれてしまってはどうする。


 筒状の缶を開きながら、マスターは眉をひそめた。


「参ったな……。他に安定して手に入る場所があるとしたら、海の向こうだよ。たまに使う葉ならともかく、これは少々頻度がなあ……」


 はあ、と肩を落とす。ここ最近で群を抜く一大事だ。品ぞろえを誇る喫茶専門店に紅茶の葉が無いだなんて、考えたくも無い。


 かちゃりとカップを置いた音が響いた。レインが二杯目を注ぐべくポットに手をかけ、それと同時に提案する。


「ラスバーナのお店に行ってみれば? あそこも結構変わったもの扱ってるし、頼めば探してきてくれるよ、きっと」

「そうか、その手があるな。近いうちにジェニーが来るかわからないが――いやまあ、来るだろうなあ。ジェニーのことだし、上手い話には異常に勘が働くんだよなあ、彼女は」

「誰?」

「商会のお偉いさんです」

「へえ……そんな人も来てるんだ。すごい人脈なんだね」


 レインの言う通りだ。葉揺亭に立ち寄る人間は多岐にわたる。有力商人から、凡庸な市民、政府の役人に、自由人の異能者まで。その脈を伝うことで、この狭い空間に居ながら、店主の世界は広がり続けるのだ。


 だが、そんなことならばとレインが頬杖をつきながら言う。


「待ってないでこっちから出向けばいいじゃない。商会の事務所なんて、同じ町の中にあるんだから、ちょっと行って来るだけじゃないの」

「……そのちょっとが、僕には大事おおごとなんだ」

「えーと、外に出たら死ぬ病気だっけ?」

「そんなところさ」


 事もなげに言い切ってみせるマスターに、レインが冷めた目を向けた。

 

「マスターの嘘つき。この前外出たじゃない。私の家」

「あれは夜だったから。ほら、暗いから、光が無いし」

「夜でも月光はあるよ。それに、あんなフードじゃ顔の部分は丸見えじゃない」

「そりゃー……うん、ちょっとくらいなら平気なんだ」

「じゃあ、ちょっと行ってこれるじゃん」

「……あー、それとこれとは……わけが違って――」


 マスターが所在無げに手を組みながら、虚空に向かって目を逸らす。彼の黒い目がぐるりぐるりと泳ぎ回っているのを見て、アメリアはこっそりと笑った。ああも狼狽える店主は珍しい。



 その時、三度葉揺亭の玄関が開いた。これぞ好機とばかりに、マスターはレインの視線上から身を逸らす。助かった、というのが顔にありありと浮かんでいた。


 訪問者はこれまた馴染みの顔だった。中折れ帽を被った少年は、柔らかい物腰であいさつを交わす。


「こんにちは」

「やあ、アーフェン君。ちょうどいいところにきてくれた」

「え?」

「ああ、なんでもない。気にしないでくれ」


 本音をだだ漏れにした店主が、慌てて両手を振った。


 アーフェンは不思議そうに首を傾げて、それから初対面であるレインに軽く会釈をしてから、彼女の隣の席に腰を下ろした。ちょうど店主の眼の前、彼の定位置でもある。


 マスターは楽しそうに口を開く。


「今日は何にする? また僕任せかい?」

「ええ、おまかせで」

「じゃあ、少し変わりどころにしようかな」


 そう言って、いつもの台上に並べた中からではなく、台に備え付けられた引き出しから、四角い小ぶりの缶を取り出した。塗装が施されていて、毒々しさすら感じさせる鮮やかな色使いは、どことなく異文化を感じさせるものだった。


 マスターが茶を淹れ始めると、アーフェンは思い出したようにアメリアに声をかけた。


「あ、そうだ。アメリアさん、この前の話、本人に言っておきましたから」

「わ、わ、わ……ほんとですか! 何て!?」

「『英雄だなんて大それたものじゃないぜ。かわいい子が困ってたら、助けるのが男の仕事だ!』ですって。……ああ、あとちょっと褒めすぎじゃないかと照れてましたね」

「いやいや、謙遜ですよう。ほんとにかっこよかったですもの」

「わかってますよ、身内ですから」

「レインさんも一緒だったから、わかりますよねえ?」

「えーと……もしかして、この前のあれ? 時計塔の」


 自分の顔を挟んで繰り広げられていたやりとりに、レインはようやく頭を追いつかせた。先日の時計塔下での事件、あまりいい思い出ではない。レインは表情を曇らせた。


 だがアメリアはお構いなしとばかりにきらめく笑顔で歓声を上げる。


「そうです! あの時助けてくれた人が、アーフェンさんと同じギルドの人だったんですよ」

「えっ!?」

「あっ、じゃあ、この方が――。あの、いつも人形劇やっている方ですよね? 時計塔で。見覚えがあるなとは思ってたんですが」

「はい、そうですが……」


 残念ながらレインの方には見覚えが無かった。いや、さすがに常客なら記憶に残るが、ただの通りすがりとなれば難しい。劇の最中は自分の世界に浸ってしまうのだからなおさら。


 仕方がないことだが、気まずい。そう思っていた所に、マスターから茶が出来たという空気が発せられた。助かった、と今度はレインが胸を撫で下ろす番だった。


 店主がアーフェンにポットに入れた茶を出す。受け取った少年は、早速カップに注いだ。色合いはよくある紅茶と変わらない。が、独特の臭いが鼻につき、目を見張る。


 その香りは、アメリアやレインの所にも微かに漂ってきて、彼女たちはそれぞれ顔をしかめた。


 マスターがからからと笑いながら、饒舌に語る。


「『セイジュス』。ここらじゃちょっと珍しい、東で作られる茶だ。まあ、一癖あるから好みの分かれるところだね。現にかわいらしい二人は……ずいぶん気に入らないみたいだけど」


 ぶんぶんと首を縦に振る二人を他所に、アーフェンはカップを顔に近づけ、異臭とも取れる香りを吟味する。


「でもこれは木の香りのような……。どこか煙臭い、炭焼き……?」

「なかなかの嗅覚だ。乾燥しながら、ある種の木の葉を燃やした煙でいぶすんだよ。だから匂いが茶葉に付く」


 へえと感心して聞きながら、アーフェンはそっとカップに口をつけた。湯気の沸き立つ茶を、口の中で転がすように大事に賞味する。


「あ、味は思ったより丸い。意外とおいしいですね」

「だろう? 香りがきついと思うなら、ミルクを足してみるのも悪くない。いい感じにとげが取れるんだ」

「なるほど。少しもらってもいいですか」


 待ってましたとばかりにマスターはミルクピッチャーを取り出した。何のことはない、最初から用意しておいたのだ。手持ちの茶は全て自分が飲んだことがあるものばかりだから、どうすると美味しいのかは一番よくわかっている。


 アメリアが異国情緒漂うセイジュスの缶に手を伸ばした。『陸の船』でも見たことが無い。というか、今日初めて見た。通常のメニューにも載ってない茶だ。結構そういう物は多い。


「マスター、一体どこでこういうのを探してくるんですか」

「探してっていうか……人を伝って、手繰るようにといったところだろうか。えにしの糸を。僕は基本的にここから動けないからね。人からもらったり、頼み込んで届けてもらったり。そりゃ、たまには自ら動きもするけど、必要な時だけさ」


 ふっとマスターは笑った。そして、三人の少年少女の顔を交互に見る。微笑んではいれどその面持は真剣で、見られた方は背筋を改めさせられた。


 彼は丁寧に言葉を紡ぐ。

 

「よく覚えておきなさい、すべての物は繋がっていると。ささいなことが、いつどんな形で自分に帰って来るかわからないものさ。だから、君たちも人の縁は大切にしなさい。この先の未来、きっとそれに助けられる時が来る、必ず」


 葉揺亭が静けさに包まれた。神妙な空気が立ち込める。いや、店主が説教臭い物言いをするのはいつものことなのだが、今日はどこかいつもと違う。


 最初に口を開いたのはレインであった。遠慮気味に、しかし直球に尋ねる。


「マスター……死ぬの?」

「は!?」

「だって、辞世の句みたいだもの。『死ぬ前に若い者にこれだけは言っておくぞ!』みたいなさ」


 そうですよ、とアメリアも台に手をついて、マスターに向かって食らいつく。


「さっきも変なこと言ってましたし! それに最近、思い当ることがいろいろあるし……」

「ああっ、まさか、どこかお体が悪いのでは……」


 深刻な顔をして店主を眺める若人たちの一方、マスターは目を真ん丸にして呆けていた。


「僕が? 何で? まさか。僕は死なないよ」


 そこまで言って、いや、と言葉をわずかに修正する。


「いや、いつかは死ぬ。うん、いつかは死にたいものだ。でも、それは今すぐじゃない。まだまだ、やりたいこともやらなくちゃいけないことも色々あるからね」


 マスターは得意気に笑った。もし今すぐ自分が居なくなったら。それが誰を悲しませ誰を困らせるか、想像は難くない。幕を引くなら相応の準備も必要だ。


 それに、まだ己のサーガを終わらせるつもりはない。少なくとも、今目の前に居る若き希望に満ちた者たちが、それぞれ確かな幸せをつかむまでは。目を凝らして見る幻ではなく、現実に未来を掴み取るまで、自分は彼らのよりどころでありたい。


 マスターはぐるりと店内を見渡した。小さくて薄暗い空間だ。広い広いイオニアンの中に、しごく小さく切り取られた世界。だが、それが何よりも美しく愛おしい。


「僕は、僕の世界を守らなくちゃいけないから」


 人と、茶と、日常が織りなす優しい世界。その主は自分だから。


 何も変わらず凛々しく立つ店主に、若者たちは安堵を覚えた。



「そう言えば、何で『葉揺亭』っていうの?」


 レインが尋ねた。マスターは頼まれている薬を煎じ始めていたが、しかし嬉しそうに雑談に興じる。


「……蔦の葉」

「はい?」

「うちの玄関に彫ってあるだろう。あれ」

「ああ、ありますね」

「蔦は蔓を伸ばして葉を茂らせる。その蔓は、いくつにもわかれ、複雑に伸びるものだ」


 さすがに知っていると三人共が思った。時には美的に、時には厄介者になりながら。伸びる蔓は支えに寄り添いながら、複雑に絡み合っていく。


 だが、それが喫茶の店と何の関係があるのか。その訳をマスターは語りゆく。


「人の繋がりも同じだ。延々と繋がり、広がる。蔓が伸びれば新しい葉が生い茂る。そして風に揺れ、生を謳歌する。ここが絆の蔓が育まれる場所でありたいと、僕はそう思うんだ」


 もしも葉揺亭が無かったら。今ここに顔を合わせている四人は、まず出会うことが無かったであろう。紛れもなく絆が生まれたのはこの空間があったからこそだ。


 そしてそれこそが葉揺亭にかけた願い。縁の種をまき、人の繋がりという名の蔓を伸ばし葉をつけて、最後には絆の花が開く。人と人とが出会い、その青き風に葉が揺れる。


 葉揺亭はそんな場だ。過去も現在も、そしてこれからも。願わくば、それが永遠に続く絆であれと。そう、店主は願うのだった。


葉揺亭 メニュー

「セイジュス」

東方大陸で少量作られている紅茶の一種。

葉を乾燥させる際にある樹木の葉を燃やし、その煙でいぶすことにより、独特の芳香が染み込む。

薬くさいとも取れるやや強烈で一癖ある香りだが、味の方はそこまで際物ではない。

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※本作品を再構成・加筆修正を行った新版を2023年に公開はじめました。順次掲載していきます。  ストーリーは大きくは変わっておりませんが、現在本作品をお読みの方はぜひ新版をご覧ください  https://ncode.syosetu.com/n9553hz/ またはマイページから
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