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絆の生まれる場所 ―絆の花―

 嗜好品販売店『陸の船』から急報を持ち、アメリアは葉揺亭の玄関に勢いよく駆け込んだ。


「マスター、マスター、大変大変! 『カメラナ』の産地が大洪水で、しばらく手に入らないかも――って、あれ? ティーザさん?」

「あいつなら奥に居るぞ」


 カウンターの前に立ち、青髪の青年は暇そうに腕を組んでいた。彼の言う通り、店主の姿は無い。


 拍子抜けだ。アメリアは一気に脱力して、買い物成果を片すのにとりかかる。作業台の下にしゃがみこみ、冷蔵庫を開けてせかせかと手動かしながら、口もついでに動かす。


「今日は先生はお休みなんですか?」

「いや。少しあいつに借りたいものがあってな」


 なるほど、それでマスターは店をほっぽりだして引っ込んでいるのか。


 ふと思い起こされるのは、いつかの夜見た物が溢れて窮屈なマスターの私室の風景。ふふっとアメリアは笑った。


「そんなの、探すのにうーんと時間がかかりますよ。だって、マスターのお部屋すごく散らかってますもの。あれじゃどこに何があるか全然わからないです」

「……はあ」

「いくらなんでも本が多すぎるんですよ。床にまで積んであって。あんなに持ってても、読み切れないと思うんですけどね」

「……なあ、アメリア」

「え? どうかしました?」

「失礼だな、アメリア。ちゃんと全部読んでいるよ。僕を誰だと思ってるんだ」

「うわぁい!? マスター!?」


 突然かかった声に驚き跳び上がる。いつの間にか背後に佇んでいた店主に対して、アメリアはへたり込みながら引きつった笑みを浮かべ見上げた。こうなることを狙っていたのではないかと責めたくもなる。


 マスターは口をへの字に曲げていた。が、すぐに口角を上げると、客席側に足を向ける。重そうに両手で抱えているのは、綿を圧縮した生地に包まれた板状の何かだ。それがティーザの言う借りたいものなのだろう。


 依頼主の隣に立ち白い包みを置くと、マスターは優しい所作で秘められた中身をほどいた。柔らかい衣の下から現れたのは、透明の水晶の板だった。ちょうど窓硝子ほどの厚さで、わずかだが随所に白いかすりが散っている。


 それを重ねて三十枚ほどはあるだろうか。一番上の一枚を取り上げて、マスターは自分の顔の前に立てて、カウンターを挟んで立っているアメリアへと見せた。四角の板ごしの彼の顔は、何も隔てる物がない状態と同じに見える。


 はあ、とアメリアが惚れ惚れとした息を漏らした。


「きれい。硝子ですか? それとも水晶ですか?」

「いや、光源石ライト・ストーンだよ」

「えっ。じゃあ、光るんですか? こんなに薄っぺらいのに?」

「ちゃんと魔力を与えてやればね。それにしても、ここまで透明の光源石ライト・ストーンはなかなかないものだよ。しかもこんな薄く加工してあるものは特に」

「自慢ですか?」

「うん」


 店主は屈託なく笑った。


 そして、今度はティーザの方をかえりみる。


「駆動機構はないけど、どうにかできるよね」

「問題ない。……悪いな、急に」

「いいや、君のお願いならいつでも歓迎だ。それにしても、まだ不夜祭まで二十日近くあるってのに、こんなに慌てちゃってさ。らしくないなあ」


 アメリアも何となく察していたが、やはり不夜祭に使うものだったらしい。例のスラムの学校で飾るのだろうとは想像に難くない。


 不夜祭。イオニアンの空から完全に月が消える三日間、夜闇を払うように執り行われるノスカリアの祭典だ。もとは魔除け獣避けと旅人の安全祈願が主たる目的だったらしいが、今では夜通し明かりを絶やさず、そして眠らず過ごすことが慣習となっている。期間中の夜の賑やかさは、平素の比ではない。


 柄にもない、祭りがそんなに楽しみなのか。そう茶化すようにして、店主は真面目顔の旧知の背中をはたいた。


 ところが、からかわれた当人は、ただただ浮かない顔をして、ため息交じりに状況を語る。


「……明日からミスクに行かねばならなくなった。俺がこうして動けるのは、今日だけなんだ」


 政令都市ミスクは、ノスカリアの北方にある南方大陸政治の中枢となる町だ。もとより北の街道は最も整備が行き届いているが、とりわけ大陸の二大都市を繋ぐ区間は格別である。その街道を急ぎ目で進めば五日ほどで辿り着けるだろう。もちろん、一般的な手段に限った場合の話であるが。


 そして実際に現地で用があるのは数日のこと。終わり次第すぐ向こうを発てば、不夜祭の日の朝には十分戻ってこられるらしい。


 いや、戻っては来られるのだが。


「朝か。じゃあ、どっちにしろ君は学校には顔出せないわけだ」

「……ああ」

「あ、そっか。お祭りの夜、治安局の人は忙しいですよね」


 ノスカリアの平和を守る政府の治安維持担当局の一員、それがティーザ=ディヴィジョンのもう一つの顔であるのだ。


 世が浮かれに浮かれる祭りの日、治安局に所属する人間のみはその波に呑まれるわけにいかない。夜のお祭り騒ぎに乗じた犯罪に、目を光らせねばならないからだ。盗み、喧嘩、その他もろもろ。高官や賓客も多くやってくるから、警備にも一層の人手が求められる。


 それだけではなく、羽目を外したアビリスタによる事件もが、毎年の恒例行事のように起こるのだ。祭りに合わせたある種の見世物のつもりだ、とやらかした当人たちは言い訳するが、一歩間違えば大災厄に繋がる。だから普通の治安隊はもちろんのこと、対異能専任官たるヴィジラも総動員されるのだ。彼らにとってはなかなか過酷な三日間に違いない。


 ということで、ティーザももちろん強制的に動員される一人なのだが、本人としては街全体より、あのスラムのことが気にかかる。


 街中が光に包まれる中、西の三角地帯だけは闇が降りたままなのだ。生きるのにすら必死な貧者には、一晩中火を灯すための金や物資が惜しい。


 その中で唯一明かりをつけるのが、公共の場たる学校だ。微かな光を求めて、スラムの子供たちは集う。暗い影に覆われた中の、一点の希望だ。


 どうにか抜け出して様子を見に来たいくらいだが、それが出来る望みは薄い。ならばせめて、今の時点で自分にできることを。思いついたのが光源の用意であった。


 

 美しく透き通った結晶の板を、マスターは丁寧に包む。そうしながら、目を細め肩を揺らした。


「いつの間にか人気者になっちゃってさ。全く、できのいい男はしょうがないねえ。でも――」


 言葉を途切れさせ、布の端を固く縛る。そのまま、真摯な眼差しでティーザの顔を見据えた。


「君は体も心も一つしかない。それなのにあれもこれもと抱えがちだ。一つくらい、誰かに投げ出してしまいなよ。でないと、潰れるぞ」

「……大丈夫だ。俺の好きでやっているのだから」

「そうか。なら、いい。……それと、例の薬の方は日没までにはアメリアに届けさせる。今日は夕暮れまで学校にいるんだよね?」

「居るが……いや、また取りにくるから。じゃあ、これは借りていくぞ」


 ティーザは希望の光が詰まった包みを抱え、凛々しい足取りで葉揺亭を去った。


 閉まる扉の向こうに消える彼の姿を見送ったアメリアは、不安そうに胸に手を当てると、店主を仰ぎ見た。


「薬って、病気なんですか? ティーザさん。それならお医者様に診てもらった方が……」

「いや、病気というわけじゃないんだ。どっちかと言えば栄養剤みたいなものだよ。……それにあれの不調は精神的なものに依るところが大きい。体質も少しばかり特殊だし、普通の薬師では手に負えないだろうよ」


 マスターは肩をすくめ、カウンターの内側に回り込む。


 その時ぽつりと低くつぶやいた言葉を、アメリアは聞き逃さなかった。


「あの子にも薬法を教えておけばよかったな。今から……いや、もう十分な時間は残されていないか」


 耳を疑った。今なんて。まるで時間が無いかのような言い方だったが、しかし、マスターはいつだって暇そうだ。ならばまさか……!


 顔を青くしたアメリアが聞き返すより早く、彼は戸棚に向かってしまう。秘密の素材が詰まった引き出しを開くと、あれやこれやと材料を取り出した。


 アメリアは少したじろいだ。普通のお茶の材料を眺めるのは好きだが、あの一角には極力触りたくない。身の危険を感じる。できれば近づくのもごめんだ。


 それにしても、とマスターが目線も向けずにアメリアに声をかけた。飄々としたいつもの声音だ。


「不夜祭ってのは、みんなそんなに熱を入れるものなのかい?」

「そうですね。……そうですよ! マスター、うちもお店を出しませんか?」

「は? どうしたいきなりそんなこと。誰かに誘われたのか? 悪いけど、僕は乗らないよ」


 そっけない口ぶりだ。予想に違わない。もしかしたらと淡い期待を抱いたのも間違いだった。


 ですよね、とアメリアは力なく笑った。思わず嘆きも漏れる。


「……マスターって、ほんとにお祭りごと嫌いですよね」

「えっ!? そうでもないよ」


 店主は目を丸くしている。その反応に、アメリアも同じく目を丸くする。本気で言っているのだろうか、この人は。神の生誕祭にも難癖をつけ、近くで何かがあっても冷やかしにすらいかず、ただただ引きこもっているというのに。


 

 その時、再び葉揺亭の玄関は開いた。光に浮かぶ黒髪が艶やかに輝く。聞き慣れた晴れやかな声が、こんにちはと爽やかな言葉を紡いだ。


 ぱっと顔を輝かせたアメリアが小走りで迎え出る。金色の編み髪が嬉しそうに弾んだ。


「レインさん! いらっしゃい!」

「やあレイン、久しぶりだね。元気そうでよかったよ」

「うん。二人もね。相変わらず仲良しそうでよかった」


 レインはにこやかに笑った。若草色の布を被せたバスケットを持って、カウンターの席に向かう足取りは軽い。だいたいいつも快活な娘だが、今日は殊更浮かれているように見える。

 

「どうしたんですか? 何かいいことありました?」

「色々ね」


 ふふっと彼女は笑った。


「ついさっきは、かっこいい人も見ちゃったから。私、ちょっとときめいちゃった」

「それって……もしかして、青い髪をこの辺で束ねた――」

「あれ、よくわかったね。じゃあここのお客さんだったんだ。――うんうん、わかるなぁ。ああいう人が優雅にお茶飲んでたら絵になるよねぇ。……ちょっと、二人して何で笑ってるの?」


 レインが怪訝な面持で二人の顔を交互に見ていた。アメリアは首を下に折って口元を押さえているし、マスターはと言えば、台上に突っ伏して抑えきれない笑い声を漏らしている。

 

「何? 私そんなに変なこと言った?」

「いえいえ……突然の恋の始まりにびっくりしただけですよう」

「いや、恋とか、そんなんじゃないけど……でも、うん。結婚するならああいう人がいいなあ。誠実そうだし――だから何でそんなに笑うの!? ちょっと、マスター!」


 腹を抱えて笑い転げている店主に、レインは顔を赤くして吠えた。ひいひいと息を漏らしながら、マスターはようやく「ごめん」と呟いた。



 もう、とレインは口を尖らせ頬を膨らます。それでも椅子に座りなおせば、瞬く間にぴしりと背筋が真っ直ぐに伸びた。


 一つ二つ咳払いをして、彼女はにこやかに宣言した。


「今日は二人に贈り物があります!」


 そして彼女は膝に乗せたバスケットの布を払って、二人に見せた。


 籠の中に鎮座していたのは、小さなマスターとアメリアだった。仲良く肩を寄せて、手を取り合っているではないか。よくできているものだ。アメリアの愛嬌は何倍にも増幅され、マスターのしゃんとした雰囲気は小さくなってもそのままだ。


 アメリアの黄色い歓声を聞きながら、レインは優しい手つきで人形を取り出す。そして、本人たちにそれぞれ手渡した。


 彼女はカウンターに肘をかけ、得意げに笑った。


「色々助けてもらっちゃったから。ここ最近で一番の力作だよ」

「すごい、すごい! 忙しいって、ずっとこれ作ってたんですね! なんか、私より可愛いですよう」

「そんなことないよ。もともとアメリアはお人形さんみたいに可愛らしいんだから。私はそのまま縮めただけ」

「嬉しい……どうしよう、マスター。飾っておきますか? それとも、汚れないようにしまっておきますか? マスター?」


 金髪で青い目の人形を、自分の赤子のように愛おしげに抱きかかえながら、アメリアは店主の方を振り向いた。そして少女は面食らった。


 マスターは両手で持った己の分身とにらめっこしている。その表情は喜びに満ちているが、どこか切なげであった。わずかに端の上がった唇はいつも通り。そして、細められた目は潤んでいた。


 やがて溜まった雫が瞬きと共に一滴こぼれる。つうっと頬を伝うそれを、マスターはさりげなく袖で拭った。


「……ありがとう、レイン」


 にっと笑いながら、店主は軽く頭を下げた。呆然としていたレインは、慌てて首を振る。


 そしてマスターは、今度はアメリアに向き直った。先ほどの問いに答えるためにだ。


「見えるところの方がいいな。せっかくだ。とりあえず――食器棚の上。絶対に落としたり汚したりしないからね」


 ほとんど天井まで届く棚だが、ちょうど二つの人形を並んで置いておけるほどの隙間はある。棚の縁に足を引っ掛けるように腰かけさせてやれば、座りもいい。身を寄せ合うように並んで、小さな二人は葉揺亭を見守る存在となった。誰ともなく、いいね、という言葉が漏れる。


「――うん。ああやって、ずっと仲良くしててよね」

「当り前ですよう! ね、マスター」

「ああ。本当に……本当にそう思うよ」


 その絆は永遠に、この時を永久に。店主はそう願い、目を細めた。


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※本作品を再構成・加筆修正を行った新版を2023年に公開はじめました。順次掲載していきます。  ストーリーは大きくは変わっておりませんが、現在本作品をお読みの方はぜひ新版をご覧ください  https://ncode.syosetu.com/n9553hz/ またはマイページから
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