表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
31/95

儚き氷の菓子

「すごーい」


 葉揺亭にて、人形師のレインが感嘆の声を漏らす。その対象は、氷だ。綿や板といった断熱材を何層にも重ね、厚みをもたせた箱の中に納められている板氷。ラスバーナ商会から買っているものだ。


 先日の商談の結果、少し気温が高くなる紅月季こうげつきの間のみ、試しに取り扱ってみることになった。本当は数日おきに仕入れるつもりであったが、物珍しさもあってなかなか好評、結果としてこの四日ほどは立て続けに運ばれてきている。


 重厚な保冷箱に納められた板氷を、レインとアメリアは並んで覗いていた。顔の周りだけ空気が冷たい、なんだか神秘的な心地だ。


 気が済んだのなら早く蓋をするように、でないと溶けてしまう。そんな忠告をするマスターに、レインは期待の目を向けた。


「ね、ね。一つ作ってほしいものがあるんだけど……ダメ、ですか?」

「そんなに畏まらなくても。何をだい?」

「ソルベット。わかる? マスター」

「……ああ、何となく。出来ないことも無いかな」


 そう言う間にも、店主の脳内にはソルベットの完成図とそこに至るまでの手順が明滅する。何も問題は無い、ただ、てっきり飲み物の要望だと思っていたので拍子抜けだった。

 

 レインは小さく喜びの声を上げる。まさか本当に作ってもらえるとは思わなかった。頼んでみるものだ、と。


 さて、アメリアだけがかやの外だ。ソルベットって何かしら、まるで聞いたことがない。それなのに、二人は常識のように語っている、少し寂しいじゃないか。


 今にも頬を膨らましそうなアメリアの気配を察して、レインが説明を始めた。


「ソルベットっていうのはね、氷のお菓子なんだ。簡単に言うと、ミルクとか果物とかを凍らせて食べる感じ」

「お菓子!?」


 アメリアにしてみれば衝撃だった。氷が手元にあって、それで飲み物が冷たく飲めるだけでも驚きだったのに、お菓子までつくれてしまうとは。


 それにしても毎度毎度レインには驚かされる。自分よりほんの二つ上なだけなのに、ずっと色々なことを知っているから。


「レインさんはどこでそういうのを習ってくるんですか。私なんて、氷を手に入れる方法もあんまり思い浮かばなかったのに……」

「仕事のついでだよ。ソルベットはね、昔一回だけラスバーナのお屋敷で仕事した時に食べさせてもらったの。硝子の器に盛ったミルクとブドウのソルベット、とても美味しかったから頼み込んで教えてもらっちゃった」


 大豪邸の料理係は二つ返事でレシピを教えてくれた。しかもそんなに難しい手順ではない、好きな液体を凍らせればいいのだから。だがその冷やすことが難儀である。やはり冷蔵庫では凍らないので、レインは自然に水が凍るわずかな時期にのみ、その儚き氷の菓子を楽しんでいた。自然が織りなす季節の産物として。


 しかし、いかんせん水が凍るような日は寒いから、あまり冷たいものを食べたい気分とは言えなかった。どうせなら、今頃みたいに気温が高めの頃に楽しみたいものだ。暑さを冷まし、乾いた体を潤おすのにうってつけだから。

 

 関心していたアメリアが、ここでふと首を捻った。


「あれ? でも、それだと駄目じゃないですか? だって、水を凍らせることはできないですよ、これじゃ。冷蔵庫とあんまりかわらないですもの」

「そうなんだけどね。でも、これだけ氷があればきっとマスターがなんとかしてくれる……と思う」

「なんとかしてみせるよ。僕を誰だと思っているんだい」


 マスターは不敵な笑みを浮かべた。その手では、すでに調理に使うミルクと砂糖を計量し始めている。だが、話に聞けど作ったことはない。うろ覚えな部分はレインに確認しなければ。


「ミルクで作る時はタマゴを入れるんだったかな。その方が味がいいとかなんとか、昔聞いた記憶がある」

「そうそう。でも、黄身だけでいいよ」

「わかった。じゃあやっぱり、一回煮詰める時間はもらうよ? 薬でもないし、生タマゴは嫌だろう?」

「お任せします。……あっ、それじゃ時間かかるかな」

「心配するな。最低限の量で仕掛けて、午後の公演には間に合わせる」

「ありがとう、マスター」


 レインの不安が一つ解消された、今日は人形劇の日なのだ。現在時刻としてはちょうど昼時、残り半日に備えて腹ごしらえもしておきたいところだ。


 レインはアメリアを誘って、一旦外に出た。確か葉揺亭から南に少し行ったところに、昔からやっているパン屋があったはずだ。まだ今なら何かしら商品は残っているだろう。


 その予想はぴったりで、数は少なかったが選べる程度にはパンが売っていた。レインは干しブドウの丸パン、アメリアはふわふわのミルクパンを買って、駆け足で帰って来た。一応マスターにも何か買ってこようかと提案したが、いらないと即答されたので、お土産なんてなしだ。



 肩を弾ませ葉揺亭に戻ってくると、マスターが真剣な顔で手を動かしているのが見えた。


「順調ですか?」

「まあね。今、粗熱は取れたから、これから固めていくところだよ」


 そう言って、二重にしていたボウルのうち、中にある小さな方を外して、大きな外側に溜まっていた水を捨てた。小さい方には、ティーカップに二杯分弱の乳白色の液体が入っているのが見えた。


 マスターは氷の入った箱を開け、再びボウルの八分目になるよう投入する。板氷はすでに全て砕かれて、残りも少ない。あれで凍るとは思えない、少女たちには不安が陰る。


 二人そろってカウンター席に陣取りながら、小腹を満たしつつ見守っていると、店主は何やら木の入れ物を持ってきて、中の白い結晶を、ボウルの中の氷原に振りかけているではないか。


 レインが顔をしかめアメリアに小声で尋ねた。


「何あれ、秘密の粉?」

「いえ、ただの塩の容れ物ですよ、あれ」

「塩!?」

 

 レインがきょとんとした途端、マスターが二人の前に立った。カウンター越しに、塩氷が詰まったボウルを見せてくる。にやつく意味深な微笑みと共に。


「触ってみてごらん」


 怪訝な面持の少女たちは、しかし促されるがまま、氷の中に手を突っ込んだ

 冷たい。いや、氷なのだから当たり前なのだが、いつもよりもずっと、痛い位に冷たいのだ。


 一体どうして、塩を振っただけなのに。アメリアがはっとして声を上げた。


「もしかして、魔法ですか……?」

「似た様なものだよ。でも、魔法だなんて言うほど特別なことでも何でもないさ、ただの自然現象だから。君たちにだって出来る」

「えっと、その前に氷が手に入らないんだけれど」


 レインの溜息ももっともだ、まずそちらに魔法でも使わなければいけない。マスターは苦笑し、冷たい冷却用のボウルを引っ込めた。


 再び二重底になるよう小ボウルを上に乗せる。そして、匙を使い中の乳液をかき混ぜ始めた。金属同士がぶつかり、かしゃかしゃと激しい音がなる。


 そのまましばらく混ぜ続け、最初は勢い良かった手つきも、徐々に動きが鈍って来た。店主は微笑みを崩さないが、たまに手を休めている姿を見るに、なかなか苦しいらしい。


 少女たちは代わる代わる首を伸ばしてカウンターの中を覗く。するとどうだ、先ほどまではさらさらの液体だったボウルの中身が、どろりとした硬さのある状態に変化しているではないか。それは時を経るごとに固体化していく。代わりに、外のボウルの氷が水に還っていくのも観察できた。


 やがて、マスターは大きくボウルの中を一周混ぜ、手を止めた。こんなものだろうと納得した顔を見せ、完成品を小皿に盛る。ほんのり黄色みがかった白色の小山が、光をきらきらと反射させた。


 待ちきれないと言った面持の娘たちに、出来立てのソルベットが供される。


「さあ、溶けない内に召し上がれ」


 アメリアとレインの目の前に置かれたソルベット。もうその神々しいまでの佇まいが魅惑的だ。二人は一斉にスプーンを手に、飛びつく。


 冷たいソルベットを口に含むと、まるで体の中に吹雪が起こったかのような冷感が響いた。そして、体温でほどけるように溶けていき、じわりと甘みが口内に広がった。ミルクの中に、意外とタマゴの風味が強い。だが、生臭さは感じない。マスターのことだ、臭み消しになる材料もきちんと加えたのだろう、とアメリアは思った。


 次の一口は、溶ける前にかめば、しゃりしゃりとした食感が心地よく歯に響く。不思議な感じだ。


「そう、これこれ! いいなあ、家でも作りたいなあ」


 レインは大満足といった風だ。むしろ自然で作ったものより柔らかくておいしいと、マスターを絶賛する。そして満足したのはアメリアも同じだ。未知の衝撃、それがソルベットだった。


 ずっと楽しんでいたい。だが、あれよあれよという間に、それは溶けてなくなってしまう。急いで食べざるを得ない。ああ、何と儚き氷の菓子だろうか。


 あっという間に二人は皿を平らげた。おもむろに時間を見れば、約束通り、午後の人形劇には間に合う頃合い。完璧だ。



 レインは仕事へ向かった。大きな鞄を抱えて、午後からも頑張れそうだと、再度店主に礼を言って。


 一方アメリアは、名残惜しそうに、皿に溶けたソルベットの液をスプーンでいじっていた。そして、ねだるように呟く。


「なんだか、もう一個の『ブドウのソルベット』ってのも気になります、すごぉく」

「まあ、果汁を凍らせたものだと思うよ。だから味は果物そのまま。実に想像がつきやすい」

「そのう、マスター……」

「あいにく、うちの氷室はほぼ空っぽだ」


 店主は肩をすくめてみせた。氷の在庫もかなり少ないし、ボウルの氷もひどく溶けてしまった。もう一勝負には耐えられないだろう。


 だが、無いと言われると余計に気になってしまう。氷騒動の時と全く同じだ。


 ブドウの、果物のソルベット。マスターの言う通り想像はつくが、しかし、実際に見てみなければわからないではないか。


 アメリアの思考に一つの影がよぎる。葉揺亭に氷をもたらすきっかけとなった、あの子なら。そして同時に、心に刺さった棘もちくりと痛む。店主からの警告と言う名の棘、垣間見た冷たい一面は、確かに心に響いていたのだ。


 アメリアはマスターを盗み見た。彼は、今の料理の後片付けに勤しんでいた。穏やかな空気を纏って、汚れた道具類を丁寧に洗い上げている。本当に、先日の説教の時の寒々しい表情が嘘のようだ。


 アメリアはふいと席を立った。控えめにマスターの近くに寄りながら、人差し指同士を付き合わせ、店主にねだる。


「マスター、私、ちょっとお出かけして来てもいいですか?」

「いいけど、どこへ? レインのところかい?」

「それもありますけど、お話しをしていたら、果物が食べたくなったので。……今の季節だと、モモとかが良いですかね」

「ああ、そうだね」

「じゃあ、商店街の果物屋さんに行って、それからレインさんの所に行ってきます。遅くなると思います。だって、えーと、お話しが盛り上がるでしょうから」

「そうかい。……まあ、気を付けてね。月が昇る前には必ず帰っておいでよ」

「はい!」


 アメリアは内心で小躍りした。どうやら、考えていることはばれなかったらしい。いくら博識な店主だとしても、人の心を読むのはできないはずだから、表面さえ取り繕ってしまえばどうにでもなる。


 飛び切りの笑顔で、いってきます、と一言。それだけ残し、風のようにアメリアは駆け出していった。


 ただ、マスターがその後ろ姿を見据える視線は、決して優しいだけのものではなかった。彼女が恐れる深淵の闇を映した目が、彼女の行く先にあるものを貫くかのごとく空気を貫いていたのだが、それに有頂天の少女が気づくよしもない。




「……それで、またクシネの所に来たの?」

「お願いします」


 アメリアがモモの入った籠を持って、にこやかな顔で頭を下げた。後ろにはレインもくっついている。午後の人形劇は三公演、無事に終わった。


 ここは街の宿屋だ。魔法屋、クシネ=オーフォイデスが宿泊している、小さな一室。まるで住み慣れた家のように雑然とした小部屋の中で、クシネは呆れたとばかりに腰に手を当てて、アメリアを見上げて告げた。


「懲りない人だねえ。この前は店長さんに怒られなかった、の?」

「べ、別に大丈夫でしたよ?」


 と言いつつも、彼女は目を泳がせた。クシネの疑うような視線が頬に痛い。


 だが、一転、ふっと魔法屋は笑うと、いつものように元気よく宣言した。


「凍らせるのは簡単なの! かっちかちにしてみせるの!」


 確かに彼女の言う通りだったらしい。先日、氷を精製した時よりももっと早くことは済んだ。アメリアが持ってきたかご盛りのモモは、呪文一つで冷たい塊と化したのである。むしろ固すぎて歯が立たず、少し溶けるのを待つはめになった。


 魔法の詠唱を目の当たりにすること。アメリアにとっては二度目だが、神秘の力の魅力は飽きを感じさせない。今日は短かったせいか、心身に大きな異常を来たすことも無かった。少し耳がざわざわしたくらいである。


 そしてレインもまた、アメリアのように感心めいた色を隠さずにいた。彼女とて異能の力は持っているのだが、一般に言うアビリスタの異能と「魔法」とは少々趣がことなるのだ。ざっくばらんに言えば、アビリスタが一点特化なのに対し、魔法使いの術は多岐に富み万能性が高いのである。


「すごいなあ。私も使えるようにならないかな」

「んー……お姉さんはもしかしてアビリスタ?」

「えっ、わかるの?」

「魔力の流れが綺麗なの。見えるわけじゃないけれど、魔法使い同士にはなんとなくわかるものなの」


 クシネは得意気に笑った。胸を張って、まるで先生にでもなったように語りだす。


「それなら基礎はすぐにできるの。でも、世界のことわりに働きかけて自在に操るようになるには、時間と才能が必要なの。呪文や魔法陣や、その他色々の術式を意味まで覚えて、自分に合うように組み立てていかなければいけないの」

「なんだか難しそうだね……」

「そう思うかどうかは、お姉さん次第なの。頑張れば何でもできるもの、なの!」


 レインは割と本気で悩んでいた。とはいえ彼女が思う魔法の術とは至極つつましやかなだ。炊事や掃除を指一本、買い物だって一っ飛びしてあっという間。これで日々の暮らしが楽になる、そんな具合だ。



 そういえば、とアメリアが呟いた。


「その世界の理って一体なに? 前、マスターも言ってましたけど」


 コルカ・ミラの民は世界の理に従い魔法を修める、と、店主は以前語っていた。どうせまたいつもの大層ぶった言い回しだろうと聞き流していたが、同じ語句がクシネの口から出れば、具体的な物があるのだろうと気になる。


 魔法少女は一瞬目を輝かせて、悦に入ったように語り始めた。


「要するに、みんなが『あたりまえ』って思ってることなの。雨が降るとか、物が燃えて灰になるとかの現象、山とか海とかの自然そのもの。もっというと、歳を取るとか、生きるとか死ぬとか、そういうことになってくるの。時間、空間、生命、精神……まあ、この辺の扱いは人によるけど、クシネは同じ『理』の仲間だと思ってるの」


 ふふんと鼻を鳴らす。それで、と講釈は止まない。


「はじめは理に逆らわないようにやるの、その方が簡単だから。でもそれができるようになると、どんどん挑戦したくなるの。夢はどんどんおっきくなるものなの、究めていくと当り前なの」


 例えば暑い日に氷を作ったり、あるいは、四季の花を一斉に咲かせたり。自然に従っていた魔術師は、やがて不自然なことを起こせるようになる。そして、熟練を重ねれば、大地を操ったり、海を割ったり、果てには星を降らせたりできるようになるという。


 それだけでも普通の人間からすれば、神の所業に見えるだろう。が、それだけではとどまるだろうか。理を超越するに挑む者が、最後に当たる壁。それをクシネは明言しなかった。


 魔法使いに何ができるか。想像をどんどん膨らませる内に、アメリアの中に一つの言葉が波紋を描いた。


「不老、不死」


 思わずつぶやいた一言に、クシネが目の色を変える。驚きの目がアメリアを見つめていた。何となく気まずくて、ブロンドの少女は笑顔を取り繕った。


「あ、いえ、前にお客さんが『不老不死は夢だー』みたいなこと言ってましたから。もちろん、すぐにあきらめてましたけれど。だって、そんなの出来るわけないですものねえ、魔法使いだって人間ですし」


 乾いた笑いが口から洩れる。厳密には違う。アメリアが思い起こしたのは、マスターの姿であった。あの時、怪しい薬を煎じていたマスターは何と言っていた。確か、魔法は、悠久の時を生きる魔人が使う法術だと。他にも色々、彼の言動が想起される。


 だが、それを口にしてはいけない気がした。マスターがそう言っていた。その言葉一つで、また余計なこじれが生まれそうだから。


 しばらく目をしばたたかせていたクシネは、やがて静かに言葉を紡いだ。


「うん、でも、そのお客さんが正しいの。人間誰もが抱く夢なの。永遠の時を生きること――」


 彼女はぷるぷると首を横に振った。


「それより、モモはそろそろ食べれないの? せっかく凍らせたのに、今度はドロドロに溶けちゃうの! クシネ、悲しいの」

「あっ、忘れてた」


 籠の上で露を纏った桃色の果実。慌てて触れて確認してみれば、表面は既に解凍されていた。だが上辺だけで、芯はまだしっかりと固まっている。食すにはちょうどよい頃合いだ。


 レインの話では、皿に載せてスプーンなりフォークなりで潰した方がいいとのことだったが、あいにく食器類は揃っていない。


 もういいや、とそのままかじってみたところ、それでも十分だった。先のミルクのソルベットよりも硬く、冷気が歯に刺さる。だが、さくさくとした食感と、口の中で弾けるようなみずみずしい果汁は、普通のモモと段違いにおいしさを感じさせる要素となった。


 一個、二個、とかごが空になるまで手が止まらない。その間、雑談も挟みつつ、だ。だが、先ほどのように魔法がどうので盛り上がることは無かった。初対面のレインとクシネが、各々紹介に明け暮れていたのだ。アメリアもそれを面白おかしく聞いていた。


 少女たちの他愛も無い日常会話。その平穏な時間は過ぎ、いつしか陽が落ち始めていた。まずい、とアメリアが跳び上がった。急いで帰らないと、それこそまたマスターの怒りを買ってしまう。


 それに合わせてレインも腰を上げた。楽しい談話会は、これにてお開きだ。


 クシネは笑顔で手を振っていた。そんな見送りを受けながら、小さな部屋を出る二人。レインが先、アメリアが後だ。


 ところが、アメリアが扉を閉めようとした瞬間、彼女の服が引っ張られ、クシネが声を抑えて話し掛けてきた。


「……アメリアのお姉ちゃん」

「はい?」

「店長さんに伝えてほしいことがあるの」

「何でしょうか?」

「『素知らぬふりで仮面を被り、綺麗潔白を装って、その本性を知られないようにしているものはなーんだ』って。それをそのまま」

「……はあ。ちなみに答えはなんですか?」

「それは店長さんに聞くといいの! ……あの方ならきっとわかってくれますから」


 にたりと笑って、クシネはアメリアに再度手を振ったのだった。




「――それをあの子が?」


 アメリアは頷いた。答えはマスターが知っているとも言っていた、それも正確に伝える。


 彼は閉店作業を進めていた手を止めて、ふむと考え込む。しばらく眉間に皺を寄せていたが、答えるべき言葉が見つかるやいなや、ふっと顔を明るくした。


「うん、良し。答えは『二つの月』だ」

「理由は?」

「知らぬ者が見たら同じ『月』、どちらも美しく見えるだろう。だが、その本質は全く違う。紅い月は自ら輝き人を魅せ、白い月は太陽の光でのみ美しさを保てる。だけどそんなこと知っている人間が、一体何人いるだろうか。人は『月』という言葉の仮面に騙され、あれらの性質の違いを理解しようとしないのさ」

「……はあ」


 本当にそれが正解なのかどうなのか、アメリアには判断がつかなかった。むしろ、なぜそんな御託になるのかいまいち理解できないところから始まるのだが。


 


「それで、結局それがどうしたっていうんですか。謎かけ遊びでも流行っているんですかね?」

「さあ。きっとそんなところだろうが、僕にも意図はさっぱりだ。まあ、構ってほしかったんじゃないかな。あの子もまだ幼いんだから」


 アメリアははっとなった。一人で生きていける実力があるとはいえ、まだ自分よりもはるかに子どもじゃないか、クシネは。


「そうですよね。いつもは一人ですもの、寂しいに決まってますよね」


 自分だったらどうだろうか。誰かに構ってもらいたい、そう思うに決まっている。知らない人だらけの旅先でできた絆なら、それに縋ろうとするのも不思議ではない。


 ああ、そうだ。私はあの子の友だちだ。それは氷のようにすぐ溶けてしまう絆であってはならないはず。これからも、今日みたいに遊びに行ってあげよう。


 そう、アメリアが快い決意した矢先であった。


「それよりアメリア。……僕、警告はしたよね」


 重圧のある物言いが、アメリアの肝を冷やした。


「しまった……」


 うかつだった、今日はレインのところに行っていることになっていたのに。自ら墓穴を掘った形、おそらく、その目的もばれたに違いない。また魔法の場に立ち会ったことも。


 アメリアはおずおずとマスターの背中を見上げた。彼は背を向けて、食器棚の陶磁器に薄手の布をかけている。夜間の塵避けのためだ。


 さて今日は何と言い訳しようか。いつ振り向くかと戦々恐々、心細げに胸元で指先を付き合わせていた。もちろん、口先での言い合いで敵う相手ではないのはわかっている。だが、叱咤の視線に無言で耐えられるわけあるものか。


 はあ、とマスターの大きな溜息が聞こえ、アメリアは肩を震わせた。


 店主は踏み台から降りると、くるりとアメリアの方へと振り返った。すっかりおびえ切っていた少女だったが、マスターの表情は思ったものとはずいぶん違う。怒っているというよりは、呆れて茶化しているようなものだ。過日の威圧感はどこにもない。


「まったく、不良娘だな。知らないよ? 昔からね、火遊びするとおねしょをするっていうんだよね。あーあ、もう大きいのに……恥ずかしいなあ、アメリアは。明日が楽しみだ、アメリアがこの歳でおねしょするなんて、みんなおかしがってくれるぞ」


 脳が凍り付いたようにあっけにとられていたアメリア。やがて氷が溶け、マスターの言葉を飲みこむと、とたんに火が付いたように顔を赤くした。


「もう! 変なこと言わないでください! おねしょなんて、しませんっ! 馬鹿にしないでください! からかってるんですか!?」


 羞恥心にぷるぷると震え、ぴいぴいとわめきたてるアメリアを傍目に、マスターはにっこりと笑った。


「そう、からかってるんだよ。僕だって構ってもらえないと寂しいんだもの。だいたい、あんな風にアメリアが出て行っちゃったら、僕一人じゃないか」


 寂しい、寂しい。むすっとした顔で突っ立っているアメリアに対して、笑いながらそう嘯いて、マスターは一人で掃除を続けたのだった。わざとらしく、鼻歌なんて唄いながら。


ノスカリア食べ物探訪

「ソルベット」

ミルクや果汁や、要するに液体を凍らせて、凍ったままを食べるお菓子。

凍らせて、固まり切る前に何度か混ぜると上手くできる。


ミルクで作る場合は、卵黄と砂糖とをくわえて軽く煮詰めた方がよい。また、ヴァニラがあるなら少しだけ加えると香りが立ち、タマゴの癖がわかりづらくなるので良。実は今回もマスターの独断で混ぜてあったりする。


果物で作る場合は、果汁を絞ったり、果肉を潰したりするのが普通。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
※本作品を再構成・加筆修正を行った新版を2023年に公開はじめました。順次掲載していきます。  ストーリーは大きくは変わっておりませんが、現在本作品をお読みの方はぜひ新版をご覧ください  https://ncode.syosetu.com/n9553hz/ またはマイページから
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ