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その男、殺し屋なり

 箒をぎゅっと握りしめ、アメリアは空を仰いでいた。雲一つない快晴、とても気持ちがいい日だ。


 空気も透き通っている。心なしか、古びた石畳の道がいつもより遠くまで見える気がした。


 こんな日は、特別なお客さんがやってきそう。そんな風に思いながら、アメリアは店先掃除を、うきうきとした気分で再開した。


 昨日、大風が吹いたあと。道の上には、どこからともなくやって来た草葉が散っている。マスターは「草木は自然に還るものだから、放っておけばいいのに」と言ったものだが、仮にもお客を迎える立場なのに、玄関先を散らかしておくのはよくないだろう。アメリアはそんな思いのもと、一人熱心に掃除に打ち込んでいた。


 集めたものは、大きなちりとりへ掃きこむ。マスターの言う通り自然に還るものなのだ、最後は店の裏へ持って行って、土に埋めるつもりである。


 と、その最中。アメリアの視界の外から何か固いものが飛んできて、一度地面に弾んでから、箒の先をまたいでちりとりに収まった。


 ――なんだろう。仕事の手を止めて、興味津々に取り上げる。


 それは透明感のある桃色の鉱石だった。形こそごつごつとしているものの、手のひらにちょこんと収まるかわいらしい大きさだ。太陽の光にきらきらと輝いて、しっかりと手を加えれば、高台に住むお金持ちが着用する宝石にも負けない、とても綺麗なものになりそうである。


 しかし、どうしてこんなものが飛んできたのだろう。アメリアは怪訝な顔を上げて、やってきた方角、三軒隣の十字路を見やる。 


 探すまでも無く、アメリアは石を投げ込んだ元凶を見つけた。


 さんさんと降り注ぐ太陽の下、黒いロングコートを着込んだ青年が葉揺亭に向かってくる。やや背中を丸め、顔も隠すようにうつむき気味。ゆっくりとした足取りの黒い影は幽霊のように揺らめいて、昼の世界に異質さを醸している。


 その茶髪の男がちらりと上げた視線と、アメリアの視線とがかち合った。


 瞬間、既に破顔していたアメリアは、いっそう喜びを強めると、無邪気に手を振った。


 葉揺亭には様々な背景を持つ人々がやってくる。商人、芸術家、貴婦人、旅人、異能者――顔なじみだけでも挙げればきりがないが、その中でも飛びぬけて異彩を放つ客が、この黒い外套の青年だ。名はヴィクター=ヘイル、職業は殺し屋、もとい、「賞金稼ぎ」と本人は公称している。


 闇から闇へと渡り歩き、儲け話をかぎつけては西へ東へと飛び回る、根無し草のごとき生き様の男だ。喫茶店でのんびり茶を嗜むのにはまったく似つかわしくないが、紛れも無く、葉揺亭の大事な客である。


 ヴィクターはアメリアの前に立つと、肩書きに似合わない気さくな笑みを見せた。


「よおアメリアちゃん、久しぶりだねえ。相変わらずかわいくってなによりだ」

「ヴィクターさんも。元気そうでよかったです。……あっ、そうだ、この石!」

「お土産だ、もらっといてくれ。対して価値のあるもんじゃない、ただの綺麗な石だが、磨けば多少宝石っぽくなるだろう。どっかの石屋に頼むか……いや、面倒なことしなくても、あの人に言えばやってくれるさ」

「ふふっ、マスター、器用ですものね。色々なこと知ってるし、なんでもやっちゃうんですよ。ほんとに、何でも!」

「ああ、今さら教えてもらわなくても、昔からよーく知ってるさ」


 ヴィクターはからからと笑った。


 つまり、彼が葉揺亭に来るのは、亭主の知人であるから。しかもアメリアよりもずっと付き合いが長く、マスターが「マスター」になる前からの親交だ。


 アメリアから見ても、客として店に来るというよりは、親類縁者の家に転がり込むような雰囲気だと感じていた。


「あの人は元気か?」

「いつも通りですよ。今日は調べ物をするからって言って、お部屋にこもってます」

「ほーん、そりゃいいや。あの人居ないなら、アメリアちゃんと二人っきり――」

「ここに居るよ。よくも僕の目の前でアメリアをかどわかしてくれるな、ヴィクター」


 突如として降ってわいた亭主の声に、二人して肩を震わせた。


 振り向けば、マスターは全開にした玄関扉の軸近くに背を預け、腕を組んでいた。穏やかでない面持ちに、日陰に立っているのが拍車をかけ、ひどい重圧を放っているように感じる。


 ヴィクターは、しまったと額を打ち、「なんでわかるんだよ」と声は出さずにしゃべる。あまりに苦々しくやるものだから、アメリアは失笑した。


 するとマスターも不敵な笑みを浮かべて、ヴィクターに言った。


「君の気配はわかりやすい。昔から、ずっとそうだ」


 言われた側に返す言葉はないらしい。アメリアに目配せしながら眉を下げ、おどけるように肩をすくめるばかりだ。



 それからマスターが二人を手招きした。片手で扉をおさえて、入ってくるまで待っているつもりらしい。応じるようにヴィクターがアメリアの肩をぽんと一つ打ち、招かれるがまま間口に向かった。


 すわ、自分も急がないと。アメリアは慌てて枯葉を集めきると、黒い背中を追うようにして葉揺亭に飛び込んだ。



「それで、調子はどうだい?」

「まあ、ぼちぼちってところだ。なにも無かったら帰って来ないさ」

「それもそうか」 


 アメリアが掃除道具を裏に片付けて戻ってくると、男たちの談笑が耳に入った。ながらにマスターは紅茶の支度を始めている。


 この客が飲むものは常に決まっている。「シネンス」という名の、最もオーソドックスで安価な紅茶だ。ノスカリアで単に「茶」と言った場合は、普通この紅茶のこと。


 ただし葉揺亭のシネンスは、その辺の飯店で出てくる大衆茶とは一味違う。各地にまたがるシネンス茶葉の産地から、マスターが自分の舌で選び抜いた、とりわけ良質なものを使っているのだ。


 とはいえ葉揺亭には多種多様な紅茶が揃っている。その中に名を連ねていると、シネンスはどうしても平凡で見劣りしてしまう。言うなら、わざわざ選ぶほどのものでもない、と。


 そんな背景があるから、シネンスしか飲まないヴィクターは少し変わっていると言える。どうしてなのか、アメリアは以前、率直にたずねたことがあった。


 彼の答えはというと、御託を述べられても違いがわからないからだ、というこれまた素直なものだった。


 なるほど、真理である。喫茶の専門店に来る客だからといって、みな紅茶に詳しい、あるいは非常な興味がある、そんなわけがないのだ。ヴィクターのように、茶を味わうこと以外を求めて喫茶店にやってくるなら、味の違いなんてどうでもよい項目だろう。


 今日もマスターはシネンスを淹れている。それだけ確認すると、アメリアは主から興味を逸らした。


 一転して客席を向く。ちょうど、ヴィクターが暇そうにあくびをしている瞬間を見てしまった。


 屈託のない笑みを浮かべて、アメリアはヴィクターの前に身を乗り出す。


 葉揺亭の看板娘に迫られると、青年はにへらと笑顔を返した。


 その彼に、アメリアはきらきらした目でせがんだ。


「ヴィクターさん。あの、お暇なら、『あれ』見たいです」

「ん? んー……? あ、そうか。うん、いいよ」


 眉目を上げつつ、ヴィクターは黒コートの胸ポケットに指を入れた。


 取り出したのは、真鍮製の小さな直方体。短辺に一か所穴が空いていて、その反対の角には押しボタンが付いている。


 これは「火打ち器」と呼ばれる道具だ。葉揺亭の焜炉コンロと同じく、火の魔力を秘めたアビラストーンが組み込まれており、いつでもどこでも簡単に火を起こせる優れものである。


 ヴィクターががさつく指でボタン何度か押すと、カチンという音と共に、火が穴から飛び出した。弱々しくゆらめく炎は豆粒大、携帯型の火打ち器では、この大きさが精一杯なのである。 


 その種火に、アメリアは熱っぽい視線を送り続けていた。青い目の中に、真っ赤な炎が反射して輝く。もちろん、そんなことで炎が勢いを増したりはしない。


 期待を浴びて掲げられる火打ち器の上に、ヴィクターの手が被せられる。ゆっくりと、炎を包み込むように。 


 刹那、豆粒だった炎は火柱と化し、葉揺亭の天井を高くついた。


 アメリアは勢いよくのけ反るが、浮かべているのは興奮した笑顔。悲鳴に近い歓声をもこだまさせる。


 見ている間にも柱はうねり、再び形を変え始める。初めは渦状に変化して、と思えば一気に細くなり、鎌首を持ち上げた蛇のように揺れた。


 それがじっとしていたのもわずかな間のこと。燃え盛る蛇は、操り主の腕に巻き付くようにするすると移動して、頭が肩のあたりに到達すると、幽霊のようにふっと消えた。いや、違う。単に火の勢いが弱まっただけだ。


 後に残っていたのは、火打ち器の口で揺れる小さな炎。ただし不定形にゆらめく自然なのものではなく、恋文に添えられるような愛の記号をかたちどっていた。


「ま。ざっと、こんなもんかねえ」

「さすがヴィクターさん、すごいです!」


 アメリアは無邪気に手を打った。


 手品の種は簡単だ、ヴィクターも異能の使い手・アビリスタなのである。


 彼のアビラは炎を操るもの。自力で発火させることはできないが、操作能力ならばご覧の通り。炎であれば、煙草の火のような大人しいものすら、自由自在に激しく変化させてみせる。


 もちろん仕事柄、想定しているのは物騒な用法だ。


 しかしアメリアにかかれば、楽しい大道芸になってしまう。うら若き彼女にとって、自分に無いものはすべてが憧れの的なのだ。


 冷めやらぬ高揚に包まれるアメリアの隣で、マスターがやれやれとばかりの溜息を吐いた。ただし、うっすらとした笑みは絶やさない。


 店主はちょうどできあがった紅茶を供しながら、ヴィクターに向かって、どこか小馬鹿にしたような口調で言った。


「随分器用になっちゃって。足を洗って旅芸人にでも転向したらどうだ」

「俺が? つまらん冗談やめてくれ。……まさか本気で言ってるんじゃないでしょ」

「あたり前だ。君の性根の悪さなんて、僕が一番知っている。そんな風に死臭を漂わせて堂々してるようじゃ、真っ当な道には戻れないだろう」


 ひどい言い草を愉快そうに語るのは、マスターにはしばしば見受けられること。数年来となりに居たのだから、アメリアはもう慣れたものだ。かく言う自分も、時々ちくっと刺される。


 ただし、マスターが直接皮肉をぶつけるのは、気を許した間柄にだけ。それもまた、見ていれば十分理解できた。


 とはいえ、たまに嫌味が無性に鼻につく。今がちょうどそれだった。


 アメリアから見れば、ヴィクターは「楽しいお兄さん」である。明るいし優しい、とても性悪などではない。殺し屋だと言っても、彼が標的とするのは、政府から懸賞金がかけられた悪人か、法で保護されないアビリスタの犯罪者に限る――と、本人からは聞いている。


 それ以上に、死臭がどうのというのがもっとわからない。以前に再会のハグを受け、顔にコートを押し当てる羽目になったことがある。確かに鼻の曲がるひどい臭いであったが、それは汗や酒や葉巻の香りが混ざり合ったもの。涙目になったその一件以来は、ヴィクターの方が気を使って密着を避けている。だから、彼のにおいが悪い意味で気になったのは、その一度だけだ。


 気に入ってる人のことを悪く言われれば、黙って居られない。アメリアはむすっとした顔で、すまし顔のマスターに抗議をした。


「ヴィクターさんはいい人ですよ」

「それはない。絶対に」

「即答しないでくださいよう」

「だって事実だもの。良くはない。これが善人ならば、世の中の大抵は善だ、治安隊なんて要らなくなる」

「マスター、ひどいです!」

「いやいや、その通りだアメリアちゃん」


 敵への助け舟が、自分の擁護の対象本人から飛んできて、アメリアは驚きに顔を歪ませた。


 ヴィクターは淡緑色のティーカップ――彼が自分で専用に持ち込んだものである――を片手で揺らしながら、どことなく嬉しそうに、しかし粛々とアメリアをさとしにきた。


「ここは俺にしてみりゃ別の世界みたいなもんで、だからこんな顔してんのもここだけの話。普段の俺はもっと怖いお兄さんだからね。もし外で見かけても話しかけたら駄目だよ? 危ないから」

「……はーい」


 気のない返事は疑心の表れだ。


 絶対に嘘だ、とアメリアは思った。自嘲じみた冗談を言っているのか、あるいはマスターに合わせているだけか。どちらかと言えば後者が近いだろう。先ほどから店主はずっと気をもんでいる様子だ。なお、アメリアがヴィクターと楽しく話していると、いつもこう。店員に対して過保護なのだ。


 マスターからの圧に今日は屈しない。アメリアは、ヴィクターを穴が空くほどに見据え続けた。


 視線で重圧をかけて、本音を引き出す。これはマスターの真似だ。


 客人がちびちび茶を飲む一挙一動を、見て、見て、見る。少女にやられたところでまったく迫力はないが、本人は至って真剣である。


 先に音をあげたのはヴィクターだった。にらめっこはもうたまらないとうめき声をあげ、アメリアより顔を背ける。


 それでもアメリアはしつこく食い下がり、ささっと立ち位置を変えて青年の横顔を追った。マスターから「こら」と軽く頭をはたかれても、まだ諦めない。


 とうとうヴィクターは両手を挙げた。


「あの石以上にはなんにもでないから、あんまりじろじろ見ないでくれよ。だいたい、こんなかっこいい顔ずっと眺めてたら、俺に惚れちゃうぜ?」

「それはないので、心配しなくても大丈夫です」

「あー……うん。そう、かい」


 弱った笑みを浮かべながら、ヴィクターはいそいそとカップを傾けた。微妙な空気が間に流れる。


 事実を言っただけなのだが、なにか変だっただろうか。アメリアの中にそんな不安が一瞬だけよぎったが、すぐ背中で聞こえたマスターの高笑いに気を取り直した。よくわからないけれど、面白かったのならそれでいい。


 もう一つ。アメリアの中では、殺し屋ヴィクターは愉快なお兄さん、それでいいやと思った。外の世界の青年がどんな顔をしているかなんて、知らないし知ることもないだろうから。


 もう執着する理由も無くなった。強張っていた頬を緩め、無邪気な笑顔を浮かべる。


 そんなアメリアを飛び越して、マスターもヴィクターに笑いかけた。先とはちがう、穏やかな微笑みだ。


 葉揺亭の主がいつもたたえている優しく包み込むような笑顔は、どんな客にも、そしてもちろん身内にも分け隔てなく与えられるものであり、アメリアも大好きだった。


「ねえ、ヴィクター。おいしいかい?」

「普通」


 ヴィクターの答えはぶっきらぼうだった。


 しかし、これが彼なりの褒め言葉だ。それはアメリアでもわかったのだから、マスターにはより深く伝わったに違いない。


 店主はにやりと口角を上げた。


「そりゃいい。普通なのが一番だ。良くも無いが、悪くはないってことだからね」


 それは嫌味でもなんでもない。清々しく葉揺亭に通った言葉は、マスターの本心だった。

葉揺亭 メニュー

「シネンス」

この世界で最も広く飲まれている、オーソドックスな紅茶。

癖が無く、万人受けする。個性の無さは、逆に、何にでも合わせやすいという強みでもある。

また特徴なのは、もっともお手頃な価格ということ。むしろ一番大事な点かもしれない。

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※本作品を再構成・加筆修正を行った新版を2023年に公開はじめました。順次掲載していきます。  ストーリーは大きくは変わっておりませんが、現在本作品をお読みの方はぜひ新版をご覧ください  https://ncode.syosetu.com/n9553hz/ またはマイページから
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