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雨の日の葉揺亭

「雨、やまないですねえ」

「空が暗いからね。まだ当分降るだろうよ」


 大粒の雫が地上に次々打ち付けられる風景を、二つの顔が硝子窓ごしに並んで覗く。同じようなやりとりをもう四度も五度も繰り返している程度には、葉揺亭は暇であった。


「お客さん……来ないですかねえ」

「来ないだろうね」


 これが繁華街に面する場所ならば、雨宿りに駆け込んでくる客でもいるだろう。が、残念ながら住宅地の袋小路の最奥である。この条件でたまたま通りすがる奇特な人など居やしない。


 そも雨となれば濡れるを厭い人間は家にこもるからして、大雨の現在はノスカリアが誇る商店街も閑散としているのだが。一応、傘なる移動する屋根のような物が世の中にはあるが、あれは往々にして太陽光を遮るために使うものだ。第一、これほどの強い雨を弾くには、よほど良質な脂を布張りの面に塗っているか、はたまたアビラのような不思議な力で撥水するかのどちらかで、入手には相応に金銭が必要なのだ。持っているとしたら富豪の類で、しかし彼らはわざわざ出歩く真似はしないだろう、上の水は防げても下からの泥はねで衣服を汚すから。


 わずかに雨を遮る屋根がある玄関先にふらりと蛾が舞い込み、湿気に重くなった羽を休める。雨天の時の訪問者など、そんなものばかりだ。



 未だ諦めきれない様子で外を眺めたままのアメリアを置いて、マスターはカウンターの中の定位置へ移動した。椅子に腰かけ、読みかけだった書物を開く。脇に置かれた白いポットを傾けるも、すでに中は空だった。雫が一滴、茶渋のつきかけているカップに落ちるのみ。


「暇です」


 もう何度聞いたかわからない、アメリアのため息交じりの声が聞こえた。彼女は朝からずっとああしている。雨が降っては自分だって外に出たくないし、大掛かりな洗濯や掃除もできない。小さな家事など、とうに終わってしまっている。


 暇をいかに楽しむか考えるのもまた一興なものなのだが、しかしアメリアにはまだ難しいだろう。マスターは苦笑して、彼女に道を示してみた。

 

「アメリア。そんなに暇なら、僕のためにお茶でも淹れてくれないかい?」

「わかりました。何にしましょう?」

「シネンス、少し濃いめが良いな。あと君が昨日買ってきてくれたリンゴが冷蔵庫にあるから、半玉分を薄くスライスしてポットに入れてくれ。それは蒸らしが終わったらだよ」

「あれ? リンゴって干すんじゃなかったんですか?」

「やめたよ。まだ何日か空が荒れそうだもの、太陽を待つ間に腐りかねない」


 厚い雲はちっとも流れていく様子が無い。今後の天候を悟っては、外出しない身分でも、少しだけ青空が恋しくなった。



 マスターの課題に挑むべく、アメリアは食器棚からポットを一つ取り出した。暇を見ては自分のお茶を淹れてみたりしている内に慣れてはきたが、これがマスターに飲ませるものだと思うと、まだ少し緊張してしまう。しかも果物を入れろときたものだ、そうしたひと手間かけるようなものは、まだ数えるほどしかやったことがない。


 マスターならば後入れの果物のカットなど、茶を蒸らしている待ち時間で終わらせる。少しでも使う直前近くに刃を入れた方が、切り口からの劣化が防げるから良いのだ。しかし、アメリアにはシネンスの短い待機時間でリンゴを綺麗に切れる技量は無い。それならば多少乾いたり変色したりする可能性を鑑みても、慌てないために先に準備しておくべきだ。


 冷蔵庫の中には、少女の拳大の小ぶりなリンゴが一玉あった。黄色味が強い酸味リンゴと呼んでいる種類だ。普段は買ってきてすぐにマスター刻んで干してしまうから、あまりこうして触ったことがない。


 さて、そのスライスだ。いや、その前に皮をむいたほうがいいのだろうか。降ってわいた疑問に、アメリアがナイフを握って固まっていた。


 横目で様子を伺っていたマスターから、すかさず忠言が飛んでいった。


「ああ、そうだ。皮は剥かなくていいからね。その方が香りが出るから」

「はっ、はい!」


 危なかった、切ってしまう前にためらってよかった。アメリアはこっそり胸を撫で下ろしたのだった。



 何はともあれ、お茶は出来た。甘酸っぱいリンゴ・ティ。スライスの厚さは若干ばらついているし、断面もがたがたしているが、ポットに入れてしまえば見えないので大丈夫だ、きっと。アメリアは誰にともなく、うんうん、と頷く。


「マスター、できましたよ。注いじゃいますね」


 声をかけつつ、空になっていたカップに出来たての茶を注ぐ。紅茶の流れからリンゴのみずみずしい香りが華やかに広がった。


 ありがとう、という返事と共に、カップを掴むべく手が伸びて来た。マスターがそれを口にするのを、どきどきしながらアメリアは見守る。結果、特に小言はない。とりあえず合格点だったということだろうか、ようやく肩から力が抜けた。


 まだ中身がたっぷり残っているポットは、空のポットと入れ替えて置く。後はマスターが好きなタイミングで手酌するだろう。


 さて、こちらは片づけだ、と思ったところで、アメリアの目にリンゴの残りが飛び込んできた。いつもは買ってきても、すぐ細かく刻んで干してしまう酸味リンゴ。乾燥品は食べたことがあるが、この生の状態は知らない。


 少しくらい食べてもいいよね。先ほどから鼻をつく甘酸っぱいリンゴの誘惑に負け、アメリアは半分のさらに三分の一を切って、かじった。固い果肉で濃厚な甘味と、少し強めの酸味が――。


「酸っぱい!」


 強いどころではない酸味に思わずむせこんだ。乾燥中をつまみ食いする感じではもっと甘いはずなのに、これには全くその面影が無い。酸の砂漠の中に落とした一粒の飴玉を探しているような感じだ。


 眉間に皺を刻み、反動的に溢れて来る唾液を飲みこんでいた。そこにマスターからぶっきらぼうな茶々が入った。

  

「酸味リンゴって言うくらいだから当たり前だ。干してないから、なおさらそう感じるだろうが」

「えー……じゃあ、いつものは干すから甘いんですか?」

「その通り」


 光に当て乾かせば水分が抜け日持ちが良くなる。それと共に、味が濃縮されるのか、何か変化が起こるのか、とにかく甘味も増すのだ。そうとは知らなかったアメリアは、ただただ、かじりかけのリンゴを見つめて感心していた。


 ふと思ったのは、先ほどのポットには結構な量のリンゴを入れたこと。一口でこのざまなのに、あんなに投入して大丈夫なのだろうか。


「お茶は酸っぱくならないんですか?」

「さっぱりしてちょうどいいくらいだ。特に、今日みたいなじめじめした日にはね」


 マスターはしたり顔で微笑んだ。好みのものをひたすら飲むのも良いが、気分や気候に合ったものを楽しむのも乙なものである。

 


 アメリアは手に持ったリンゴを眺めた。正直これ以上食べたくないが、捨てるのももったいないと思ってしまう。少なくとも手を付けてしまった分は、自分でどうにかしなければならない。


 そこで手を打った。自分もお茶にすればいい。単にマスターの真似をするだけじゃなく、もう一工夫加えてだ。

 

「ねえマスター、私も何か作ってみてもいいですか?」

「どうぞご自由に。あの引き出しのもの以外は好きに使っていいよ」

「言われなくても、もう触りませんよ。怖いですもの、変なものがたくさんで」

「変ではあるかもしれないが、大丈夫、触っただけで死ぬようなものは置いていない」

 

 アメリアは疑いの目を向けた。触っただけでは大丈夫でも、例えばうっかり落としたら雷に打たれて死ぬような危険物はあるではないか。それに、死ななくとも手が腐るくらいのことはありかねない。魔法の鍵がかかった引き出しは、頼まれても触りたくない領域だ。


 アメリアは素直に作業台に陳列されている材料を眺める。まず軸になる材料だが、普通の紅茶では茶色いばかりで少々面白くない。ハーブ・ティにした方が楽しいだろう。


 しかしハーブの類も、これまた色々取り揃えてあるのだ。よく使うものは外に置いてあるし、戸棚に閉まって必要な時に出してくるものもある。すべて合わせれば数十はくだらない。それら小さな瓶だの缶だのを交互に見て、アメリアは何を使おうか悩んだ。数に圧倒されるだけでなく、実際に飲んだことがあるのは半分にも満たないのも拍車をかける。


 台上にあった片手に収まる筒状の缶を次々と開き、その内の一つでアメリアは手を止めた。中に入っているのは、黄色い花。というよりは、花びらを取り払って真ん中の黄色い部分のみ残した風体でもある。これはつい先日マスターが使っているのを見たばかりだ。カモマイル、と言っていた。


 香りをかぐと、甘ったるい匂いが鼻につく。酸っぱいリンゴと合わせるならちょうどいいかもしれない。一つはこれにしようと決めた。


 しかし、せっかくだからもう一つか二つブレンドしてみたい。アメリアは何が合うだろうかと悩んで、また材料を見比べる。


 気になるのはピンク色の花びらだ、こちらもほんのり甘い香りがするから。むしろその可愛らしい見た目に惹かれる部分も多い。よし、これも入れてみよう。


 あとはその隣にあった、赤黒い物体。おそらく花だと思うが、何かの実かもしれない、しわしわで正体がよくわからないのだ。少し酸っぱい匂いがするが、「こういう日はさっぱりしたのがちょうどいい」とのマスターの言が背中を押した。まさにうってつけではないか。


 こうしてアメリア特製ブレンド・ティの材料は決まった。後は量の問題だが、これがさっぱりわからない。


 全部同じくらい使えば間違い無いだろうと楽天的見て、ポットに小さじ一杯ずつを会わせる。見栄えは赤と黄で明るい感じだ、悪くない。食べかけのリンゴも細かく切って仲間入りさせてから、お湯を張る。蒸らし時間はどれくらいだろうか、これも手探りだ。長くて悪いことは無いだろうと、葉揺亭の砂時計で一番長い時間を計れる青いものをひっくり返してみた。落ち切るのには、六十数えるのを五回繰り替えす程の時間がかかる。

 


 椅子に座って所在なく足をぶらつかせていた。とりとめのないことを考え、何となしに店内を見渡し。ふと気づけば、砂時計は時を刻むのを終わらせていた。


 あっ、という間もなく、アメリアはポットに飛びついた。さて完成の程はいかに。


 静かに注いでみれば、現れたのは赤色の液体だった。透明感はあるが、やや色濃く、一見葡萄酒のようにも見える。


 そして強く香り立つのは酸味だった。


 この時点で既に嫌な予感がする。アメリアはある種の覚悟を決めつつ、カップを手に取った。

 

「酸っぱ!」


 予想していたのに、眉間のしわが深くなる、身震いも止められない。全身の筋肉がレモンのようにきゅっと絞られた感じまでした。


 確かに甘い香りはある。だがそれは、酸味という名の雲の上までそびえ立つ山を越えた向こうに、微かに存在しているようなものだ。断言できる、これは失敗作。


 二口目に手を出しかねていたアメリアの背後に、いつの間にかマスターが立っていた。すっと手を伸ばすと、ポットの中身を確認する。


「全体的に濃い目だし、こりゃロゼルの割合が多すぎるよ。他に選んだものは悪くないけどね。少し薄めて蜂蜜でも入れてみなよ、多少ましにはなるだろうからさ」

「蜂蜜でどうにかできるようなものじゃない気がするのですが……」

「まあ、好みの問題でもあるからね。酸っぱいのが苦手なら、もうどうしようもない」


 そう言いながらマスターは空のカップを出してきて、アメリア・ブレンドを試飲する。


「っ! ……ああ、なるほど、確かにこれはきっついな」


 酸の強さに思わず肩を跳ねさせながら、しかしカップに入れた分はしっかりと干し切った。飲み終わった後の口をすぼませ、苦笑する。


「アメリア、流してしまってもいいよ」

「でも、もったいないです」

「うーん……。だったら一回濾して取っておきなよ。それか砂糖を溶かしておいて、冷蔵庫に入れてみるのも悪くないかな。水で割って飲めるしさ」

「それ、試してみます」

 

 早速アメリアは茶こしを手に取った。


 口の広い金属の容器に自分の失敗作を濾しながら、アメリアはぼやいた。


「マスターは天才なんですね。失敗しないし、色んな事を思いつきますし、何でもできてしまいますもの」

「そんなことない。僕だって、君みたいに何もわからない時代があったさ。今だって出来ないことはある」


 その言葉に、アメリアは目を丸くした。初めて気づいたと言わんばかりに驚き溢れる声を上げる。


「マスターにも子供の頃があったんですね」

「そりゃそうだよ、人間だもの。この姿で生まれて来たわけで無いし」

「どんな子だったんですか!? すごく聞きたいです」


 アメリアの目が輝く。マスターは自分の過去を好きこのんでつぶさに語る人種ではない。だから小さなころの話など、この機会を逃したら一生聞けないかもしれないのだ。


 店主は椅子に戻り読みかけの分厚い本を開きながら、小さく唸り声を上げる。


「どうだったかなあ……ずっと昔の事だからあまり覚えていない。だが、少なくとも君みたいないい子じゃなかったよ。ひねくれてて、親不孝で、師に反抗するような真似をして、禁を破り……ああ、もうこの話はよそう! 君の中の僕が、悪いの印象に塗り替えられてしまう」

「ええ、そんなあ! 大丈夫ですよ、印象なんて、もう結構悪い方だと思いますし」


 唖然として店主がアメリアを振り返った。


「ちょっと待ってよ! 君にまでそんなにひどい奴だと思われてるのか、僕は」

「少なくとも他人をからかって喜ぶ人が『いい子』だなんて言えませんもの」


 マスターは頭を掻いた、否定はできまい。決して自分を善人だとは思っていないが、アメリアに嫌われるとなると、話はまるで別だ。どれだけ表情を取り繕っても、心にえぐられたような穴が空く。


 店主が沈んだ気持ちで自分の行いを反省していると、アメリアのいたって楽しそうな声が聞こえた。それはまるで大人をからかって喜ぶ子どものように。


「冗談ですよ。いろいろあっても、マスターの事好きなのは変わりませんから」

「……本当に?」

「ほんと、です」

「はあ……安心したよ」

「マスターは?」

「言うまでもない、大好きだ、僕のアメリア」


 そして二人は顔を見合わせて、笑った。世界は暗い雲に包まれ雨に打たれている、しかしこの葉揺亭だけは切り取られた異空間のごとく、晴れやかな気配に満ちていたのであった。

葉揺亭・メニュー

「リンゴ・ティ」

生のリンゴを皮ごとスライスしてポットに入れた紅茶。リンゴのみずみずしく甘酸っぱい香りが紅茶と相性よし。定番のフルーツ・ティだ。

お客様にはカップの縁にスライスを一枚はさんでお出しします。カップに浮かべると風味がなおよし。


「アメリア特製ブレンド」

ロゼル(ハイビスカス)をベースにカモマイルとローズ、それと生のリンゴを配合。

作った本人は失敗作だと言うが、ロゼルの尖った酸味をカモマイルがほどよく中和して、素材自体の相性は悪くない。分量は間違えなきよう。

酸っぱくて飲みづらいなら、蜂蜜を加えると風味も良く飲みやすくなる。砂糖でも別に良い。


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※本作品を再構成・加筆修正を行った新版を2023年に公開はじめました。順次掲載していきます。  ストーリーは大きくは変わっておりませんが、現在本作品をお読みの方はぜひ新版をご覧ください  https://ncode.syosetu.com/n9553hz/ またはマイページから
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