天衣無縫の人形師
木を基調とした店内に、本のページをめくるかそけき音が響いた。正午を前にした葉揺亭には、マスターを除いて誰も居ない。客も、店員のアメリアも。よくある風景だ。
葉揺亭には定休日が無い。開けていても閉めていても大して生活に違いはなく、マスター自身が休暇を取る必要性を感じていないためである。
その代わりと言ってはなんだが、アメリアには好きなタイミングでの外出や休養を許している。営業中にたびたび姿を消すのはそういうわけだ。
幸いにも、ノスカリアの治政は行き届いているほうだ。昼間の通りを歩いて店屋を覗いて回るくらいなら、うら若き娘一人でも危険は無い。
それに今日、毎週火竜の日の昼前に、彼女が行くところは決まっているのだ。かつ、戻って来る時間も把握できている。
――まだ心配はいらない。マスターは一人優雅に紅茶を飲みながら、すすけた表紙の分厚い本を読みふけっていた。
ただ。彼の顔に寂しげな影が差しているように見えるのは、読書のために俯いているからというだけではないだろう。
独りに浸りすぎて、時の流れも忘れた頃。葉揺亭の玄関が開き、光と風とが空気を動かした。
アメリアが戻って来た。その途端、無色透明で無味無臭だった小さな世界が明るく彩られ、上げられたマスターの目にも活き活きとした光が灯る。雇用関係というよりは、歳の離れた兄妹、いや、若い父と娘の風情だ。
「ただいま戻りました!」
「ああ、おかえり」
優しい声で紡いでから、マスターの視線はアメリアに伴う娘に向く。フリルやレースをあしらった華やかな衣服をまといながら、ごつい留め具のついた四角鞄を両手で下げ持っていて、一見ちぐはぐな印象だ。しかし、これもまたなじみの光景、なじみの客である。
同時に、彼女はアメリアの大事な友人だ。名前はレイン=リオネッタという。
「いらっしゃい、レイン。紅茶はいつものでいいかい?」
「はい、お願いします」
はきはきと答え、レインは人好きのする笑顔を浮かべた。そのまま軽く会釈をすれば、よく手入れされた艶やかな黒髪が肩の上でさらりと流れた。
マスターが茶を用意している間、アメリアとレインはカウンター席に並んで、おしゃべりを楽しんでいた。
耳をそばだてて会話の受け答えを聞いていると、レインの方がずっと大人に感じられる。実際にアメリアより二つほど歳上なのだが、それ以上に。
その要因は自立度の違いか、そうマスターは考えていた。
レインは一流の人形師として自ら稼ぎを得て、工房と兼ねる自宅にて一人で暮らしている。
主な仕事は人形の製作と販売だ。小さくかわいらしいおもちゃから、美術品の意味合い強い精巧な人形まで、頼まれたものを器用な手先で創り出す。
そして、もう一つ彼女には大事な仕事がある。火竜の日と陽光の日に、時計塔の広場で行う人形劇だ。扱う操り人形はもちろん、舞台装置の類や脚本まですべてが手作り。レインの人形さばきも見事なもの、まるで生きているような躍動感があり、老若男女問わず人気を博している。
アメリアも最初は人形劇の一観客だった。感激して足繁く通ううちに、歳が近かったのもあり仲良くなって、今ではこうして、火竜の日の劇の合間に葉揺亭で共に過ごすのが日課となった。
少女たちの話に耳を傾けながらも、マスターはきちんと手を動かしていた。レインの紅茶はもう仕上がっている。ポットの蓋を取って一かきすれば、紅茶とは一風違う香りが立った。
これは、紅茶の葉にカカオと呼ばれる豆の粉を混ぜて、風味をつけた一品だ。
「さあ、待たせたね。『カカオ・ブレンド』だ」
会話劇に興じていたレインの目の前に、真っ白のティーセットを一式差し出した。ポットにカップ、加えて、さらさらの砂糖が入ったシュガーポットと、銀製のミルクピッチャーも忘れない。
レインはにまりと笑顔を見せた。
まずはシュガーポットに手を伸ばす。そこから付属の小さな匙で甘い白砂を一掬い。ここで欲張らないで、摺り切り一杯に収めること。それが、この紅茶を一番おいしく飲む秘訣なのだ。
砂糖をカップに入れたら、今度はミルクを注ぐ。量はピッチャーのちょうど半分。ティーポット一つでだいたい二杯分だから、ぴったり使いきれる計算だ。量を細かく調整する必要もないだろう、紅茶をおいしく飲むなら、茶の店の主に任せれば間違いない。
このミルクを加えた時が、カカオ・ブレンドの真価である、とはマスターが熱く語るところだ。ストレートで飲むと、カカオ豆のほろ苦さに角が立つ。ミルクを少し加えた途端に、苦味が丸くなって口当たりがよくなり、しかし香り高さは損なわれず、逆にすばらしい調和を生むのだ。
マスターおすすめの通りに下準備を終えてから、レインはようやく茶を注いだ。陶器のポットの保温性は高いから、静かに傾けると、口からは深茶色の液体と共に、熱い湯気もきちんと流れ出た。
濃い色の紅茶がカップの中に着地すると、瞬間に優しい色合いのミルクティへと変化する。あたりにふわりと漂うのは、ほろ苦くもあまやかな心安らぐ香りだった。
「いい匂い」
お客以上にアメリアが蕩けるような表情を見せている。ミルクティは彼女の大好物でもあるのだ。
レインはというと、柔らかい表情を浮かべたままゆっくりとカップを口につける。
わずかに苦味があるものの、基本は甘く優しい。なんとなく、母親の存在を感じる。
「うん、おいしい! 私、やっぱり紅茶はマスターのが一番好きだな」
レインの満点の笑顔には、子どもらしい色がありありと表れていた。
ゆったりと時が流れていく。マスターは読書を再開していた。女の子同士の楽しそうなおしゃべりに横槍を入れるのは無粋だろう。もっとも、耳だけはきちんとそちらに向けているのだが。
二人は、先刻の劇の話題で盛り上がっている。今日披露したのは新作だったらしく、アメリアが興奮で息を弾ませながら感動を伝えて、なおかつ質問攻めにしていた。レインの方も、とても嬉しそうに応じている。
あまり熱心なものだから、劇を見ていないマスターにも内容が伝わった。簡潔にまとめると、邪竜に捕われた姫を王子が救いに来る、という王道な物語だったらしい。
王道を選ぶのはいいことだよ、とマスターは心の中でレインを褒めた。観客には伝わりやすいし、使いこなされた素材をいかに魅せるかということで、演者の腕も発揮できる。紅茶も同じなのだ、奇をてらったブレンドにするとおおよそ不評、カカオ・ブレンドのようにシンプルなもののほうが広く好まれやすい。
そんな真面目な話ならどれだけでも説けるが、今はお呼びでなさそうだ。アメリアがきゃあきゃあと騒いでいる。
「それと、あの大きな竜が出てきて、王子様の部下を全部蹴散らしちゃったときには、もうどきどきです! そこからの王子様の活躍! とても人形の動きとは思えませんでした」
「ありがとう。あの戦いの場面は気合い入れてるもの」
レインが嬉しそうに拳を握った。
そして、不意に店主に話を向けた。
「ねえ、マスターもたまには見に来てよ」
カウンターに腕をかけた誘いは、たいそれた望みではない。それなのにマスターは、むう、と苦くうなった。
ぬるくなって渋が立ってきた茶で口を湿らせてから、やんわりとレインに断りを入れる。
「みんなに言っているんだけど、僕、外は駄目なんだ。太陽の光の下は、僕が歩くには明るすぎる。行きたいのはやまやまなんだけどね、申し訳ない」
「肌が弱いの? 大変。でも、外に出なきゃいけない時はあるはずだから……あれかな、外套とかで全身ぐるぐる巻きにして。そんな出で立ちでも、私は構わないよ」
「まあ、うん、だけど、その場合でも目は出さなきゃいけないし」
「それなら最近は黒眼鏡ってのもあるよ。マスター知らない? 赤眼の人とか、目に怪我してる人とかが付けてるの。こんど探して買ってきてあげようか」
レインはこげ茶色の眼をはちきれんばかりに輝かせ、有無を言わせない強さで押してくる。マスターは苦笑いしながら、少し腰を引かせた。
確かに防備を完全に固めれば、出られないことも無い。が、身を守るために必要でない外出を避ける、その方が賢い判断だろう。人形劇を見るために出かける、あいにく必要なことではない。
だが、それ以前にもう一つ、店を離れられない理由がある。マスターとしてはこちらが大事だ。
「僕はここの主だ。僕が店を放りだしてふらふらするのは、望ましい姿とは言えない。それに第一、僕が居なくなったら誰がお客さんのお茶をつくるんだい?」
葉揺亭は二人体制の店だ。しかしアメリアには、茶で代金を取れる技量がまだ無い。
紅茶を淹れる、その手順は一見するととても簡単だ。しかし、おいしさを極める、あるいは客の期待に応えるといったことを含めると、一朝一夕で身に付けられる技ではない。経験を積み、感覚を養う必要がある。どちらも現状のアメリアには不十分だ。
もちろんアメリア自身にも、店主の代わりを務める気はさらさらなかった。だから、マスターが言ったことに対して、心の中では「その通りです」と同意を送っている。
しかし表面には出さない。というのも、レインが口をへの字に曲げてしまっているからだ。なんとかマスターを自分の舞台へ導きたい、そんな諦めきれない思いがありありと溢れている。アメリアは友人として彼女の気持ちも尊重したかった。
得も言われぬ湿った空気が漂った。だが、マスターには想定内。すぐに「いい案がある」と、ぴっと人差し指を立てて言い、ついで腰を折ってレインと目線を合わせた。親が子をさとし、あやすように。
「今ここで見せてくれよ。道具は揃っているようだしね。難しいかい?」
「うーん……それは……」
「君も慈善でやってるわけじゃないのは知っている。もちろん無償でとは言わない。今日のお茶代のかわりってのはどうかな。当然、相応の長さで構わないからさ」
レインは少し迷いを見せていた。しかし、ややしてニッと笑った。
「じゃあ、ちょっとだけね」
そう言って、カップに残っていた一杯目の茶を飲みほして席を立った。
玄関脇の窓際席。四人掛けとしてしつらえてあるテーブルは、自由に動かせるものだ。
狭い店だが、客席側の中央には多少スペースがあり、そこへテーブルを動かして即席の演台とした。聞けば、いつも時計塔下での公演でも、同じくらいの台を用いており、上演に不都合はないとのことだ。
レインは四角鞄を机の上に寝せて、開く。中に詰められた人形を、丁寧に一体ずつ取り出した。
鞄そのものも舞台装置だ。裏地に青空や森が描かれた布が張ってあり、開いて立てると、さながら絵本を一ページ切り取ったかのよう。
最後に観客側から向かって左手に、塔を模したはりぼてが設置された。童話的な幻想世界を切り取って来たかのような、柔らかい印象につくられている。
すべて整っているのを指さし確認して、レインは軽く息を整えた。それから、椅子に座って並んでいる二人の観客に告げる。
「じゃあ、アメリアが気に入ったってシーン、やるね」
ぱちんとウインクを見せてから、レインは背景の裏に引っ込んだ。
ややして、二種の人形が画面両脇に現れる。右手に繋がるは四足で紫色の竜の人形、左手には十人の兵隊の人形を連ねたもの。手指すべてに引かれた糸は、少しでも油断をすれば複雑に絡んでしまいそうだ。
一呼吸おいて、彼女は朗々とした声で物語を始めた。即興でつくったあらすじを、しかし淀みなく唱える。
「これはある王国の物語。魔法の森の奥にある天の塔、そこには邪竜が住んでいました。ある日のことです。この竜が城を襲って、光の姫をさらってしまいました。……ああ、このままでは、世界が闇に閉ざされてしまう! 姫を救うため、王子が王国の戦士たちと共に、竜の討伐へ向かうのでした」
言い切るとレインは大きく右手を上げた。動きに呼応して、紫竜が塔の上に舞い降りる。顔つきは厳めしく、翼を広げて強靭さをアピールする。他の人形に比べてやや写実的な造りをしてあるのも効果し、小さくても迫力は十分だ。
そこへ兵士たちが進んでいく。一糸乱れぬ行進で、各々武器を振り振り、塔へと攻め込む。
もちろん邪竜は見逃さない。大きくかぶりを振り、翼をはためかせて地上に舞い降りた。
ある物は剣、ある者は槍、後尾の兵は弓矢を携え、隊列は恐れることなく巨竜へ真っ直ぐ突っ込む。
邪竜は長い尻尾で薙ぎ払った。いともたやすく兵隊の前列がまとめて吹き飛ばされた。倒れた兵たちは腕一本も動かない。
しかしまだ竜の攻勢は止まない。今度は鋭い爪で残った兵士を次々なぎ倒し、最後の一人にはとがった牙で噛みついた。
「『ぐっはっは。お前ら人間ごときで我に勝てるものかあ』」
レインが出来る限りのどすを利かせて竜の言葉を代弁する。一方で右手は器用に動かして、糸を指ではじいたり、くくったり。すると糸につながれた竜が大きく胸を張り、身振り手振りで勝利を謳う。その所作はまるで生きているかのよう。
そんな竜が見せる鋭い視線の先には、散々な状態で倒れ伏す兵士たち。まったく身動きしない者、立ち上がろうとして力尽きる者、怯えて逃げ出そうとする者。各々恐れ慄く光景は、糸一本でつながる人形だということを忘れさせる生々しさ。観覧者にも並ならぬ緊迫感を覚えさせる。
――見事だ。レインの人形劇を初めて見たマスターも、すっかり感心しきっていた。口元に手を当てて、特異な観察眼で技術をしっかり視る。
「『待て! 次はこの私が相手だ!』」
レインがぴしゃりと言い放つ。同時に左手をはけ、力尽きた兵士たちを瞬時に舞台の外へと回収した。
そこから指の糸をさっと入れ替え、新しい人形を登場させる。
剣を持った王子が現れた。肩より纏う青い外套が、無いはずの風になびいて見える。
レインが左手の人差し指で、王子の手につながった糸を引っ張った。応じて天高く剣が掲げられ、勇敢そのものの勢いで竜に飛びかかっていった。
が、いともたやすく鉤爪の手で振り払われる。王子の体が大きな弧を描いて宙に舞った。
それでも王子は諦めない。何度も突撃し、竜の身体を突いたり、頭を狙ったり。
一進一退の攻防の末、王子は邪竜のひっかき攻撃をかいくぐって、その背に飛び乗った。
「『姫をさらった邪竜め! これでとどめだ!』」
情感極まった叫びと共に、王子は力の限り剣を竜の心臓に突き立てた。
竜は悲鳴を上げながら、大きくのけ反ってもんどりうつ。勢いで王子は地面に転がった。
背中に剣が刺さった瀕死状態のまま、竜は体を這いずって逃げ出した。舞台の外へ裏へと消えていく。
王子はそれを見守ってから、
「『姫! いますぐ参ります!』」
凛々しく言って、塔の中へ入って行った。
「……はい、ここまで! 続きが気になるあなたは、時計塔の下へ来てちょうだいね!」
レインが得意気な笑顔を見せてしめくくると、二人の観客は立ち上がって惜しみない拍手を送った。
「どう、マスター? 結構すごいでしょ」
得意満面のレインはマスターに迫る。褒めて褒めて、そして、本公演の方も見に来てよ。そんな心の声が顔に書いてあった。
しかし肝心のマスターは、なにやら不敵な笑みを浮かべていた。
「確かに思った以上だった。なるほど、上手くやっている。君……人形に魔法をかけてるな?」
図星だと言わんばかりに、レインは音を立てて息を飲み、ひるんだ。
と同時に醸すのは、腑に落ちないといった空気だ。まるばつではなく、三角、そんな風に。
「……魔法?」
「違うかい? 僕の見たてじゃ、純粋な指の動きだけで捌くのには難があるんだけど。糸を媒介して、人形の関節部を魔法的な力で細やかに操作している、これならあれだけ複雑な動きも可能だろう」
「えーっと、そういう感じのアビラなら、うん、使っているけど」
一応の肯定を見せつつも、レインはむつかしい顔をしていた。
アビラ。一部の人が持つ特殊能力を、今日では一般的にそう呼んでいる。
しかし、昔は人智を超えた異能の力のことは十把ひとからげに「魔法」と呼んでいた。現代では歴史神話や物語か、あるいは特別な地域や民族の中で育った人しか、魔法という言葉は使わない。
厳密に定義するならば、二つの間には差がある。一つの能力に特化して個性を放つのが異能使い、通称アビリスタ。一人であらゆる力を使う万能性を持つのが魔法使い。だが、普通に暮らすには意識する意味はないのが現実だ。
レインが疑問符を浮かべたのは、マスターがあえて魔法と呼んだため。
そう言えば、マスターは歴史や神話伝説に詳しい。そのためだろうか。常に書物と向き合っているような人には、魔法呼びのほうが肌になじむのかもしれない。
レインはそう解釈して、自分を納得させるように頷いた。
一方、言葉のあやなんて細かいことは気にも留めず、不思議なこととみると即座に食らいついてしまうのが、好奇心の塊であるアメリアだ。はあっと目と口を真ん丸にして、わっとレインに飛びついて手を取る。
レインのびっくり顔はまったく見えていない。アメリアは尊いものをありがたがるように、友の手をさすりなでまわした。
「レインさん、アビリスタだったんですね。そんなの、私、ぜんっぜん知らなかったです! すごいです、かっこいいです。そっか、この手が……はあ、素敵」
「ありがと。でも、アメリア、あんまり人には言わないでね。一応、内緒にしてるからさ」
「ええっ。別に秘密にしなくても」
「私はよくってもさ、そういうの気にする人は大勢居るし。自分のために口をつぐんだほうがいい、っていう感じだよ」
レインは表情を曇らせた。アビリスタは異端の存在である。政府からして法で蔑んでいる以上、存在自体に嫌悪感を示す人は少なくない。
現に、暴力的なアビラを奮いたがる使い手は多いのだ。大々的にアビラに理解があると喧伝すると、色々な意味で身を危険にさらすことになる。
だから、レインがマスターを見る目には、平素にはない怯えがあった。もしや、この人は自分を糾弾するつもりなのではないか、と。
杞憂であるが。マスターはレインの気持ちを察して、おどけるように両肩を上げて見せた。
「僕は気にしないよ。君のような魔法の使い方なら――」
「アビラね」
「まあ、言い方はどっちでもいいけど。とにかく、僕は君みたいな平和的に力を使う人は好きだ。むしろ自分の才能を活かさなくてどうする。魔ほ……ええっと、アビラの扱い方も含めて、君の劇は素晴らしかった。人形の動きが自然で、だけど物語的誇張も忘れていない」
「よかった。マスター、ありがとう」
レインの顔にいつもの健気な笑顔が戻って来た。
「ふう。じゃあ、劇の話はおしまいね。お茶の続きにしたいもの」
「わかった。少し濃くなったと思うから、お湯を差そうか?」
「濃いままでいいよ、ミルクいれるもの。あっ、そうそう、いつも通りのミント一枚も忘れないでね」
「あのマスター。私も同じの飲みたいです!」
「はい、はい。ちょっと待っててくれ」
「じゃあ、その間にテーブル片付けちゃうね」
レインは広げた店をしまい始めた。操り人形に、舞台装置。全部まとめて鞄に詰め、ぱちんと金具で留めれば、人形師の仕事はおしまいだ。漂わせている魔法の残り香も、あっという間に茶の匂いで上書きされるだろう。
マスターが穏やかな気持ちで手仕事を進める間にも、他愛の無い会話で盛り上がるアメリアとレイン二人分の笑い声が、切り取られた小さな世界を彩っていた。
葉揺亭 メニュー紹介
「カカオ・ブレンド」
熱帯の島に産するカカオ豆の粉末をブレンドした紅茶。
そのまま飲めばほろ苦さ立つ大人の味わい。ミルクや砂糖を加えれば、優しく甘い味わいに。
「ミントもいいけど、オレンジなんかも悪くないかもね」とはマスターの談。