幸せの青色タマゴ
葉揺亭にミントの香りが漂っている。大量のミントをブレンドした紅茶「ミンティア・ショット」を淹れた香りだ。突き抜けた清涼感は通好み。馴染みの客でこれをとりわけ好むのは唯一人、熟練の狩人であるハンター=フォレウッズ翁だ。
そしてハンターは客である以前に、葉揺亭の取引相手だ。ちょうど今も、湯気立てる愛飲の茶を傍らに、森で採取してきた依頼品をカウンターにお披露目していた。
「茨イチゴと白綿キク、それに赤根の笹」
使いこなされた布袋から、次々と植物が取り出されてくる。カウンターはふいに華々しい賑やかさを手に入れた。
「そして霧吹茸……お前さん、こんなもの何に使うんだ? 毒ではないが、食うにも味気ないぞ」
「お茶に浮かべたらおもしろいかなあって。ふわふわしていて結構かわいいだろう。ね、アメリア」
カウンター越しにマスターが霧吹茸をつまみあげ、隣で興味津々にに覗きこんでいた店員に渡す。かたちはキノコに見えない、白くてまん丸の物体だ。綿を凝縮したような柔らかさがあり、指で押すとふにっと潰れ、離すとまた元のかたちに戻る。ハンター曰く、これは花でいう蕾に等しいもので、成熟すると頭頂部から霧散するように崩壊していくのだと。
世の中にはおもしろいものが一杯あるのね、と思いながら、アメリアはしばらく純白の球体の弾力を楽しんでいた。
さて、葉揺亭の依頼品は以上である。マスターも確認し、予め用意しておいた報酬金を取りだす。
だが、ハンターはまだなにかを袋から出そうとしていた。重量のある物体が袋の中で揺れているのも見て取れる。
「のう、お前さん、タマゴはいらんかね」
「タマゴ?」
「幸福鳥のタマゴだ。別で頼まれてあったものだが、事情があって要らなくなったのだ。たくさんあるから少しもらっておいてくれ、代はいらんからの」
わさっと束ねてある赤根笹の上に、タマゴがそっと置かれる。全部で五個のそれは、形状的には普通の鶏卵とほとんど変わらない。大きさを一回り小さくしたくらいの差だ。
だが見る者に鮮烈な印象を与える違いが一つ。それは、色。宝石で作ったと言われたら信じそうな、鮮やかでつやつやとした青色の殻を持っていた。
タマゴに負けない透き通った青の目を見開き、アメリアが興奮してまくし立てる。
「ええっ!? 青いタマゴ! それに幸福鳥って、とっても素敵な名前!」
破顔する少女の様子をハンターは満足気に眺めていた。喜びの感情というものは、周りにも波及するのである。
マスターも感嘆の声を漏らし、にっと口角を上げると、老翁に賛辞を贈った。
「幸福鳥、タマゴの確保はなかなか難しいと聞きますが、さすがはハンターさんだ。よくこんなに獲ってこられましたね」
「儂が何年森に入ってると思う。巣や餌場の周りには痕跡が残るからのう、見落とさずに探せば結構見つかるわい」
ハンターは自慢げに胸を張った。年季の入った皺の刻まれる顔には、若者に負けない得意気な笑みが浮かんでいた。
宝物を両手で包んで掲げながら、アメリアがはたとハンターを見返った。
「でも、そんなに珍しいもの、もらってしまって良いのですか?」
「構わないよ。買い手がそうつかんからのう」
「えっ? それは、おいしくないとか、毒があるとか……」
「いやいや、とてもおいしいタマゴだ。栄養価も高いしのう。ただ……」
「まあ、すぐにわかるさ。アメリア、どう料理するかは君に任せるよ。食べるのは君なんだしね」
「まあ、はい、わかりました」
意味深げに視線を交わしている男たちには首を傾げながらも、アメリアは青色タマゴを籠に拾うと、奥の部屋へと持って行った。
どうやって食べたものだろうか。目玉焼きが無難だろうか。燻製肉を薄くスライスして一緒に焼く、それだけで十分おいしい。それか、ゆでて荒く潰し、パンに乗せて食べるのも良し。あるいは頑張ってお菓子にしてしまうのはどうだろう。レインから教えてもらったレシピの中に、タマゴを使うものも色々ある。
あれこれ思いを巡らせるとよだれが止まらない。でも今はまだ仕事中。アメリアは小さな厨房に籠ごとタマゴを置いて、ひとまず店頭に戻ったのだった。
その日の夕刻。店じまいの時間がくると、アメリアは玄関にかけたプレートをさっさと下げ、そのまま急ぎ足で裏の厨房に引っ込んだ。貴重なタマゴで夕食を、それが楽しみで楽しみでしかたがなかったらしい。
マスターは苦笑しながら一人で閉店作業を進めた。鍵を閉めカーテンを閉ざし、すべてのテーブルや椅子をさっと拭き、食器棚のカップに埃避けのクロスをかけ。広くない店であるうえ、夕方の客がほとんどいなかったから終わっている作業も多く、すぐに仕事は終わった。作業台まわりは手つかずで、焜炉では湯も沸きっぱなしだが、これはまだ使うつもりがあるから置いておく。
ぐっと伸びをして、営業中となんら変わらない風に定位置へ着席する。
と、その時。背中側奥の空間から、少女のすっとんきょうな悲鳴が轟いた。
マスターは特に慌てなかった。むしろ「あっ、始まったな」としたり顔。
ここから先の展開も予想がつく。三つも数えない内に、アメリアが扉を開け放ってこっちに飛び込んでくるだろう。そして半狂乱でわめきたてるはずだ。さあ、一、二――
ドドドドドド、バァン、とマスターの背後でけたたましい音が鳴り響いた。
「マ、ま、マ、マスター! 青いです! 青いんですよ!」
背中に投げかけられる裏返った声、若干涙声でもある。まったく思い描いた通りのいい反応だ、と、マスターは声をかみ殺して笑っていた。
さて、なにがあったのか。アメリアは震える手でボウルを持っている。料理――オムレツを作ろうと思って、例の幸福鳥のタマゴを割入れたものだ。
中にある三個分のタマゴ。そのすべてにおいて、普通黄色であるべき部分が、殻と同じく彩度の高い青色をしているのだ。さらには白身までもがほんのり青みがかっている始末。一個目では何かの間違いかもと思えたが、二個目、三個目と続けて割って全部これ、明らかに異常だ。正直、気持ち悪い。そしてパニックになって至る今。
アメリアはボウルを傾けて、「マスター見てください」と真剣に怯えた顔で迫る。が、そこで振り向いた亭主は訳知りのすまし顔をしていた。そこでアメリアはようやく悟った。――またマスターにからかわれたんだ。
「もうっ、知ってたなら先に教えてくださいよう! びっくりするじゃないですか! マスターの馬鹿ッ!」
「君が驚く顔を見るのは、僕の生きがいだもの、やめられないよ。それはそうと……それ、食べたいかい?」
「あう……いえ、ちょっとこれは……なんだか気持ち悪くって。青いオムレツなんて、全然おいしくなさそうだ」
「幸福鳥のタマゴに対しては、みんなそう言うのさ」
青色は人間の食欲を減退させるらしい。美味かつ珍味な自然の恵みだが、今一つ人気が無いのはそれによる。ハンターが買い手がないと持てあましていたのも同じ理由だ。
アメリアも並の人間だ、もうすっかり食欲が失せた。がっかり顔で肩を落とし、とぼとぼと歩みを進める。向かう先にあるのは、ごみ入れ。昼間に出た茶葉や珈琲カスなどが積もっている上に、ボウルの中身を捨てようとする。
それをマスターがきつく静止した。
「待ちなさいアメリア。そんな風に捨てたら駄目だ。タマゴは命の生まれる物、無駄に消費していいわけが無い。せっかく分けてくれたハンターさんにも失礼だよ」
「そうですけど、誰も食べないものですし。マスターだって食べないじゃないですか」
「ちゃんと僕が責任は取るから。そのまま冷蔵庫に入れておいて。君の夕食は別に好きなものを食べればいいよ」
「……はあ」
マスターが言うことならば、と、アメリアは従った。ボウルそのままだと冷蔵庫が窮屈だから、小さな器に移し替えてしまう。そうやって見えないところに行ってしまえばもういい、ショッキングなタマゴのことは忘れよう。
一つの夜を越え、再び太陽が昇った。アメリアはいつも通りベッドから飛び起き、身繕いをして、階段を駆け下りた。もう今見た夢のことも覚えていない、まして昨夕のタマゴのことなど理由もなくして思い出せるはずなかった。
常連客である宿屋の主人を接客し、彼が帰った後片付けをし。それからマスターが暇をもてあまして変な茶の開発に勤しんでいる傍ら、ふっと足元にある冷蔵庫に目が行き。そこでようやくタマゴのことが頭に浮かんだ。
「そうだ。マスター、昨日のタマゴはどうしたんですか?」
「ああ、あれか。冷蔵庫を開けて見てごらん」
うながされるがまま、アメリアは作業台の下に備え付けられた小さな冷蔵庫を開いた。
昨日アメリアが入れた器はどこにも無い、まずはそれを確認する。入っているのはレモンなど果物の使いかけ、コルク栓のなされた鉱泉水の瓶、作り置きしてあるフローラル・ウォーターのカラフェ。そしてこれらの並ぶ奥に、見慣れないカップが計四つあった。上に蓋としてティーソーサーが被せてある。
瓶を横に避けて、アメリアはカップの一つを取り出した。片手に収まる大きさの、ひんやりとした白い容器。蓋を取って見ると、中にあったのは白く濁った青色の物体だった。表面は艶やかで、照明の光を反射している。傾けても動かないから固体ではあるが、かなり柔らかい。ジェリーに似ている。しかし、タマゴを使ったジェリーという物は聞いたことが無い。
「マスター。これ、何ですか?」
「カスタード・プディング」
「えっと……プディングは何となくわかります。蒸し料理ですよね」
「そうだよ。カスタードっていうのは、タマゴとミルクと砂糖でできた、まあ、ソースみたいなものを想像してもらえばいいかな」
卵液は熱を加えると固まる。その性質を利用して、甘みをつけてミルクで伸ばした卵液を蒸し固めたものがカスタード・プディングだ。食欲の失せた身でも、甘いお菓子なら話が変わってくるだろう。そう思ったマスターは昨夜、アメリアが寝静まってから、青色タマゴをこのように変身させたのだった。
甘い物と聞いても、アメリアはまだ難しい顔をしている。
「やっぱりこの色は……ちょっと抵抗がありますね。真っ青」
「大丈夫、早く食べてみなよ。おいしいから」
マスターは太鼓判を押しながら銀のスプーンを手渡した。そうして自分は紅茶を用意し始める。茶と甘味はお互いを引き立て合う素晴らしい相棒だ、こんな場面ではなお欠かすことができない。
さて、アメリアは。スプーンを構えたまましばらくプディングとにらめっこしていた。紅茶の香りがかすかに漂ってくる頃になって、ようやく意を決したか、スプーンでプディングを一掬い。
銀色の匙の上で、怪しげな青い物体がぷるんぷるんと揺れている。おいしそう、とはあまり思えない。完全に色のせいだ。普通の黄色だったとしたらすぐにぱくりといけただろうに。
眉間に皺を寄せ、いっそ目を閉じ、未知の料理を一口に含む。
その途端、アメリアはかっと目を見開いた。――なんだこれ!
柔らかいプディングは、ひんやりとした甘味をとろけるように口の中へ拡散していった。そして、ミルクとタマゴの混じり合った絶妙なコクが、食欲中枢を刺激する。
アメリアは無言でスプーンを動かす。あれほど気になっていた色も、こうなってくると、冷たさを強調する演出として自然と受け入れられる。
黙々と食べ進め、あっという間に白い容器の底が見えた。ああ、おいしい。幸せ。顔がとろけてしまいそう、いや、もうふにゃっととろけている。
「アメリア。お茶」
「あっ、はい。いただきます」
すかさず差し出された紅茶を、息を吹きかけてから一口。すっきりとした渋みと芳香が五感に沁みわたり、口の中に残っている甘ったるさも中和しながら体の奥へやる。
おいしかった、と、ほっと一息。
しかし、一度起こった食欲がどうにも収まらない。まだプディングはあるとわかっているから、余計に。
アメリアはひょいとしゃがみこみ、冷蔵庫の中に手を伸ばしながら、上目づかいでマスターにねだった。
「あの。もう一つ食べちゃってもいいですか? すごくおいしかったので」
「どうぞご自由に。君のために作ったのだからね」
「やったぁ!」
歓喜の声を上げる娘の声。こうやって喜んでもらえるのが、マスターにとっては何より幸せだ。肩をすくめて笑みをこぼす。
二個目のプディングもぺろりと平らげて、アメリアはうっとりとした表情を見せていた。
「はあ……幸せです。さすが『幸福鳥』、ただものじゃないですねえ」
それにマスターがぴくりと眉を上げた。誤解を訂正するのは、真実を知る者の仕事である。要するに、マスターお得意の豆知識語りの時間だ。ぴっと人差し指を立て、得意気に語り始める。
「ねえアメリア。なんで幸福鳥って名前なんだと思う?」
「え? えーと、珍しい鳥だから、見つけたことが幸せである。とかですか?」
「違うんだよね」
「じゃあ……出会った人に幸せを招くとか」
「全然」
「うーん。青くて綺麗な鳥だから、見ていると幸せな気持ちになる!」
「確かに色は綺麗だよ。でも、かなりずんぐりむっくりしているし、顔も厳ついから、あまり美しいとは言えないかもね」
「えー……それだとわからないです。どうして幸福鳥なんですか?」
マスターはニヤリと口角を上げた。
「鳴き声がね、かなりうるさいんだよ。森の中によく響くんだ。それがまた、人間が笑っているみたいな声でね。ゲラゲラゲラ、ワッハハ!」
突然始まったマスターの大笑いに、アメリアは肩を大きく震わせた。それが鳥の鳴きまねだと気づくのに時間はかからなかったが、普段の店主らしからぬ、頭の悪そうな笑い声。前置きがなかったら、気が触れたようにしか聞こえない。
一しきりご機嫌に笑い転げた後、ふう、と一呼吸置いて、マスターは話を再開した。いつも通りの理知的なすまし顔である。
「さてさて、その声を聞いた人間は思ったのさ。『あの鳥はいつもいつも楽しそうで、さぞや幸せな毎日を送っているんだろうなあ』と。そしてついた呼び名が『幸福鳥』」
「え、えーっ!? そんな下らないことなんですか? えーっ……全然素敵じゃない……」
銀のスプーンをくわえたまま、唖然として肩を落とすアメリア。
幸せの鳥が産む青色タマゴは幸せの味がする。だがなぜ幸せの鳥なのか、その背景は、知らないままでいた方がより幸せだったかもしれない。
アメリアのお料理メモ
「幸福鳥のタマゴのカスタード・プディング」
溶いた卵液に砂糖とよく暖めたミルクを混ぜ合わせる。ヴァニラの香りを少し加えると、よりおいしい。
容器に入れてオーブンで蒸し焼きにしたあと、よく冷やしてから食べる。
青い玉子が清涼感を引き立てる、甘くてのどごしのよいデザートに。
お好みで砂糖を煮詰めたカラメル・ソースやミルクのクリームをあしらっても良し。
別に普通の玉子で作っても大丈夫。




