美味しく楽しく元気よく ―食事会―
日が傾き薄暗くなる店内に、光源石の魔法の灯火が煌々と輝く。本物の蝋燭のような温かい光があふれる中、一組だけ客が訪れたが、それほど長居はしなかった。今はいつもの二人っきりの店である。
もうすぐ一日も終わる。オーブンの中からは、食欲を刺激する香りが強く漂っていた。弱火でじっくり焼きあげる丸鶏、そろそろ完成が近い。
アメリアが後ろ手を組んでマスターに迫った。甘えた声で彼を呼ばわると、店主はその色白の面を親愛の情に満たした。
「マスター、このままだとご飯が早くできてしまいます。だから、今日は早くお店を閉めましょう」
「いや、駄目だ。いつもは開いてるんだから、お客さんが来るかもしれないだろう? そんなに慌てなくても、食事は逃げないよ」
「でもマスター、冷めちゃったらお肉はおいしくないです。それに、たまには早く閉店して、ゆっくり過ごすのも悪くないですよ。きっとお客さんだってもう来ませんよ。みんな疲れてお家に帰りますから」
「なんだアメリア、そんなにお腹が空いたのかい? それなら軽く何か食べてくると――」
「もう、違いますよ! 私はマスターにご飯を食べてもらいたいんです! それにちゃんと休んでほしいし、元気になってほしいし……」
心情を吐露するほどにアメリアの目線は下を向く。
マスターがはっとした。ようやく、この豪勢な食事が弱った自分のために用意されたものだと悟った。
店主は窓の外へと目を向けた。風景はほのかな橙色に彩られ、確かにアメリアが言う通り、みな自分の家が恋しくなる頃合いだ。帰路の途中に、という場所柄ではない、この時間帯から新顔の客が来ることはそう無いだろう。
マスターは苦笑して、きゅっと唇を噛んでいるアメリアの頭をぽんぽんと叩いた。
「……色々悪かったね。君の言う通り、たまにはいいかな」
瞬間、アメリアの表情は光源石に負けないほど明るくなった。
取りも直さず玄関へ急ぎ、扉にかかっていた小さな札を取り下げる。「葉揺亭」と書かれた木製のプレート、これを外してしまえば、喫茶店から普通の家へと早変わりだ。
マスターはオーブンの扉を少し開けて、鶏の焼き加減を確認する。
「うん、あと少しだ。付け合わせの野菜を用意している間に出来上がるかな。アメリア、スープの鍋を持っておいで。それとバケットもあったはずだから、それも……あ、だめだ。鶏が乗るような大皿、裏にしかない。手が足りないね、僕も行くよ」
「いいですよ、私が二回行きますから」
「じゃあ付け合わせは僕が用意しよう」
「お願いします」
微かな笑い声と共にアメリアは奥へと消えていった。
最初、調理は自分がやると言い張っていたはず。しかし思い返せばほとんど自分が手を出していた。まあ、よくあることだ。マスターは笑みをこぼして、それからナイフを手に取った。
迷いなく奏でられる早拍子の音律に応じて、オニオンは薄くスライスされ、丸イモは千切りに、そしてレモンの輪切りもあっという間に完成していた。アメリアが裏と表をたった二往復する間にである。少女はさすがマスターだと、心の中で勝算を送っていた。
清々とした表情の家主は、食器棚から深鉢を二つ取り出した。それをアメリアに手渡しながら、次の指示を飛ばす。
「オニオンと丸イモは水に晒して。で、イモは一回水を捨てて、熱湯につけて。全部、さっとでいいよ」
言いつけを守り動くアメリア。さっそく響く水の音を耳にしながら、彼自身はバケットを切り分けていた。オーブンはもう火を落とすつもりだが、余熱で十分温まって柔らかくなるだろう。
和気藹々《わきあいあい》と食卓の準備が進められる中、突然、葉揺亭の玄関が開いた。
看板は下げてあるのだが。ほろ苦さを覚えつつも、店主はとっさに応対の顔を作る。
「いらっしゃい……なんだ、君だったか。客が来てしまったかと驚いたよ」
来訪者姿を認めるや、つけたばかりのマスターの面はすぐさま外さて放り出された。やれやれしょうがないと言わんばかりの口ぶり、しかし、柔らかい弧を描いたまなざしには嬉しそうな気持ちが隠れていない。
青い髪の訪問者は、その端整な顔を皮肉めいた笑みに作りつつ、躊躇うことなくカウンター近くまで歩み寄ってきた。
彼が何というより先に、アメリアの喜びの声が迎える。
「ティーザさん、本当に来てくれたんですね!」
「約束したからな」
さらりと返事をして、マスターに視線を向けた。
「アメリアからあんたが病気だと聞いてな。一応心配して来てみたが、余計な世話だったか」
「病気だなんて大げさな! ま、朝はちょっと調子悪かったけどね、もう大丈夫だよ。……ありがとう、君にまで気をつかわせてしまったか」
「礼ならアメリアに言っておけ」
「そうだね。色々ありがとう、アメリア」
「お安いご用です」
アメリアの得意気な笑い声が空間を彩った。
さて、現在の葉揺亭には喫茶専門店らしからぬ香りが漂っている。たとえ昼間の事が無くとも、何をしているかは察しがつくだろう。
「アメリア、結局何を作ったんだ?」
「鶏の丸焼きです!」
「ううん、お洒落じゃない。『鶏と野菜の香草焼き』ってところだ。それにじっくり煮込んだスープも一緒にね。栄養満点だよ」
よく水を切ったオニオンと丸イモ、それにレモンを皿に盛りつつ、亭主は楽しそうな口調で語った。軽妙な身のこなしからして、心身の調子は平常に戻ったらしい。
「ティーザ、何か飲んでいくかい?」
「いい。あんたの様子を見に来ただけだ、すぐに帰る。だいたい、もう店は閉めたんだろう。邪魔するつもりはない」
「そんなこと言うなよ、寂しいじゃないか。そうだ、今日の食事に合うお茶をずっと考えていたんだ。それでどうだい?」
それでもティーザは首を横に振る。青い束ね髪が大きく揺れた。
みるみるマスターは拗ねた子どものような顔をする。そんな彼を援護するように、アメリアが割って入った。
「むしろ、一緒に食べてってくださいよ。私とマスターだけじゃ、絶対食べきれないですもの。大勢の方が楽しいですし」
「いや、いい。じゃあ」
そっけなく断って、これ以上の言葉はいらないとばかりに、ティーザは踵を返した。
が、向けたばかりの背中に、マスターの舌打ちが突き刺さる。
「つれないなあ、本当に。君も昔はあんなにかわいかったのにねぇ」
「かわいかったんですか!?」
目を真ん丸にして仰ぎ見るアメリアに、マスターは父親のような笑顔で頷いた。
アメリアは目の前の青年をまじまじと見る。確かに顔立ちは秀麗だ、しかしどちらかと言えば凛とした風で、居直る佇まいや言動からしても「かわいい」という言葉と縁遠い。
それでもマスターは、昔時を振り返りしみじみと語る。
「そうだよ、アメリア。君みたいに純粋で健気で、僕にべったりで、とってもかわいかったんだ。ある日突然『わたし、料理を覚えて来たので、やってみてもいいですか?』だなんて言われた時には、さすがの僕も――」
「やめろ、余計なことを言うな」
「余計だって? どこが。……あーあ、それにしても君が同席してくれないのも残念だ。せっかく昔話で盛り上がろうと思ってたのに」
勝ち誇ったような笑みを浮かべ、マスターは旧知の男に目配せした。
ティーザは逡巡の後、重い息を吐いて、諦めたように椅子に座った。このまま帰れば、何を吹聴されるかわかったものじゃない。
卑怯だぞ、呈された苦言を、マスターはおどけたように受け流す。
「そんな。ただただ僕は心配なんだよ。君が一人で人間らしく生活できているのか、ご飯は食べているのか、無茶して倒れてるんじゃないか――」
カウンター越しにティーザとアメリアが顔を見合わせた。抱いた思いは一緒。口をついた言葉は見事に重なった。
「あんたが言うな」
「マスターが言えることじゃないと思います」
「はは……こりゃまた手厳しい子たちだ」
肩をすくめて笑いながら、マスターはオーブンの前へとしゃがみこんだ。
それにしても、と、ティーザが目を細めて呟く。
「あんたも変わったな。まずその口から『食事』という単語が出た時点で驚いたが……」
がたがたという重い音に紛れるような小さな声も、地獄耳のマスターの元には届いたらしい。
すっくと立ち上がった彼は、こんがり焼けた丸鶏を金属皿ごと持っていた。そのまま満面の笑みで語る。
「僕は僕だ。いかに時や世界が移ろおうと、僕という存在は何一つ変わってなどいない。変化があったと思うのなら、新たなる一面を発見したということ。あらゆる生き物の性質は、一目で全てを把握できるほど薄っぺらくはない。まあ、雑談はこの程度にしよう。晩餐の主役が出来上がった」
湯気立ち上る飴色の鶏を大皿に乗せる。焼いたときに出た肉汁も無駄にせず、ソースのように上からかけてやる。ほのかな照明の中でもつややかに輝く、極上の馳走だ。
見るからにおいしそう。アメリアがごくりとつばを飲み込む音が響いた。
「さてと。君たちはテーブルを用意しておいてくれないかい? 窓際だと窮屈だから、部屋の中央に寄せてね。僕はもう一つやることがあるから」
そう言ってマスターは弱火で焜炉にかかっていたスープ鍋をおろし、真鍮のケトルと交代させた。まだ冷めきっていない温水だ、すぐに沸騰するだろう。テーブルの準備が完了するころには、一緒に席に着けるはずだ。一人食器棚に向き直り、ポットと、それから食器類を用意し始める。
卓の準備の二人組は協力して動く。テーブルを動かし、椅子をそろえ、料理を運び、皿を並べ――そんな中、食事も始まらない内からすでに幸せ顔のアメリアは、無邪気にティーザに質問をぶつけた。
「マスターって、昔はどんな風だったんですか?」
「そうだな。俺が一緒に居たころは――」
だが彼が何か言う前に、カウンターの中からぴしゃりと静止の声が飛んできた。
「おいおい、僕のアメリアに余計なこと吹き込まないでくれよ。アメリアにとっては『優しくてかっこよくて、何でも知ってる完璧な葉揺亭のマスター』なんだから」
「自画自賛が過ぎやしないか?」
「でも、実際にそうですよ。だから私、マスター大好きですもの!」
「僕もアメリアのこと大好きさ」
「……ああ、そう。幸せなことで」
聞いている方がどうかしそうな甘口のやりとりに挟まれて、ティーザは溜息をこぼした。持っていた小皿の最後の一枚を席に据える。次いでアメリアが飲み水の入ったグラスを並べて、卓の用意は終わった。
二人の視線はマスターへと向く。ちょうど彼も銀盤を片手に、こちらに歩いてくるところだった。
「どうぞお二方。席にお付き下さい」
畏まった言い回しで、着席を促す。背筋を伸ばし手足の動きは流れるよう、まるで貴人に使える執事のごとき佇まい。しゃんとした動作で、ポットとカップを並べていく。
「本日ご用意した茶は『ウーラン』。茶の起源には諸説あるが、その一つ、東方大陸で飲用されるもの。本当は専用の茶器もあるが、あいにく手元にないので、いつものポットで失礼を」
そう言ってポットからストレイナーを通して茶を注ぐ。紅茶よりも赤みの欠ける茶色の液体が、ふわりと芳香を放った。
「脂っこいものを食べる時に一緒に飲むのにうってつけなのさ。口がさっぱりするからね。もちろん、単独で頂いても華やかな香りが楽しめる」
解説しながら、自分も席に着いた。間髪入れずに茶を口に含む。
花のような優しい香りに、爽やかな飲み口、後味に広がる仄かな甘さ。茶は茶であるが、紅茶とはまた少し違う逸品だ。
普段のメニューにも載せている物だが、交易都市たるノスカリアでも聞きなじみが無いせいだろうか、滅多に注文は入らない。淹れるのも久しぶりだったが、問題はなかった。そう自分でうなずいてから、食事会を取り仕切り始める。
「さて、晩餐を始めようか。で……鶏は僕が切り分ければいいのかな? やっぱり」
「お願いします」
一体誰が誰に用意した食事だったか。しかし、アメリアの無二の笑顔で頼まれてしまえば致し方ない。
マスターはナイフを使って、うまいこと丸鶏を切り分ける。ももや手羽の関節を外すように、あるいは胴体の肉をそぐ様に。
肉と野菜とを各々の取り皿に取り分けて、ようやく食事開始だ。
案の定、鳥の皮はぱりぱりに仕上がって。それでいて肉は柔らかく、かじれば肉汁が口に溢れる。たっぷりまぶした香草のおかげで、臭みも全く気にならない。
中に詰めた野菜も、蒸し焼きにされたような食感に仕上がっていた。鶏から染み出た旨みを吸い取って、味も最高である。
やや脂っこくなって来た口は、ウーランで洗い流すようにすればすっきりとして、また手を進められる。あるいは、付け合わせにした生野菜も活きる時だ。そのままでよし、バケットで挟み込むようにして一緒に食べるのも乙だ。そして肉自体にレモンを絞れば、味に変化を生みだす。
食卓の華の香草焼きにすっかり押されているが、じっくり煮込んだスープだって負けてはいない。一度口にすれば、野菜の甘みと栄養が、体を癒すように染み渡った。
美味しい食事をとること。それも、一人じゃなくて皆で楽しくだ。すると自然に笑顔になり、元気が溢れて来る。そして心に幸福感も。こんな瞬間こそが、日常の喜びではないか。
気持ちが前を向くと、自然と会話にも花が咲くものだ。アメリアは持前の純朴さ溢れる質問を繰り出していった。それは前からずっと聞きたかったこと。場の雰囲気を利用したと言っても過言でない。
「ねえ、マスター。ティーザさんとはどういう知り合いなんですか? 私、魔法都市に居た頃の知り合いってことしか聞いてないです」
「そうだね。えーっと、今の僕とアメリアとの関係と同じようなものさ」
「あれっ。じゃあ、一緒に暮らしてたんでふか」
もぐもぐと口を動かしながら、感心したような顔をする。
「そうさ。あの頃はほんっとうにかわいかった。君と同じで純粋無垢であれもこれも聞きたがった。それで物覚えはいいし、何より、僕のことを慕ってくれていたから。僕は、嬉しかったんだ」
誉めそやす言葉にティーザ本人はいたたまれないような顔をしていたが、マスターは構うことがない。感慨深げに言葉を続ける。
「……それにしても、立派になったものだ。生まれたばかりの頃から知っている身としては、ほんとうに、安心したし、嬉しいし」
「へぇ、ティーザさんにもそんな子どもの頃があったんですねぇ。あんまり想像できない……あれ?」
アメリアがはっとする。きょとんとして、マスターとティーザの顔を交互に見比べた。
分かりきっていたことだが、二人はほぼ同世代に見える。だいぶ差をつけて見積もっても、せいぜい二十代前半と後半が限界か。言動や纏う雰囲気、所作を比べれば、ようやくマスターの方が歳上に感じられるくらい。アメリアは二人は仲の良い友人関係にあると思っていた。
ところが、マスターはティーザの幼少期どころか赤子の頃から知っているらしい。
――おかしい。前からうっすら抱いていた疑問が、炸裂した。
「あの。マスターって、いったい何歳なんですか? 見た風だと、今のお話が、おかしなことになっちゃうんですけど」
一瞬顔を曇らせたマスターだったが、しかし意味深な笑みを浮かべた。
「アメリア。人を見かけで計ろうとするようじゃ、まだまだ未熟だな。見ただけではわからないような現象が、この世界には山ほどあるんだよ」
「またマスターはそう言う難しいこと言ってごまかすう……」
「そんな難解にしなくてもいい。単に、僕は見た目以上に歳食っている。それだけのことさ」
「えーと……じゃあ、すごい若作りなんですね? ティーザさんの赤ちゃんの頃を知ってるってなると……だいたい二十年分……?」
ぶつぶつと呟きながら計算した結果、アメリアは見てはいけない物を見てしまったような顔になる。真剣な顔で、己の敬愛する主に向き直った。
「あのマスター、それはちょっと……さすがに痛々しいです、よ?」
遠慮気味だが、真っ直ぐ突きだされた言葉。それは容赦なく心に刺さったらしい。マスターはしばらく硬直していた。「痛々しい」という感想はさすがに辛い、しかもアメリアから。
呆然としていた店主は、すっかり男らしくなった青年が顔を背けて笑いをかみ殺しているのに気づいて、ようやく我に返った。
ひとまずやったことは、テーブルの下におけるティーザへの物理的制裁だ。脚に勢いをつけて、相手の無駄に長い足を蹴飛ばす。どんな人でも、むこうずねを革靴のつま先で思い切り打たれれば、顔を歪めるほどに痛い。
それから恨めしい顔を見せる青年を放置して、マスターは椅子を引いて座りなおすと、料理に手を伸ばした。
「さあさあ、冷めないうちに食べよう食べよう! 美味しいから、僕もたくさん食べれるな!」
そんな亭主の声はうわずっていた。いつになくよく食べ、よく笑う。
少々空回りしているきらいもあるが、彼の元気な姿には違いない。アメリアはすっかり安心した。どうやらもう大丈夫だ。
やはり、弱った体には良い食事につきる。少女の健気な発想からの食事会は、大成功にて実を結んだのだった。
ただ、この夜マスターは激しい胃もたれに苦しむことになる。もちろん、それは彼だけの秘密だ。
葉揺亭 メニュー
「ウーラン」
茶の発祥たる東方の地で主に愛飲される茶。紅茶とは発酵具合が異なるため、味わいも随分異なる。
華やかな香りと甘味のある後味が特徴。
脂の吸収を抑え分解も促進するとされる。食事のお供にどうぞ。
ノスカリア食べ物探訪
「丸鶏の香草焼き」
捌いて内臓を抜いた鶏を丸ごとオーブンで焼く。途中で油(落ちた鶏自身の脂でも可)を掛けながらじっくり焼けば、皮がぱりぱりに仕上がる。
中に詰めものをすると、鳥の旨みがしみ込んで美味しい。野菜だけでなく、細かくしたパンなども良い。
「米食文化圏なら米を使うのも良し。その時は詰める前にスープで炒めるようにして、芯が残るくらいの硬さまで柔らかくしておくといいかな」とはマスターの余談。




