喫茶店「葉揺亭」の朝
朝露にしっとりと濡れる街道の交差点の町、ノスカリア。交通の要所として歴史深く、大陸の中央で大きな都市圏を築いている。
その町で北西に位置する住宅区域の北側に切り立った崖のふもとにて、一つの店が目を覚ました。朝日を正面から受ける二階建ての木造の家。その暗い色合いに塗られた玄関扉が、静かに口を開いた。
中より押し開けられた隙間から、白い長袖シャツを着た男の腕が伸びて出た。その手はフック状になった把手の下部に紐吊りのプレートを引っかけると、あっという間に引っ込む。同時に扉も静かに閉まった。
蔦の葉のレリーフが施された玄関扉の上で、『葉揺亭』と文字の彫られた木のプレートがゆらゆらと揺れていた。
この店の名は葉揺亭。知る人ぞ知る、そして商業の町ノスカリアでも、唯一無二の喫茶専門店である。
店内は木を基調とし、全体的に暗色で落ち着いた雰囲気を醸している。ただし、カーテンを開いた窓から朝の日ざしが差し込んでいるし、壁に設置した燭台を模した照明の力も相まって、適度に明るい。
そんな空間に、ぽこぽこと湯の沸く音が静かに響きわたっていた。
食器棚に被せた埃避けの布を退けていたマスターは、黒いベストに付いた燕尾を翻し、焜炉の火を弱めに向かった。
オーブンと一体になったこの焜炉は、アビラストーンと呼ばれる魔法石の力を利用した、魔法火の焜炉である。つまみ一つで火加減を調節できて扱いやすい上、魔力を充填すればほぼ永続的に使える。非常に重宝する道具だ。
そのまま焜炉の前で店内をぐるりと見渡し、開店作業も一通り終わっていることを確認する。
マスターは腕を真っ直ぐに上げ、ぐっと体を伸ばした。それからシャツの襟を整え、ついでに黒く艶やかな髪も撫でつける。色白の顔には穏やかな微笑みが浮かんだ。
身繕いも完璧、後は来客を待つのみ。マスターは男性ながらにしなやかな所作で椅子を引き、ゆっくりと腰を据えた。
葉揺亭は客の多い店ではない。最大の要因は立地のせいだ。
ノスカリアの商業は東側に重心を置いている。とりわけ町の象徴たる時計塔がある広場から町の東門に至るまでは、あらゆる種の店が並ぶ商店通りを形成しており、市民も商人も旅人も、そちらに集まる。
対して葉揺亭があるのは西側、しかも住宅地の中。その中でも特に西端の方で、さらには袋小路の最奥ときた。条件としては最悪である、普通は選ばないだろう。
だが、この店主は普通でなかった。辺鄙な場所であることが、逆に気に入ったのである。理由を聞かれるたびにマスターは「半ば趣味のような店だから」と答えるのだった。
立地難ではあるが、開店から年数を重ねた今では、足繁く通ってくれる常連が付いている。今、マスターが待っているのもその一人だった。
彼とはもう年単位の付き合い。毎朝必ず一番に、しかも町の南東からわざわざやってきてくれる。彼が来ないとマスターの、いや、葉揺亭の朝は始まらない。
マスターが所在なげに頬杖をついていると、ようやく玄関の扉が開いた。逆光の中に浮かぶ小太りのシルエットを見て、マスターの漆黒の目に光が灯る。もとより老けた顔ではないが、一層に若々しさが溢れた。
「おはようございます、オーベルさん」
「おう、おはようさん」
髭面の男はあくび混じりでそう言うと、マスターの目の前に陣取った。何も言わずに、小脇に丸めていた新聞を広げ読み始める。ノスカリアでは幾種か新聞が発行されているが、今日持って来ているのは一枚刷りの速報性が高いもののようだ。
紙面に目を落としたまま、注文は無い。だがそれも常である。オーベルが朝一で飲む紅茶はいつも同じものに決まっているから、必要がないのだ。マスターはさっそく仕事にとりかかった。
さて、葉揺亭のメニューの主力は紅茶だ。むしろ、紅茶以外のものはほとんど無い。珈琲や果汁といった飲み物は多少存在するが、料理、お菓子、その他食事は皆無である。
ただ紅茶の種類が尋常ではない。世界中の茶を集めたのではないか、というくらい店に揃えている。樹種の違い、産地の違い、あるいは配合の違いなど、色々違いがあるのだ。
オーベルが好むのは「コルブ」と名付けられた、ノスカリア近辺ではややマイナーな種の木から摘んだ茶葉だ。熱湯で淹れると苦味がひどく出てしまうのが特徴で、普通は少し冷ました湯を使い苦さを抑える。
ところが、オーベルはこれを「熱め」と指定してくるのだ。苦みを抑えておいしく飲めるぎりぎりの熱さを狙う。このさじ加減はとても難しく、毎朝マスターは腕を試されていた。
マスターは沸騰する湯を、上品な白いティーポットに移しとった。それから、同じ型のティーポットを用意し、コルブの茶葉を保存缶より掬い取る。
そこで一呼吸だけ待つ。それからはじめのティーポットの湯を、もう片割れへと注いた。
このひと手間で生まれる絶妙な温度の低下、それが幾度も実践して見つけた分水嶺だ。これより少しでも湯温を下げると、オーベルには「ぬるい」と言われる。
湯の準備さえ上手くいけば安心、あとは茶葉から旨味が抽出されてくるのを待つだけだ。もちろん短ければ薄いし、長ければ濃くなりすぎるから、頃合いを見計らうのは重要である。
ただ、毎日のことだから、マスターの身には時間感覚が染み込んでいる。目安の砂時計も使わず、正確に飲み頃を見極めた。
ポットの蓋をつまみあげると、色の濃さが均一でないのが見える。これを正すため、銀のスプーンで静かに一かき。これで濃い褐色の紅茶が完成だ。かすかな蒸気と共にふわりと鼻を抜けた芳香に、マスターは顔をほころばせた。
普通はこのままカップとセットにして客に提供する。ただ、オーベル相手の場合はもうひと手間加えるのだ。用意するのは、湯通しして温めたティーポット。
後は簡単、ストレイナーで茶葉を濾しながら、ポットからポットへ中身を移す。理由も単純明快で、オーベルが自分でストレイナーを使うのを面倒がるから、それだけである。
さらにサービス、一杯目のみはマスターが手づからカップに注ぎ入れ、半分ほど中身が残るポットと並べ、カウンター越しに差し出した。
「はい、おまたせ」
マスターの落ち着いた声をスイッチに、オーベルは新聞を横に置いた。
のっそりとした手つきでカップを取り、口をつける。瞬間、オーベルの纏う空気がしゃんとした。コルブのきりりと締まった苦い味わいは、目覚ましにうってつけなのだ。
舌を焼きそうなほどに熱い茶を、オーベルは黙してすすった。そして。
「ま、今日もうまいわ」
髭を揺らしながら、オーベルは口角を上げて呟いた。
ここまで、毎朝お決まりのやりとりである。うまい、その一言も聞き飽きるほど回数を重ねているはずなのに、まったく嫌にならない。それどころか、このたった一言が、マスターにとっては至上の喜びだ。一日の始まりがなんと心地よいことか。
「そりゃ、どうも」
言葉にすると淡泊でも、マスターの顔は満足に笑んでいた。
オーベルの滞在時間は決まっていない。稼業の宿屋が忙しい時はとっとと切り上げるし、逆に、奥方と喧嘩した次の朝などはいつまでも帰ろうとしない。葉揺亭に居る間は、ひたすらのんべんだらりとくだらない雑談に興じて過ごす。
今朝、マスターが目を留めたのは、オーベルが持ち込んできた新聞だった。版が乱れたのか、見出しの文字が一部飛び跳ねている。それはご愛嬌なのか、はたまた危急を表現する手法なのか。
でかでかと記された見出しはこう語っている。
『ギルド設立制限緩和へ。抗争は不可避か!?』
書面にて単に「ギルド」と書かれた時は、「異能者ギルド」のことを指すのが暗黙の了解だ。
さて、異能者とは。書いて字のごとく、一般人と違う不思議な能力を持つ者のことだ。世界政府の法規の下では「アビリスタ」と名付けられ、人間とは明確に区別した扱いがされる他、人間社会中で能力を行使することも制限されている。やむを得ない措置だ。超人的な特殊能力は、使い方を間違えれば平和を脅かすゆえに。
ギルドはそんなアビリスタたちが、能力を活かして営利活動をするための互助組織だ。ただし、看板を掲げて活動するには、政府の設立許可が必要。今回はその認可基準を緩和した、という話なのだ。
ノスカリアには既に大小二十近くのギルドが存在する。制限緩和となれば、さらに新興ギルドが乱立するだろう。かといって、仕事口が比例するわけではない。パイの奪い合いは必至だ。
マスターは来たる未来を予測して、眉をひそめた。自分に火の粉がかかる心配ではない。気がかりなのはオーベルのことだ。彼の宿屋は、とあるギルドの本拠地となっている。
「ねえオーベルさん。それ。大変なことになるんじゃないかい?」
「んー、ああ、まあ、なんにも無いとは言いきれんけどよ。たぶん、うちはあんまり変わんねえよ」
ずず、とオーベルは茶をすする。心配とか不安とかそういった色は一切なく、落ち着いたものだ。
「中堅も中堅だからなあ。変に下剋上狙う連中でもないし。ぽこぽこ出来た小さいとこが、上の連中に叩き潰されて終わりだろうよ」
「そうか。……まあ、そんなものか。戦国乱世、まず狙われるのは弱小国と相場が決まってる」
「そうそう、気にするこたあねえよ。おまえさんなんか、一番心配しなくていいタイプだぜ。外も出歩きゃしないんだから、戦いにうっかり巻き込まれることもないだろうよ。いいなあ、気楽で」
オーベルの皮肉めいた笑いには、苦笑で返した。
ところで、実は葉揺亭にはもう一人店員が居る。住み込みで働く彼女は少しお寝坊さんなのだが、そろそろ起きてくるころだ。
それを待ちがてら、自分も一服しよう。マスターはポットを取り出すべく食器棚へと向いた。が、はっと思い当たることがあり、すぐにオーベルに向き直った。
「ねえオーベルさん、その新聞、伏せておいてくれ。アメリアが見たら――」
その言葉を遮るように、店の奥から重い衝撃音が響いた。ドア一枚はさんで聞く限り、床に尻餅をついたように聞こえたが。
男たちが顔を見合わせたまま唖然とした。すわ、一大事か。
血相を変えたマスターは、すぐさま扉へ向かって回れ右。
その時、扉が奥より控えめに開けられた。続けて、隙間からはにかんだ笑顔の少女が、緑色のワンピースをひらつかせて飛び込んでくる。長いブロンドの髪を一本の三つ編みにした、澄んだ青い目の少女、彼女こそ葉揺亭の看板娘、アメリア=ジャスミナンである。
「おはようございます、マスター、オーベルさん」
「おう、おはようさん。……大丈夫かい、アメリアちゃん」
「平気です、なんでもないです」
オーベルに笑って答える。頬がほんのり照れくさそうに染まっている。
その横からアメリアに詰め寄る者が居た。マスターだ。
「なんでもないわけないだろう、アメリア。さっきの音は何だったんだ。普通じゃない、なにかあったはずだ」
「あの、エヘヘ、ちょっと踏み外しちゃいました。慌ててたんです、寝坊したと思って」
「寝坊なんて怒らないよ、いつものことじゃないか。だから、本当に気を付けてくれ。命が縮むよ。……怪我は無い? 足は痛くない? 頭打ったとか、手をひねったとか」
「大丈夫ですよう、マスターは心配性なんですから。もう」
呆れたようにアメリアは言って、マスターから目を逸らした。その大きな目が動きを止めたのは、カウンターの上にあった新聞だ。
マスターは「しまった」と小声で漏らした。がすでに遅い。
アメリアは興味津々と言った風に、大見出しとにらめっこしている。
少女も盛りのこの娘は、驚くほどに単純だ。あの鮮烈な文面を見たらいたずらに不安がるか、あるいは、妙な期待を抱くか。どちらにしろ、騒ぎたてるのは間違いない。マスターは額に手を当てた。
アメリアは後者に転んだらしい。大きな目を見開いて、太陽のように顔を輝かせ、くるりとマスターに向き直った。勢いに乗ってフリルのエプロンがふわりと舞い踊る。
「ねえ、マスター! うちにもギルドを呼びましょう! 喫茶店でも拠点になれます、きっと」
「嫌だよ」
「ええー、いい機会じゃないですか。楽しそうですし。……そうですよね、オーベルさん」
アメリアはきらきらとした眼差しで、今度はオーベルを見た。
彼は自分の娘を見るような優しい目で笑うと、髭をさすりながら、少女の期待に応える。
「おう、そうだ、楽しいやつらだぜ。あいつら見てると、俺も交ざりたい気分になるねぇ。なんつうの、冒険心というか、男の浪漫が刺激されるっていうか――」
オーベルの声が急激に淀んだ。手をついてこちらへ身を乗り出しているアメリアの後ろで、マスターが渋い顔で佇んでいたからだ。
マスターはこういう無言の重圧をかけるのがうまい。オーベルは笑顔を引きつらせ、目を泳がせた。おくればせながら新聞も裏返す。そして、しどろもどろに。
「ああ、いや、まあ。でも、大変は大変だぜ? うん。もめ事もあるしな。アメリアちゃんには、ちょっと危ないかもな」
「平気ですよ。マスターが居ますもの」
「まあまあ、そうだが。第一、この店じゃちいと狭すぎるわ。だからなんだ、思い付きならやめときなよ。別に、ギルドがくっついてるからって、いいことはないって」
「そうですか……残念です」
アメリアは大人しく引き下がった。
しゅんとする彼女の肩をマスターが叩いた。顔にはいつもの微笑みが戻っている。なおかつ何事もなかったかのように言う。
「ねえアメリア、お茶飲む? 僕のと一緒でいい?」
「はい、大丈夫です」
お茶、と聞いた瞬間にアメリアの顔は明るくなった。マスターの茶が好きなのは、客だけでなく店員たる彼女も同じだ。
アメリアはカウンターの中に常備してある自分の椅子を引きずって、マスターの隣に据えた。店主が茶を淹れる間の仕事は、彼の代わりに客の話し相手になることだ。
今日はアメリアが話し手になると決めたらしい。作業台に肘をついて両手を組み、その上に顎を乗せ、どこか憂いを帯びた表情で、はあと一息。
「だけど、私、もっと楽しいことがたくさんあればいいのにって思うんです」
「おう、気持ちはわかるわ。毎日毎日繰り返しじゃ、つまんねえもんなあ」
「そうですよ! そうなんです」
共感を得られて嬉しいアメリアは、台を両手でぺちぺち叩きながら興奮気味に叫んだ。
マスターとしては聞き捨てならない。たった二人の小さな店、しかも住み込みで働いているのだから、付き合いとしては家族に等しい。その生活をつまらないと言い張られては立つ瀬がないではないか。
二つのティーポットで湯を介す手はそのままに、マスターは口をへの字に曲げて問うた。
「なんだよ、アメリア。僕と一緒に居るのが、そんなにつまらないかい?」
アメリアはとんでもないとばかりに首を横に振った。見開かれた目は、嘘をついてはいない。
しかし、小さなうめき声を漏らしながら、彼女は人差し指を突き合わせて、遠慮がちに言った。
「でもたまに、マスターが難しくて長いお話を始めた時は、すごくつまんないです」
「それは……いや、つまらないかどうかは君次第だ。楽しく聞こうとすれば、何だって楽しいものだよ」
「そう、でしょうか……」
いや、つまらないものはつまらない。アメリアは理解を求めるべく、ちらとオーベルを見やった。彼は小さく頷く。げんなりした顔をして。
職業柄以上に、葉揺亭の主はよく喋る。時には一人で延々語りだし、聞く手がどんな顔をしているかはお構いなし。彼を知る者の間では常識のことだ。これがいつも楽しい話ならよいのだが。いかんせん、知識の幅が広く深いために、どこでスイッチが入るかわからない曲者である。
常連客は皆、マスターの語りが止まらなくなった時の対処法を心得ている。適当に相槌打ちながら聞き流すか、あるいは強引に話題を変えるか、だ。
オーベルがよく使うのは後者の手である。紅茶の蒸らし終わりを待ちながら、まだ何か言いたげにしているマスターに先んじて口を開いた。
「あれだろ、アメリアちゃんが言いたいのは、いつもの日常になんか刺激が欲しい、みたいな」
「そう、それです! 刺激! マスターだって、いつも同じじゃ退屈しません?」
「別に。何も無い方がいいじゃないか。平和で」
「でも」
「僕は今のままでいいから」
きっぱりと言い切って、ちょうど出来上がった紅茶のポットを開けた。見慣れた褐色の液体と、嗅ぎなれた渋い香り、いつもと同じでまったく問題ない。
マスターは温めたカップを二つ用意して、紅茶を注ぎ分ける。片方は自分で持って、片方はアメリアの前に差し出しながら。
「この変わらない日常がずっと続いていくって、とても素晴らしいことだと思うよ。……はい、アメリア。熱いから気をつけてね」
「ありがとうございます」
アメリアは幸せ顔でカップを手にした。ふうふうと息を吹きかけて、そっと慎重に口をつける。
彼女の様子を横目で見守りながら、マスターはすまし顔で自分も一口。胸のすくような苦味が舌をつき、その向こうからやってくるかすかに甘やかな香りがくせになる。亭主の今朝の一杯は、オーベルと同じコルブの熱め。
「にっがぁい!」
アメリアの悲鳴に近い叫びが上がった。カップを台上において、舌を出したまま恨めしげにマスターを見据える。涙目だ。
「うー……マスター、これ、なんですか……」
「オーベルさんがいつも飲んでるやつさ。君の舌には結構苦いとは思ったけど」
「わかってるくせにぃ、マスターひどいです」
「僕のと同じでいいって言ったから」
にやりと笑うマスターにアメリアは反論しなかった。彼の言ったことは間違いないし、相手は賢い大人、理論武装では勝てない。
アメリアはぷんと頬を膨らまし、シュガーポットから山盛りの砂糖をカップに入れて、いらだちをぶつけるように激しく混ぜた。
それから台下にある冷蔵庫――焜炉と同じく、冷気のアビラストーンの力を借りた便利家具だ――から、小型の缶に入ったミルクを持ち出して、カップからあふれる寸前まで注ぎ込む。
なお、飲めないから捨てるという発想は、アメリアの中には無い。食べられるものを捨てるなんてとんでもない、と思うのだ。
苦い紅茶と必死に格闘するアメリアを見て、マスターは楽しげに肩を揺らしていた。
いつもこんなひどいことをしているわけではない。今日は日常に刺激がほしいなんて言われたものだから、ちょっとした悪戯心が湧いたのだ。
そしてマスターとアメリアの睦まじいやり取りは、ある種の葉揺亭名物である。連日通うオーベルにしてみれば、この程度のおふざけはすっかり見慣れたもの。やれやれとばかりに苦笑いして、マスターに語りかけた。
「あんた、そうやってアメリアちゃん構ってれば、そりゃ退屈はしないだろうなあ」
「その通り。オーベルさんみたいにわざわざ来てくれる人も居るわけだしね。これで退屈だなんて、そんな贅沢な話はないよ」
マスターは屈託の無い笑みをこぼした。
いつもと変わらない朝、ゆっくり茶を味わえる平穏な日々、ちょっとした茶話に興じられる相手がいる風景。こんななんでもない日常を過ごすが、どんな刺激的な物語を読むより楽しく愛おしく幸せだ。
葉揺亭の穏やかな日常は、亭主のそんな想いを乗せて流れていく。
葉揺亭・メニュー
「コルブ」
強い苦みが特徴のお茶。イオニアンに多種ある紅茶の中で、トップクラスに通好みな一杯。
沸騰したお湯を使うとさすがに渋すぎるため、少しだけ冷ましたお湯を用いるのがベスト。