おもいつゞらと箱の男(後)
3話で終わらなかった……。
でも、この短編で書きたいことはもう詰め込んだ気がします。
あとは後日談的なね
――君の力は、人を救う力よ。
黎き麗人は、はじめにそう言った。十二歳の、冬の日だ。今思えば、あの言葉は私をアマツカミに引き込むための嘘だったのだとわかるし、地獄みたいな現実を生み出した自分の力が『人を救う力』だなんて、そんな話を信じられるはずがなかった。
――私の力は、人を殺す力だ。
だってそうじゃないか。私のせいで何人が死んだと思っているんだ。いくらあの鬼を倒して、お母さんの仇を討ったって――死んだ者は生き返らない。もう元には戻せないんだ。どれほど後悔と逃避を重ねたとしても……。
大きすぎる力なんて、不幸になるだけだ。
けれど、今さらそんなことを嘆いたって仕方がない。
私は――頭の中に棲むバケモノと、二人三脚で生きてゆくしかないのだ。
どんな貌で、どんな色で、どんな形をしているのかもわからない獣。そいつは意識の奥深くで、水面に浮かぶどろどろの廃油のように心を塗り潰してゆく。
しかし――本当に、私の頭の中に獣はいるのか?
頭蓋骨に窓を開けて、脳を切り開いて中を確認しない限り――証明しようがないのではないか?
『私』という『箱』を開けてみなければ、中に何が眠っているかなんて――わからない。
もしも。
もしも――仮に『箱』を開けてみて、中に何もいなかったら。
『箱』の中に獣はいなくて、中にいたのが唯の〈自我〉だとしたら。
私は、あの時……。
――私の力は、人を殺す力だ。
その〈溟き海を游ぐ不羇なる意志の光〉を放ち、多くの灯を吹き消した悪意の風は。
果たして本当に、獣の仕業なのだろうか?
「返せ――」
喉から絞り出すように放たれた言葉に、男は多少驚いた様子だった。アヤカシに殴られた衝撃で、左腕の感覚がまるでない。口の中も切れている。頭にもガンガンと痛みが叩きつけられて、立っているのもやっとの状態だった。
だが、それでも立ち上がらなければならなかった。立ち向かわなければならなかった。
「返せ……ッ!」
虫の羽音のような掠れ声を吐き出したあと、私は男へ向かって一直線に駈け出した。躊躇うことなく、胸に右掌底打ちを叩き込む。それ自体は大した威力ではない。私の腕力なんてたかが知れている。
――それでも。
「む――」
「うああああッ!」
雪白の光の渦が右腕に絡みつく。標的に接触しての意識浸食。私の異能――思念波が最も精度を高める距離での一撃。押し寄せる思考の奔流の中、溟海へと渡った超感覚的知覚が男の意識に侵攻する。
それなのに――掴みかけたそれは泡となって消え、どこからか飛来した涅色の雀が脇腹を抉り取るように滑空していった。
「ぐっ……!」
堪らず、膝を突く。痛い。苦しい。下手をすれば肋骨が砕かれる威力だ。男が使役する数羽の小鳥にも、間違いなく実体があった。異能そのものでも、式神やゴーレムの類でもないように感じる。
呼吸を整えながら、私は男を睨みつけた。その肩や腕には、小鳥達が群れを成し留まっている。
「経立だよ、こいつらは。わたしたちが使役するために、特殊な方法で育てた。おもいつゞらとは違うよ。そいつは正真正銘のアヤカシ――霊玉を持つ妖怪だ」
男の手には――奪われたナイフ。
お母さんのナイフだ。
「返せ……」
「そんなにこれを渡したくないのかい。それなら――」
男は、おもむろにナイフを振り上げると、柄に埋め込まれたスノークォーツを引き剥がそうと力を込めた。
「ナイフはお返ししよう。必要なのは霊玉だけなんでね……」
私はその光景を、
黙って見ていることしか、
できなかった。
――心臓が、震えた。
「ぬっ――う、お、おおおおおおおおッ!?」
突如、眩い光がスノークォーツから放たれた。真っ白な稲光が空気を切り裂き、私達を呑み込む。男が苦しげに呻き、咄嗟にナイフを地面に落とした。――今だ。早く取り返さなければ。奪い返さなければ。早く、あのナイフを。お母さんが遺した大切なものを。
たとえ相手を
コ ロ シ テ デ モ
「――Smettila!!」
耳慣れない女の声が、脳髄に突き刺さった。
いつからか――
黒き夜陰に紛れ、白き聖衣を纏った者が、私達を取り囲んでいた。
見ればあのアヤカシは、意識を失ったのか電柱の足下で倒れ、萎んだナメクジのように小さくなっていた。さっきまでの半分以下の大きさだ。
「ア――」
何が起こったのかわからないが――頭を抱え蹲っていた男は、周囲にいる白装束の中から一人の女を見つけると、眉間に皺を何本もつくりながら動揺を隠さず呟いた。
「アリーチェ……!」
「Da quanto tempo. ――って、ヨネジロウ、まさかほんとに実行してるなんて……。呆れた!」
まだ幼さの残る声色。口にした言葉はどこの国の言語だろう――ヨーロッパのほうだとは思うけれど、次いで発した日本語にもあまり違和感はなかった。
大きな耳飾りをつけた、長い黒髪の少女。夜なのに不思議なほどはっきりとわかる、ダイヤのように輝く黒い瞳をした西洋人。おそらくまだ十代――私と近い年齢かもしれない。
彼女のほかにも、十人近くの少女達がいた。全員西洋人かと思いきや、中にはアジア系の娘もいる。日本人なのかどうかはわからなかった。
皆、一様に同じ服――ローブのような、ゆったりとした白い外套を身に纏っている。礼拝堂や教会ならともかく、こんな人通りもない夜の道路に、わらわらと白い集団がひしめいている光景は不気味だった。
「なぜここがわかった。知っていたのか、彼女が持つ霊玉の在り処を」
「星が知らないことなんてない。でも、それに手を出すかどうかは別。ワタシたちは『箱』の中身に介入はしない――そんなこと、アナタも知ってるでしょ」
「ふざけるな。こうでもしなければ、何もかも終わってしまうんだ。知ってしまった以上、指を銜えて見ているなど」
「アナタが何を見たか、そんなことは関係ないの。アナタは開けてはいけない『匣』を開けた。禁忌を犯し、教団に仇を成す存在……っていうことになってる」
「わたしは戻らんぞ」
「はいはい」
「戻らん!」
「子供じゃないんだからわがまま言うなっての!」
少女目がけて、数羽の雀や燕が矢のような勢いで突っ込んでゆく。しかしいったいどうしたことか、小鳥達はすぐに速度を緩めるとほうぼうに散っていった。
少女の胸元で、何かが碧く煌めいたのが見えた。
「ワタシを傷つけることなんて、誰にもできないわ。そこに敵意がある限り」
碧い瞬きは、次第に朱い光に変わり、消えた。
胸元に現れたのは十字の首飾り――朱いロザリオ。
血の色をしたロザリオだった。
「哀しみよ――おやすみ」
緋く、朱く、ロザリオが輝きを放つ。あまりの眩しさに目を瞑ると同時に、何か嫌な気配が全身に押し寄せた。
「夢の畔へ、行ってらっしゃい」
数秒に満たない時間の隙間――
目を開けると、男は眠るように気を失っていた。
「ヨネジロウを確保。連れていきなさい。あと、そこの気持ち悪いのを箱に戻しておいて。大丈夫、数時間は目を覚まさないはず。アスタに報告も忘れずに」
頷いた少女達がてきぱきと行動に移った。
いったい、何者なのか。
膝を突いて固まったまま混乱している私に、ロザリオの少女が近づいてきた。
「Bucaneve――」
「え?」
「……いえ、なんでもないわ。ワタシはアリーチェ。迷惑かけて本当にごめんなさい。怪我は――大丈夫そうね。ユキバナ」
「え、怪我……?」
自分の体を見下ろす。確かに左腕もしっかり動くし、頭痛もない。服が少し傷んだ程度で、どこも痛くなかった。一時は死ぬかもしれないとまで考えたのに。
それに、どうして私の名前を知っているのだろう。男から聞いていたのだろうか。
「…………?」
「これ、返すね」
アリーチェと名乗った少女は、落ちていたナイフを私に渡してくれた。いつもと何も変わらない、柄に石が埋まっているだけの何の変哲もないアートナイフだ。
柄を握り締め、拾い上げたバッグにそれをしまう。
遠くで、間延びしたパトカーのサイレンが鳴っている。
「うっ……」
頭の片隅に、じくじくと妙な疼きがあった。
現実感がないというか、まるで自分じゃないみたいな違和感。
それがなんなのか思い出せないうちに、白いローブの少女は言った。
「ねえ、ユキバナ。突然だけど、話しておきたいことがあるの」
「な、何……?」
「とても大切なこと。でも、別にアナタにどうにかしてほしいわけじゃない。アナタがどうするべきかは、アナタ自身が決めることだから。『仮定』を『確定』に、『絶望』を『希望』に変えるのは、ユキバナ自身。それによって未来がどう決定しても、ワタシたちはアナタを恨まない」
何を――言っているのだ。
何か――何か、忘れている気がする。
何かに気づくのを忘れている気がする
ロザリオの少女――アリーチェはそれを告げた。
「アナタは、もうすぐ死ぬ」
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