おもいつゞらと箱の男(前)
思ったのとだいぶ違う方向に進んでいるような……。しかも無駄に長くなってしまいました。
Ceuiさんの楽曲要素はほぼ皆無。書きたいことを書いただけの話です。
雪花の性格が変わってる気がする!(笑)
あれから数日後。
わずかに冷たい乾いた風が吹き始め、木々の葉も紅く染まり出した秋の夜。長袖のシャツ一枚ではそろそろ肌寒い季節だ。
私――都立柴白高校二年・砂原雪花は、本来の学業を疎かにした一日を過ごし、帰宅の途に就いていた。
今日は定期召集で〈天神〉の本部庁舎に行かなければならなかったため、学校を休む必要があったのだ。もちろん学校に本当の事情を話すわけにはいかないので、滞りなく仮病を使わせてもらったのだけれど。
高校に入学する前のようにアマツカミの寮で生活していれば、わざわざ召集時に本部庁舎まで足を運ばなくて済むのだが、こればかりは仕方ない。朝早く電車に乗り、バスに乗り換え、さらに歩く。都心からほどよく離れた場所にあるアマツカミ本部で、集められた者達は簡単な書類の提出と担当官との面談を実施した。
アマツカミは全国の超能力者や異能力者を管理している。登録簿に載ってしまった者は本部もしくは支部で教育訓練や講習を受けさせられ、その後も逐次報告や書類提出を義務づけられるのだ。
私――天神中央本部〈地祇〉討滅課第三〇四班三等術士・砂原雪花も、この一か月の異状の有無や能力の錬成状況等の報告を終え、帰宅の途に就いていた。
二月に起きたあの事件後、ただの登録者から所属を黎さんと同じクニツカミに移した私には、晴れて三等術士という階級が付与された。晴れてなのか曇ってなのかは、まだわからないけれど。
私の年齢と実績では、クニツカミへの配置も術士の階級も不相応だ。それが適ったのは、私の能力が大きく関係しているのは間違いない。あとは黎さんの強力な後ろ楯だ。
クニツカミの双璧と謳われる、一等方士・荒野黎。やはり、あの人と近しい私は何かと注目されているらしく、恐ろしいことに名前だけがどんどん一人歩きしているように感じる。
あの事件から半年以上が過ぎ、その間にも目まぐるしく非日常・超常体験が私を襲ったが――少しずつ、本当に少しずつではあるけれど、自分が以前より成長しているという自信がついてきた。
だから今――眼前に降ってきた奇妙な現象を前にしても、動じることなく冷静に対処しなくてはならない。
自宅マンションまでの帰り道、人気のない夜の道路上。
黎さんはいない。
春もいない。
辺りを照らすのは頼りない常夜灯のみ。
道路の真ん中、その薄い光を浴びて浮かび上がっているのは――
箱。
大きな四角い物体だった。
「……何あれ」
思わず独り言が零れる。
地面に置かれているのは、一辺の長さが一メートルはあろうかという大きな立方体。すぐに私は、先日結女さんに教えてもらった『箱』の話を思い浮かべた。たぶん、咲良さんが見たという予知夢が告げていたのは、今目の前にある箱のことなのだろう。
しかし、箱と言っても段ボール箱でも宝石箱でもない。
あれは――葛籠だ。
なぜ葛籠がこんな場所に置かれている。薄闇の中、竹で編まれた大きな箱と向き合う私。誰が置いたのかも、何が入っているのかもわからない、奇妙な箱。
私は思案した。
いつもならそんなもの無視して家路を急ぐけれど、気になるのはあれが咲良さんの夢に現れた『予兆』だという点だ。絶対に何かある。もしあの夢が凶兆を告げるものだとしたら、私の身に不幸が降りかかってくるかもしれないのだ。
それとも――予知夢が示した不幸・不運は大した威力ではないのか? それならそれで全然構わないのだが――もしそうでなかった場合を考えると軽率な行動が取れず、私はしばらく葛籠と睨めっこしていた。
「……よし」
意を決して、葛籠に近づく。
開けてみよう。
咲良さんが見た予知夢は絶対現実になる。ということは、この状況を避けても避けなくても、結果的には何かよからぬことが私に降りかかるのだ。程度の大小はわからないが、開けても開けなくても不運な目に遭うのなら、私は開ける。
なぜなら中身が気になるから。
人は好奇心という悪魔には勝てないのだ。
逸る気持ちを抑え、葛籠の上蓋に手を触れた――瞬間。
ゾッ、と電気が流れたみたいに背筋を悪寒が走り抜けた。反射的に伸ばした手を引っ込め、弾け飛ぶように葛籠から距離を取る。今度は一瞬で、カッ、と熱湯が流れたみたいに血管を焦燥が流れ抜けた。
やばい。とても嫌な予感がした。だめだ、あれは開けるべきではない。早くここを離れたほうがいい。なんで変な好奇心を持ってしまったんだ、私のバカ。
逃げるようにその場から駈け出そうとすると。
「開けないのか? その箱を」
「――ッ!?」
いつの間にか背後に、見知らぬ男が立っていた。
山伏装束のような服を着た怪しい男だ。背は私より低いが肩幅は広く、がっしりとした山男のような体格をしていた。眉間には苦痛を表したような深い皺が何本も刻まれ、昏く陰った色をした瞳でこちらを凝視している。
「開ければいい。気になるんだろう? その中身が」
眉間に皺があるなら、声にも皺がある。低い背丈同様の低い声で、男は言った。
「別に恥じることではないぞ。そこに箱があれば開けたくなるのが人間という生き物だ。大昔から変わらない、人間の本質だよ――お嬢さん」
箱――私――男。
位置関係からして、この場を離れるのであれば箱のほうへ向かってダッシュすればいい。それなのに――あの葛籠に近づくのは危険な気がした。この怪しい男よりも、あの葛籠のほうが、だ。
「……どこかでお会いしましたっけ? ちょっと記憶にないんですけど」
さっきまでの暢気な気分はどこへやら――警戒しながら、私は男に尋ねた。
「初対面だよ。だが君のことは知っているよ、砂原雪花君。捜していたのさ、君を。まさか、いや、やはりと言うべきか――アマツカミ機関の人間だとはね。『あれ』を持っているのだから当然といえば当然か……。ふふ、人は外見からは想像もできない中身を隠しているものだ。開けてみるまでわからない――『箱』と同じだとは思わないかね」
「……なぜ私のことを?」
「少し頼みがあってね……。突然で悪いのだが」
背後で――葛籠が物音を立てた気がした。まるで中に――生き物がいるような、そんな音を。
「――君の〈霊玉〉を、わたしに譲ってはくれないかね」
「……は?」
意識が前方の男に戻される。男が口にした単語に、聞き覚えがなかったからだ。
「れいぎょく? なんですかそれ」
男が初めて表情を変えた。私の言葉がそんなにおかしかったのか――訝り、眉間の皺がさらに深くなる。
「惚けてもらっちゃ困る――と言いたいところだが、どうやらわたしの予想通り、まだ君が持つ霊玉の存在に、アマツカミは気づいていないようだね。それにしても、奴等が気づかぬほど微弱な力しか持たない霊玉が、それほどまでに危険なのか……? いったいあの風景は……。いや――そんな予測は意味を成さない。このままでは現実となってしまうのだ――あの終末がやってきてしまうのだ……。早く『箱』を閉じなければ……全ての絶望を閉じ籠めなければ……」
途中からは私ではなく自分に語りかけるような口調だった。全く意味は理解できないが、どうやら男は私が持つ何かを欲しているらしい。
それがなんなのか、見当もつかないが……。
「君が持っているのはわかっているんだ。危害を加えるつもりはない、ただ譲ってくれればそれでいいんだ」
「そう言われても、私はそんなもの持っていません」
「いや――持っている。その証拠に」
背後で――葛籠が物音を立てた。
はっとして振り返ると、そこには。
「そいつが――君を喰いたがっている」
蓋が開けられ、葛籠の中から――化物が這い出てくる非現実的光景が襲来した。
「な、ん……ッ!?」
呼吸すら忘れる衝撃。目を疑った。
なんだ、あれは……ッ!?
即座に脳内の記憶フォルダを検索。黎さんと出会いアマツカミに加わってから、これまでに対峙した汚染体、変容体――異形の数々を思い浮かべる。しかし検索結果は0件だった。過去のデータのどれにも当てはまらない、未知の怪異。
化物、としか形容しようがなかった。
牙を剥き出しにした、犬なのか猫なのか判別できない獣の貌。ぎょろりと眼球を飛び出させた猿のような貌。鬼面みたいに醜悪な、無数の眼が蠢く貌。中には人面に似た貌もある。毛むくじゃらの腕や蛇のような脚が生え、軟体動物のように身をくねらせながら地面を這いずる、まさに化物としか言えない――たくさんの生き物が雑じり合った不気味な生命体。いったいどうやってあの葛籠に収まっていたのか、箱の容積の五倍はあろうかという体躯だ。
気づけば男の肢体から、ゆらゆらと涅色の靄が溢れ出しているのを私は視た。最悪の状況――この男も異能遣いか。
眉間白毫相に力を込め、全身の血液を集めるイメージを描く。私の体からも、常人には不可視の雪白の靄が滲み始めた。
前門の化物、後門の山伏。
とにかく、理由は呑み込めないが――なぜか私は見知らぬ男に狙われている。そしてこの場から離脱するためには、進むことも退くこともできない危機的状況を打破しなければ――
「だめだ、逃げることは許さない。今ここで君を逃がせば、間違いなく今後アマツカミが障害になる。いずれ奴等からも霊玉を奪わなければならないが、騒ぎを大きくすればそれが困難になってしまうしね。だから今日――この場で霊玉を回収させてもらう」
「だからっ、それがなんなのか知らないんですって!」
「そのバッグの中か? それともアクセサリーにでも仕込んでいるのかな?」
「バッグ……? 何もありませんよ、妙なものは……ッ!」
「ならばそのバッグの中身をわたしに見せてくれ。開けてみなくては、何が入っているのか――わからない」
今私が所持しているのは、肩に掛けたバッグのみ。中には今日必要だった書類や筆記用具、財布と――
黎さんの言いつけでいつも持ち歩いている、『あれ』が入っていた。
「……お断りします」
「ほう。なぜだね」
「知らないんですか? 女子の持ち物検査をする大人は嫌われるんですよ。学校で持ってちゃいけない物を持っていたとしても、バッグの中から出さなければ持っていないのと同じじゃないですか。先生がバッグを開けさえしなければ――そうですよね?」
「ふふ、面白いことを言う。君は聡いな。確かにバッグを開けるまでは持っているとも言えるし、持っていないとも言える。まさに『猫は二分の一死んでいる』――だ」
「それです、私が言いたかったのは。シュレディンガーの猫」
「あの箱の中では、『猫は生きている状態と死んでいる状態が一対一で重なり合っている』。まるでこの世界のようだとは思わないか? 溟海と織り重なり存在する、絶望に満たされたこの世界と。我々は生きているようでいて、死んでいるのだ。――だが、このまま放っておけばいずれ世界という『箱』は開けられる。『仮定』は『確定』となり、我々は希望を完全に失うのだ」
だんだんと力が入り始めたのか、男は上擦った声で続ける。
「だからこそ――だからこそだ。世界を絶望の未来に確定させてはならんのだよ。それを阻止するために、霊玉が必要なのだ」
「……レイギョクとやらの話は置いておくとして――未来が絶望へ向かうと決めつけているように聞こえますが、その根拠はなんですか? 貴方の言う『箱』が何を指しているのかは知りませんが、明るい希望で確定する可能性だってあるじゃないですか」
長い――沈黙だった。
果たして男は何を経験してきたのか、その双眸は昏く沈み、夜に染まりきっていた。
「希望は――ない。わたしは観てしまったのだ……。あの災厄を――終末を告げし雷が、やがて世界を破滅させる絶望の風景を……」
「雷……?」
「もう――時間がないのだ。確定世界の姿が決まっているのなら、世界を仮定のまま漂流させるしかない。そのためには」
霊玉が必要だ――と、何度目かの台詞を吐く箱の修験者。
――なるほど。
事情はなんとなくわかったようなわからないような――だが、とにもかくにも、この男は悲壮な決意で以て、私への接触を図ってきたのだ。
ならば私も、覚悟を決めなければならない。
高校生という顔を捨て、アマツカミの職員に徹して。
「……知っていると思いますが、私はこう見えてアマツカミ機関の職員です。先ほどの貴方の発言に、アマツカミへの敵意を感じました。立場上、見逃すわけにはいきません。ところで――貴方はどこかの組織に属しているのでしょうか? それとも、これは貴方一人で?」
「一人だ。だがついこの間までは――ある組織に属していた。禁忌を犯したわたしを、奴等は始末しに来るだろう。まあ、そう簡単に消される気はないがね」
男が一歩、足を踏み出す。
同時に、反対方向では化物が徐々に私との距離を詰め始めた。
「どうやら素直に言うことを聞いてくれる気はないようだ。残念だよ」
「ええ、私も残念です。たかが所持品検査を拒否したくらいで、こんなことになるなんて」
「組織の名を使うのであれば、容赦はしないぞ。多少痛い思いをするかもしれんが、許してくれお嬢さん」
クニツカミ三等術士としての戦いが始まった。化物が気色悪い軟体動物の動きで急接近、これまた気持ち悪いほどの速度で突っ込んできた。寸前まで私がいた空間を消し潰すように疾駆する巨体。決して広くない道路、私は瞬間的な脚力強化で体当たりを回避する。
「ほう、さすがはアマツカミの術者。一筋縄ではいかんか」
ESPの応用――超感覚的知覚能力の解放による、運動能力の強化。
他者の意識ではなく、自分自身の意識への干渉。研ぎ澄まされた神経は思考と行動の一体化を促進し、アインシュタイン時間を支配することで体感時間を操作、刹那を劫へと引き延ばす。体の隅々まで行き渡る超感覚的知覚は、肉体をもう一人の自分が動かしているかのような、二人掛かりで押し進めるかのような瞬間的な爆発力を生む。
私はこの半年間、黎さんにひたすら戦い方を教わった。異能の扱い方以前に、私の純粋な格闘能力・戦闘能力は皆無に等しかった。いくら〈游泳する悪意〉に対して有利な能力を保有していたとしても、基本的な戦闘力・機動力がなければ奴等と渡り合うのは不可能だ。だから私は半年間、ひたすら己の精神と身体を鍛えた。少しでも自信を持てるように。少しでも黎さんに追いつけるように。
結果――まだまだ黎さんには及ばないけれど、多少は異能遣いらしく振る舞えるようになったかなと思う。荒野黎流の戦闘術は、私にとてもマッチしていた。
化物が耳をつんざくような声で吼えた。この啼き声は間違いなく現実の『音』だ。やはりこの化物は、人にキラーが憑いた変容体でも、動物にキラーが宿った変容生物でもない。
現実に、実体として存在するアヤカシだ。
「『舌切り雀』を知っているだろう? 日本人なら誰でも知っている有名な説話だ」
涅色の光を湛えた男が言う。いつの間にか化物が潜んでいた葛籠を背負っていた。
「雀……」
動きを止めた化物。私は呼吸を整えながら、先日の結女さんの言葉を思い出した。
雀――舌切り雀。
そして葛籠。
「欲張りな婆さんは大きな葛籠を選び、箱を開けてしまう。あの箱に入っていたのはなんだね? ――ふふ、そう、妖怪だよ。ただのお伽噺だと思うかい? なぜ葛籠の中に化物がいたと思う?」
「まさか――舌切り雀に出てくる妖怪が、この化物だとでも?」
「ふふ、残念ながらそれは違うよ。だが――そういう一族がいたということさ。古来より、八百万の神ではなくアヤカシと共に在り、彼等の霊玉を遺してきた――葛籠を管理する一族が」
今はもう滅んでしまったがね、と男は付け足した。
「葛籠の一族は滅んだが――しかし、その血を継いだ者が完全に途絶えたわけではない。何人かは生き残り、海を渡った者もいた。そして――『匣』を管理する使徒達と交わった」
使徒……?
いったい、男が言う『匣』とはなんだ。
眉間に深い皺を寄せ、苦い表情を浮かべる男が観たものとは、いったいなんだ。
「血の色をしたロザリオ……神々が人間に与えた箱……。もはや一刻の猶予も許されないのだ、この世界には!」
化物は――葛籠の妖怪は、体を丸め、文字通り矢のように飛んできた。男の焦燥が伝わる、全く以て慈悲のない一撃。突っ込んだ電柱にひびが入り、地面が揺らいだ。何を焦っているのかも、何に苦しんでいるのかもわからないが、どうやら男は私を殺しにきている。話が違うじゃないかとは口にしないが、こちらにもわけのわからないまま殺されてたまるかという意地がある。
それに、このままでは無関係な人に危険が及ぶ恐れがある。
早くなんとかしなくては。
黎さん抜きで。
私一人で!
肩からバッグを外し、放り投げる。
手にはバッグから取り出した――お母さんの形見。
黒く厳つい、仰々しい見た目をした、デザイン重視のアートナイフだ。淡い輝きを放っているのは、柄に埋め込まれた白いスノークォーツ。刃は錆びついており、武器として使用するのは困難だ。
このナイフを手にすると、あの日の母が勇気をくれる気がした。刃は錆びついていても、それに反比例するように集中力が磨かれる。私の周囲で一際眩い雪白の光が舞い散った。
「その光は――」
お構いなしに突っ込んでくるアヤカシ。私の能力の弱点は、物理的な攻撃力が一切ないこと。そのため、このアヤカシを真っ向勝負で討ち倒すのは百パーセント無理だ。
――しかし。
身体に打撃は与えられなくても、精神に攻撃は加えられる。意思ある生命ならば、行動する際に思考の波に揺らぎが生じる。この半年間、私はその思考の波を感知し、そこだけを狙って刈り取る訓練を積み重ねてきた。以前は細かなコントロールができず、変容体を討滅することしかできなかった力だけれど――今は違う。
この力は可能性だ。
自分自身の過去と向き合い、私が奪ってしまった命よりもっと多くの命を守り、未来へと繋ぐための――希望。
額に意識を集中、眼前に迫るアヤカシの内側へと自分の意識を潜り込ませる。
意識への干渉、意志への侵攻。
「視えた……ッ!」
雪白の光を帯びた、白銀の刃がアヤカシを貫く。アヤカシはよたよたとバランスを崩すと、動きを止めた。たくさんの貌が、皆一様に茫然と宙を見つめている。
やった――成功だ。
だが今のはあくまで、私に突っ込んできた時の攻撃意志を刈り取っただけだ。我を取り戻せばすぐにまた襲ってくるだろう。
けれど、その一瞬で十分――!
私はすぐさま男に向き直り、ナイフの切っ先を向ける。まずは男を昏倒させ、拘束する。そのあとあのアヤカシを葛籠の中に戻させ、アマツカミに連絡すれば――解決だ。
「なるほど……。それが君の溟海法――君の霊玉か」
葛籠を背負った男が涅色に輝く掌を翳すと、男の体から涅色に煌めく小鳥が飛び出した。雀か燕か、何羽もの小鳥が男の周囲を旋回する。
異能だ!
――が、その前に、その意志を刈り取る!
男の瞳を射貫くように見つめ、意志を潜り込ませる。生き死にの懸かった実戦だからか、今日はいつにも増して能力の射程・精度が高まっている気がした。私は以前の私じゃない。どこまでも追いかけてきて、あの冬に引き摺り戻そうとする過去の自分を――振りきったんだ!
「捉えた――ッ!」
雪白の光が吹き荒れ、男を呑み込んだ――
刹那の衝撃。
白銀の吹雪を突き抜けて――羽ばたく涅色の鳥が視えた。
直後、腹に――鈍い痛み。
「がっ……、は……!?」
ふらふらと、足取りが覚束ない。
なん――で。
何が起こった?
何が襲そった?
今――
「――――ッ!」
そこに、あのアヤカシがアスファルトを蹴り剥がし、腹這いながら詰め寄ってきた。
まずい。
身構える暇もなく、長く太い腕による横殴りの一撃に、私は地面を転がった。あまりの痛さに意識が遠退く。呻き声が喉から漏れ、汗なのか血なのかわからない液体が額を濡らした。
「――見事な技だが、人間相手に試した経験は少ないんじゃないかね」
男がゆっくり近づいてくる。
「他者の意識に干渉して、行動を奪う。――だが、中途半端に小さな思考を読み取ろうとしても、相手がその思考の波を少しずらしてしまえば無意味だ。人間の意識は、あの単細胞の悪意どもとは違うぞ。そんなに単純なものではない……」
秋の夜。
仰向けに倒れ、星の見えない夜空を見上げながら、荒い息を必死に整える。
私が狙ったのは、私を攻撃しようとした男の意志――だが、私が捉えたと思った瞬間、咄嗟にその思考を自ら掻き消した――のか? そうすれば私の能力の標的がなくなり、男の行動を止めることはできなくなる。そして、私の狙いから外れたあと、再び私を攻撃する新しい意志を生み出した――ということか。
言うのは簡単だが、実践するのは容易ではないはずだ。
完全なる自意識の制御、自己掌握。
私ごときでは到底及ばない境地、達人の域だ。
バカだった。私は――調子に乗っていた。最近ちょっとうまくいっていたからって……。
「く……ッ!」
「無理をするな。安心していい、死にはしない……。それに、もうわたしは立ち去るとするよ。目的は果たせたからね」
「な、に――」
目だけで必死に男の姿を追う。
常夜灯の明かりが、男が手にしたそれをぼんやりと照らした。
お母さんのナイフを――
続編に活かしたい設定を詰め込んだ物語って感じですね