第5話 A-3
黒い煙があちこちから立ち昇り、焦げた匂いが鼻をつく。
目につくもの全てを破壊していく。
それは物であろうと、人であろうと同じだ。
街中には悲鳴と歓声が混じって聞こえてきた。
悲鳴はこの街で暮らしていたNPCキャラと、運悪くこの街に滞在していた一般プレイヤー達の悲鳴だ。
歓声は久々の大きな狩りに興奮しているサーカスのメンバー達の声である。
街を守っていたNPC騎士達はいない。
既に倒されている。
無敵属性が与えられているNPC騎士がどうして倒されているのか。
それは、彼らの無敵属性を無効化することが出来るからだ。
この世界にはレッドプレイヤーのためのクエストが存在している。
その中には街を攻めるためのクエストがある。
これは大きなクエストで、いくつもの連続した小さなクエストをこなしていくことで、最終的にNPC騎士達の無敵属性を無効化し、その強さを下げてくれる。
さらにクエストの内容によってはNPC騎士達が街を襲う手助けをすることすらあるのだ。
個人的な恨みで寝返る騎士もいるが、多くは権力闘争を背景としていた。
今回サーカスが襲撃している街は、中堅層プレイヤーが主に利用する街であった。
一般プレイヤー側からすれば主要な街とは言えず、いくつかのダンジョンに向かうまでの休憩地点といった位置づけの街だ。
この街がサーカスの進めていたクエストによって襲撃対象となったのは、たまたまである。
レッドプレイヤー側の街襲撃クエストは、どの街を襲撃するのかプレイヤーが決めることは出来ない。
クエストの流れに従って、最終的に襲撃する街はランダムで決まるのだ。
最後の最後になって襲撃する街が前線組の拠点と分かりクエストを放棄する、なんてことも過去にはあった。
サーカスは一般プレイヤーを殺すこと以外で、NPCキャラ達を弄び殺すことも楽しみにしている。
この世界のNPCは大きく分けて2つに分類される。
1つはクエストを与えてくれるNPC。
このNPCキャラ達のほとんどは、魂を持たない。
王様や騎士団長といったキャラがこれで、決まったセリフを言うだけである。
彼らは寝ることもなく同じ場所にいて、プレイヤーのレベルやクエスト進行具合によって新たなクエストを与えてくれたり、時にはクエストを進めてくれたりする役割を担っている。
またクエストを与えることはないが同じく魂を持たないNPCキャラとして、街を守る無敵属性を持った騎士などもいる。
もう1つが、魂を持っている……としか思えないNPCキャラ達だ。
NPCであることを示すカーソルはついているのだが、表情豊かで自分の意思を持って生きているとしか思えないのである。
会話も成り立つ。ごく自然に。
彼らは街に住む住人であり、武器屋、防具屋、道具屋、宿屋などを営んでいたりもする。
そんな魂を持ったNPCキャラ達を相手に、己の欲望を吐き出し楽しむ。
この世界ではプレイヤーを殺すことは出来ても、強引に性行為に及ぶことは出来ない。一方が拒絶すれば相手を弾くことが出来るのだ。
しかし、NPCはそんなシステムで守られてはいなかった。
正確にはNPCを襲えば犯罪者のレッドプレイヤーとなってしまうのだが、そもそもレッドプレイヤーであるサーカスには関係ないことだ。
サーカスにとって、街襲撃こそが最も楽しみなイベントなのである。
サーカスがNPCを相手にすることを好むようになった理由として、一般プレイヤーを捕まえるのは多大な労力を必要とするにもかかわらず、捕まえたとしても面白みの欠けることが多いこともあげられる。
棘の短剣による決闘も、前回の時のように最終的にどちらも動かなくなる、といった興醒めの結果になったりする。
さらに一般プレイヤーは元の世界に戻るために魔王討伐をしているだけで、NPCキャラ達のようにこの世界で生きているという物語性が欠けるのだ。
街に生きるNPC達には人生の物語がある。
それらを暴力によって踏みにじる。
サーカスはそれが楽しくて仕方がなかった。
運悪くこの街に滞在していた一般プレイヤーは6人いた。
6人のうち3人は中堅プレイヤー、2人は低レベルプレイヤーであった。
そして最後の1人は、前線組に所属する高レベルプレイヤーだ。
前線組が混じっていたのは、恐らく低レベルプレイヤー育成のためだろう。
サーカスが街に襲撃してきた瞬間、彼らは逃げ出した。
だが、低レベルプレイヤーの2人は俊敏性が低く、逃げ切ることは出来なかった。
中堅プレイヤー3人のうち1人もサーカスに捕まった。
残りの2人と前線組の1人は逃げきった。
ここから次の街まで、最速で走っても往復で4時間はかかる。
次の街にどれだけのプレイヤーがいるかは分からない。
誰もいないかもしれない。
それでも、サーカスがこの街で自由に暴れ回れる時間制限が設けられた。
捕まった3人は、装備とアイテムを全て奪われた。
例の如くパンツ1枚となった3人を囲むのは、2人の男と1人の女だ。
他のサーカスのメンバーはNPC狩りを楽しんでいる。
この場にいるのは、サーカスの団長。
両手斧使いの屈強な戦士だ。
見た目からして脳筋に見える。実際筋肉はすごい。
その上、頭も切れる。
レッドプレイヤーを纏めるだけのカリスマ性をも持っている。
もう1人の男はピエロだ。
真っ白な短剣を持って嬉しそうに笑っている。
捕まった3人は両手両足を縛られている。
3人を縛っている縄は特殊な縄で、どれだけもがいても解けることはない。
だが、もがけないわけではない。
現にいま、捕まった3人のうち中堅プレイヤーと思われる彼はもがいている。
ピエロの短剣から逃れようと。
「アハハハハ! いいですよ! もっと! もっと逃げて下さい! ほらほら~! 逃げないと短剣が刺さってしまいますよ!」
じたばたと地面をまるで芋虫のように這いながら、彼はもがいている。
ピエロは大袈裟な動作で、短剣を突き刺すように振り下ろす。
彼がもがいて短剣を避けると、地面にぐさりと突き刺す音が響く。
避けられず短剣を背中に受ければ、同じくぐさりとHPを減らす音が響く。
彼のHPは既に赤色。残り僅かだ。
楽しむピエロを眺めている女はクイーンだ。
団長もクイーンも名前で呼ばれることはほとんどない。
そしてピエロもまた、名前で呼ばれることはほとんどない。
ピエロを眺めるクイーンは実に楽しそうだ。
ピエロはクイーンの大のお気に入りである。
サーカスの隠れ家で、ピエロがクイーンに呼ばれ彼女の部屋で共に夜を過ごすことを知らない団員はいない。
そしてクイーンが団長に呼ばれると、団長の部屋でクイーンが一夜を過ごすことを知らない団員もまたいない。
団員達の中では団長、クイーン、ピエロの三角関係の噂話で盛り上がることがある。
みな不思議なのが、なぜ団長はピエロがクイーンの部屋で過ごすことを許しているのかである。
団長がクイーンを溺愛していることは間違いない。
にもかかわらず、クイーンが呼べばピエロはクイーンの部屋に行くし、団長はそれを黙って見ているだけ。
不思議な関係であるが、強さからしてピエロが団長に敵うことはない。
団長がその気になれば、いつだってピエロを殺せる。
クイーンがあまりにもピエロを気に入っているから、クイーンを溺愛している団長はピエロに手を出せないのでは、と推測して団員達は勝手に盛り上がる。
団長はピエロのことが実は嫌いだ、という団員達の噂話の根拠の1つにピエロが『サーカス』のギルドに所属していないことが上げられる。
これはピエロがサーカスに所属することを拒否しているわけではなく、ギルドの最大人数は36人のため、サーカスのギルドに所属していないメンバーはそれなりにいるのだ。
だが、サーカスに入団した時期や、クイーンのお気に入りであることを考えてもピエロがサーカスに所属していないのは不思議である。
ピエロよりずっと後に入団して、サーカスに所属している者は何人もいる。
団長は、捕まえた一般プレイヤーをピエロが弄んでいるのを、クイーンと一緒に眺めている。
ピエロのことを見ていたいクイーンがこの場にいることは理解出来ても、団長がこの場にいるのはクイーンを気にして一緒にいるとしか思えない。
既に一般プレイヤーの3人は縄で縛れており、ピエロ1人でも何の問題もなく殺せるのだから。
「はぁ! はぁ! ああ! いきますよ! これで最後ですよ! ああ! 解放おめでとう! そしてさようなら!」
ピエロの最後の一刺しで、中堅プレイヤーの彼は光の粒子となり砕け散っていった。
そして仮面の中からおぞましい鼻息を漏らすピエロの視線は、残りの2人に注がれた。
ピエロの仮面の目はまるで生きているかのように2人を凝視する。
さてどちらを殺そうか、という声が聞こえてきそうだ。
「君にしようかな~」
ピエロは右のプレイヤーを見た。
まだ中学生ぐらいの男の子だった。
この時期になっても低レベルということは、開始当初は非戦闘の生産組に振り分けられたのだろう。
前線組の人数は減る一方だ。
補充として、彼のような幼い男の子であっても戦闘組に入りレベル上げをすることになる。
この世界で身体は成長しない。歳を取らないのだ。
しかしこの世界で何年も時を過ごせば精神は成長していく。
見た目は幼くとも立派な戦士に成長することだって出来るはずだ。
だが果たしてそれに意味はあるのか。
精神が成長しレベルとステータスの恩恵で立派な戦士になったとして、魔王に勝てるのか。
6人の魔将軍すら倒せるか分からない。
現に、魔将軍4人を倒すのにどれだけの被害が出ていることか。
思い描ける未来には、王都テラの陥落しか映らない。
「それとも、やっぱり君かな~?」
ピエロは反対の左のプレイヤーを見た。
大学生か新社会人ぐらいに見える男だった。
自ら戦うことを拒んで戦闘組を避けたのか、それとも戦闘センスが無さ過ぎて非戦闘組に回されたのか。
どっちでも関係ない。
この場で殺すのだから。
「やっぱり~君からにしようかな!」
ピエロは右の男の子に短剣を向けた。
その瞬間、男の子の身体はびくっと震え、両目からぽろぽろと涙が流れる。
一瞬にして号泣状態だ。
助けて、助けてと泣け叫んでいる。
「アハハ! すぐに終わるからね! すぐにこの世界から解放してあげるからね!」
ピエロは嬉しそうに男の子に近づいていった。
その時だ。
「なら、左は俺がやる」
団長が動いた。
クイーンの隣でピエロのことを見ているだけだった団長が腰を上げると、その両手には禍々しい巨大な斧が握られている。
一撃で左のプレイヤーのHPが0になっても、ピエロは驚かないだろう。
「ぼ、僕の楽しみを奪うんですか?」
「俺の楽しみでもある」
「……そうですか。団長は強い相手との戦いを楽しむのであって、僕みたいに弱い者を弄んで殺すのは興味ないと思っていましたよ」
「ま、俺もたまにはな」
団長の視線はピエロに注がれている。
鋭い視線を受けるピエロの表情は仮面に隠れて伺えない。
一瞬の間を置いて、ピエロは言った。
「では左の男をどうぞ」
それだけ言うと、ピエロは右の男の子に向かって短剣を突き刺し始めた。
男の子は泣き叫びながら、最初の男と同じように地面を這ってもがき始める。
「ほらほら~! 動いたらだめじゃないか~! すぐに終わるからね!」
ピエロは楽しそうに愉快な声を上げながら、男の子を刺していく。
その声色に変化はなく、左の獲物を団長に取られたことを何とも思っていないように見えた。
芋虫のようにもがく男の子に向かって、何度も何度も何度も短剣を背中に刺していく。
その背中が真っ赤に染まっていく。
突き刺す場所は一点に集中していた。
男の子が低レベルだからか、それとも理性を失って泣き叫び短剣をほとんど避けることが出来なかったからか、最初のプレイヤーよりずっと早く男の子のHPは赤色に染まった。
「はぁはぁ……はぁはぁ……解放おめでとう! そしてさようなら!」
最後の一刺しで、男の子は光の粒子となり砕け散った。
男の子を殺し終えたピエロがふと左を見る。
ピエロが男の子を殺し終えるのを待っていたのか、団長はピエロが振り向いたことを確認すると、その巨大な斧を男に向かって一気に振り下ろした。
ドォン! という轟音と共に土と石が舞い上がった。
広場には、クレーターのような窪みが出来上がっていた。
恐ろしい破壊力である。
もしピエロが団長と戦えば、塵を払うかのように一瞬で倒されてしまうだろう。
それほどまでに2人の実力には差がある、とピエロが感じるのに十分な一撃だったのだ。
団長は地面に突き刺さった斧を持ち上げると、
「冗談だよ。ピエロの獲物を奪うなんて酷いこと、俺がするわけないだろ」
男は生きていた。
斧は男に当たることなく、地面だけを叩いていたのだ。
地面を叩く衝撃だけで男は気を失っていた。
「気絶しちまったな。起こして殺すか?」
「……いえ、もう十分楽しんだので、このまま殺します」
「そうか」
団長はクイーンの隣に移動すると、どかっと腰をベンチに降ろす。
ピエロは気絶している男に向かって短剣を突き刺そうとした。
しかし、その動きは止まることになる。
「……」
ほんの僅か……本当に僅かではあるが、男のHPが減っていたのだ。
なぜ減っているのか。
団長の斧がかすった? いや違う。仮にかすったとしたら、こんな僅かなダメージで済むはずがない。
元から何らかの理由でHPが減っていた可能性も低い。
おそらくは、団長の斧が地面を叩いた時に飛び散った石が当たったのだろう。
あの凄まじい衝撃で飛び散った石に当たれば、HPが僅かに減ってもおかしくない。
ピエロはアイテムボックスから回復薬を取り出すと、気絶している男の口の中に流し込んでいった。
「気絶していてもHPを全部削り取りたいのか?」
「……ええ、それが僕のこだわりなんですよ」
「そうか……」
ピエロは振り向くことなく、HPが回復した男に向かって短剣を突き刺し始めた。
その背中に、団長の視線が突き刺さっているのがピエロにも分かった。
奇妙な雰囲気の中、ピエロは笑い声を上げることもなく黙々と短剣を突き刺して男のHPを0にした。
ピエロは気を失っている男に小さな声で呟いた。
「……解放おめでとう。さようなら」
そんな2人をクイーンは楽しそうに見つめている。
一言も発することはなかったが、ピエロと団長のやり取りを実に嬉しそうに見ていた。
無言のまま男を殺したピエロを見る時には、その目は輝いていた。
その日の夜、ピエロはクイーンに呼ばれた。
団長に呼ばれない限り、クイーンはほぼ毎晩ピエロを自室に呼んでいる。
つまり今夜、団長には呼ばれなかったのだ。
ピエロが部屋に入ると、クイーンはすぐに抱きついてきた。
激しくピエロを求めてきた。
その声は妖艶で、男を狂わせる魔力が込められているかのようだ。
ピエロに抱きつきながら、徐々にクイーンはしゃがんでいく。
ピエロの身体を可愛がりながら、クイーンはピエロを褒め称える。
プレイヤーを殺すピエロを見て興奮しただの、団長とのやり取りがかっこ良かっただの、とにかくピエロを持ち上げた。
ピエロと2人きりの時のクイーンは、他の団員達には想像もできないほど従順な雌となる。
クイーンはピエロの望むことは何でもした。
どんなことでもしてあげると、ピエロを可愛がった。
ピエロは最初こそ戸惑いを見せていた。
だが、今は違う。
クイーンと肌を重ねる毎に、ピエロの欲求はどんどんエスカレートしていった。
そんなピエロの変化をクイーンは喜び、どんな欲求にも応えていった。
2人だけの秘密よ、と甘く耳元で囁いた。
しかしクイーンには1つだけ不満があった。
何度もピエロにお願いしてみたが、ピエロがそれに応えてくれることはない。
もっと、もっと、もっと貴方を感じたいの、とクイーンがどんなに情熱的に求めても、ピエロはそれだけはしなかった。
そしてそれは今夜も同じだった。
「やっぱりだめなの?」
「だめですよ。僕はこっちの方が興奮するんです」
その仮面を外すことだけは。