第4話 B-2
興奮と感動に満ち溢れていた僕達は、あっという間に奈落の底に落されてしまった。
そこには絶望の闇しかなかった。
白い世界で僕はその時を待っていた。
12月25日の深夜0時。ファンタジーワールドの正式サービス開始の時を。
ネットゲームではログイン祭りなる現象があるけど、ファンタジーワールドでは初期出荷分は数が決められており、全員が同時にログインしても問題無いようサーバー負荷のテストがされている……はずだ。
絶対ではないけど、たぶん大丈夫だ。
堅司も香奈も、そして美穂も、同じ白い世界で待っているのだろう。
宙に浮いているカウントダウンのウィンドウを見上げれば、開始まであと30秒を切っていた。
この初体験のどきどきわくわく感は堪らない。
これからいろんなVRMMOゲームが普及していくだろう。ファンタジーワールドより優れたゲームがたくさん出てくることだろう。
それでも、初めてプレイするこのどきどきわくわく感を超える感動を、この先得られるとは思えない。
人は一度知ってしまったこと、体験してしまったことは徐々に慣れ始めていく。
少し形を変えた似たようなゲームをプレイしても、これほど感動することはないと思う。
残り時間が10秒を切った。
いよいよだ。
誰よりも早くファンタジーワールドの世界に入ろうと身構える。
残り5秒。
その時だ。
白い世界は一瞬で闇に包まれた。
白から黒の世界へ。
何かの演出か? と思っていると、いきなり地面が割れた。
黒い地面が割れて落下していく。
悲鳴を上げることすら出来ず、ただただ落ちていく。
見上げると、黒い天井が見えた。
理解不能な時、人って何も動けないものだと後に思ったもんだ。
だが、あまりに長い落下時間は僕に混乱を与えてくれた。
「うああああああああああああ!」
遅すぎる悲鳴と共に、両手を激しく動かす。
左右に壁があるなら落下速度を落とせると思ったのか、それとも何かにつかまろうと思ったのか。
とにかく両手を真っ黒な暗闇の中でじたばたと動かした。
見下ろす先はどこまでも続く闇が広がっている。
その深い闇の中に、白い何かが見えた。
僕は必死にその白い何かをつかもうと右手を伸ばした。
「はぐっ!」
伸ばした右手に、強烈な衝撃が走る。
何かをつかんだ。
それにしがみついて落下は止まった、と思った瞬間、その何かも一緒に落下を始める。
真っ黒な暗闇の中から、真っ白な何かがするりと抜けたように見えた。
「うああああああああああ!」
再び始まった落下は、僕の意識を奪い去っていった。
「うう……うう……ん?」
意識の目覚めは突然だ。
いつ意識を失ったのか曖昧で、どれほど時間が流れたのか感じることは出来ない。
暗闇の中で落下していたことは覚えている。
それと……何か白いものをつかんだ記憶もある。
でも今はそれを考えるべきではない。
見渡す限り人、人、人。
見ただけで、数える単位が百以上だと分かる。
百では足りないかもしれない、千単位……もしかしたら万単位かもしれない。
見上げた空は青かった。
太陽が昇っていて、明るい光りを注いでくれる。
気温も暑くなく、寒くなく、ちょうど良い気温だ。
見つめる先には、巨大な宮殿。
威厳に満ちた宮殿の前にある広場に僕らは集められていた。
こんな広場があるとは知らなかったが、目の前の宮殿には見覚えがある。
ファンタジーワールドの『ルーン王国』の『王都テラ』にある王宮のはずだ。
公式サイトの画像に載っていた。
そしてそれは、正式サービスの開始地点でもある。
あの落下は演出だったのか?
だとしたら、苦情を言いたくなる演出だ。
驚きを通り越して、恐怖を感じるような演出だぞ。
特に女性には精神的なショックを与えてしまうだろう。
VR技術は電子世界の中で現実世界のような体験が出来るのだから、精神面への配慮は最重要事項の1つになっていたはずだ。
それなのに初っ端からあの演出では、配慮しているとは言い難い。
周りにいる他のプレイヤー達も、ぽつぽつと不満を口に出し始めている。
知らない人同士でもこれから共にファンタジーワールドの世界を冒険する仲間である。
運営の演出に対する不満を愚痴り合うぐらいするだろう。
プレイヤー達は徐々に宮殿に向かって移動し始めている。
宮殿の中にいる王様から『魔王討伐』のメインクエストを受託するためだ。
ファンタジーワールドにおいてプレイヤーは『異世界から召喚された勇者』という位置付けになっている。
一昔前に流行したラノベの設定そのままってわけだ。
王様から魔王討伐のメインクエストを受けることで、勇者として認定される。
初期装備と資金もその際にもらえるし、その後の様々なクエストを受けることが出来る様になる。
つまり、最初は必ず王様に話しかけることになるわけだ。
堅司達とも王様の前で会う約束になっている。
これだけの数のプレイヤーが一斉に王様に話しかけるとなれば、現実なら待ち時間がものすごいことになるだろう。
だが、そこはゲームだ。
王様が視界に入れば、対象に『話す』と思考するだけでいい。
離れていても王様と話していることになり、王様の声が聞こえてくる。
プレイヤー達はぞろぞろと宮殿の中を目指していく。
「ふ、ふざけんな! なんだよこれ!」
宮殿の中に入ると、怒声が響いてきた。
それは次々と重なるように、大きくなっていく。
何を騒いでいるのだろうか?
宮殿の中はこれまたとんでもなく広い。
多くのプレイヤーを迎えられるようにと、広大なスペースを用意したのだろう。
ベータテストに参加した人達の情報サイトを見る限り、ここまで広いとは思えなかったけど。
それにしても、次々と怒声が上がっている。
本当に何があったんだ?
ようやく僕の視界に王様が見えてきた。
NPCを示すカーソルが頭の上にある。同時にクエストを受託できることを示す『!』マークが見えた。
王様に『話す』と思考すれば「異世界から召喚されし勇者セイジよ!」という言葉から始まり、勝手に召喚したことに対する謝罪と、いまこの世界が魔王に滅ぼされようとしている現状を嘆き、どうか力を貸して欲しいと願い出てくる。
ここまでは情報サイトで見た通りだった。
しかしこの後、王様は信じられない言葉を続けた。
「見事魔王を討伐した際には、セイジを含めた全ての勇者を元の世界に戻すことを誓おう。その際には西暦2×××年12月24日23時59分59秒の時点に戻す。
セイジ達勇者はこの世界では歳を取ることはないので安心されよ。
ただし、この世界で死亡した者は元の世界に戻った際にも死が待っている。
セイジが死ぬことなく、元の世界に戻れることを祈っておるぞ。
なお、魔王の侵攻により王都テラが陥落した場合には、全ての勇者が元の世界に死と共に戻ることになるので、全力で魔王討伐に励んで欲しい」
…………何を言っているんだ?
この王様はいったい何を言っているんだ?
魔王を討伐した際には元の世界に戻す? 西暦2×××年12月24日の23時59分59秒時点に戻す?
王様の「以上だ」という言葉と共に、初期装備と初期資金が自動でアイテムボックスの中に入った。
そして魔王討伐のクエストを受託したことで、宮殿内にいる他のNPC達の頭上に一気に『!』のマークが表示された。
僕はすぐにステータス画面を呼び出し『ログアウト』の項目を探す。
ステータス画面の『機能』の欄にログアウトは存在しなかった。
その他の項目も全て見たが、ログアウトはない。
「嘘だろ……ログアウト……ログアウト……ログアウト」
何度呟いても、何も変わらない。
周りで怒声を上げている言葉が、この時になってようやく理解できた。
そして、これは一昔前に流行ったラノベの設定を借りた演出だと考えた。
ふざけている。
こんなこと許されるわけがない。
こんなこと……こんな不安をプレイヤーに与えていいわけがない!
絶対に苦情を言ってやる!
「聖司!」
周りと同じように運営への怒りで頭が一杯になっていた僕を呼ぶ声が聞こえた。
振り返ると堅司と香奈がいた。
「堅司……香奈……」
僕はまずその姿に驚いた。
なぜか。
2人の姿が現実世界の堅司と香奈そのものだったからだ。
ファンタジーワールドのキャラクターメイキングはかなり精密な造りとなっているが、ここまで現実世界の本人そのままを造り出せるはずがない。
僕はこの時になってようやく周りにいるプレイヤー達も、ゲームキャラクターとは違う、現実にいる人間と何ら遜色のない姿をしていることに気付いた。
そして、堅司が僕を見て聖司と叫んだのも、僕の姿が現実世界の矢雲聖司そのものだからだろう。
「聖司! 美穂はいたか!?」
「え? い、いやまだだ。見かけていない」
「そうか。すぐに探そう!」
「う、うん」
堅司はこの状況をどう考えているんだ?
香奈は不安そうに堅司の手を握りしめている。その顔色は悪い。
当然だ。この状況を簡単に受け止められる人はいないだろう。
僕の顔色も自分では見ることは出来ないが、きっと顔面蒼白になっていると思う。
王様の前で会う約束はしていた。
きっと美穂も近くにいるはずだ。
僕達は美穂を探し始めたが、王様の前は怒声と悲鳴を上げるプレイヤー達でごった返している。
さらに僕達と同じように、ログインした後は王様の前で会おうと決めていたプレイヤー達がかなり多いのか、人を探す大声があちこちから聞こえてくる。
美穂を探しながらも、僕はまだこの状況が運営の悪戯だと考えていた。そうであると思いたかった。
すぐに運営のゲームマスターが登場してきて、「ドッキリでした!」なんてふざけたことを言ってくるのではないかと、心の中で期待していた。
ふと、顔を膝に埋めるように蹲っている女性に目が止まった。
僕と同じ茶色に見える髪質の女性だ。
そっと近づいて僕は出来るだけ冷静な声で呼びかけた。
「美穂?」
僕の声にびくん! と身体を震わせて反応した女性は、ゆっくりと顔を上げた。
その顔は間違いなく美穂の顔だ。現実世界の美穂の顔だ。
それなのに、僕は一瞬美穂だと分からなかった。
泣いたのか頬は濡れている。
でも泣き顔ではない。
この異常な状況に耐えられなかったのか、それとも落下の恐怖の時点からそうだったのか。
美穂の顔は何の感情もない、まるで仮面をつけているような顔だった。
「せ……せ……聖司……聖司……うう、ううう、うわぁぁぁぁん!」
感情を失ったかのような顔は、僕を見ると瞬く間に泣き顔へと変わっていった。
僕を見て安堵したからなのか。
それとも、僕を見てこの世界が夢ではないと分かったからか。
ただ、再び美穂の頬を濡らした涙が嬉し涙ではないことだけは分かった。
王様の前からほとんどのプレイヤーは動かない。
みんな、この出来事が運営のふざけた演出だと信じて、ゲームマスターが出てくるのを待っている。
僕達も4人で固まって、宮殿内に留まっている。
しかしどれほど時間が経過しても、ゲームマスターが出てくることはなかった。
1時間が経過した頃、プレイヤー達にも変化が見え始めた。
これが夢でないこと、そして運営の演出ではないこと。
ファンタジー小説の中で起きる出来事に自分達が本当に遭遇してしまったことを受け入れ行動を始めていた。
徐々にプレイヤー達は集まり始めると、何かを相談し始める。
この異常な状況を抜け出すためには、魔王を討伐するしかない。
となれば、あそこで話し合っているのは、今後魔王を討伐するためにどうするべきかという前向きな話し合い……であって欲しい。
話し合いの中心にいるのは、おそらくベータテスターだろう。
彼らは一度ファンタジーワールドの世界を体験している。
ベータテストでは開始地点である王都テラとその周辺のマップのみが解放され、レベルも10が上限だったはずだ。
それでも彼らの経験は重要だ。
全てが初めてとなる僕達とは違うのだから。
僕も堅司もゲームは好きだけど、トッププレイヤーなんて言われるほどゲームが上手かったわけじゃない。
世界初のVRゲームで誰が上手いなんてないけど、自分が魔王を倒す勇者の主力になれるとは思えない。
廃人と言われるゲーマー達が、上手いことゲームシステムを把握して魔王を討伐してくれれば……なんて都合の良い思考が始まってしまう。
でも、そうであって欲しい。
自分が死のリスクを背負って戦うなんて……。
「とにかく全員で力を合わせていくべきだ!
この世界がファンタジーワールドのシステム通りなら、協力しないでソロで先行するメリットなんて何もない。
ベータテストの経験をみんなに伝えて、初めから協力していこう!」
話し合いの中央で声高らかに誰かが言った。
見ると、30代ぐらいの男の人だった。
きっとベータテスターなのだろう。
彼のようなリーダーシップを取れる人が僕達を纏めあげてくれるのか、と期待してしまう。
「みんな聞いてくれ! 魔王を倒して元の世界に戻るために、俺達ベータテスターが知っていることや、今後の行動について話し合いたい! みんな集まってくれ!」
男を中心に続々とプレイヤー達が集まってくる。
ものすごい数だ。
間違いなく千人以上いる。本当に1万人近くいるんじゃないか。
僕達はもともといた場所で、リーダーシップを取る彼の声が聞こえるため特に動く必要はなかった。
彼はチュートリアルで学んだことも合わせて、ファンタジーワールドのシステムについてまず話し始めた。
それは全員のシステム理解を同じ水準とするためだろう。
彼の話の中では、チュートリアルでは学べなかった便利なシステムに関することも多かった。
さすがはベータテスターだ。
スキルに関する情報も、知っている限り伝えてくれたので本当に助かる。
そして最初に狩場とする場所や、モンスターの情報、戦い方までレクチャーしてくれた。
「みんな知っていると思うが、装備はアイテムボックスの中に入っているだけじゃ意味がない。ちゃんと装備するように。王様からもらえた初期装備をみんな装備しているか? まだ装備していない人は、ステータス画面を開いて装備してくれ」
そういえば、僕もまだだった。
ステータスと念じると四角いウィンドウが目の前に現れる。
自分だけが見えるステータス画面だ。
その中の『装備』を選ぶと、装備箇所とアイテムボックスが同時に表示される。
アイテムボックスの中はタブでさらに細かく分かれていて、その中の装備を収納しているタブが開かれている。
初期装備として王様から支給されるのは、キャラクター作成時に選んだ武器防具で最も性能が低い装備品だ。
僕には『初心者の短剣』に『初心者の革服』が支給されている。
そして初期資金として1万ゼニだ。
防具に関しては『ただの革服』を最初から装備している状態なので、この世界に落ちた時に裸では無かった。
「香奈と美穂もちゃんと装備しておけよ」
堅司が香奈と美穂に注意しておく。
僕に言わないのは、僕なら当然装備していると思っているからだろう。
でも、僕はまだ装備していない。
ステータス画面の装備を開いた僕は、固まっていた。
プレイヤー達の輪の中央で喋る彼の言葉も、まったく頭に入ってこなくなった。
いったいこれはなんだ?
アイテムボックスの中に王様から支給された初心者の短剣とは別に、1本の短剣が混じっていた。
その短剣にカーソルを合わせてみる。
「ぇ……」
な、なんだよこれ……。
なんでこんな物が、僕のアイテムボックスの中に入ってるんだ?
ウィンドウに表示されたその短剣は、真っ白な短剣だ。
真っ白な短剣……あれ、どこかで……あっ!
あ、あの時だ!
落下していた時に見えた白い何か。僕はそれをつかんだはずだ。
あれは短剣だったのか!?
あれをつかんだから、僕のアイテムボックスの中にこの白い短剣が入っているのか!?
真っ白な短剣にカーソルを合わせれば性能が表示される。
僕だけに見えるその性能。
信じられない性能だ。
武器は『ユニーク最上級』に分類されている。
それなのに、装備可能レベルは1。
武器の攻撃力は、事前に調べた情報から推測すると高くない。
初心者の短剣よりはずっと高いけど、ユニーク最上級として考えれば間違いなく低い。
そして何より信じられないのは、与えられている特殊効果だ。
ここに書いてあることは本当なのか?
本当にこの効果が……嘘じゃないのか?
僕を騙そうとしているんじゃ……。
いや、それよりこの絶望的な使用条件は何だ!? 無茶苦茶だ!
仮に本当だとしても、僕がこの条件を満たせるとは思えない。
僕にその覚悟が持てるとは思えない。僕にそんな力があるとは思えない。
だ、だめだ。
この短剣を使うことはできない。
僕が使いこなせるような代物じゃない。
それに僕がこの短剣を使わなくても、誰かが魔王を倒せば全て終わる話だ。
そうだよ、誰かが魔王を倒せばいいんだ。
意外に簡単に倒せるかもしれないじゃないか。
難易度がどのくらいかなんてまだ分からない。
きっとベータテスター達が魔王を倒してくれる。
ベータテスター以外にも、これだけのプレイヤーがいるんだ。
中には戦うことに関して天才的な人だっているはずだ。
きっといつか、彼らが魔王を倒してくれる……きっとそうだよ……絶対そうだよ!
プレイヤー達の話し合いは数時間にも及んだ。
僕はその内容をほとんど覚えていなかった。
奇跡のような真っ白な短剣の複雑な条件を、何度も、何度も、何度も読んでいたから。