第13話 A-7
満月の周りには満天の星空。
元の世界ではこんな綺麗な夜空を見ることは難しいだろう。
自分以外誰もいない隠れ家の静けさも悪くなかったが、あまりに夜空が綺麗で外に出たピエロは近くの草原に腰を下ろすと、空を見上げた。
星のような粒子となって消えていったクイーンの言葉が本当なら、もうすぐ団長がやってくるはずである。
ピエロは団長がやってくるまでの間、この夜空を楽しむことにした。
「早かったですね」
「ああ」
その時間はすぐに終わりを告げた。
10分としないで、彼はやってきた。
彼の身体と、その手に持つ巨大な両手斧から『戦い』の匂いが感じられた。
一戦終わったばかりの戦士がそこにいたのだ。
「団長も戦ったんですか?」
「ちょっと予定外のことが起きてな。だが問題ない程度だ。全て予定通りに事は進んだよ」
「それは何よりです」
「ああ……お前もやってくれたんだな」
「クイーンは……殺しましたよ」
ピエロは右手に持つ真っ白な短剣を団長に向かって見せる。
団長は満面の笑みでそれを見ていた。
「感謝……という言葉しか浮かばないな。お前の……ピエロのおかげで俺達は救われたよ。命の恩人だ。だが、命の恩人であっても元の世界であいつを簡単に譲るつもりはないぜ。あいつはお前と元の世界で会いたがっていたけどな。……いずれにしろ、元の世界で会えた時には歓迎するよ。……会えたらだけどな」
含みを持たせる最後の言葉。
団長はクイーンとは違い、ピエロの特殊な能力の条件で、あることを予想していた。
その予想が正しければ、団長とピエロが元の世界で会うことはない。
「会えたら……ですか。その考え、クイーンには伝えていなかったんですか?」
「ああ、言ってない」
「どうして?」
「う~ん……どうしてだろうな。……たぶんちっぽけなプライドのせいだろう」
「そうですか」
ピエロはゆっくりと腰を上げる。
右手に握られた真っ白な短剣を再び団長に向ける。
「僕も感謝しています。団長とクイーンのおかげで、僕はこの短剣で多くの人を殺すことが出来ました。僕1人では到底成し遂げることが出来なかった。ありがとうございます」
「事情を知らない誰かが聞いたら、いったい何を言ってるんだって笑われるだろうな。
でもまあ、ピエロの力になれたとしたら光栄だよ。その奇跡の力にな。
俺はお前と違い無慈悲な殺しを重ねてきたが……まあそれには理由があってな。もちろんそれは俺とクイーン2人だけの身勝手な理由なんだが……俺達は俺達で必死だったんだよ。それは理解してくれるだろ?」
「ええ。理解出来ますよ。団長達の条件は何だったんですか? 今はもう壊れてしまったんですよね」
「ああ。壊れた。壊れてしまったよ。
俺達の条件……最後の条件は『完全なる悪の心に染まった者を30人、魔王に捧げること』だった」
「完全なる悪の心に染まった者……」
「俺とクイーンがクオンの村で受けたクエストは『魔王との密約』というクエストだった。
魔王の精神が宿っているNPCがいて、そいつから受けることが出来たんだ。
そのクエストを受けると魔王から次々に指令がやってくる。その指令を遂行していくことで、元の世界に戻ることが出来るってわけだ。
予期できない侵攻、第2魔将軍の嘘の弱点、これらは俺が起こしたことだ。
この時も実はあと一歩だったんだぜ。本当に後少しで……俺とクイーンはこの世界から解放されるはずだったんだ。
でもその一歩が遠かった。失敗した。……第2魔将軍討伐後、魔王は俺に『最後の指令』として完全なる悪の心に染まった者を30人集め捧げろと言ってきた。
その時、ギルドと誓約クエスト、そしてある能力を与えられた。
ギルドはもちろん、このサーカスだ。
誓約クエストは、サーカスの秘密を守るために魔王が用意したもので、俺に誓いを立てさせる者を選別する権利を与えた。
そして能力とは……俺はプレイヤーがどれだけ悪に染まっているか見えるようになった。心の在り方が見えるとでも言っておこうか」
心の在り方。
その者がどれだけ悪に染まっているか、または染まっていないかを見ることが出来る。
団長にだけ与えられた能力であった。
「俺がサーカスのギルドに所属させていたメンバーは、この能力で『完全なる悪の心に染まった者』だ。もしくは、その可能性を秘めた者だな。
ま、ピエロの能力に気付けたのも、この能力のおかげではある。
あれだけプレイヤーを殺しに殺しても、お前の心は完全なる悪どころか、そもそも悪にすら染まらなかった。
これはおかしいと思ったぜ。なぜ、あれだけ人を殺してこいつの心は悪に染まることがないのか。
クイーンにそのことを話した時、あいつ何て言っていたと思う? 『やっぱりそうなのね!』だったよ。
あいつは本当に鋭い。心の在り方を見ることはできないのに、ピエロのことを見抜いていた。恐れ入ったぜ。
女の勘ってやつなのかもな」
団長はその時のことを思い出し、懐かしいといった笑顔を浮かべる。
「28人……28人まで揃えたんだ。あと2人だった! たった2人!
それなのに……俺はミスを犯した。
あの街襲撃での返り討ちで、完全なる悪の心に染まった大切な仲間を15人も失った!
心が折れたよ。
また何年もかけて残り17人を揃えると考えたら、心が折れてしまった。
それに不可能だ。
一般プレイヤーの中で、こっち側になれるような奴はもういないだろう。
ミヤマのように、復讐狙いで入ってくる奴しかいないさ。
残ったサーカスのメンバーの中でも、期待できる奴は数人しかいない
その数人の中の誰かが、完全なる悪の心に染まることを期待して頑張っていたんだがな」
懐かしむ笑顔から一転、悔しそうな表情を浮かべる団長。
その団長にピエロは聞いた。
「もし30人揃って魔王に捧げたら……その30人はどうなったんですか?」
「魔王側の勇者になる、と言っていたな。ま、それは俺にも分からん。
もうクリア不可能な状態となった今では、その答えを知ることは出来ない。
俺達のクエストが壊れた時、もう俺達に残されたのはピエロ……お前だけだった」
「なるほど」
「お前のその奇跡の能力……本当なら聞きたいことが山ほどある。確認したいことがたくさんある。だがそれは出来ない。してはならない。そうでないなら、お前の行動を説明することが出来ない。
故に、俺達のリスクを完全に排除することは不可能だ。
クイーンはそれでもお前と2人きりの時に殺してもらうことを選んだがね。
それは正解だった……なんだろ?」
クイーンが本当に救われたのか、団長には分からない。知る術はない。
知るためにはピエロに殺してもらい、元の世界でクイーンと再会するしかない。
「団長……僕は間違いなく、この短剣でクイーンのHPを全て削り殺しました。この言葉に嘘偽りはありません。僕は正直に何でも答えますから」
「そうか……ありがとう」
団長の顔にほっと安堵感が広がる。
だが、すぐに顔を引き締める。
「なら、次は俺を……その短剣で殺してくれるか?」
「ええ。もちろんです。構いませんよ」
あまりにあっさりと承諾するピエロの態度を、団長はどう判断していいか迷う。
本当に自分を殺してくれるのか? その短剣で殺して救ってくれるのか? と疑う気持ちを無くすことは出来ない。
「あいつは……クイーンは最後何か言っていたか?」
「……ええ。『どうして会えないの?』と言っていましたね」
団長の表情が固まる。
自らの疑心を抑え込むための世間話し程度のつもりだった。
クイーンが最後何と言ったのか……ピエロの口から出た言葉に団長の心は一気に燃え上がるような苦しさを感じた。
「なぜあいつがそんなことを聞いて……いや、それよりお前は何て答え……」
「あと一刺しってところでね……彼女が聞いてきたんです。だから僕は正直に答えました。ええ、正直にね。クイーンに僕はどんなことでも正直に話しますよって約束したんです。だから僕は正直に話しましたよ」
団長の両手斧が震えている。
戦いを終えたばかりの熱を持った両手斧から、再び熱い震えが起こる。
「話したのか……お前は話してはいけないことを話したのか?」
「何を話したらいけないんですか? 僕はただクイーンに聞かれたことに対して、正直に答えただけですよ。
それより聞いてくださいよ。
今夜のクイーンすごく激しかったんです。まるであの満月のような綺麗な金髪を乱しながら、何度も何度も僕のもので喘いでいましたよ。
今までで一番でしたね。何度僕が果てても絶対に離さないで……」
「黙れ!!!!!」
おどけるような仕草で話すピエロに、団長は怒りの声を荒げた。
これから殺してもらわなくてはいけない相手に、そんな態度をしてはいけない。
まったくもって事情を知らない他人が聞けば、笑ってしまう言葉だろう。
だが、この2人にとってそれは真実だ。そして団長にとっては必ずそうしてもらわなくてはならないことである。
ピエロの機嫌を損ねることは、あってはならない。自分の命が大事なら。
「お前……お前……クイーンを殺したのか!?」
「ええ殺しましたよ。それは一番最初に言ったじゃないですか」
「そうじゃない! お前は……クイーンを元の世界に……元の世界……」
「元の世界になんですか? 聞いてくれていいんですよ。何でも正直に答えますから」
真っ白な短剣をくるくると回しながら、ピエロは楽しそうに答える。
団長が聞きたくても聞けないと知りながら、弄んでいるのだ。
団長は、ピエロの能力の詳細をまったく分からない。
そもそもピエロの能力が『クエスト』によるものなのか、それとも『真っ白な短剣』によるものなのか、もしくは『本人』によるものなのかも分からない。
ただ、殺しをする時には必ずあの真っ白な短剣を使っていたので、条件の1つにあの短剣があることは間違いないはずである。
そして、聞いてはいけないことが何なのか。これもまた何も分からない。
いま団長が聞きたいことを聞いても問題ないのかもしれない。
つまりクイーンが聞いたことも、実際には元の世界に戻るためには問題ない質問だったかもしれない。
だが、問題ある質問の可能性も否定できない。
分からないのだ。
そして分かってはいけない。
「くっ! お前……お前……ピエロォォォ!」
「はいはい。何ですか団長? 我らがサーカスのギルドマスター団長ガレス様。団長の言葉に僕は何でも従いますよ。えっと、確か俺を殺してくれるか? でしたね。
ええ、もちろん殺しますよ。団長のこと、この短剣でさくっとね。
あ、でもこの短剣、攻撃力低いんですよね。団長の防具脱いでもらえます? そうですね……パンツ1枚になってもらえますか?」
ドォォン! という轟音が鳴り響く。
いつの日か聞いたことがあるような轟音だ。
団長の両手斧が地面を叩き、巨大なクレーターを造り出している。
抉れた地面から土と石が辺りに舞い散っていく。
その石が1つ、ピエロの仮面に当たった。
「痛いじゃないですか……いま石ころが1つ、僕に当たりましたよ?
いつの日だったか、そうやって僕の邪魔してくれましたよね。まったく団長は世話が焼けます」
「お前……お前は……」
「あれ? 聞こえませんでした? パンツ1枚になって下さい。そうじゃないと……殺しませんからね」
これはピエロの最後の意地悪なのか? と団長は都合の良い解釈を始める。
クイーンは助かっている。自分を助ける気もある。だが最後にこれまで多くのプレイヤーを殺め、秩序を乱してきた自分に対しての罰のつもりか? と。
クイーンもそうだったように、団長もまた自分は助かる権利があると思っていた。
確かに多くの無慈悲な殺しを起こさせた。
だが、同時にクイーンのしびれ薬と共に、ピエロが『安全に誰かを殺せる』環境を提供してきたのは自分であると思っている。
だから、自分は助かっていいのだと。助かるべきなのだと。
「もう1度だけ言いますよ。パンツ1枚になって下さい」
憤怒の表情を浮かべながら、団長は身に纏う防具を解除していく。
クイーンがすればまだストリップショーのような妖艶さがあるが、月明かりの下で団長がパンツ1枚になっても哀れなだけだ。
ゆっくりとピエロは団長に近づいていく。
仮面を被ったピエロの表情を伺うことは出来ないが、その足取りは軽やかに見える。
真っ白な短剣をくるくると回しながら、今にもスキップでもしそうな勢いだ。
そして両者の距離がなくなった。
「よっと」
「ぐっ!」
ピエロは無造作に団長の胸に短剣を突き刺す。
スキル刺突だ。
だが、団長の胸が麻痺することはない。麻痺は付与していないのだから。
ピエロが再び刺突を放てば、団長の胸を鋭い痛みが襲う。
「よっ。よっ。あらよっと」
「ぐっ! あぐっ! て、てめぇ……はぐっ!」
「ん? 何ですか? いま団長の馬鹿みたいに多いHPを削る面倒な作業をしているのに、気が散るような変な声やめてもらえます?」
褐色肌の団長の顔は真っ赤に染まっている。
同時に団長は確信している。
こいつは元の世界に戻れない。それも条件の1つだ。そうでないなら、元の世界で会うことがあるなら、自分をここまで怒らせることはないはずだ、と。
団長のHPが半分を割ったところで、ピエロは言った。
「あ~そういえばクイーン、こんなことも言ってましたね。
あっちの大きさも、団長より僕の方がすごいって。口でした時も僕のものの方が美味しいって。団長の意外に小さいんですね? しかも臭いんですか? がっかりですよ。どうりでクイーンが毎晩僕と1つなりたがるわけ……ぐっ!」
ビュン! っと風を切る音と共に真っ赤な血が飛び散った。
団長が両手斧を振り上げると、ピエロの胸を大きく切り裂いていた。
直撃したのだ。
「い……痛いなもう……。はぐっ! ぐああ!」
怒りで何かが切れたのか、団長はピエロに向かって両手斧を一撃、また一撃と打ち下ろしていく。
しかしピエロはまったく回避行動を取らない。
見る見るうちに減っていくピエロのHPは……本当に一瞬で赤色となった。
そこで団長の手が止まる。
「お前……お前……ぐぐっ!」
「なに悔しがってるんですか? 僕はクイーンが言ったことを伝えているだけですし、文句ならクイーンに言って下さいよ」
「!」
「ああ……痛い……本当に痛い……ここまでの痛みは久しぶりですよ……いつも麻痺で動けない人ばかり殺してきましたから、僕あんまり痛みに慣れてないんですよね……いてて」
文句ならクイーンに言って下さいよ。
ピエロのこの言葉に団長は希望を持った。
やはりクイーンは元の世界に戻っている。
文句を言えるということは、そういうことだ。
怒りに任せてピエロを何度も攻撃してしまった。
血に染まったピエロを見て、団長は焦りを覚えた。
自分を殺してくれるのか……と。
屈辱的な言葉ではあったが、元の世界に戻れることを考えたらどうでもいい些細なことであった。
冷静に考えれば、いまここでピエロに何を言われようと受け入れるべきなのだ。
靴を舐めろと言われれば、舐めるのが正しいのだ。
「はぁはぁ……はぁはぁ……」
痛々しく立ち上がるピエロ。
その手には真っ白な短剣が変わらず握られている。
そして、ゆっくりと振りかぶった。
「お、俺は……クイーンに文句を言えるんだな?」
「ええ、文句は本人にどうぞ言って下さい」
ピエロはゆっくりと振りかぶった手を、まっすぐに突き出す。
右手に握られた真っ白な短剣が、団長の胸に突き刺さる。
「あの世でね」
「え?」
その一撃で団長のHPは0となり、クイーンと同じく夜空に輝く星のような粒子となり砕け散っていった。