第1話 A-1
男が2人、刃から棘が生えたような短剣を持ち対峙している。
上半身は裸、下はパンツ1枚の姿だ。
短剣で斬り合った2人の身体は傷だらけである。
譲れない男の意地を賭けて決闘している……なら格好もつくのだが、残念ながらそんな勇ましいものではない。
2人は共に涙を流し震えながら戦っている。
男2人を囲んでいるのは20人ほどの集団だ。
ほとんどが男だが、女も見える。
彼らは野次を飛ばし斬り合う2人をはやし立てる。
「おらおら! 早くやっちまえよ!」
「相手の足止まってるぞ! 今のうちにやっちまえ!」
「茶髪の子頑張って~。生き残ったらお姉さんがいいことしてあげるわよ~」
取り囲む者達は実に楽しそうだが、この戦いは単なる見世物ではない。
戦っている2人にとっては、まさに命を賭けた戦いなのだ。
2人が手に持つ、短剣には『同害報復』の効果が付与されている。
これはそれほど上位の付与スキルではなく、付与スキルを上げていけば比較的簡単に手に入る。
このスキルは、攻撃を受けてHPが減ると減ったHPと同じだけの攻撃力が武器に上乗せされる。
しかし、HP0=現実世界の死が待っているこの世界では、同害報復のスキル効果を頼って使う者などいない。
減ったHP分の攻撃力が武器に上乗せされたとしても、装備で防御力を高めているプレイヤー、もしくはステータス値として防御力を持っているモンスターの場合、相手の防御力が高ければ当然与えられるダメージは低くなる。
前線組と呼ばれるトッププレイヤーであれば相当なHP量を誇っているので、HPが半分程度でもかなりの効果が期待出来そうではあるが、同害報復が付与された武器には1つデメリットがある。
それは本来その武器が持っている特殊効果が一切発動されなくなる、というものだ。
トッププレイヤーともなれば、手に持つ武器はレア級、またはユニーク級といったものになり、それらには何らかの特殊効果が備わっているものが多い。
ほとんどはステータス値を底上げしてくれる補正的なものが多いが、中には武器で攻撃すると自動で魔法が発動するといったものまである。
それらの優秀な特殊効果を捨てて、同害報復を武器に付与する者は通常はいない。
しかし、ここにいる。
同害報復スキルを好んで使う者達がここにいる。
囚われた世界の中で、プレイヤーキルを楽しむ快楽殺人集団『サーカス』。
捕えたプレイヤーをパンツ1枚にしては、棘の短剣に同害報復の効果を付与して戦わせる。
棘の短剣はレア装備でも何でもない一般の武器で攻撃力は低い。
だが、刃から棘が生えており斬りつけた際には鋭い痛みを与え、さらには同害報復の効果でお互い斬り合う度に与えるダメージはどんどん増えていく。
プレイヤーの防御力は完全に装備依存のため、パンツ1枚では同害報復の効果で相手に与えたダメージは、次に自分が攻撃を受けた際に跳ね返ってくることになる。
一発逆転のチャンスがあるとも言えるのだが……。
サーカスに囲まれて戦う2人は敵同士ではない。
この世界に囚われた者同士、本来なら敵であるはずがない。
それどころか、この2人は今まで行動を共にしてきた同じパーティメンバーなのだ。
「うぅっ……ひぐっ」
「できない……もうこれ以上はできない!」
涙と鼻水を流しながら、手に持つ短剣を震わせて固まる2人。
既にお互いのHPは半分を割っている。
次に攻撃を受けた方は、この世界から解放され、現実世界で死が待っている。
この2人はトッププレイヤーではない。
いつの日か誰かが魔王を倒して、この世界から解放されることを待っているだけのプレイヤーだった。
その日の糧と己の好奇心が安全に満足できる範囲で行動してきた2人にとって、サーカスの罠にかかったのは最悪であったとしか言いようがない。
他力本願での解放を願い、輪の中で活動しなかったこの2人も悪いのだが。
「勝った方は生きて帰す」という保証も何もない言葉と共に始まった2人の戦い。
最初はお互いを攻撃できず固まっていたが、戦わないなら2人とも殺すとの声に反応して、徐々に短剣で斬り合いを始めた。
それから10分もしないうちに、今の状況となる。
再び動かなくなった2人に容赦ない野次が飛ぶ。
次の一撃を入れた方の勝ち。しかし、先に動いた方が有利と分かっていても2人は動けない。
次に攻撃の意志を示すことは、相手を殺す覚悟が必要だ。
この2人にその覚悟はまだない。
ここで再度、動かなければどちらも殺すと脅せば或いはどちらか動くかもしれないが、その可能性はさきほどより低いだろう。
生存欲求は人が持つ最も原始的で重要な欲求だ。
自分ではどうすることも出来ない状況で唯一生き残れる道があるとすれば、それまでの自分を捨てて生きるための行動を人は取れる。
いまこの2人がその行動を取れないのは、相手を殺したとしても、次に自分が殺されると分かっているからだ。
サーカスに捕まって生きて戻ってきた者はほとんどいない。
中にはその後、サーカスの一員として生きていることが確認された者もいるが、例外中の例外だ。
さらに例外中の例外中の例外として、生きて戻ってきた者もいるらしい。
この2人はどうだろう。
どちらかサーカスの一員になれる素質を持っているだろうか。
否。
この2人に生き残れる道など始めからないのだ。
故に、彼らは動けない。
今までの自分を捨てることができない。
勝てば100%間違いなく生きられるという保証がない限り、その行動を取れないでいる。
泣いて動かない2人を囲むサーカスの野次が徐々に静かになっていく。
どちらかの理性が壊れる様を見られるかもしれない、という期待は裏切られた。
もはや興醒めである。
これでは動かなくなった2人を、囲っているサーカスのメンバーで殺して終わりとなってしまう。
その時だ。
「待ってくださ~い!」
間の抜けた声と共に、1人の男が囲いの中に入ってきた。
その男は仮面をつけている。
それはピエロの仮面だった。
「待って下さい! これはあんまりだ! 今までこの世界を一緒に頑張ってきた2人の友情をこんな風に利用するなんて! 僕は恐ろしいサーカスに捕まっても友情を守った2人は生き残るべきだと思うんです! どうかここは! このピエロの顔に免じてこの2人を助けてやって下さい!」
突然の乱入者に顔を上げる2人。
ピエロの仮面を被った男が、自分達の前で両膝をついて両手を挙げ、サーカスに自分達を助けてあげて欲しいと頼み始めたのだから、2人にとってはこのピエロが神に見えたのかもしれない。
部外者が突然囲いの中に入ってこれるわけがない。
このピエロはサーカスの一員。プレイヤーを示すカーソルが赤色であることからも、ピエロがサーカスの一員であることは間違いない。
その事実に2人は一気に吸い寄せられる。
希望だ。
このピエロから生き残れる希望を見出したのだ。
今までどうにも出来なかった状況が、思いもよらない事態へと好転する。
生存欲求が自分にとって都合の良い未来を希望と捉え、一気にそこへと向かっていく。
どうか、どうか、どうか、助けて欲しいと。
2人の男とピエロを囲む者達は、特別な反応を見せない。
ただ、どこかニヤニヤと笑っているように見える。
「こ、この回復薬を2人に飲ませますからね! 装備まで返す必要はありませんけど、HPを全回復させて、2人を解放しますからね! み、みんな動かないでくださいよ! ぼ、僕は本気ですよ! もし動いたら、僕が容赦しませんからね!」
いかにも頼りない声のピエロだが、言っていることは頼もしい。
ピエロは短剣を握る2人の手に、同時に両手を伸ばす。
こくこくと頷いて、短剣を自分に渡すように合図すると、2人とも同時に短剣を手放した。
「こ、これを飲んでください。すぐにHPが回復しますから」
2人はピエロから回復薬を渡されると、ありがとう、ありがとう、と何度も泣いて感謝した。そしてぐいっと回復薬を飲めば、自分のHPバーが黄色から青へと回復していく。
本物の回復薬だ。
ピエロの介入により、自分達の生存の可能性が高まったことで頭がいくらか冷静になった2人は、渡された回復薬が実は毒である可能性を今さら考えた。
しかしHPは回復した。HPバーがいっぱいになるまであっという間に回復したので、かなり高価な回復薬だったのだろう。
ここまでしてくれたピエロを頼れば、自分達は生きて帰れる。
2人の心が安堵感すら覚え始めたその時だ。
「あぐぅっ!」「はぐぅ!」
2人同時に回復薬のビンを落とした。
そしてがくがくと震えるように倒れて、地に転がった。
何が起こっているのか、2人には理解できない。
「ア……アハハ……アハハハハハ!」
動かない獲物、動けない獲物。
「アヒャヒャヒャ! バ、バーカ! バーカ! お前らマジで馬鹿だな!」
自分の安全を確保しながら、相手を一方的に殺せる状況。
「助かると思った? 思ったの? 残念でした~! 助かりませ~ん!」
狂ったように笑い始めるピエロ。
仮面を被っているのでその表情は伺えないが、きっと醜い歓喜の表情を浮かべていることだろう。
この2人もプレイヤー達の輪の中で活動していれば、サーカスのピエロがどんな存在なのか、噂を聞くぐらいは出来たかもしれない。
聞いたところで捕まったら同じだが。
「あ~あ、またピエロのショーが始まっちゃったよ」
「本当好きだよな。マジでいかれてる」
「ま~いいんじゃねぇの。最近は殺し合いさせても、途中で止まってつまらないじゃん。ピエロのショー見てる方がずっと面白いよ」
動けなくなった男2人に嬉々として真っ白な短剣を突き刺しているピエロを見ながら、サーカスは世間話でもするかのように話し始める。
狂った笑い声を上げて、短剣を何度も、何度も、何度も急所に突き刺すピエロは実に楽しそうだ。
右の男を最初に殺すことにしたのか、途中から右の男を集中的に刺し始めた。
「あんな低レベルな奴を殺すのに、いったい何回攻撃するんだ? ピエロってそんなに弱いのか?」
最近サーカスに入団した新入りが、疑問の声を上げる。
その声に反応したのは女性だった。
「それはピエロが持っている短剣の攻撃力が低いからですよ。形状からしてユニーク級と推測されていますが、攻撃力は一般下級ぐらいなんです。おそらくユニーク最下級の短剣なのでしょう」
「へ? なんでそんなゴミみたいな武器使ってんの?」
「たくさん刺せるから、だそうですよ」
「あ……なるほどね。いたぶり用ってわけか」
「そうです。モンスターと戦う時には、普通に攻撃力の高いレア中級の短剣を使ってますから。ああやって、私の作った『しびれ薬』で麻痺した相手をいたぶって殺す時には、あの短剣を使っています」
「納得。説明サンキュー『クイーン』」
新入りからクイーンと呼ばれた女性は、サーカスにおいてサブギルドマスターを務めている。
そして調合スキルの中でも、おそらくユニークスキルと言われている『しびれ薬』を作れるのも、このクイーンだ。
調合スキルを得るにはNPCから購入する『レシピ』で取得するのが一般的だが、レアな調合スキルはモンスタードロップが大半である。
そしてこの世界に一度しかポップしないボスモンスターなどからはユニークスキルのレシピを得ることがある。
クイーンは、とあるボスモンスターからしびれ薬のレシピを手に入れた。
この世界にクイーン以外でしびれ薬を作れる者は確認できていない。
そのため、おそらくユニークスキル、といわれているのだ。
「アハハァ~~~! もうすぐだよ! もうすぐこの世界から解放させてあげるからね!」
右の男のHPバーは赤色だ。
あと数回突き刺せば、HPは0となる。
「っぁぁ……ぁぁ……」
麻痺状態では声を出すこともできない。
しかし不思議と涙は流れ落ちる。
この世界から解放が嬉しくて? 違う。その先に待っているのは現実世界での死だ。
「解放おめでとう! そしてさようなら!」
ピエロの最後の一刺しで男のHPは0となり、その身体は光の粒子となって砕け散っていった。
プレイヤーが死亡した際には、装備品及び所持品も同時に消失するためパンツ1枚だけが残ることもなく、全てが光の粒子となって消えていく。
「アハハ! ハァ~、次は~~~……!!」
ピエロが次に左の男を殺そうと目を向けると、そこにはさきほどの新入りがいた。
そして麻痺して動けない男の顔に一発蹴りを入れたところだった。
「あ~あ……やっちまったよ」
「おい、誰か教えておけよ」
「うひゃひゃ! いいじゃね~か。これも1つのショーだろ?」
「あん?」
蹴りを入れた新入りは、囲む他の仲間達の反応に怪訝な表情だ。
自分が何かやらかしたのか? と蹴りを入れた男を見ると、その視界にぐいっとピエロが入ってきた。
その手に持つ短剣を新入りの喉元に向けながら。
「お、お、お、お前ぇぇぇぇ!! 何してくれてんの!? 僕の獲物に!! ああぁん! ぶっ殺されたいのか!? 僕の獲物に手を出していいのは僕だけなんだよ! お前が僕の獲物に傷をつけていいと思ってんのか!!!」
「お、おい。なんだよ。ま、待てよ。おい!」
新入りは訳が分からず困惑する。
刃の冷たさが感じられるほど、短剣を喉元に突きつけられている。
攻撃力が低いと聞いても、急所に刃を向けられている状態はよろしくない。
新入りはバックステップで距離を取ると、周りに助けを求める視線を送る。
「ピエロの獲物に手を出すのは御法度なんだよ。ピエロは獲物のHP全部を自分が削っていくのに快感を覚えるタイプでな。HPを1でも傷つけたら、いま見た通り怒り狂うんだ。ま~覚えておけや」
「お、おう……マジでいかれてるな。おいおい、そんなに怒るなよ。俺は新入りなんだから、知らなかっただけだ。今後はお前の獲物に一切手を出さないからさ」
怒り狂い興奮するピエロに向かって、新入りが軽い口調で言う。
その間もピエロからは「ふーふー!」と荒い鼻息がもれていた。
「まったく……始めからやり直しじゃないか!」
ピエロは回復薬をもう1本取り出す。
さきほどとは違い、しびれ薬が混ざっていない本当の回復薬だ。
「はい、口開けるね~。これ飲んでHPを全回復したら……またいっぱい突き刺してあげるからね~! アハハハ! そう考えたら、君のことをたくさん刺せるから悪くないかもしれないね! アハハハ!」
麻痺して動けない男の口に回復薬の液体を流し込めば、上手く飲めなくとも男のHPはどんどん回復していく。
回復薬に溺れることはない。
体内に入り効果を発揮した液体は、光の粒子となって消えていくだけだ。
男のHPが全回復したのを確認するとピエロは再び短剣を突き刺していく。
「アハハハ! 待っててね! すぐだよ! すぐにこの世界から解放してあげるから!」
狂ったピエロは笑う。