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グレーテルと秘密の花園

グレーテルとはじまりのお話

作者: ひより

 初めて会ったのは9年前。彼女が人の群れから半ば逃げ出す気分で迷い込んだのは、花園と呼ぶに相応しい場所だった。


 領主さまの目に入らないように、でも怪しまれないようにと吟味して選んだのは、花があふれるお屋敷の広い庭の片隅。ここなら見つかってももっともらしい言い訳ができるから。

 甘い香りが漂っていて、大樹の枝葉がちょうどよく日の光りを遮っていた。背丈ほどもある植木の迷路を抜けた先にあるから人目も遮られて、隠れるにはぴったり快適な場所。

 噴水のある広場から随分離れたところまで入り込んできたから誰もいないだろうと幼いながらに思った。

 きゃあきゃあと楽しげに遊び回ってる声が、遠い。彼女は不意に寂しさを感じた。

「もっと、たべればよかったかな」

 すこしだけ手を付けたごちそうを思い出して、うっとりしかけたけれど慌てて首を振った。

 確かにごちそうは魅力だったけれど、特に最後に出てきたケーキは魅力的だったけれど、真っ白に輝くクリームに深紅のイチゴの乗ったショートケーキは本当に魅力的だったけれど!

 素直に勧められるまま食べてはいけないのだと思い出したのだ。

 本当は皆にも教えてあげたかったけれど、なにしろまだ何も証拠がなかった。証拠がないうちに騒ぎを起こしてはいけない。彼女には理由がよくわからなかったけれど、一昨日読んだ本の中で探偵がそう言っていたから。素直な彼女はそうすることに決めた。

 彼女は神妙な面持ちで頷いてみた。気分は名探偵で。

「きっと、だれをたべるかかんがえてるのね」

「……なんのはなし?」

「りょうしゅさまにきまって、……だれ?」

 独り言のはずだったのに応える言葉があることに遅まきながら気づいて肩が跳ねた。彼女が慌てて声の方を振り返えると、ふわりと涼やかな花の香がした。

「こんにちは」

「こんにちは!」

 にこりと笑いかけられて、家柄で反射的に笑顔を浮かべてしまった。浮かべて、固まった。そこに居たのは、きらきらした男の子だった。日の加減では藍色にも見える髪が印象的で、思わず見とれた。なんども読み返したお伽話に出てくる王子様に似ていた。彼女がほうっと呆けている内に、彼はこちらに歩んできた。

「だれ、って聞くわりにけいかいしないんだね」

 あぶないなあ、と彼は呟いて目を細めた。その仕草がとても大人びて見えた。自分とそう歳が変わらないような彼の質問を理解して、彼女ははっと我に返った。今更ながらに近づいた距離にじりじりと後退りした。

「はじめてあう人にあいそよくしなさいっていわれてるから」

 宿屋を営む両親にまず仕込まれたことだから仕方ない。愛想よく、の意味をきちんと理解しているわけではないけれど、たぶん笑顔で挨拶すればいいんだろう。

 しかし突然現れた少年は別にお客ではないし、正体不明なのだから警戒をするべきだった。

 彼女は今更ながらに威嚇して距離をとった。お向かいの番犬コムギにするみたいに。パン屋さんだなんて避けては通れないところにいるなんてヤツは実に卑怯な天敵なのだ。

「で、だれ?」

 彼女は改めて聞き直した。

 近所では見かけない子だった。ということは今日招かれた中にいたのかもしれない。なにせ町中から集められているから、一人や二人と言わず知らない子供がいたっておかしくないはずで。

 じいっと睨みつけたけれど、彼はにこりと笑ったまま表情を崩さなかった。変な子だ。

「いいおかあさんとおとうさんだね」

「でしょ! でもいーっつもお手伝いさせられるしうるさいし、あそべるじかんもみじか、ちがうちがう、だからえっと……だれ?」

 うっかり乗せられてしまった。フカクだ。意味は知らないけれど、この間お父さんがこんな感じで使っていたから多分合ってるだろう。

 3度目になる彼女の質問にとうとう彼は吹き出した。綺麗な表情が崩れたけど、笑顔はちゃんと同い年くらいに見える。そのことに彼女は少し安心した。

「きみってだまされやすそうだね、ぼくはシアンだよ」

「しつれいね! わたしはロゼ。みなみ区の宿屋の娘よ」

「……けいかいってどういういみか知ってる?」

「ばかにしないで! そのくらいしってるわ」

「かんたんに家がどこかいわないほうがいいとおもうけど」

「はじめてあった人になのるのはじょーしきだよ!」

「……そう」

 町唯一の大通りを挟んで反対側の北区にも、宿屋があるらしい。大体のお店は北と南それぞれにあるから、特別な用事でもなければ大通りを渡ることはない。彼女のお手伝いの範囲も遊びの範囲も南区で完結していて、北区の様子はあまり知らなかった。彼女は期待に目を輝かせた。

「あなたはきた区の子なの?」

「いや、………うん」

「え、どっち?」

「いつもはここに住んでるんだ」

「へえ、おやしきの子なんだ」

「……うん、そう」

 ということは住み込みのお手伝いさんの子供だろう、と彼女は判断する。いくらこのお屋敷が標準より小さいからと言って、領主一家で手が回るほどではないのは明らかだ。

 食事会きょうは普段の人数では足りないらしく、さらに何人か臨時で増やされているようだけれど。

「じゃあお母さんたちの仕事のじゃましないように、ひとりであそんでるのね!」

「まあ、そんなところ」

 大人びた苦笑いをする彼の頬を、彼女はぺしりと軽く叩く。その笑い方がどうも気に入らなかった。自分は君とは違うのだ、と言われているような気がしたからかもしれない。

 突然の行動に彼はなんどか瞬きを繰り返す。状況を飲み込むだけの時間を置いて、彼女を見つめた。けれどそっぽを向いている彼女に、今の事を謝るつもりはないらしい。

「……ほんとうに知らないんだ」

 彼は小さく呟いて、それから嬉しそうに笑った。

 彼女は横目で捉えて、目を見開く。さっきのものよりずっと子供っぽくて、なんとなく胸のあたりがふわふわするような気分になった。

 努めて保っていた警戒心があっという間に解けていき、なんだか彼女まで嬉しくなってしばらくの間二人は笑ってしまっていたのだった。




「それで、きみはりょうしゅさまが何をたべるって?」

 彼の質問で、すっかり忘れていたことを彼女は思い出した。努めて神妙な顔つきをつくって彼女は彼に近づき、彼のするんとした髪を捌けて耳打ちした。

 なんとなく、くすぐったい気持ちがして彼は身じろぎした。

「あのね、ヘンゼルとグレーテルのお話しってる?」

 そこから彼女は話し終えるまで勢いは止まらず、彼女がまくし立てて語るうちに、いつのまにやら彼は気圧されていた。

 彼女の空想じみた物語を聞き終えた彼はきゅっと結んだままにしていた唇をそろりと開く。

「つまり、りょうしゅさまが森にすんでるまじょみたいに、みんなを食べちゃうって言いたいの?」

 彼女の秘密話を聞いた彼は、幼い顔立ちに似合わない、大人びた何ともいえない表情を浮かべていた。

「そうなの!」

「しょうこは?」

「ないから探すの!」

 対照的に彼女と言えば、世界を救う勇者にでもなったような自信にあふれた様子で、無邪気にきらきらと目を輝かせていた。いっそ彼には眩しいくらいに。

 しばらくの間彼はそのきらめきを見つめていたけれど、不意に目を伏せ、もごもごと呟いた。なんとなく後ろめたさを滲ませて。

「そんな話、きいたことないけどなぁ」

「そっか、シアンはここにくわしいのよね!」

「……まあ、ほかのこよりは」

 しかし彼女はその声色には気づかないで、大発見でもしたかのように前のめりになった。彼の方は勢いに押され後ずさりしてしまったけれど。

 変わらず彼女は無垢な好奇心から矢継ぎ早に口を重ねる。

「ねえねえシアンってずうーっとここに住んでるの?」

「うん、生まれたときから」

「おやしきのなかに入ったことあるんでしょっ?」

「へやもあるし、まいにち入ってるけど」

「それならこんどあんないして! りょうしゅさまのひみつをさがさなきゃ!」

「えー? ……まあ、いいか」

「ほんとっ? きまりね! つぎ来たときにのやくそくだからねっ!」

「つぎ、くるの?」

 はたと彼の動きが止まった。つられて彼女も止まり、きょとんとした顔になった。さも当然のことを聞かれてびっくりしたのだというように。

「え、だってシアンもいるし。早くひみつをさがさないとたべられちゃうでしょ?」

「……そっか」

 何を聞くのだと言わんばかりの彼女を見て、彼はぱちぱちと瞬きを繰り返した。そしてそれからずいぶんと嬉しそうに、年相応に無邪気な笑顔を浮かべた。

「じゃあ、これあげるよ」

「なに?」

 彼は傍らの花をぷちりと摘み取って、茎にある刺を丁寧になくしていく。彼女は彼の白くなめらかな指先を見て、きれいな肌が傷ついてしまわないか心配になった。

 彼女が彼の作業をぼうっと眺めていると、ふいに彼の指が彼女の頭に伸びてきて、彼女の少し赤みを帯びたつややかな髪にふれた。

 そして彼がおもむろに近づいてきた。無意識に彼女が身を堅くしているうちに、彼は手の中の花を彼女の髪にそろりと挿しいれた。彼女の頭上から、できた、と満足げな小さな呟きが降ってきた。

「ね、これがかれてしまう前に会いにきて」

「う、ん。……なんかシアンって」

「なに」

「えっとね、こういうときに何て言うのかわたししってるの。

 ……そう、きざ! シアンってきざだ!」

「ロゼがかわいいからだよ」

「シアンってはずかしいこというのね!」

 彼女は頬を鮮やかに色づかせ、おろおろと視線を泳がせていた。今までこんな扱いを受けたことなどもちろんなく、まるで物語のようだった。何度も繰り返し読んだ、王子さまがお姫さまを迎えにくるお話。ちょうど彼は王子のように見えたことを彼女は今更ながらに意識した。

 しかし彼が少しもぶれずにまっすぐに彼女に視線を注いでいるのに気がついて、恨めしそうに見つめ返した。ぷくぷくと膨らませた頬は依然として真っ赤なままだけれど。

 彼はどこか祈るような顔つきで念を押した。

「でも、やくそく。早く来てね」

「……うん。やくそくする」

「たのしみにしてるから」




 彼女はふと我に返る。しばらくぼおっとしていたらしく、目の前で彼が眉根をよせて手をひらひらとさせていた。彼女はぱしりとそれを捕まえて、ふうっとため息をつく。

「どうかした?」

 普段にない様子の彼女に、彼はいかにも心配だとかかれた顔で話しかける。その様子をちらりと伺った彼女は、目を伏せたまま黙り込んだ。


 昔の自分を思い出して、やはり違和感を覚えるのだ。年を重ねるごとに、彼はますます王子さま然としてきた。出会った時も確かに王子さまのような容姿ではあったし、気障なところもあったけれど。

 そうではなく、なんとなくわざとらしいというか。

 あまり気のつかない方だと自覚している彼女でも、彼が何を考えているかわかるように、意図的に彼が自分の感情を表にだしている気がするのだ。

 ……優しい王子さまの仮面をつけて、何かを、本心を隠すように?

 もしかしたら、ただの、気のせいかもしれない。

 彼女は彼を見ないまま頭を振る。

「……なんでもないの」

 それでも、何か隠されているような。

 なんとなく悲しく、寂しく思う気持ちは自覚した彼女は、それが何に由来するかまでは気付かないままなのだけれど。

 彼女自身も変わらないことで誤魔化してるのには変わらないのだから、お互い様だ。そうして彼女は顔を上げ、つとめて明るい声で笑った。

「今日はどこを探検しようかなあって、考えてただけ!」


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