第9話「満月の夜の真実」
あれから数日後、
私は、カインさんの執務室にいた。
カインさんが、じっと私の右手首を見ている。
「エリシア、その腕輪」
「え?」
私は、右手首を見た。
銀色の腕輪。
細工が綺麗な、小さな腕輪。
ずっと、つけてる。
いつからだろう…小さい頃からだ。
「これ…ですか…?」
「ああ」
カインさんが頷いた。
「それは、魔力制御のための腕輪だ」
「え…」
魔力制御…?
「満月の夜に、お前の力が暴走しないように抑えている」
カインさんが説明してくれた。
「五歳の時、力が暴走した後に、お前の父親がつけたのだろう」
あ…。
そういえば、あの夜の後から、ずっとつけてた気がする。
外そうとしても、外れなかった。
だから、ずっとつけっぱなし。
「これが…私の力を…」
「ああ。抑えている」
カインさんが続けた。
「だから、お前はここに来てからも、満月の夜に暴走しなかった」
そうだったんだ…。
知らなかった。
「でも」
カインさんが、私を見た。
「お前は、もう訓練で力を制御できるようになった」
「え…」
「そろそろ、この腕輪を外していいと思う」
え。
外す…?
「で、でも…」
私は、不安になった。
「外したら…また暴走するんじゃ…」
「大丈夫だ」
カインさんが、優しく言った。
「お前は、もう制御できる。
訓練で、ちゃんと力を感じられるようになった」
「でも…」
「それに」
カインさんが続けた。
「俺がいる」
その言葉に、少し安心した。
「満月の夜に、一緒に試してみよう」
「満月…の夜…」
「ああ。数日後だ」
カインさんが、窓の外を見た。
「その時、腕輪を外して、力を解放してみる」
「…………」
「怖いか?」
「は、はい…」
正直に答えた。
怖い。
また、あの時みたいに暴走したら…。
「大丈夫だ」
カインさんが、私の頭に手を置いてくれた。
「お前は、一人じゃない。俺が側にいる」
温かい手。
大きな手。
「一緒に、乗り越えよう」
その言葉が、私の胸を温かくした。
そうだ。
今は、一人じゃないんだ。
カインさんがいる。
「はい」
私は、こくんと頷いた。
「頑張ります」
ーー
数日後。
満月の夜が来た。
私は、自分の部屋で窓の外を見ていた。
月が、どんどん丸くなってきてる。
今夜が、満月。
胸が、ぎゅっと締め付けられた。
右手首の腕輪を、そっと触った。
これを外すんだ。
十三年間、ずっとつけてた腕輪。
私の力を抑えてくれてた腕輪。
これがなくなったら…。
「また…暴走したら…」
ぽつりと呟く。
あの夜のこと。
五歳の時の、満月の夜。
人々が、本音を叫んだ夜。
全てが、壊れた夜。
また、あんなことが起きたら…。
カインさんや、レオンさんや、ミラちゃんが…。
みんなの本音を、暴いちゃったら…。
怖い。
すごく怖い。
こんこん。
ノックの音がした。
「どうぞ」
がちゃ。
扉が開いて、カインさんが入ってきた。
「エリシア」
「あ、カインさん」
カインさんは、私の隣に来て、窓の外を見た。
「満月だ」
「はい…」
こくんと頷いた。
カインさんが、私を見た。
「不安か?」
「え…あ…」
カインさんに、私の不安な心はバレバレだった。
「は、はい…」
正直に答えた。
「腕輪を外したら…また、暴走したら…みんなが…」
「大丈夫だ」
カインさんが、きっぱり言った。
「今度は俺がいる」
ぽん。
私の頭に、大きな手が乗った。
「お前は、一人じゃない」
優しい声。
温かい声。
「前は、お前一人で力に飲み込まれた」
カインさんが続けた。
「だが、今は違う。俺がいる」
「カインさん…」
「それに、お前はもう訓練で制御を学んだ」
カインさんが、優しく微笑んだ。
「昔とは違う。お前は、成長した」
その言葉が、嬉しかった。
そっか。
私、成長したんだ。
訓練で、魔力を感じられるようになった。
少しずつだけど、制御できるようになった。
もしかしたら、大丈夫かも。
「一緒に、乗り越えよう」
そうだ。
今は、一人じゃないんだ。
カインさんがいる。
「はい」
私は、にっこり笑った。
カインさんも、優しく笑ってくれた。
その夜は大きな満月の夜だった。
夕暮れ時、カインさんが私を訓練場に連れて行ってくれた。
訓練場の端っこ。
誰もいない、静かな場所。
「ここでやるの?」
「ああ」
カインさんが頷いた。
「広いし、もし何かあっても、周りに迷惑をかけない」
カインさん、気を使ってくれてるんだな。
「でも…兵士さんたちは…?」
「離れた場所で待機させてある」
カインさんが説明してくれた。
「お前の力が暴走しても、影響が出ない距離だ」
わあ…。
そこまで考えてくれてたんだ。
「ありがとうございます…」
「礼には及ばん」
カインさんが、ふっと笑った。
そして——空を見上げた。
「来るぞ」
覚悟を決めて、
私も空を見上げた。
オレンジ色だった空が、だんだん暗くなってきてる。
そして——。
ぽっかり、大きな月が昇ってきた。
まん丸の、満月。
「では、腕輪を外す」
カインさんが、そっと私の右手を取った。
大きな手。
温かい手。
腕輪に、そっと触れる。
「十三年間、お前を守ってくれた腕輪だ」
カインさんが、優しく言った。
「感謝して、外そう」
「はい…」
こくんと頷いた。
カインさんが、腕輪に魔力を込める。
ぽわん。
腕輪が、淡く光った。
そして——。
かちゃ。
留め具が外れた。
腕輪が、カインさんの手の中に落ちた。
その瞬間。
ぞわああああっ。
体の中から、何かが湧き上がってきた。
魔力。
すごい魔力。
十三年間抑えられていたものが、一気に解放される。
「あ…!」
私は、ぎゅっと胸を押さえた。
すごい。
力が、ぶわっと溢れ出してくる。
今まで感じたことのない、大きな力。
でも——。
暴走しそう、っていう感じじゃない。
ただ、すごく強い。
「エリシア、落ち着け」
カインさんの声が聞こえる。
「深く息を吸え」
すー。
言われた通り、息を吸った。
「ゆっくり吐け」
ふー。
少しずつ、落ち着いてきた。
「訓練を思い出せ。魔力を感じて、ゆっくり流す」
そうだ。
訓練でやったこと。
魔力を感じて、制御する。
「俺を見ろ」
ぱっと顔を上げた。
カインさんが、じっと私を見てた。
赤い瞳。
優しい瞳。
「お前は、一人じゃない」
カインさんが言った。
「俺がいる。だから、恐れるな」
その言葉で、不思議と落ち着いた。
そうだ。
カインさんがいる。
大丈夫。
その時だった。
カインさんの体が、ぼうっと光り始めた。
「カインさん…?」
「満月だからな」
カインさんが、ふっと笑った。
「俺も、変わる」
光が、どんどん強くなる。
そして——。
大きな黒豹が、そこに立っていた。
わあ…。
あの時の、黒豹さん。
ふわふわの毛並み。
綺麗な漆黒。
赤い瞳が、じっと私を見てる。
優しい目。
黒豹さんが、そっと私に近づいてきた。
そして——私の頭に、大きな頭をぽすっと押し当ててきた。
わあ。
温かい。
ふわふわ。
「ありがとう…」
そっと黒豹さんの頭を撫でた。
黒豹さんは、目を細めた。
可愛い。
そして——。
黒豹さんが、私の隣にどっしりと座った。
まるで、守るみたいに。
ああ。
カインさん、隣にいてくれるんだ。
なら、大丈夫。
私は、ゆっくりと目を閉じた。
魔力を感じる。
体の中心から、ぶわっと溢れ出しそうな魔力。
腕輪がないから、すごく強い。
でも、今度は怖くない。
カインさんがいるから。
訓練で学んだことを思い出す。
ゆっくりと、魔力を解放していく。
少しずつ。
少しずつ。
制御しながら。
すると——。
ぽわああああん。
体から、淡い光が溢れ出した。
わあ…。
綺麗…。
きらきらした、温かい光。
五歳の時とは、全然違う。
冷たくて、怖い光じゃない。
温かくて、優しい光。
光が、ふわふわと周りに広がっていく。
黒豹さんを包み込む。
訓練場全体を包み込む。
そして——遠くで見ていた兵士さんたちのところまで、届いていく。
「これは…」
レオンさんが、呟いた。
訓練場の端で、兵士たちと一緒に見守っていた。
淡い光が、ふわりと自分たちを包み込む。
温かい。
すごく、温かい。
「心が…軽くなる…」
兵士の一人が、ぽつりと言った。
「昨日、失敗して落ち込んでたのに…なんだか、もう大丈夫な気がする…」
「俺も…」
別の兵士が言った。
「家族と喧嘩してて、ずっとモヤモヤしてたのに…なんか、許せる気がしてきた…」
「温かい…」
「優しい…」
「これが…聖女の力…」
兵士たちが、口々に呟く。
レオンは、じっと光を見ていた。
「これが…本物の聖女の力…」
五歳の時、エリシアの力は暴走した。
腕輪もなく、訓練もなく。
人々の心の毒を、強制的に吐き出させた。
だから、呪いと呼ばれた。
でも——。
今は違う。
完全に制御されている。
心の毒を、優しく浄化している。
吐き出させるのではなく、溶かしている。
「素晴らしい…」
レオンは、感動で声が震えた。
「これが…エリシアさんの真の力…」
私は、ゆっくりと目を開けた。
光が、周りを包んでいる。
温かい光。
優しい光。
「できた…」
ぽつりと呟いた。
できたんだ。
腕輪なしで、制御できたんだ。
力が、暴走しなかった。
みんなの心を、傷つけなかった。
涙が、ぽろっと零れた。
「できた…できたよ…カインさん…」
嬉しくて、嬉しくて。
涙が止まらない。
その時——。
ぽわん。
黒豹さんの体が、光に包まれた。
そして——。
カインさんが、人間の姿に戻っていた。
「よくやった」
カインさんが、優しく微笑んだ。
そして——。
ぎゅっと、私を抱きしめてくれた。
「あっ…」
わあ。
抱きしめられちゃった。
カインさんの胸に、顔が埋まる。
温かい。
大きい。
心臓の音が、どきどき聞こえる。
「頑張ったな」
カインさんの声が、上から降ってくる。
「お前は、すごい。十三年間抑えられていた力を、完全に制御した」
頭を、優しく撫でてくれる。
「えへへ…」
なんか、すごく嬉しい。
胸が、ぽかぽかする。
ドキドキする。
この感じ、何だろう。
でも、嫌じゃない。
むしろ、好き。
「将軍ー!」
レオンさんの声が聞こえた。
ばたばたと走ってくる。
「エリシアさん!すごかったです!」
レオンさんが、きらきらした目で言った。
「あの光、温かくて、心が軽くなって…」
「本当ですか!?」
私は、ぱっと顔を上げた。
カインさんの腕から離れて、レオンさんを見た。
「みんな、大丈夫でした…?」
「大丈夫どころじゃないです!」
レオンさんが、にこにこ笑った。
「みんな、すごく喜んでますよ。心が癒されたって」
「よかった…」
ほっとした。
みんな、無事だった。
暴走しなかった。
制御できた。
「これが、聖女の力…本物ですね」
レオンさんが、しみじみ言った。
「エリシアさん、すごいです」
「え、えへへ…」
なんだか、照れちゃう。
褒められるの、慣れてない。
ーー
その夜。
私は、ベッドでごろんと横になっていた。
右手首を見る。
腕輪は、もうない。
カインさんが「もう必要ない」って言ってくれた。
制御できるようになったから。
満月の夜、無事に終わった。
十三年ぶりに、腕輪なしで力を制御できた。
みんなを、癒せた。
嬉しい。
すごく嬉しい。
でも——。
カインさんに、抱きしめられたこと。
あれ、何だったんだろう。
心臓が、ばくばくした。
顔が、熱くなった。
今も、思い出すとドキドキする。
「これ…何…?」
ぽつりと呟いた。
分からない。
でも、嫌じゃない。
むしろ、また抱きしめられたい…。
わあ、何を考えてるんだろう、私。
顔が、かあっと熱くなった。
ーー
その頃。
カインは、執務室で書類を片付けていた。
でも、全然集中できない。
エリシアの笑顔が、頭から離れない。
あの嬉しそうな顔。
あの涙。
あの温かい光。
そして——。
抱きしめた時の、あの柔らかさ。
小さな体。
温かい体温。
いい匂い。
「…………」
カインは、ふう、と息を吐いた。
駄目だ。
完全に、恋してる。
エリシアを、手放せない。
守りたい。
ずっと、側にいたい。
「どうする…」
小さく呟いた。
リュミエールは、また来る。
エリシアを狙ってくる。
守らなければ。
どうやって…。
その時——ある考えが浮かんだ。
契約結婚。
形だけでもいい。
エリシアを、正式に自分の妻にする。
そうすれば、帝国の庇護を完全に受けられる。
リュミエールも、手を出しにくくなる。
でも——。
エリシアは、どう思うだろう。
俺との結婚を、受け入れてくれるだろうか。
「…………聞いてみるしかないな」
カインは、決意を固めた。
ーー
満月の夜を無事に乗り切った翌朝、
私は、食堂で朝ごはんを食べていた。
美味しいパンとスープとサラダにフルーツ。
幸せだなあ。
「エリシア」
カインさんが、隣に座った。
「おはようございます、カインさん」
「ああ」
カインさんは、ちょっと真剣な顔をしてた。
どうしたんだろう。
「エリシア。お前に、話がある」
「はい?」
エリシアは、目をまんまるにしてきょとんとした。
「後で、俺の執務室に来てくれ」
「分かりました」
こくんと頷いた。
でも、何の話だろう。
ちょっとドキドキする。
ーー
その日の午後。
私は、カインさんの執務室の前に立っていた。
こんこん。
ノックをする。
「入れ」
がちゃ。
扉を開けて、中に入った。
カインさんが、机の前に座ってた。
真剣な顔だったので、私も緊張してしまう。
「座れ」
「はい」
椅子に座った。
カインさんが、じっと私を見た。
そして——。
「エリシア。お前を守るために…契約結婚を提案したい」
え。
けいやく…けっこん…?
「それは…どういう…?」
結婚に契約ってついてる。
契約結婚って、何…?
「形だけの結婚だ」
カインさんが説明してくれた。
「お前を、俺の妻ということにする」
「妻…」
「そうすれば、帝国の庁護を正式に受けられる」
カインさんが続けた。
「リュミエールも、手を出しにくくなる」
あ…。
私を、守るため…?
「契約だから、本当の結婚ではない」
カインさんが言った。
「ただの…形だけだ」
形だけの、結婚…。
私は、もじもじしながら考えた。
「あの…」
「ん?」
「カインさんは…魔族ですよね…?」
「ああ」
「私は…人族です…」
「そうだな」
カインさんは、不思議そうに私を見てくる。
あれ、何が言いたいか分かってない…?
「あの…その…」
私は、ますますもじもじした。
「カインさんの…ご両親…とか…」
「両親?」
「はい…魔族と人族の結婚って…反対されたりしないんでしょうか…?」
私は、心配になっちゃった。
カインさんのお父さんやお母さんが、人族の私と結婚するのを嫌がったら…。
そもそも、カインさんは恋人とかいないんだろうか…。
形だけだったとしても、私と結婚していいんだろうか…。
「…………」
カインさんが、ぴたっと固まった。
そして——。
ぶっと吹き出した。
「ぷっ…くく…」
え。
笑ってる…?
「か、カインさん…?」
「すまん…」
カインさんが、笑いを堪えながら言った。
「お前、そんなことを心配していたのか」
「だ、だって…」
「大丈夫だ」
カインさんが、優しく笑った。
「むしろ、兄上は大喜びするだろう」
「え…」
「『弟がついに結婚する』と大騒ぎするはずだ」
そして、カインさんが、少し困ったような顔をした。
「両親は…もういない。だから、心配するな」
「あ…」
そうだったんだ…。
「ごめんなさい…」
「いや、気にするな」
カインさんが、私の頭を撫でてくれた。
「お前の優しさは、嬉しい」
優しい声。
温かい声。
「それで…どうだ?」
カインさんが聞いてくれた。
「契約結婚、受けてくれるか?」
私は——。
カインさんを見た。
優しい赤い瞳。
いつも私を守ってくれる人。
この人となら…。
「はい」
私は、こくんと頷いた。
「よろしくお願いします」
にっこり笑った。
カインさんが、一瞬、ぴたっと固まった。
そして——顔が、ちょっと赤くなった。
「…………ああ」
カインさんが、小さく頷いた。
嬉しそうに笑ってた。




