表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
塔に監禁され、婚約破棄された『呪われ令嬢』ですが、 最強の将軍に過保護すぎるほど激甘に溺愛されて毎日が大変です  作者: 風谷 華


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

23/31

第23話 「誓いの結婚式」

 結婚式の朝は、いつもより空が明るく見えた。

 

 ノクティルム要塞の窓から見える山並みは、うっすらと朝靄に包まれている。

 冷たい空気なのに、胸の奥はぽかぽかしていた。

 

「エリシア様、起きていらっしゃいますか?」

 優しいノックと一緒に、ミラちゃんの声がした。


「お、おはよう、ミラちゃん」


「おはようございます。今日はいよいよですね」

 扉を開けたミラちゃんは、いつもよりも少しだけ気合いの入った顔をしていた。

 

「さ、お支度を始めましょう」


「う、うん。よろしくお願いします」

 

 湯気の立つ洗面器。

 花の香りのするオイル。

 髪を梳かれるたび、緊張とくすぐったさが入り混じる。

 

「エリシア様」

 ミラちゃんが、髪を優しく梳きながら言った。

「今日は、世界で一番綺麗になってくださいね」


「そ、そんな……世界で一番なんて。無理だよ」


「少なくとも、将軍様の世界では一番です」


「……っ」

 胸の奥が、きゅうっとなった。

 

 やがて、白いドレスが運び込まれる。

 大きな箱の蓋が開くと、ふわりと光を吸い込んだみたいに、布が柔らかく揺れた。

 

 純白のウェディングドレス。

 胸元には、小さな花の刺繍。

 裾には、薄い銀糸でさりげなく狼の足跡が描かれている。

 

「これ……」

「ゼクス様と仕立て屋さんの妥協の結果だそうです」

 ミラちゃんが、くすっと笑う。


「“あからさまな黒豹の紋章はやめろ”と“でもどこかに黒豹要素は入れたい”の激論の末らしいですよ」

「激論の結果、足跡になったんだ……」

 なんだか想像できて、思わず笑ってしまう。

 

 ミラちゃんに手伝ってもらいながら、ゆっくりとドレスに袖を通す。

 布が肌に触れるたび、胸が高鳴る。

 

「はい、腕を上げて……そうです」

 コルセットの紐がきゅっと締められる。

 ぎゅっとしているのに、苦しくはない。

 むしろ背筋が自然と伸びる感じがした。

 

「次は、ベールですね」

 

 姿見の前に立つと、ミラちゃんがそっと白いベールを持ち上げる。

 私の銀色の髪を包むように、柔らかな布がふわりとかぶさった。

 

 鏡の中に映ったのは――。

 

「……わたし?」

 

 思わず、声が漏れた。

 

 白いドレス。

 銀色の髪はふんわり可愛らしくまとめられている。

 淡い紫の瞳は、驚きと緊張で少しだけ見開かれている。

 

 でも、それでも。

 ちゃんと、「花嫁」に見えた。

 

「エリシア様、とっても綺麗です」

 ミラちゃんが、胸の前で手を組んで言った。

「最初にお会いした時から綺麗だと思っていましたけど、今日はそれに拍車がかかってます」


「ふ、ふえぇ、そんなことないよ……

 でも、カインさんが綺麗だなって思ってくれたら嬉しい」


「はい。将軍様、きっと腰を抜かしますよ」


「え!? 腰を抜かしちゃうの!?」


「抜かしそうになって、レオンさんが支えるところまで想像できます」


「あー、なんだかすごく想像できちゃう……」

 

 口元に手を当てて笑いながらも、胸の奥はじんわりと温かかった。

 

「緊張、していますか?」

 ミラちゃんが、そっと尋ねてくる。


「……うん。ちょっとだけ」


「ちょっと、ですか?」


「……けっこう、かも」

 

 正直に言うと、ミラちゃんはふふっと笑った。

 

「じゃあそれは、幸せの前兆です」


「前兆?」


「はい。幸せになる前って、人はちょっと怖くなるんですよ」


「……わかるような、わからないような……」

 

 でも、なんとなくその言葉に救われる。

 怖いのは、逃げたいからじゃなくて。

 本気で、大切だから。

 

「ミラちゃん」


「はい?」


「ここまで……ありがとう」


「まだ終わってないですよ?」

 ミラちゃんが、いたずらっぽく笑う。

「エリシア様が『幸せだった』って言ってくれるまでは、終わりじゃないです」

 

 その言葉に、胸がまたじんわり温かくなった。

 

ーー

 

 要塞の大広間は、いつも見ている訓練場や食堂とは全然違う顔をしていた。

 

 黒石の床には、真っ赤な絨毯が敷かれている。

 壁には白い布と花飾り。

 高い天井からは、いつもより多くの灯りが吊り下げられ、柔らかな光を落としていた。

 

 兵士さんたちは、整列して左右に並んでいる。

 みんな、いつもの鎧ではなく、式典用の制服だ。

 いつもより少し落ち着かない顔で、それでも誇らしげに姿勢を正している。

 

 最前列には、ゼクス様。

 その隣に、レオンさん。

 二人ともきちんとした礼装で、いつもよりいっそう格好いい。

 ……けれど、よく見るとレオンさんは緊張しすぎているのか、顔が少し引きつっていた。

 

 扉の裏側で、私はそっと息を整える。

 ドアの向こうから、やわらかな音楽が聞こえてきた。

 

「エリシア様」

 ミラちゃんが、そっとベールの端を整える。

「準備は、いいですか?」


「……うん」

 胸の前で、そっと手を組む。

 落ち着け、わたし。

 

 扉が、ゆっくりと開いていく。

 眩しい光と、たくさんの視線が、一度に雪崩れ込んでくるようだった。

 

 一歩。

 もう一歩。

 

 赤い絨毯の先。

 大広間の一番奥に――。

 

 黒い軍服の人が、まっすぐこちらを見て立っていた。

 

 漆黒の髪に、赤い瞳。

 腰にはキラキラ光る銀の剣。

 背筋はいつも通りまっすぐで、ただそこに立っているだけなのに、空気が違って見える。

 

 カイン・ヴォルフガルト。

 私の――これから夫になる人。

 

(やっぱり……かっこいい)

 

 頭の中が、その一言でいっぱいになった。

 

 カインさんは、ゆっくりと瞬きをして。

 ベール越しの私を見て、息を呑むように目を見開いた。

 

 その表情に、胸がきゅうっとなった。

 

「……」

 言葉がないのが、逆に怖くて。

 赤い絨毯を半分くらいまで歩いたところで、私は小さな声で聞いてしまった。

 

「カインさん……?」

 

 その声が届いたのか、カインさんはゆっくりと口を開いた。

 

「……綺麗だ」

 

 低く、静かな声。

 でも、はっきりと届いた。

 

 その顔は、いつもの冷静な将軍の顔じゃなくて。

 少しだけ戸惑っていて、でもすごく優しかった。

 

「……っ」

 足がふらつきそうになる。

 でも、赤い絨毯の上で転ぶわけにはいかない。

 

(たぶん今、顔真っ赤なんだろうな……)

 ベールで隠れていてよかった、と心の底から思った。

 

 カインさんの前まで歩いていくと、司祭様が一歩前に出た。

 白い法衣をまとった、穏やかな顔のおじいさんだ。

 

「本日は――」

 静かな声が、大広間に響く。

 

「黒鉄の帝国ガルゼインの将軍、カイン・ヴォルフガルトと」

「リュミエール王国より来たる聖女、エリシア・ルヴェリアスの」

「結婚の儀を執り行う」

 

 言葉に合わせるように、兵士さんたちが姿勢を正した。

 ゼクス様は静かに目を細め、レオンさんはすでにハンカチを握りしめている。

 ミラちゃんは……端っこで早くも目を潤ませていた。

 

「カイン・ヴォルフガルト殿」

 司祭様が、カインさんに向き直る。

「そなたは、この者を妻として迎え、生涯を共に歩むことを望むか?」

 

 カインさんは、一瞬も迷わなかった。

 

「ああ」

 短く、力強く。

「俺は、エリシアを妻として迎えることを望む」

 

 その声に、大広間の空気が少し揺れた気がした。

 

「彼女を愛し、守り、その笑顔を守ることを誓う」

 言葉を選ぶように、ゆっくりと。

「どんな敵が現れようと、どんな戦が待っていようと」

「俺の剣は、いつも彼女のために振るわれる」

 

 胸が、ぎゅっと締めつけられた。

 嬉しくて、泣きそうで、でも泣きたくない。

 

「エリシア・ルヴェリアス殿」

 今度は、司祭様が私を見る。

 ベール越しでも、穏やかな視線が感じられた。

 

「そなたは、この者を夫として受け入れ、生涯を共に歩むことを望むか?」

 

 喉が、少し乾いている。

 でも、ちゃんと答えたい。

 

「……はい」

 小さく息を吸ってから、はっきりと声に出した。

 

「私は、カイン・ヴォルフガルト様を夫として受け入れることを望みます」

 

 カインさんが、ふっと息を吐いた気配がした。

 横に立つ彼の存在が、すごく近くに感じられる。

 

「彼を愛し、支え、その背中を見守ることを誓います」

 言葉を紡ぐたび、胸の奥が、ぽうっと温かくなる。

「どんな運命が待っていても、どんな夜が来ても」

「私は、あなたの隣で笑っていたい」

 

 最後の一言は、カインさんの方を向いて言った。

 ベール越しだけど、赤い瞳とちゃんと目が合った。

 

「……エリシア」

 小さく彼の声が漏れた。

 

「では――指輪を」

 司祭様が、近くに控えていた兵士さんから、小さな箱を受け取った。

 その中には、ふたつの銀の指輪が寄り添うように並んでいる。

 

「まず、夫となる者から」

 

 カインさんが、指輪をひとつ手に取る。

 その大きな手が、意外なくらい慎重に小さな輪を持っているのが、おかしくて、愛おしかった。

 

「エリシア、手を」

「あ……はい」

 

 そっと右手を差し出す。

 自分でもわかるくらい、指先が震えていた。

 

 カインさんは、震える指を見て、ほんの少しだけ口元を緩める。

 

「そんなに緊張するな」


「し、します……」


「俺は逃げない」


「私も逃げません!」


「なら大丈夫だ」

 ふっと笑って、私の薬指にゆっくりと指輪をはめてくれた。

 

 ひんやりとした銀の感触。

 でも、すぐに自分の体温と混ざって、温かくなっていく。

 

「次に、妻となる者を」

 

 今度は、もうひとつの指輪を、私が受け取る番だ。

 

 カインさんの大きな手。

 薬指は、私の指よりずっと太くて、ごつごつしている。

 剣を握ってきた人の手。

 

(この手が、何度も私を守ってくれたんだ)

 

 そう思うと、胸がいっぱいになった。

 

「手が震えてるな」

 カインさんが、少し苦笑する。


「緊張で……」

「俺の指、折るなよ」

「折りません!」

 

 なんとか笑いながら、そっと指輪を彼の薬指に通す。

 途中でつっかえないように、慎重に、慎重に。

 

 カチリ、と小さな音がした。

 指輪が、ぴたりと彼の指に収まる。

 

「あ……」

 妙に感動して、変な声が出てしまった。

 

「これで、指輪はお揃いですね」

 ミラちゃんが、小声でぽそっと呟く。

 その声に、少しだけ緊張がほどけた。

 

「よろしい」

 司祭様が、満足そうに頷く。

 

「では――最後に」

 静かに両手を掲げて、祝福の言葉を唱える。

 

「アルヴェリアの加護のもと」

「ここに、ふたつの魂がひとつとなることを宣言する」

 

 兵士さんたちの間に、ざわ、と温かい気配が広がった。

 レオンさんは、すでに目元をぐしぐしとこすっている。

 ゼクス様は、珍しくはっきりとした笑みを浮かべていた。

 ミラちゃんは……ハンカチでは足りなくなったのか、追加のタオルを手にしていた。

 

「カイン・ヴォルフガルト」

「エリシア・ヴォルフガルト」

 

 新しい名前を呼ばれて、胸がふるふると震えた。

 

「そなたらの前途に、祝福があらんことを」

 

 そして――。

 

「誓いを証すために」

 司祭様が、やわらかく目を細める。

「キスを」

 

 その瞬間、大広間の空気が少しだけざわっとした。

 誰も声は出さないけれど、なんとなく視線がいっせいにこちらを見ている気がする。

 

 カインさんが、ゆっくりと私の前に立つ。

 大きな手が、ベールの端に触れた。

 

 そっと持ち上げられて、白い布の向こうの世界が、明るくなる。

 

 目の前には、赤い瞳。

 いつもより少しだけ、柔らかい光をたたえている。

 

「……エリシア」

 名前を呼ばれる。

 それだけで、心臓が跳ねる。

 

「目を閉じろ」

「は、はい……」

 

 ぎゅっと目を閉じる。

 緊張で肩に力が入りそうになって、でもカインさんの手がそっと肩に触れて、少しだけ落ち着いた。

 

 次の瞬間。

 ふわりと、唇に柔らかい温もりが触れた。

 

 軽くて、優しくて。

 だけど、はっきりと「キス」だとわかる感触。

 

 時間にしたら、ほんの一瞬。

 でも、私には長くて甘い時間に感じられた。

 

(……幸せ)

 

 胸の奥から、その言葉が自然と溢れてくる。

 

 ゆっくりと唇が離れて、そっと目を開けた。

 

 赤い瞳が、すぐ目の前にある。

 いつもより近くて。

 いつもより優しかった。

 

「……これで、本当に俺の妻だ」

「……はい」

 顔が熱くて、うまく彼の顔を直視できない。

 でも、視線をそらしたくもなかった。

 

 一瞬の静寂。

 そのあと――。

 

「――おめでとうございます!!」

 

 大広間に、どっと歓声と拍手が広がった。

 兵士さんたちが一斉に手を打ち鳴らし、口々に祝福の言葉を叫ぶ。

 

「将軍、おめでとうございます!」

「エリシア様、ご結婚おめでとうございます!」

「お二人の未来に、ガルゼインの加護を!」

 

 ゼクス様も穏やかな笑みを浮かべながら拍手している。

 レオンさんは、目を真っ赤にしながらも大きく手を叩いていた。

 

「ううっ、将軍が……将軍が結婚した……!」

「そんな泣くところですか?」

「泣くに決まってるでしょう!? あの将軍ですよ!?」

 

 ミラちゃんはというと――。

 

「う゛っ、うぅぅぅ……エリシア様ぁ……!」

 号泣していた。

 完全に泣きすぎていて、もうなにを言っているのかよくわからない。

 

 でも、それが全部、温かくて嬉しかった。

 

ーー

 

 結婚式のあとは、そのまま同じ大広間で簡単な披露宴が行われた。

 

 長いテーブルには、豪華な料理がずらりと並べられている。

 スープ。

 色とりどりの前菜。

 肉料理。

 魚料理。

 焼きたてのパン。

 デザートのケーキまである。

 

 私は、カインさんの隣の席に座っていた。

 白いドレスのまま。

 彼は、まだ軍服のまま。

 

 隣り合って座っているだけで、なんだか変に緊張する。

 

「食べられるか?」

 カインさんが、そっと尋ねてくる。


「う、うん。たぶん……」


「少しずつでいい」

 そう言って、自分の皿から小さく切った肉を、私の皿にそっと移してくれた。

 

「これ、美味い」


「えっ、今食べました?」


「ああ。味見してから渡した」


「それって半分以上、カインさんが食べてませんか?」


「……」

 カインさんが、少しだけ視線を逸らした。

 妙に可愛くて、笑ってしまう。

 

「カイン」

 正面の席から、穏やかな声がした。

 ゼクス様だ。

 ワインを片手に、じっとこちらを見ている。

 

「弟よ、おめでとう」


「兄上」


「……やっと、人間らしい顔をするようになったな」

「魔族だけどな」


「以前は、“戦う機械”みたいな顔をしていた」

 ゼクス様が、わざとらしくため息をつく。

「まさか、弟がこうして誰かの隣で笑う日が来るとはな」


「兄上……からかっておられます?」


「事実を述べているだけだ」

 そう言いながら、ゼクス様はグラスを少し私の方へ向けた。

 

「エリシア殿」


「は、はい」


「弟を、よろしく頼む」

 

 胸の奥が、じんわり温かくなった。

 

「……こちらこそ、よろしくお願いします」

 少し緊張しながらも、はっきりと言う。


「ふ」

 ゼクス様の目が、静かに細められた。

 

「レオン」

 ゼクス様が、隣の席のレオンさんに視線を向ける。

「お前も何か言ってやれ」


「は、はい!」

 レオンさんは、慌てて立ち上がり、グラスを掲げた。

 

「カイン将軍!」

「エリシア様!」

 

 一度、深呼吸。

 

「ご結婚、本当におめでとうございます!」

 声が、よく通った。

 

「将軍は、口数が少なくて無愛想で、すぐ顔が怖くなって、部下がみんなビビってますけど!」

「レオン」

「す、すみません!?」

 慌てて姿勢を正し直す。

 

「でも……」

 少し、表情が柔らかくなった。

「誰よりも部下を守ってくれる人です」

「現場に真っ先に駆けつけて、最後まで残るのは、いつも将軍でした」

 

 その言葉に、兵士さんたちが「そうだ」と、あちこちで小さく頷いているのが見えた。

 

「そんな将軍が、エリシア様を選んで」

「エリシア様も、将軍を選んでくれたことが、僕は本当に嬉しいです」

 

 レオンさんが、まっすぐこちらを見る。

 

「どうか、将軍のことを……」

 言葉を選ぶように、ゆっくりと。

「これからも、よろしくお願いします」

 

 胸がいっぱいになって、思わず立ち上がってしまった。

 

「こちらこそ……」

 グラスを持つ手が、少し震える。

「カインさんを、支えられるようにがんばります」

「まだまだ頼りないところもありますけど……」

「わたしも、一緒に強くなっていきたいです」

 

 レオンさんが、ほっとしたように笑った。

 

「ミラ」

 ゼクス様が、今度はミラちゃんを見る。


「お前も何か言いたいことがあるだろう」


「はいっ!」

 ミラちゃんは、勢いよく立ち上がった。

 ……タオルを握りしめたまま。

 

「エリシア様!」

 涙声だ。

「おめでとうございます!」


「ミラちゃん……ありがとう」


「エリシア様は……!」

 言葉に詰まりながらも、懸命に続ける。

「塔から出てきて……ここに来てくれて……!」

「最初にお会いした時から、すごく優しい人だと思ってました!」

「でも、ただ優しいだけじゃなくて……!」

 タオルで目をぐしぐししながらも、私を真っ直ぐ見てくれる。

 

「見た目以上に芯があって、強い女性なんだって……」

「昨日も、リリアーナ様と向き合って……!」

「すごく、すごく格好良かったです!」

 

 胸が、きゅっとなる。

 

「エリシア様、幸せになってください」

 ミラちゃんが、言葉を絞り出すように言う。

「わたし、エリシア様が笑ってるのが一番好きです」

 

「……うん」

 もう、我慢できなくて。

 ぽろぽろと涙がこぼれた。

 

「なります。幸せに」

「そして、ミラちゃんも一緒に幸せになろうね」

「はいっ!」

 

 披露宴は、そのあとも温かい空気の中で続いた。

 たくさんの料理。

 たくさんの言葉。

 たくさんの笑い声。

 

 戦いの影が近づいているはずなのに。

 この瞬間だけは、みんなそれを遠くに置いておこうとしているみたいだった。

 

ーーー

 

 夕方。

 披露宴が終わるころには、窓の外はオレンジ色に染まっていた。

 

 賑やかだった大広間も、今は静かだ。

 片付けの音だけが、遠くで聞こえてくる。

 

「……疲れてないか?」

 廊下を歩きながら、カインさんがそっと尋ねてくる。

「少し、だけ」

「今日は、よく頑張ったな」

 大きな手が、そっと私の頭を撫でる。

 

「これからは、もっと一緒に過ごせる時間を増やす」

「戦が終わったら、もっとゆっくり飯も食わせる」


「え……」

 唐突な言葉に、思わず足を止めてしまった。

「今、戦が終わったらって……」


「ああ」

 当たり前のように頷く。

「終わらせる前提で準備するのが、将軍の仕事だ」

 

 その言葉に、少しだけ胸が軽くなった。

 

 やがて、カインさんの部屋の前に着く。

 見慣れた扉なのに、今は妙に迫力がある。

 

(……初夜)

 

 その言葉を意識した瞬間、心臓が跳ねた。

 顔が、耳まで熱くなる。

 

「エリシア」

 名前を呼ばれて、びくっとする。


「こ、怖くなんてないです!」


「何も聞いていないが」


「……」

 自爆しすぎだ、自分。

 

 扉が静かに開いて、中に入る。

 部屋の中は、いつもより照明が落とされていて、柔らかい灯りがゆらゆらと揺れていた。

 窓の外には、もう星がいくつか瞬いている。

 

 背中で、扉が閉まる音がした。

 

「……」

「……」

 

 途端に、空気が妙に意識されてしまう。

 

「あの……」

 どうしていいかわからなくて、思わず口を開いた。

「か、カインさん」


「なんだ」


「その……今日は、本当に、ありがとうございました」


「俺が言う台詞だな、それは」

 

 カインさんが、少しだけ笑う。

 それから、ゆっくりと歩み寄ってきた。

 

 ドキドキがうるさい。

 きっと、彼にも聞こえてしまうんじゃないかと思うくらいに。

 

「怖いか?」

 近くで、低い声がした。

「……少し、だけ」

 素直に答えると、カインさんはふっと息を吐いた。

 

「正直だな」


「嘘つくと、バレそうなので……」


「そうだな。お前は嘘が下手だ」

 

 それから、少しだけ言葉を探すような間があって。

 

「安心しろ」

 ゆっくりと、私の肩に手が置かれる。

「無理はさせない」

「お前が怖いと思うことは、何もしない」

 

 その言葉に、胸の奥の強張りがゆっくりとほどけていく。

 

「……カインさん」


「ん」


「信じてますから」

 

 そう言うと、彼は少しだけ目を見開いて、それから柔らかく目を細めた。

 

「俺も、お前を信じてる」

 

 大きな腕が、そっと私の体を包む。

 ぎゅっと、でも苦しくないように。

 胸のあたりに顔を預けると、彼の心臓の音が聞こえた。

 

 ドク、ドク、ドク。

 私の心臓と、少しだけリズムが違うけど。

 でも、同じ速さで高鳴っている気がした。

 

「エリシア」

 頭の上から、優しい声が降ってくる。

「愛してる」

 

 胸の奥が、またじんと熱くなる。

 

「……私も」

 彼の軍服を、ぎゅっと掴んで。

「愛してます」

 

 顔を上げたところで、そっと唇が重ねられた。

 さっきの誓いのキスより、少しだけ長くて。

 少しだけ、近い。

 

 でも、それでも。

 優しくて、温かいキスだった。

 

 灯りが、少しだけ揺れる。

 

 窓の外には、星が瞬いている。

 要塞の外壁を巡る兵士たちの足音が、かすかに聞こえる。

 

 戦の気配は、確かに近づいている。

 

 それでも、この部屋の中だけは――。

 今だけは。

 世界で一番静かで、温かい場所だと思った。

 

 やがて、灯りが少し落とされて。

 窓の外の星が、よりくっきりと見えるようになる。

 

 その夜。

 ノクティルム要塞の一室で、ひとつの夫婦が生まれた。

 


 

 そして同じ夜。

 遠く離れたリュミエール王国では、

 静かに、戦いの準備が進められていた――。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ