第1話「呪われた令嬢の幽閉生活」
離れの塔の窓から差し込む朝日は、今日もひんやりしていた。
光が石壁を照らすたびに、部屋全体が薄い水色に染まる。
今日で、十八歳。
私、エリシア・フォン・ルヴェリアスは、この狭い部屋で誕生日を迎えた。
祝福の言葉をかけてくれる人は、誰もいない。
まあ、慣れちゃったけど。
木のテーブルに置かれた朝食は、いつも通り。
固くなった黒パンと、冷めたスープ。
公爵家の令嬢とは思えない粗末な食事だけど、もう慣れてる。
十三年間、ずっとこうだったもん。
ゆっくりとパンを齧りながら、窓の外を眺める。
うん、固い。すごく固い。顎が疲れる。
遠くに見えるのは、本館の豪華な建物。きらきらしてる。
あそこでは今日も、華やかな社交界の準備が進んでるんだろうな。
綺麗なドレスを着た令嬢たち。
馬車で社交界に向かう貴族たち。
庭園で笑い合う声。
私には、ぜーんぶ縁のない世界。
「今日も…一人かあ」
ぽつりと呟いた。
声が、部屋にふわっと響く。
誰も返事してくれない。
当たり前だけど。
私は五歳の時から、この離れの塔に閉じ込められてる。
理由は、私の持つ「呪い」。
ルヴェリアス家に代々伝わるっていう、聖女の呪い。
あれは、五歳の誕生日のことだった。
魔力測定儀式。
リュミエール王国では、五歳になった貴族の子供は必ず魔力の測定を受ける。
火、水、風、土、光、闇。
六つの属性のどれかが必ず現れるらしい。
それが、この国での価値を決めるんだって。
私は、どきどきわくわくしながら、測定儀の前に立った。
周りには父様、継母様、それから集まった貴族たち。
みんなが私を見てた。
ちょっと緊張しちゃった。
「エリシア・ルヴェリアス、魔力測定を開始します」
魔術師さんの声が響く。
私は、ぷるぷる震える手を、測定儀の水晶球に当てた。
わあ、温かい。
魔力が流れ込む感じがする。ふわふわする。
きっと、綺麗な光が現れるんだ。
何色かな。火の赤?水の青?光の金色?
そう信じてた。
でも——。
何も起こらなかった。
水晶球は、透明なまま。しーん。
何の色も、光も、現れない。
「…………」
会場が、しーんと静かになった。
あれ?
「もう一度」
魔術師さんが言った。
私は、もう一度ぺたっと手を当てた。
でも、やっぱり何も起こらない。
「これは…無属性…?」
父様、レオンハルト・フォン・ルヴェリアス公爵の声が、冷たく響いた。
むぞくせい?
「無属性…そんな…」
周りの貴族たちが、ざわざわし始めた。
無属性。
属性魔法を使えない、無能の証。
リュミエール王国では、一番価値がないとされる存在なんだって。
私は、その「無能」だった。
「エリシア様は…無属性です」
魔術師さんの言葉が、私の運命を決めちゃった。
周りの視線が、さーっと冷たくなる。
父様は、ふいっと私から目を逸らした。
継母様、マリアンヌは、うわって顔をした。
私は…何も言えなかった。
ただ、こくんと小さく頷くことしかできなかった。
無能なんだ、私。
でも、それだけなら、まだ良かったのかも。
本当の問題は、その夜に起こった。
満月の夜。
測定儀式の後、屋敷では祝賀会が開かれてた。
私は無属性だったけど、それでも公爵家の令嬢だから。
形だけは整えなきゃいけないらしい。
庭園で、貴族たちがわいわい話してる。
私は、隅っこの方で小さくなってた。
誰も、私に話しかけてこない。
無属性の、価値のない令嬢。
そんな目で見られてる。ちくちく痛い。
その時だった。
突然、すごい頭痛が襲ってきた。
「っ…!」
ぎゅっと頭を抱えた。痛い痛い。
視界が、ぐらぐら揺れる。気持ち悪い。
何か…何かが、体の中からぶわーって溢れ出そうとしてる。
満月が、すごくまぶしい。見てられない。
そして——。
私の体から、ぱあっと眩い光が溢れ出した。
「きゃあっ!」
悲鳴が上がる。
光が、庭園全体をふわーって包み込む。
私は、止められなかった。
「やめて…!やめて…!」
わんわん泣き叫んだ。
でも、光は止まらない。どんどん広がる。
そして、次の瞬間——。
「公爵様が憎い!」
突然、庭師さんが叫んだ。
「いつも見下しやがって!
給料も安いくせに働かせやがって!
俺の娘が病気なのに薬も買えない!
死んでしまえばいいのに!」
え。
みんな、ぴたっと固まった。
庭師さんは、ぱっと自分の口を押さえた。
でも、言葉は止まらない。
「奥様の顔が気持ち悪い!」
今度は侍女さんが叫んだ。
「毎日あの作り笑顔を見るのが苦痛!
化粧が厚すぎて吐き気がする!
本当は辞めたい!この家が大嫌い!」
侍女さんも、わあって顔を真っ青にした。
でも、口は勝手に動く。止まらない。
「ルヴェリアス家など滅びればいい!」
参列してた貴族さんが叫ぶ。
「俺の方が爵位にふさわしい!
公爵の座を奪いたい!いつか必ず!」
「王家も妬ましい!
なぜ俺が平民出身だというだけで差別されなければならない!」
「旦那様には隠し子がいる…街の酒場の女との間に…
奥様は気づいてないけど、私は知ってる…!
いつかこの秘密で金を脅し取ってやる…!」
「何度毒を盛ってやろうかと思ったか…!
貴族なんて全員死ねばいい!」
次々と、人々が心の奥底に隠してた本音を叫び始めた。
憎しみ。嫉妬。秘密。欲望。
ぜんぶ、ぜんぶ、暴かれてく。
庭園は、わあわあ叫び声だらけになった。地獄みたい。
「やめて…!お願い…!やめて…!」
私は、わんわん泣き叫んだ。
でも、光は止まらない。
人々の叫び声が、耳を塞いでも聞こえてくる。
「やめてええええっ!」
私の絶叫と一緒に、ようやく光が消えた。
しーん。
庭園に、重い静けさが降りた。
人々は、はっと正気に戻ってた。
自分が何を叫んだか、ぜんぶ覚えてる。
庭師さんは、真っ青な顔でぶるぶる震えてた。
「俺は…なんてことを…」
侍女さんは、ぺたんと泣き崩れた。
「私…あんなこと…」
貴族たちも、恐怖と恥ずかしさでぶるぶる震えてる。
みんなが、自分の醜い本音を晒しちゃった。
そして、ぜんいん、いっせいに私を見た。
怖い目。
まるで、化け物を見るみたいな目。
「これは…」
父様の声が、震えてた。
「呪いだ」
その一言が、私の運命を決めちゃった。
「娘が…周囲の人間の心を狂わせた」
「聖女の呪いだ!」
誰かが叫ぶ。
「代々伝わる呪いが本当だったのか!」
「あの子は…呪われている!」
貴族たちが、口々に言う。
私は、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
涙が、ぽろぽろ止まらなかった。
「エリシアを…」
父様が、冷たい声で命じた。
「離れの塔に閉じ込めろ」
「お父様…?」
私は、ぱっと父様を見上げた。
でも、父様は私から目を逸らした。
「お前は、二度と人前に出るな」
継母様が、ぎゅっと私の腕を掴んだ。痛い。
「さあ、行きなさい。呪いの子」
その日から、私の幽閉生活が始まった。
あれから、十三年。
今日で、十八歳になった。
五歳から十八歳まで。
人生の大半を、この塔で過ごしたんだ。
家族とは、ほとんど会わない。
父様は、一度も会いに来なかった。一度も。
継母様は、月に一度、冷たい目で見るだけ。
異母妹のリリアーナちゃんは、私の存在を知ってるのかな。分からない。
食事は、侍女さんが運んでくれる。
でも、最低限の量。
お腹いっぱいにはならない。
教育は、読み書きと礼儀作法だけ。
社交界デビューも、許されなかった。
窓から見える世界が、私のぜんぶ。
満月の夜は、特に厳重に監視される。
また、あの「呪い」が出ちゃうかもしれないから。
私は、人々の心を狂わせる。
私は、呪われてる。
私がいると、みんなが不幸になる。
だから、ここにいるしかない。
そう、自分に言い聞かせてきた。
でも——。
唯一の希望があった。
王子様と婚約しているのだ。
幼い頃に決まった、政略婚らしい。
第一王子、アルフレッド殿下との婚約。
婚約のことを考えると暖かい気持ちになれる。
私は、王子様に会ったこともない。顔も知らない。
でも、それでも。
いつか、この塔から出られる日が来る。
殿下の妃として、新しい人生が始まる。
そう信じてた。
それだけが、私を支えてくれてた。
「いつか…」
窓の外を見つめながら、ぽつりと呟く。
「いつか、ここから出られる…よね…」
そう信じて、今日も生きる。
呪われた令嬢、エリシア・ルヴェリアス。
それが、私。
その時だった。
がちゃ。
扉が開く音がした。
こんな時間に、誰…?
振り向くと、そこには父様と継母様が立ってた。
あれ?珍しい。
二人が一緒に来るなんて。
なんだか、嫌な予感がした。背中が、ぞわっとした。
「エリシア」
父様の声は、いつも通り冷たかった。
「今日、お前に伝えることがある」
私の心臓が、どきどきどきどき早鐘を打ち始めた。
何を…?
何を伝えに…?
「顔を上げろ」
私は、ぷるぷる震える体で立ち上がって、父様を見上げた。
父様の顔は、冷たくて、でもなんだか決意に満ちてた。
そして、父様は言った。
「アルフレッド殿下が、婚約破棄を望んでおられる」
その瞬間、私の世界が、ぱりんって音を立てて崩れ落ちた。




