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伝令兵が告げた内容は、にわかには信じがたいものだった。
野営地の中枢である騎士団長のテント内には、数名の将校と私、そしてシヴァル様が集まっている。
ランプの光が、それぞれの顔に険しい影を落としていた。
「村長は『軍を受け入れるわけにはいかない』との一点張りでして……。武器こそ向けられませんでしたが、門は固く閉ざされ、交渉の余地もありませんでした」
伝令兵は悔しそうにそう報告した。
テントの中に、重苦しい沈黙が落ちる。
「どういうことだ。一月ほど前に伝令を寄越して交渉した際は、駐留を許可してくれる手筈となっていただろう」
シヴァル様が静かに、しかし地を這うような低い声で問う。
その問いに、恰幅のいい将校の一人が吐き捨てるように言った。
「おそらく、隣国側に寝返ったのでしょう。おかしなことではありますまい」
彼の言うことにも一理ある。
確かに我が国の方が国力は上で、この戦に勝利する確率も高い。しかし、その村は敵の城塞都市にほど近い場所にあるのだ。日々の付き合いという面で言えば、隣国に与する方が得策だと考えても無理からぬことだった。
「あの村を占拠しましょう」
別の、目つきの鋭い将校が冷静に提案する。
「兵站にはまだ余裕があるようですが、可能であればここで補給したいところ。それに、今後この近辺を我が国が統治することになった時、このような小さな村に舐められたとあっては今後に差し支えましょう」
淡々とした口調で、彼は続けた。
「あの村に、火の雨を降らせてやりましょう」
その言葉に、私は思わず息を呑んだ。
そして、隣に立つシヴァル様の横顔を盗み見る。
シヴァル様は顔を伏せ、目を閉じていた。
その表情はランプの影に隠れて窺い知れない。
けれど、私には分かった。
彼は今、きっとひどく苦しんでいる。
本当は、戦そのものに反対だと言っていた彼だ。
将校の言うことが、たとえ軍略として尤もなものだとしても。
実際に非武装の村人たちを蹂躙するような状況を、彼が作りたいはずがない。
そう思ったら、もう居ても立ってもいられなくなった。
「待ってください」
気づいた時には、私は声を上げていた。
テントの中の視線が、一斉に私へと突き刺さる。
「なんだ、従軍修道士か? 何か意見でも?」
目つきの鋭い将校が、値踏みするように私を見る。
私は一度ごくりと唾を飲み込むと、努めて落ち着いた声で話し始めた。
「国のためにその身を捧げ、遥々進軍してきた我々に対して扉を閉ざし、あまつさえ石を投げるかのような仕打ち。その無礼への怒りは兵士として、いえ、人として当然のものでしょう」
まずは、相手の感情を肯定する。
これは、今までの口先三寸で培った、私の得意技だ。
「そうだろう。ならば――」
将校が言い募ろうとするのを、私は言葉で遮った。
「この村に火の雨を降らせることはたやすいでしょう。恐怖に叫び惑う村人たちの姿は、我々の力を見せつけ、あなたの鬱憤を晴らすことができるかもしれません」
「いや、鬱憤というわけでは……」
相手の主張の芯を抜き、あえて下世話な本音のように言ってやる。
すると相手は「いや、自分はそんな人間ではない」と、こちらの土俵で弁明を始めざるを得なくなる。
そうして生まれた一瞬の動揺こそが、こちらの言葉を染み込ませる絶好の隙となるのだ。
「しかし、一度冷静にお考えください。我々が戦うべき相手は、この村の者たちではございません。我々は、国境の向こうにいる本物の敵を討つために、この道を進んでいるのです」
一度火がついた私の口は、もう誰にも止められない。
まるで聖句を諳んじるかのように、言葉がするすると紡がれていく。
「怯えた民草相手に剣を抜き、貴重な時間と兵の体力を消耗することは、敵の思う壺かもしれません。我々の威信とは、弱き者を力で踏み潰すことではなく、大義のためにその力を温存し、振るうべき相手を正しく見定める賢慮にあるのではないでしょうか」
私の言葉に、将校は呆気に取られたように口を開けている。
その場の誰もが、言葉を失っていた。
その静寂を破ったのは、今まで黙って成り行きを見守っていたシヴァル様だった。
「……この村を捨て置き、先を急ごう」
その一言は、騎士団長としての決定的な響きを持っていた。
将校ははっと我に返ると、苦虫を噛み潰したような顔で言う。
「そうですか。しかし、それではこの村に我々の軍が舐められたままです。今後の統治に禍根を残しますぞ」
その言葉を待っていたかのように、私はにこりと微笑んでみせた。
「それについて、私に良い案があります」
私はそう言うと、芝居がかった仕草で言葉を続けた。
「泊めてもらえなかった腹いせに、この村はなかったことにしましょう」
そこに居合わせた皆の頭の上に、大きな疑問符が浮かんだのが、私にははっきりと見えたのだった。
◇
翌日、我々の軍は予定通り行軍を再開した。
しかし、その進路は少しだけ奇妙なものだった。
村を完全に無視して素通りする。
それも、わざわざ村の風上から。
私はシヴァル様の隣を歩きながら、後方に広がる光景を満足げに眺めていた。
乾燥した大地を、何百という兵士と馬が踏みしめていく。当然、もうもうと砂埃が舞い上がった。風に乗ったその砂埃は、まるで巨大な黄土色の波のように、眼下に見える小さな村へと流れ込んでいく。
「どうですか。これで我々の恐ろしさも、多少は理解してもらえたことでしょう」
私が言うと、隣を歩いていたあの目つきの鋭い将校が、苦笑いを浮かべた。
「……少し、甘い気もしますがね」
「いいえ。恐怖とは、姿が見えない方が増すものですよ」
村は、たちまち砂埃に包まれて視界から消えていった。
文字通り、この大地から村が「なかったこと」になったかのように。
村の簡素な見張り台からは、ひっきりなしに誰かが激しく咳き込む音が聞こえてくる。
何も見えない。
ただ、地の底から響くような、我々の行軍の足音だけが高らかに聞こえ続ける。
村人たちは今頃、得体の知れない恐怖に震えていることだろう。
この逸話は紆余曲折あり、後世にも語り継がれることになる。
『旅人は迎え入れてもらえなかったとき、足の砂を払ってその場を後にする』
そんな、少しだけ物騒なジンクスが生まれたのは、また別の話だ。
その日の夜。
私はいつものように、シヴァル様のテントを訪れていた。
二人で焚き火を囲み、温かいスープをすする。この行軍の中で、すっかり当たり前になった光景だ。
「少しは、お役に立てましたか?」
私が尋ねると、シヴァル様はスープの器を置き、心底楽しそうに笑った。
「ああ。やはりお前は、面白いことを考えるな」
その笑顔は、まるで悪戯が成功した子供のようだ。
――そんな彼を見ていると、私の胸のあたりがまた、むず痒くなる。
しばらく、ぱちぱちと薪がはぜる音だけが響く。
心地よい沈黙だった。
やがて、シヴァル様がふと、真剣な面持ちで口を開いた。
「プリス、この戦が終わったら……」
そこまで言って、彼はふっと言葉を切った。
そして、何かを振り払うかのように軽く頭を振ると、照れくさそうに視線を逸らす。
「……いや。こういうことを、戦の前に言うべきではなかったな。改めて、終わったら伝える」
そう言って、シヴァル様は口をつぐんでしまった。
な、なんなのだろうか。
そんな風に言われたら、気になって仕方ないではないか……
私の頭の中は、彼の言いかけた言葉の続きでいっぱいになった。




