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 野営を重ね、雨風にさらされ、日に日にすり減っていく……

 そんな地獄のような光景を想像し、私は本気で故郷の孤児院へ逃げ帰ろうかと考えた。

 しかし、現実は少しだけ私の予想とは異なっていた。想定よりもずっと楽ができている。



 これには2つの要因が絡んでいる。



 一つ目は、私の可愛い十二人の弟子たちのおかげだった。


「先生、長旅でお疲れでしょう。こちらの荷馬車にどうぞ」


 私が長距離の行軍に音を上げて死んだような顔をしていると、どこからともなく現れた弟子の一人がこっそりと御者に話を通して荷物の間に私を隠してくれたり。


「先生、足の豆にはこの薬草が効くそうです。探してまいりました!」


 靴擦れを起こした私の足を見るや、薬草を探し出して丁寧に湿布を貼り替えてくれたり。


 彼らの涙ぐましいまでの献身がなければ、私はとっくの昔に道端で干からびていたに違いない。

 ああ、弟子を持つというのは、なんて素晴らしいことなのだろうか。


 しかし、そんな弟子たちもしょせんは一兵卒にすぎない。

 私の世話だけでなく、当然ながら兵士としての任務がある。馬の世話、武具の手入れ、野営地の設営など、やることは山積み。

 四六時中、私のそばに付きっきりでいてくれるわけではないのだ。



 そこで、私の行軍が予想以上に楽ができている二つ目の理由が、なんと騎士団長のシヴァル様だった。


 進軍初日の夜。

 弟子たちがそれぞれの持ち場で慌ただしく働く中、私は割り当てられた粗末なテントの中でぐったりと横たわっていた。

 たった一日の行軍で、私の体力は完全に底をついていたのだ。


 ああ、もう指一本動かせない……。

 このまま泥のように眠ってしまいたい……。


 そんなことを考えていると、テントの入り口が不意に開かれ、大きな影がぬっと姿を現した。


「おい、生きているか」


 騎士団長シヴァル様だった。

 私は返事をする気力もなく、ただ恨めしげな視線を送る。


 彼はそんな私の様子を一瞥するなり、呆れたようにため息をついた。


「お前、旅慣れてなさすぎないか? 聖職者なら聖地への巡礼などもあるんじゃないのか?」

「……体力がないのは、私の数少ない欠点なのです」


 私は虫の息で答える。


「実際に巡礼へ行った際は、司祭のおじい様に……荷物のほとんどを持っていただいたのです……」


 その言葉に、シヴァル様は心底驚いたような顔をした。


「じいさんにも体力で負けているのか。……さすがに想定外だったな」


 そう言うと、彼は無遠慮にテントの中へ入ってくると、私の隣にどかりと腰を下ろした。

 そして、何を思ったのか、私の靴を乱暴に脱がし、むき出しになった足をむんずと掴むではないか。


「なっ、何をなさるのですか!?」

「黙っていろ。足のマッサージだ。このままでは明日、歩けなくなるぞ」


 言うが早いか、彼は私の足裏やふくらはぎを、手慣れた様子で揉みほぐし始めた。


 兵士たちはこうして互いに体の手入れをするのが普通なのだろうか。

 それにしても、その手つきは驚くほど的確だ。

 凝り固まった筋肉がじんわりとほぐれていくのが分かった。


 ……あら、意外と気持ちいい。


 長旅で疲れ切った体には抗いがたい心地よさだ。

 私は不覚にも、彼の膝の上でうっとりと目を細めてしまった。


 マッサージを終えると、今度は懐から小さな軟膏の壺を取り出し、赤くなっていた私のかかとに丁寧に塗り込んでくれる。


 ああ、この人、普段はあんなに横暴で胡散臭いのに、本当は優しいところもあるのだな。

 私のシヴァル様に対する内部評価が、ぐんと急上昇した瞬間だった。


「……これから演説をさせるつもりの聖職者が、従軍中にずっと荷物になっているようでは上がる士気も上がらなくなるからな」


 ……なるほど、そういうことですか。


 それならば、もう演説は諦めて王都に帰してもらえませんかね?

 そもそもシヴァル様に無理やり連れてこられなければ、こんなことにはならなかったのですが……


 上げたはずの内部評価も、すぐさま下落するのであった。




 また、次の日の夜のこと。

 夕食として支給されたのは、石のように硬い黒パンと塩だけ。

 私は焚き火の前で、この絶望的に味気ない食事をどうしたものかと思案していた。


 故郷の教会では、おじいさまが作る温かいシチューが食べられたというのに。

 王都に来てからは、弟子たちが毎日美味しいものを献上してくれたというのに。

 なんて惨めな夕食なのだろう。


 私は支給された塩を舐めながら、硬い黒パンをかじっていた。

 まるで石を食べているようだ。

 ……顎が疲れる。


 私が泣く泣く黒パンにかじりついていると、またしても背後からひょっこりとシヴァル様が現れた。

 呆れ果てたような顔で私を見下ろしている。


「お前、料理もできないのか? さすがに生活能力がなさすぎないか?」


 開口一番、またしても失礼な言葉を投げかけてくる。


「料理ができないのは、私の数少ない欠点なのです」


 私は開き直って答えた。


「故郷では司祭のおじいさまが料理を担当されていましたし、王都に着いてからは弟子たちが率先して食べ物を用意してくれました」


「……お前の数少ない欠点がいくつあるのか知らないが。さすがにそんな状態では倒れてしまうかもしれないか」


 シヴァル様は眉をひそめると、自分の分のスープと干し肉を分けてくれた。


 温かいスープが喉を通る。

 塩気のきいた肉の旨味が、疲れた体に染み渡っていく。


 ああ、なんて美味しいのだろう……。


 私は夢中でスープを飲み干し、彼がくれた干し肉を頬張った。


 食べ物をくれる人は、皆良い人だ。

 これは、私がこれまでの人生で学んだ、数少ない真理の一つである。

 私は満たされたお腹をさすりながら、目の前で腕を組んで焚き火を眺めているこの騎士団長を、満場一致で「良い人」に認定することにした。



 それからというもの。

 シヴァル様は何かと理由をつけては私のテントに顔を出す。そして、その日の夕食を分けてくれる。

 それどころか、その厳つい外見とは裏腹に、丁寧に足のマッサージまでしてくれることもある。その行動は優しさに満ちていた。

 この行軍は私にとって、シヴァル様が意外にも本当に良い人なのだと認めざるを得ない旅路となった。

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