表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ちょろまかシスターの成り上がり ~口先三寸で孤児院を救います~  作者: ぜんだ 夕里


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

21/21

エピローグ

 

 人の口に戸は立てられない。

 ましてや、それを禁ずるような取り決めがそもそも存在しないのであればなおのこと。


 枢機卿が自らの手で教会の御旗を切り裂いたという一件は瞬く間に王都を駆け巡った。

 はじめは騎士団の兵士たちの間で囁かれていただけの噂話だった。しかし、酒場の喧騒に混じり、市場の雑踏に溶け込むうちに、それは動かしがたい事実として人々の間に定着していった。


「枢機卿が神聖な旗を自ら?」

「なんでも一人のシスターを処刑しようとしたところを邪魔されて逆上したとか」

「教会ならやりかねない。私だって寄付金の額が少ないと皆の前で罵られたことがある」


 もはや枢機卿は教会内部においてすら急速に力を失っていく。まるで積み上げた砂の城が波にさらわれるように彼の栄華は脆くも崩れ去っていった。


 枢機卿一人の没落であればまだ教会も立て直しようがあったのかもしれない。

 しかし腐敗はとうに組織の芯まで蝕んでいた。


 もともと教会の資金繰りは火の車だった。信者からの寄付は減り、上層部は私腹を肥やすことにしか興味がない。枢機卿のような人間がその頂点近くに君臨していたという事実こそがその証左であった。

 そこへ来て今回の「御旗引き裂き事件」である。


 教会の権威は完全に地に落ちた。


 人々は救いを求めていた。

 日々の暮らしは厳しく理不尽なことも多い。そんな辛い現実を生きていくためには心の拠り所となるような絶対的な精神的支柱が必要不可欠なのだ。

 しかし、その支柱であったはずの教会が自らその存在意義を否定してしまった。


 人々はどこに救いを求めればいいのか分からなくなっていた。

 ぽっかりと空いた心の空白を冷たい風が吹き抜けていく。



 ――そんな乾いた人々の心にじんわりと染み込むようにして、一つの教えが広まり始めた。



 それは誰かが声高に叫んだものではない。

 市井の中で、まるで井戸端会議の話題のように語られ始めた物語だった。


 十一人になった弟子たちが動いたのだ。


 声がよく通る者は往来に立った。


「皆様、お聞きください! 我が師シスター・プリスはこうおっしゃいました!」


 かつて彼女が兵士たちの心を震わせたように、その言葉は道行く人々の足を止めさせた。


 歌が得意な者は吟遊詩人となった。

 リュートを爪弾き、酒場の喧騒の中で一つの物語を歌い上げる。それは遠征の果てにたった一人のシスターが戦を止めたという、英雄譚だった。


 そして文章を書くのが得意な者はその教えを書物にまとめた。

 広場に子供たちを集め、母親たちに囲まれながらその物語を読み聞かせる。


『隣人を愛しなさい』

『人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい』

『敵すらも愛し、その者のために祈りなさい』


 分かりやすく、しかし誰もが心のどこかで「真理だ」と感じるような教え。

 そんな教えを説き、多くの人々の心を救って忽然と姿を消した一人のシスターの物語。


 物語は人々の心を確かに捉えた。

 教会という絶対的な存在を失い、救いを求めてさまよっていた人々の心はその人間味あふれるシスターの物語に確かな救いを見出したのだ。


「あのシスター様、昔は市場で食べ物をちょろまかして回っていたらしいぜ」

「はは、本当かい。そいつは面白い」

「ああ。でもそれも全部、孤児院の子供たちのためだったそうだ」


 人々は彼女の物語を広めていく。

 完璧な聖人ではない、人間らしい彼女の物語を。

 自分たちと同じように悩みながら、誰かのために必死で生きた彼女の物語を。


 いつしか人々は彼女のことをこう呼ぶようになっていた。

 人々の心を救い、そして伝説の中に消えていった彼女のことを、『救世主』と。



『救世主』の物語は今やどこの酒場でも吟遊詩人が歌う、定番の演目の一つとなっていた。



 この状況を旧教会が黙って見過ごすはずがなかった。

「神を騙る不届き者」「人心を惑わす邪教」

 教会はプリスの教えを異端と認定し、その物語を語る者たちを弾圧しようと試みた。


 しかし一度市井に広まった物語の火を消すことは容易ではない。

 面白おかしく、そしてどこか心温まる『救世主』の物語は人々の間で娯楽として、そして希望として深く根を張り始めていたのだ。

 加えて教会の権威は地に落ちている。彼らが「異端だ」と叫んでも人々は「自分たちの都合が悪いだけだろう」と冷ややかな視線を向けるだけだった。


 結果として旧教会がその物語の広がりを止めることはもはや誰にもできなくなっていた。


 そんな中、事態は思わぬ方向へと動き出す。


 この国を治める国王が一つの決断を下したのだ。


 国王は悩んでいた。

 教会の権威失墜は王国の求心力の低下に直結する。人々を一つにまとめる精神的支柱がなければ国は内側から瓦解しかねない。

 そんな折、彼は耳にしたのだ。兵士や民衆の間に熱狂的とも言える勢いで広まっているプリスというシスターの教えを。


 これこそが新しい時代の精神的支柱となり得るのではないか。

 国王はそう考えた。


 ある晴れた日、王都のすべての広場に国王の名を記したお触れ書きが張り出された。



「聖女プリスの教えを、我が国の新しい教えとして公認する」



 王都は蜂の巣をつついたような騒ぎとなった。

 王はすぐさま、初めに教えを広めた十一人の弟子たちを王宮へと招き入れた。


「そなたたちの活動を王家が全面的に支援しよう」


 弟子たちは一夜にしてその立場を劇的に変えることとなる。

 昨日までは邪な教えを広める異端者として教会に追われる身だった。

 それが今日からは国王が認めた新しい国教の指導者となったのだ。


 旧教会は王の命令に逆らうことなどできるはずもなかった。

 彼らはあっさりとその影響力を失い、かつての栄華が嘘のように細々と存続するだけの存在となっていく。

 歴史の表舞台から静かに姿を消していったのだ。


 弟子たちがまとめたプリスの教えと、その生涯を綴った書物はやがて正式な国の教典として編纂されることとなった。

 それは旧来の教会の書物とは明確に区別され『新聖書』と呼ばれるようになる。


 その『新聖書』によって描かれるシスター・プリスの物語。



 食べ物をちょろまかし、口先三寸で戦を止め、多くの人々の心を救った『救世主』の物語は国を超え、世代を超え、これからも語り継がれていくのであった――。




  ◇




 聖女プリスが公式にその命を絶たれてから十年という月日が流れた。


 王都から馬車で数日揺られた先にある活気あふれる商業都市。その一角に旅人たちの間で評判の酒場があった。


 酒場の名は『聖母亭』。


 気風が良く、一度喋り出すと止まらないおかみのマリアと寡黙だが確かな腕で酒と料理を供するマスターのピラド。そんな夫婦が営むその酒場には一つの噂話がまことしやかに囁かれていた。


 なんでもマスターは元々どこかの国の騎士様で、おかみは由緒正しき教会の聖職者だったのだという。

 二人は禁断の恋に落ちて駆け落ちし、マスターが持参した資金を元手にこの酒場を開いたのだとか。

 だからマリアとピラドというのは偽名で、本当の名前は誰も知らないのだ、と。


 その噂が真実か否か、確かめる術はない。

 ただ、おかみの話の面白さとマスターの作る酒の美味さだけがこの酒場の確かな真実だった。

 そんな奇妙な魅力に惹かれて『聖母亭』は今宵も多くの客で賑わいを見せている。




 からん、と扉の鈴が鳴り、一人の客が店に入ってきた。

 年の頃は十五歳前後だろうか。質素だが清潔な修道服に身を包んだ若いシスターだった。

 彼女は少しだけ緊張した面持ちで店内を見渡し「ここが、この周辺で一番有名な酒場か……」と小さく呟くとカウンターの隅の席にちょこんと腰を下ろした。


「いらっしゃい。ご注文は?」


 カウンターの内側から声をかけたのはおかみのマリアだった。ゆったりとしたエプロンの下からでも分かるほど彼女のお腹は大きく膨らんでいる。新しい生命がその中に宿っている証だ。

 シスターは少し驚いた顔をしたが、すぐに気を取り直して注文を口にした。


「赤ワインを一杯ください」

「はい、赤ワインね。……しかしシスターさんがうちみたいな騒がしい店に来るなんて珍しいね」


 マリアが軽口を叩きながら棚からグラスを取り出すとシスターは少し頬を赤らめて答えた。


「巡礼の途中なのです。少し喉が渇いてしまって……」

「巡礼、ねえ。ご苦労なこった」


 差し出されたワインを受け取りながらシスターの視線がマリアの腹へと注がれる。


「お子さんですか? そんなお体で店に立たれるのは大変でしょう」

「ああ、これ? 二人目だからね、勝手は分かってるよ。一人目はそこの給仕のユディーの妹さんが家で見てくれてるの」


 マリアはそう言って忙しそうにテーブルの間を立ち働く一人の青年を顎でしゃくった。

 その言葉にシスターはふわりと微笑んだ。


「そうなのですね。……実は私、孤児院育ちでして、子供の世話は得意なのです。何かお困りのことがあればいつでもお声がけください」

「へえ、孤児院ねえ」


 マリアはワイングラスを磨く手を止め、興味深そうに目を丸くした。


「実は私も孤児院にはちょっとした縁があってね。シスター様はどこの町の孤児院出身なの?」


 そう言ってマリアが尋ねた孤児院の名は奇しくもシスターが育った場所とまったく同じだったのだ。


「あらまあ! 世の中狭い!」


 マリアは腹を抱えて笑い、シスターも驚きに目を丸くする。二人はしばし懐かしい故郷の思い出話に花を咲かせた。

 話の流れで長年孤児院の院長を務めていた司祭が数年前に静かに息を引き取ったという話題になると、マリアは少しだけ遠い目をした。


「そっか……。あの人には何かと世話になったんだけどねぇ……」


 グラスを磨くその横顔が少しだけ寂しそうに揺れた。


 しんみりとした空気を振り払うように若いシスターはぱっと顔を上げた。その手にはいつの間にか一冊の分厚い本が握られている。


「そういえば! 新たな孤児院長となったジョン様が、それはそれは素晴らしい教えを説かれる方なのです!」


 そう言って彼女が取り出したのは、近年この国で急速に信者を増やしている新しい教えの経典


 ――『新聖書』であった。


「そ、それは……」


 マリアの顔がわずかに引きつる。そんな彼女の様子にはお構いなしに若いシスターは目をきらきらと輝かせながら続けた。


「人類の罪をその身に背負い、我々のためにその尊い命を捧げられた『救世主』シスター・プリスの教えが記された書です! そしてなんと我らがジョン様はプリス様から直接その教えを受けた十二使徒が一人なのですよ!」


 若いシスターが誇らしげに胸を張る。マリアは完全に顔がこわばっており、カウンターの奥で黙々とグラスを並べていたマスターがくっと喉を鳴らして笑いをこらえている。


「どうやらまだプリス様の教えの素晴らしさがあなたには伝わっていないようですね! よろしい、ならば私がプリス様に代わってその尊き教えを説いてあげましょう!」


 そう言って若いシスターは語りに語った。プリス様のありがたい教えとやらを!


「『信仰』と『希望』そして『愛』! この三位一体が揃ってこそ神はその行いを大変お喜びになるのです!」

「そして『己のため、家族のため、世のため人のため』! これこそが我々が目指すべき真に気高き生き方なのですよ!」


 若いシスターの熱弁を聞きながら、マリアはとうとう耐えきれなくなったのか真っ赤になった顔を手で覆った。


「それはじゃがいもを三つもらうための口実で……」とか「ただ串焼きが食べたかっただけなのに……」などとぶつぶつと小さな声で呟いている。


 そんなマリアの反応を教えがうまく伝わっていないのだと勝手に解釈した若いシスターは、潤滑油とばかりにワインをぐいと煽ると、さらに熱を込めて教えを説き始めるのであった。


「ほう、シスター・プリスの教えですか」


 不意に背後から声がした。振り返ると給仕のユディーがにやにやとした笑みを浮かべて立っている。


「いやあ、あの人の教えは本当に素晴らしいですからねえ!」


 そう言ってからかうように笑うユディーをマリアがじろりとひと睨みする。そして何かを思い出したように若いシスターへと問いかけた。


「そういえばシスター・プリスにはジューダっていう弟子がいたって聞いたけど」


 その名を聞いた途端、待ってましたとばかりに若いシスターの目の色が再び変わった。


「ええ! あの『裏切り者』のジューダですね! 銀貨三十枚でプリス様を売り渡したとんでもない弟子です!」

「まあそんな弟子がいたの!? とんでもないやつ!」


 マリアが大げさに口元を手で覆う。そのやり取りを見ていたユディーはなぜか急にばつの悪そうな顔になると「あ、僕、皿を洗ってこないといけないんでした!」とそそくさとその場を去っていった。

 そんな彼の背中を見送りながら若いシスターは力強く語気を強めた。


「そんな裏切り者のジューダはその罪の重さから頭から真っ逆さまに落ちて体の真ん中から裂け、内臓をすべて飛び出させて死んだのです!」


 それを聞いた瞬間、マリアは思わずぷっと吹き出してしまった。そして誰に聞かせるともなくぽつりと呟く。


「……死んだことにするにしてもずいぶんと派手にやったものね……」


「な、なんですかぁ~? もしかして信じてくれてないんですか~??」


 ワインがすっかり回ったのか若いシスターは完全に出来上がっていた。


「ああ、ジョン様のように私も上手に教えを説けるようになりたいなぁ……」


 そう言ってカウンターに突っ伏してごろごろと転がり始める。


「この巡礼の旅もジョン様がお決めになったんですよぅ。『うまくすれば神に会えるかもしれない』だなんて……。私にも、いつか神託が下ることがあるのでしょうかぁ……」


 しゃっくりをしながらそんなことを言うシスターを見てマリアの目がすっと細められた。


「……やつの差し金か」


 鋭い視線がどこか遠くへと向けられる。


「さあ! もう一杯『神の血』であるワインをいただいて、シスター・プリスの教えをもっともっと広めなければ! もっと広く、海の向こうの果ての果てまで……!」


 そう言って空になったグラスを差し出すシスターにマリアは深いため息をつきながら新しいワインを注いでやる。

 シスターはそれをごくりと一口飲むと、途端に眉をひそめた。


「あれぇ? このワインなんだかすごく薄いですよ! もしかして水で薄めましたか~!?」


 そんな彼女の抗議にマリアは悪戯っぽく笑いながら答える。


「薄めたワインは私の得意技なのよ」


 そしてマリアは言った。

 かつてプリスがその弟子たちに伝え忘れた、たった一つの大切な教え。

 それを代わりにこの若いシスターに優しく説いてやったのだ。


「シスター様。お酒も信仰も、人間が気持ちよく酔える量っていうのは、決まってるの」


 だからね、とマリアは続ける。


「お酒も布教も、ほどほどに、ね?」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
全ての宗教が程々だったらとつくづく思わせる宗教嫌いのワタシが感じる心温まるお話でした。 先日他作品に出会いここまで辿り着きました。これからも陰ながら応援していきたいと思います。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ