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翌日。
私は再び、あの市場の串焼き屋台の前に立っていた。
店の看板には、昨日私が即興で名付けた『ヴァルハラ焼き』の文字がでかでかと掲げられている。
ちゃっかりした店主だ。
そんなことを考えていると、屋台の中から出てきた店主が私を一目見て、「げっ!」という顔をした。
そして昨日とは打って変わって私を睨みつけながら言う。
「儲かったから、昨日の代金を払えとまでは言わねえが……もうさすがにタダではやらねえぞ」
相変わらずの業突く張りめ!
――などと、神に仕える身で考えてはならない……
私はにこりと聖母のように微笑んでみせた。
「昨日は美味しい串焼きをありがとうございました。でも今日は頂こうとは思っていませんわ」
私はそう断ると、懐から一枚の貼り紙を取り出した。
「代わりに、この貼り紙を屋台に貼って頂けませんか?」
そこにはこう書いてある。
『一本は己のため、二本は家族のため、三本目は世のため人のため』
呆気に取られていた店主は、しかし、すぐにその意図を察したらしい。
何やらそろばんを弾くような目つきで貼り紙を眺め、やがてニヤリと笑った。なんだか買っていく人間が増えそうだ、とでも考えたのだろう。貼り紙をしてくれることになった。
……よし。
あとは、孤児院で待つだけだ。
「世のため人のためなら、孤児院に寄付するのが一番だろう」
私の目論見通り、その日の午後になると、三本買った串の最後の一本を手に、孤児院を訪れる人々がちらほらと現れ始めた。
結果として、昨日と同じぐらいの串焼きが子供たちの元へと寄付されたのだった。
ふふ、落書きのような貼り紙が串焼き化けた……。
そして、そんな寄付の列の中に一人。
これからの私の人生を、大きく変えることになる男が並んでいたのだ……。
「教会なんて久しぶりだな」
そう言いながら、一人の男がヴァルハラ焼きを片手に教会へ入ってきた。
引き締まった体に鋭い眼光。軍人だろうか。ずいぶんと鍛えられている。
どこかで見覚えがあるな……?
そう思って見ていると、やがて、その男が誰であるかに気づいてしまった。
――そうだ。
彼は若くしてこの国の騎士団長に任命されたと噂の男。
昔、国境警備の軍がこの町に駐留した際、少しだけ見かけたことがある。
「……どのようなご用件でしょうか?」
私が恐る恐る声をかけると、男は私を値踏みするようにじろじろと見てくる。
そして、「ふむ、この娘が……」などと呟くではないか!
やばい!
町で食べ物をちょろまかし回ったことがばれてるのかな!?
私の背中に、たらりと冷や汗が流れる。
そんな私に向かって、男は言ったのだ。
「俺は騎士団長をしているシヴァルという者だ。辺境のシスターがなかなか結構な教えを説いていると耳にしてな。ぜひ我が軍にもしてもらえないかと思い、尋ねた次第だ。ご同行願えるかな?」
完全に、ちょろまかしを咎められる!
これは王都で異端審問にかけられた後に処刑される流れ!?
そう思った私の顔は、みるみるうちに青ざめていったことだろう。
それに気づいたのか、シヴァル様は少しだけ表情を緩めて言う。
「ああ、すまない。突然で驚かせてしまったな。別に悪いようにしようというわけではないんだ」
シヴァル様は続けた。
「俺は教会の上層部からの依頼で来ているんだが、最近教会ではお布施が少なくなり、運営が厳しくなっているという事実は知っているか」
その言葉に、私はこくりと頷いた。
「はい。この町の教会も、孤児院への補助金が打ち切られると聞いています」
「そうだ。そこで教会も必死でな。お布施をもらえるように、聞きごたえのある説教をするものを求めているようなのだ」
「は、はぁ……」
「そんなとき、地方のシスターが、何やら素晴らしい教えを説くという噂が、王都の方にも届いたらしくてな」
まずい!
まさか、口先で食べ物をちょろまかしていたら、こんなことになるなんて……。
町に住む人間から食べ物をせしめようとしても、何度もは通用しないだろう。
だから、私はこの地が宿場町であることを利用し、行商人や遠方から来る屋台の主人を多く狙ったのだ。
まさか行商たちの噂話が、教会上層部にまで届くとは……。
「しかし、王都の中央教会に連れて行っても、大したことがなければ仕方がない。そこで、まずは騎士団の中で教えを説いてもらい、真偽を確認することになっていたのさ」
そうなの……?
私は、ほっと肩の力を抜いた。
それならば、適当な演説をして落胆されれば、この人も帰ってくれるということだ。
そう思って安堵のため息をつくと同時に、シヴァル様の持つヴァルハラ焼きが目に入った。
――あれ、そういえばなんでそんなもの持ってるんだろう?
すると、彼は愉快そうに、無邪気な笑顔でこちらを向いた。
「しかし、すぐにこの教会に来て今の話をしたのでは、警戒されてしまうと思ってな。昨日からこっそり様子を見ていたんだが……」
その言葉を聞き、私の背筋が凍りついた。
あれ、昨日からってことは……。
昨日のヴァルハラ焼きの食レポ説教を、聞かれていたってこと……?
「昨日の演説も大したもんだったが、今日は貼り紙で串焼きを誘導するとは見事な策略だ! お嬢さん、君は軍師の才能があるな!」
そう言って、彼は私の肩をバシバシと力強く叩いてくる。
観察されていた。昨日から……。
ということは、私が店主を言いくるめて串焼きをせしめた一部始終も、ばっちり見られていたということ。
しかし、今それを私に直接ばらすということは、何か魂胆があるに違いない。
なんとも胡散臭い……。
「……それで、一体何が目的なのでしょうか?」
私が警戒心もあらわに尋ねると、シヴァル様は悪びれもせず、にっと笑ってみせた。
「初めに言ったじゃないか。俺の軍に少し演説をしてもらいたくてな」
「演説ですか?」
「ああ。最近の戦闘や遠方での駐屯で、どうも兵たちの気が緩んでいかん。酒は飲むわ、賭け事にうつつを抜かすわ、些細なことで小競り合いは増えるわでな。軍医は体の傷は診られても、心のささくれまでは立て直せん」
そう言うと、ふっと真剣な眼差しで私を見た。
「私に、初めて会う兵士たちの心を正せと、そうおっしゃるのですか?」
そんな大それたこと、できるはずがない。
せいぜい、私がやれることといえば、業突く張り店主から食べ物をちょろまかす程度の、小さな悪戯が関の山だ。
そんな私の不安を見透かしたように、シヴァル様は続けた。
「規律で締め上げるよりも『兵が自ら己の行いを恥じる』と効果が長続きすることが多い。そういう意味で、説教は都合がいい気がしてな」
自らを悔い改めさせるような演説、私にできるだろうか……。
私が黙り込んでいると、シヴァル様はふっと口の端を上げた。
「まあ、神に仕える身とは言っても、目先の利益がないとやる気も出ないだろう」
その言葉に、私の心臓がどきりと跳ねた。
「昨日からの君の活動を見ていてな。どうも、君一人が食べる以上に食料を集めているようだった。そして、先ほどの会話で『孤児院への補助金が打ち切られる』と聞いて、ピンと来たんだ」
彼は私の顔をじっと覗き込むようにして、言った。
「君は、この孤児院を維持するために、食べ物をちょろまかしているんだろう?」
図星だった。
私の顔から、さっと血の気が引いていくのが自分でも分かった。
ばれてしまった。なんだかとても嫌な予感がする……
「俺はこれでも騎士団長でな。それなりの給金や権限を持っている。この孤児院が今後何不自由なく存続できるだけの寄付を行うことなどたやすいぞ?」
彼は、悪魔が囁くかのように、甘い言葉を紡いだ。
ああ、ここまで知られてしまった以上、もう断る術などない。
しかし、子供のような笑顔で提案をしてくる彼を見て、私は思う。
これから先、私はこの男に、いいように厄介ごとを押し付けられることになるのではないか。
『あまり世間様をからかうようなことばかりをしていると、いつかその何倍ものしわ寄せが、とてつもない形で押し寄せてくるものだよ……』
昨日、おじいさまが言っていた言葉が、まるで予言のように頭の中で響き渡るのであった。
ああ、神様。
日頃の行いのツケを支払う時が来たようですね。
それにしてもこの「しわ寄せ」、少し利子が付きすぎてはいませんか……?




