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 私の拙い言葉が果たしてどこまで彼らの心に届いたのだろうか。

 ただ祈るような気持ちで、その場に膝をつく兵士たちの姿を見つめていた。


 その静寂を破るように。

 ざっざっ、と迷いのない足音が私の背後から近づいてくる。


「準備はできたか」


 その声に私の心臓が凍り付いた。

 槍を携えたシヴァル様がそこに立っていた。


「まったく。枢機卿は何度も呼び止めてくるし、くだらない話ばかりするのだから」


 シヴァル様はそう言って小さくため息をついた。


 その様子はいつもと変わらない、少しだけ不機嫌そうな顔。

 でも、その表情の奥に何か違うものが潜んでいるような気がした。


 彼は周りを見回し、膝をついたままの兵士たちを見て、少し怪訝な顔をする。


「……どうした、お前たち」


 誰も答えない。

 重苦しい沈黙が処刑場を支配していた。

 シヴァル様は一度咳払いをすると、声を張り上げた。


「それでは刑の執行を開始する!」


 その言葉に兵士たちはしぶしぶといった様子で立ち上がり、整列し始める。

 でも、その動きはどこかぎこちなく、まるで心ここにあらずといった風だった。




「君が直々に刑を執行するのかね?」


 不意に先程聞いた嫌な声が響いた。

 枢機卿がのっそりとした足取りで近づいてくる。


「す、枢機卿……?」


 なぜかシヴァル様が少し動揺した顔をした。

 まるで予想外の人物が現れたかのような、そんな表情。


「大貴族が『神の化身』の死を、直接見て確認するようにと言われておってな」


 枢機卿は気だるげに言った。

 その太った体を揺らしながら、私のすぐ近くまで歩み寄ってくる。


「さあ、始めたまえ」


 枢機卿がそう言うと、シヴァル様は少し緊張した面持ちで槍を構えた。

 槍先が、私の心臓に向けられる。


 これで終わり……。


 でも、せめて私の最期の演説が、ジュディーちゃんを含む孤児たちの未来を、少しでも明るくしてくれることを信じたい。



 目を閉じて、覚悟を決めた、その時――



「先生を助けろ!」


 聞き慣れた声が処刑場に響き渡った。


 目を開けると、信じられない光景が広がっていた。

 私の可愛い十二人の弟子たちが、処刑場となっている広い平原に突入してきたのだ。

 その中には――私を売ったはずのジューダの姿もあった。


「止めなさい! 本当に殺されてしまいます!」


 私は必死に叫んだ。

 でも、弟子たちは構わず私の元へと駆けてくる。


 なんてこと!


 せめて彼らだけでも、王都に安全に帰してもらおうと思ったのに!


 絶望で目の前が真っ暗になっていく。

 兵士たちの方が弟子よりもはるかに数が多い。すぐに取り押さえられて皆殺しにされてしまう――


 そう思っていたのに……様子がおかしい。

 兵士たちの動きが鈍い。弟子たちの行く手を阻もうと前に出た一部の者を除いて、ほとんどが動こうとしない。

 それどころか、武器すら抜いていなかった。


「何をしている、奴らを止めろ!」


 枢機卿が怒鳴りつけるが、近くにいた兵士すらぴくりとも動かない。

 しびれを切らした枢機卿が、兵士の一人から「貸せ!」と乱暴に剣を奪い取ると、私に肉薄しかけていたジューダに切りかかった。


 ジューダは難なく枢機卿の斬撃を交わす。

 すると、枢機卿は勢い余って――


 ビリッ!


 私の横に立ててあった、教会の神聖な御旗を切り裂いてしまったのだ。

 白地に金糸で刺繍された十字架が、無残に二つに裂けて風に舞った。


 その瞬間を見逃さなかったジューダが、大きく声を上げた。


「見ましたか、皆さん!」


 私によく似た口調で、ジューダは巧みに話術を操る。


 まるで私の演説を真似するように。

 いや、それ以上に巧みに。

 人々を扇動するように。

 視点を反らし、自分に都合の良い物語を語るように。

 あるいは、ただ一つの真実を、誰もが納得する理屈へと変えてしまうように。


 ジューダは声を張り、言葉の刃を振るう――


「教会の代表者とはどのような人物であるべきでしょうか?」


 ジューダの声が、処刑場に響き渡る。


「敬虔で、慈悲深く、神の教えを体現する人物。そうですよね!?」


 兵士たちは黙って聞いている。

 でも、その目は明らかにジューダの言葉に引き込まれていた。


「ではお尋ねします。この男は何をしましたか?」


 ジューダが枢機卿を指さす。


「武器を持って神聖な教会の旗を切り裂いた!」


「な、なにを言うか、この邪教徒が!」


 枢機卿が狼狽えながら叫ぶ。

 でも、もう遅い。

 流れは完全にジューダのものになっていた。


「これは敬虔な聖職者の行いでしょうか?」


 兵士たちの視線が一斉に枢機卿に集まる。


「私たちは教会の正当な命令には従う義務があります」


 ジューダは一拍置いた。

 まるで私が演説でよくやる、あの間の取り方。


「しかし――教会を正しく代表していない者の命令に従う義務はあるのか!?」


 ジューダの声に、さらに力がこもる。



「この男は自らの手で教会の象徴を破壊した! これはこの男が教会の正当な権威を持たぬことの証!」



 そして最後に、ジューダは高らかに宣言した。


「ここにいる皆に問う! それでも我々を捕らえ、この男に従うのか!」


「その口を閉じさせてやる!」


 逆上した枢機卿が、再びジューダに向けて剣を振りかぶった。



「危ない!」



 私が声を上げた、その時!


 一人の兵士が素早く動いた。

 枢機卿とジューダの間に飛び込み、その剣撃を受け止めたのだ。


「何をする!」


 枢機卿が怒鳴る。

 でも、その兵士の動きがきっかけとなった。

 まるで堰を切ったように、兵士たちが次々と動き始める。

 弟子たちを止めていた兵士が離れていき、代わりに枢機卿を取り囲み始めた。


「お前たち、何を――」


 枢機卿の言葉は最後まで続かなかった。

 数人の兵士が一斉に飛びかかり、あっという間に枢機卿を地面に取り押さえたのだ。

 武器を取り上げられ、太った体を地面に押し付けられた枢機卿が必死に喚く。


「お前たち、自分が何をしているのか分かっているのか!!」


 でも、もう誰も彼の言葉に耳を貸さなかった。

 そんな中、枢機卿を取り押さえた兵士の一人が、シヴァル様に向かって背筋を伸ばして敬礼した。


「団長! 教会の御旗を切り裂いた不信心者を逮捕しました!」


 それを聞いたシヴァル様は、にやりと笑った。

 いつもの、あの悪戯っぽい笑顔。


「ご苦労。その罪人をそのまま取り押さえていろ」


 涼しい顔でそう命じる。


「な、なにを考えている、騎士団長!」


 地面に押し付けられたまま、枢機卿が喚く。

 でも、シヴァル様は微動だにしない。

 ただ冷ややかな目で、枢機卿を見下ろしていた。

 

 兵士たちの制止がなくなり、ようやく自由になった弟子たちが、急いで私の元へと駆け寄ってくる。


「先生! 大丈夫ですか!」


 ピーターとジョンが慌てた様子で、私を縛っていた縄を解き始めた。

 十字架から降ろされ、ようやく地面に足をつけた私は呆然としていた。


 何が起こっているの……?


 状況が全く理解できない。

 枢機卿が逮捕されて、私が解放されて。

 そして、シヴァル様は――


 彼と目が合った。

 その瞬間、彼は小さくウィンクをしてみせた。

 まるで「してやったり」とでも言うように。



「おおよそ俺に罪を擦り付ければいいが……お前らもいいのか?」


 シヴァル様が兵士たちに静かに問うた。

 枢機卿に逆らったのだ。教会の権威に逆らうということは、それ相応の罰を受ける可能性がある。それを分かった上での行動なのか、と。


 すると、兵士の一人が顔を上げてシヴァル様に向かって言った。


「先程、そちらのシスターから教えを受けましてね」


 その兵士は私の方をちらりと見る。


「私達も隣人を愛するように、共に行軍に参加した戦友の聖職者に手を差し伸べたくなったのです」


 悪戯が成功したような笑顔を、シヴァル様に向ける。


「そうか……お前たち、ありがとう」


 そう言うと、シヴァル様は深々と兵士たちに頭を下げた。

 騎士団長が、一般の兵士たちに。


「こんなことをしてどうなるか分かっているのか、騎士団長!」


 地面に押さえつけられたまま、枢機卿が怒りに震えた声で吠える。


「教会の権威に逆らった罪は重いぞ! お前の地位も名誉もすべて剥奪されるだろう!」


 それに対し、シヴァル様は冷ややかな目を向けながら言った。


「この『神の化身』の逮捕に向かう一員は、私が『隣国との行軍に参加した者』を集めて結成したのだ」


 ……え?

 そういえば、見たことがある兵士もちらほらいたけれど、もしかして……。


「隣国との戦争を無血で終わらせた立役者の従軍聖職者を、我々が処刑するはずがないだろう」


 シヴァル様の言葉に謎が解けた。

 彼は最初から、私を助けるつもりで準備していたのだ。

 あの行軍を共にした、私のことを知っている兵士たちを集めて。

 彼らなら、私を殺すことなどできないと分かっていて。


「この仕込み槍も無駄になってしまったな」


 そう言って、シヴァル様が手に持っていた槍の穂先を、ぐっと手で押し込んだ。


 すると――

 するりと、穂先が槍の柄の中へと引っ込んでいった。

 刺さるはずのない偽物の槍。

 最初から私を傷つけるつもりなど微塵もなかったのだ。


 ああ……。

 シヴァル様は初めから、私を助けるつもりでいてくれたんだ。

 枢機卿の前であんなことを言ったのも、すべて演技だったんだ。


 危機を乗り切った安堵と。

 シヴァル様が私を見捨てないでいてくれた嬉しさと。

 色々な感情があふれて、目から涙がこぼれた。


「泣くな、プリス」


 優しい声と共に、シヴァル様が私を抱きしめる。

 大きくて、温かい腕。

 あの遠征の時と同じ、安心できる温もり。


「心配をかけたな」


 彼の胸に顔を埋めながら、私はひとしきり泣いた。

 怖かった。本当に怖かった。

 私はシヴァル様の胸の中で、子供のように声を上げて泣いた。


 もう大丈夫。

 本当に、もう大丈夫なんだ。


 そう実感できるまで、シヴァル様はずっと私を抱きしめていてくれたのだった。



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