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 兵士たちが宿屋になだれ込み、私を連れて行こうとする。

 予想していた通りの展開。「ああそうか」と思っただけだった。

 しかし、私の可愛い弟子たちはそうはいかない。

 ピーターが咄嗟に腰の剣に手をかけ、兵士たちを止めようと前に出た。


「止めなさい!」


 私の声が部屋に響き渡る。


「以前の私の教えを忘れたのですか? 剣を取る者は、剣によって滅びるのです」


 そう諭すと、ピーターは悔しそうに顔を歪めながらもゆっくりと剣から手を離した。

 私は兵士たちに向き直り、にこりと微笑んでみせる。


「強盗にでも向かうように、物々しく武器を持って私を捕えに来たのですか。私は悪いことなど何もしていませんから、そんなことをしなくても大人しく同行しますよ」


 私のあまりにも落ち着いた態度に、兵士たちは困惑したような表情を浮かべた。

 やがて隊長らしき男が気を取り直したように叫ぶ。


「来い! 枢機卿のもとへ連れていき、お前を審問にかける!」


 枢機卿……。

 教会の中でもかなり高い地位にいる人物だ。


 ピーターが苦渋の表情で私を見ている。ジョンは唇を噛みしめて俯いている。

 そして、ジューダは――青ざめた顔でただ震えていた。

 私は彼に向かって、小さく微笑んでみせた。

 大丈夫ですよ、と。



 私は弟子のリーダーであるピーターと、そしてジューダと共に枢機卿の前に差し出された。

 中央には豪奢な椅子に腰かけた枢機卿。

 恰幅のいい体にきらびやかな法衣をまとっている。

 部屋の中には枢機卿の他に痩せこけた一人の女の子が俯いて立っていた。


「ジュディー!」

「ジューダ兄さん!」


 ジューダが叫び、女の子が顔を上げる。

 二人は泣きながら抱き合った。


 ……二人は兄妹なのだろう。

 きっとジューダはこの妹を『何か』から守るために、私を差し出したに違いない。


 枢機卿は「ご苦労様だったな」とジューダに声をかけると、銀貨が詰まった革袋を投げ渡した。

 袋の大きさからして三十枚ぐらいは入っていそうだ。


「その(かね)を持って、お前は去るがよい」


 その言葉にジューダは顔を上げた。


「そんな……! 先生の居場所を教えたら、ジュディーを解放してくれると言ったじゃないか!」


「そんなことは知らんな。口約束など証拠にもならん」


 枢機卿の冷たい言葉に、ジューダは絶望した顔でその場に膝をついた。


「お願いします……! 妹はただ、逃げようとしただけなんです!」


 ……逃げようとした?

 どういうことだろう?


「逃げるなど、それが罪だというのだ。我々が孤児院から引き取ってやったというのに。恩知らずが」


 孤児院から。

 私の胸に冷たいものが流れ込んできた。


「引き取った?」


 ジューダの声に、怒りが滲む。


「朝から晩まで働かせて、それが『引き取る』ということですか! 妹はまだ子供だったのに!」

「奉仕の精神を学ばせていただけだ。それに、修道女として誓いを立てた以上、逃亡など許されん」

「妹は誓いなど立てていないはずだ! あの孤児院が閉鎖されて、行き場がなくて……!」


 閉鎖。その言葉に、私は息を呑んだ。


「それがどうした」


 枢機卿は心底どうでもよさそうに冷たく言い放つ。


「補助金が打ち切られた孤児院などいくらでもある。引き取ってやっただけでも感謝されるべきだろう」


 補助金が打ち切られた孤児院。

 それは、私が今まで必死で守ろうとしてきた、まさにそのものだ。

 私はジュディーと呼ばれたその女の子をもう一度見た。


 やつれた顔。

 汚れた服。

 小刻みに震える手。



 ――ああ。

 もし私が失敗していたら。

 故郷の孤児院の子供たちはこうなっていたのかもしれない。

「引き取られて」、名ばかりの修道女として。実質的には奴隷のように働かされて。

 そして、そこから逃げようとして罪人扱いされる。


「妹を救うために……仕方なかったのですね、ジューダ」



 私がそう言うと、ジューダはわっと泣き崩れた。



 彼を責める気持ちは不思議なほど湧いてこなかった。

 私も同じだ。


 私も孤児院の子供たちのために、食べ物をちょろまかしてきたのだから。



 まったく、ジューダはやはり可愛い弟子のひとりですね。

 でも、詰めが甘いのだから……


 私に似た彼には、もっと口先三寸のテクニックや、狡猾な交渉術を教えておくべきだったかもしれない。


 絶望で膝をつくジューダを無視して、枢機卿は私の方を向いた。


「お前は『神の化身』か?」


「それは、あなたがたが言っていただけでしょう」


 冷静に、しかし語気を強めて言い返す。

 すると枢機卿は、愉快そうに口の端を吊り上げた。


「初めはお前を傀儡にして王族と縁づかせようとも考えた。しかし、お前を殺せば多額の寄付をはずむという大貴族が現れてな。我々もそちらの方が都合が良くなったというわけだ」


 枢機卿を見る。


 補助金の打ち切り。『神の化身』への認定。

 ――そして、今の会話。



 私が今まで戦ってきたものの正体が、ようやく見えた気がした。



 その時、入り口が開いた。


「どうなりましたか?」


 聞き慣れた声。私は思わず顔を上げた。


 シヴァル様!

 彼が来てくれた!

 私の胸に、ぱっと希望の灯が灯った。


「この女を『神の化身』を騙った大罪人として磔の刑に処す」


 枢機卿が満足げに言った。


 磔の刑……。

 でも、シヴァル様が来てくれたのなら、きっと――


「分かりました」


 シヴァル様の声が、静かに響いた。


「この女の処刑は、お任せください」


 ――え?

 私の思考が、一瞬止まった。


 今、なんて?

 シヴァル様が、私を……処刑する?


 彼は私の方を一度も見ようとしない。ただ、枢機卿に向かって深々と頭を下げている。


「騎士団長として、責任を持って執行いたします」


 ……いやだ、これは何かの間違いだ。


 シヴァル様は、私を守ってくれるはずだったのに。

 結婚しようと言ってくれたのに。

 愛していると、そう言ってくれたのに。


 私の足から力が抜けていく。

 その場に崩れ落ちそうになる私を、ピーターが支えてくれた。


「先生……!」


 彼の声が遠くに聞こえる。


 ああ、神様。

 これが、最後の試練なのですか。


 シヴァル様は、最後まで私の顔を見ようとはしなかった。

 枢機卿と何事か話し合い、そして部屋から出ていく。

 その大きな背中が闇に消えていくのを、私はただ呆然と見つめることしかできなかった。


 これで、本当に終わりなのだろうか……?


「連れていけ」


 枢機卿の命令に兵士たちが私の腕を掴む。

 ピーターの悲痛な顔が視界の端に映った。


 そして、ジューダが妹を抱きしめて泣いている姿が見えた。


 ――ああ、せめて。

 せめて、あの子たちだけは幸せになってほしい。

 そう願いながら、私は闇の中へと連れていかれた。

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