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 さて、かくして戦は終わった。

 あまりにもあっけない幕切れだった。


 我々の軍はしばらく城塞都市に駐留することになった。

 と言っても、やることは門番や都市の治安維持のための巡回業務を手伝う程度。兵士たちは都市の住民と酒を酌み交わしたり、市場の用心棒のようなことをしたり……

 もはや戦時中だか分からないようなのんびりとした日々を過ごす。


 そんな曖昧な日々が続くある日、正式な知らせが届いた。

 隣国との和平講和が成立したという。

 この城塞都市が戦もせずに、いともたやすく我が国に寝返ったことが隣国の戦意を喪失させる決定打となったらしい。


 終戦の条件として我が国はこの城塞都市の自治権を認めさせた。

 隣国への反乱を起こさないことを条件に、二国間の商業を繋ぐ自由都市としてどちらの国にも属さない特別な場所となったのだ。


 後にこの都市は二国間の和平の証として毎年盛大な同盟祭が開催され、平和の象徴として長く栄えることになる。


 王都から正式な帰還命令を受けたのは、駐留から半月ほどが過ぎた頃だった。


「ようやく、帰れるな」


 シヴァル様が疲れた顔で、しかし安堵の表情を浮かべて言った。

 本当にお疲れ様でした……心の中でそう呟く。


 我々の軍は駐留部隊として一部の兵士をこの都市に残し、王都へと帰還することになった。


 さて、帰りの道程は行きと様子が違っていた。


「おっプリスさんじゃないか! 今日もいい天気だな!」

「プリスさん歩き疲れただろう! こっちの荷馬車に一緒に乗りな!」


 行く先々で兵士たちが親しげに声をかけてくる。

 私の弟子たちではない、ごくごく普通の兵士たちである。

 どうやら私はこの戦を無血で終わらせた立役者として、英雄のような扱いを受けることになってしまったらしい。


 おかげで帰りの行軍はほとんど歩くことなく、常に誰かしらが用意してくれる荷馬車の荷台に揺られての移動となった。

 行きの苦行を思えばまるで天国のような待遇である。


 極楽、極楽……。


 そして夜になれば、相変わらずシヴァル様のテントで夕食をご馳走になる。

 行きとは違い、城塞都市でたんまりと食料を補給した。そして、どれも上等なものばかり。温かいシチューに柔らかいパン、そして時には甘い干し果物まで。

 自然と頬が緩んでしまうというものだ。




「シヴァル様、今日は特別にワインももらってきました」


 私は懐からワインが入った革袋を取り出して見せる。


「『もらってきた』だと? どこでそんなものを手に入れたんだ」


 訝しげに眉をひそめるシヴァル様に、私はにこりと微笑んでみせた。


「ワインを隠し持っていた兵士がいたのですが、大変です。とても古びた革袋に入れていたのですよ」


「ふむ。……それで、これはその兵士が隠し持っていたワインというわけか」

「はい。ですから私が教えて差し上げたのです。『そんな古い革袋に新しいぶどう酒を入れては、ぶどう酒が発酵して革袋を破ってしまいます。私が持っている少し頑丈な革袋と交換してあげましょう』と。そう言って、革袋を交換しながら少しだけ分けていただいたのです」


 ちょろまかした、とは言わない。


「君は……。やっていることは、本当に相変わらずだな」


 シヴァル様が、やれやれと呆れたように首を振る。

 いつでも私は平常運転である。


「どうです、ご一緒に一杯いかがですか?」

「部下が隠していた酒を飲むのも気が引けるが……まあいい。君も一人で飲むのは味気ないだろうからな」


 そんな風に、穏やかな帰路が続く。




 そして、王都到着を明日に控えた最後の夜。

 その日も私はシヴァル様と一緒に焚き火を囲んでいた。


「これで長かった遠征もようやく終わりますね……」


 ぱちぱちと爆ぜる火の粉を見つめながらぽつりと呟いた。


 思えば色々なことがあった。

 長かったような、短かったような……。なんだか少し、感傷的な気持ちになる。


「結局、戦に行ったというのに誰の血も流れなかったのは本当に良かったです」

「ああ。……プリスのおかげだな」

「いえ。あの城塞都市は寝返るか戦うかを最後の最後まで迷っていたそうですし。なるべくしてなっただけですよ」

「それでも、この結果を導いたのは一人の敬虔なシスターのおかげ、ということにしておこう」


「食べ物をちょろまかす、不心得なシスターだと思いますけど……」


 ふふ、とシヴァル様が笑う。


「それでもすべては『神の思し召し』かもしれませんね」


 そう言って、二人で笑い合った。


 その後、どちらからともなく会話が途切れ、穏やかな沈黙が流れる。

 しかし、その沈黙は少しも居心地の悪いものではなかった。

 夜風は少しだけ肌寒いけれど、すぐ隣にある彼の存在が焚き火のように私の心を温めてくれる。

 この沈黙が、シヴァル様の体温をすぐそばに感じさせてくれるかのようだった。


 しばらくして、シヴァル様がふと、真剣な声で言った。


「そういえば、言いかけていた言葉があったな。……今、言ってもいいか」


 そう言って彼は居住まいを正した。

 言われてみれば、そんなこともあった。


 あの村での一件があった夜のことだ。

 気になっていたけれど、その後の目まぐるしい日々の中ですっかり忘れてしまっていた。


 シヴァル様はまるで緊張しているかのように、ごくりと喉を鳴らす。

 なんだろう、改まって……?


「何を、言いかけたのですか?」


 私がそう促すと、シヴァル様は真っ直ぐに私の目を見て、そして言ったのだ。



「俺と、結婚してくれないか?」



 ……?

 私ははじめ、彼が何を言っているのかまったく理解できなかった。

 今なんて?

 シヴァル様が結婚? 私と?

 それはつまり、私がシヴァル様の妻になるということ?



 それはつまり……プロポーズされたってこと!?



 事態を完全に理解した瞬間、私の体中をむず痒いような、それでいて痺れるような不思議な感覚が駆け巡った。

 顔にかあっと血が集まっていくのが自分でも分かる。



 ああ、今、私の顔はきっと真っ赤になっているに違いない。

 はしたない、恥ずかしい!



「でっでも私は修道女ですし……。結婚するわけには……」


 かろうじてそれだけを絞り出す。

 私は神に仕える身。元は孤児で、この先生きていくためには修道女になるしか道はなかった。

 そして修道女になった以上、結婚は許されていないのだ。


 しかし、シヴァル様は落ち着いた声で言った。


「聖女制度というものを知っているか?」


「聖女……?」


「ああ。聖女は国に多大な功績を上げた修道女にのみ与えられる特殊な肩書だ。聖女はその神聖な血を絶やさぬよう後世に残すため、貴族との婚姻が特別に認められている」


「!?」


 そんな制度があったとは……!

 辺境の小さな教会のシスターだった私にはあまりにも無縁な話で知らなかった……。


「本当はこの戦が始まる前は……もしプリスが望むなら修道女を辞めてもらい、俺の屋敷で侍女としてでもそばにいてくれないかと提案するつもりだった。どうしても君にそばにいて欲しかったんだ」



 ああ、もう。

 恥ずかしいじゃないか……!



 シヴァル様の顔が、まともに見られない。

 確かに、騎士団長と孤児上がりの平民の娘では身分が釣り合わない。


 普通に考えれば結婚などできるはずもなかったのだ。


「だが、今回の戦でこれだけの功績を立てた今なら、聖女として間違いなく認められるだろう。多くの兵士たちがプリスの功績を証言してくれるはずだ。そうなれば、俺はプリスを正妻として迎えることができる」


 聖女という肩書があれば、正式に結婚することができる……。



 そんな夢のようなことが、本当に?



「もし聖女という肩書を重荷に思うのなら、最初の提案通りにうちの屋敷で働いてくれても構わない。どんな形であれそばにいてほしいんだ」


 そう言って、シヴァル様は私の答えを待っている。


「私は……」


 戦で人が死ぬことを誰よりも憂いていたシヴァル様。

 その優しさを私は知っている。

 そんなシヴァル様を妻として、すぐそばで支えることができるのなら……。



「……私も、シヴァル様の妻となって、あなたを支えていきたいです」



 ああ、どうしよう。



 心臓が早鐘を打って、うるさくて、今にも張り裂けてしまいそうだ!



 私の返事を聞くと、シヴァル様は心底ほっとしたような優しい表情を浮かべた。


「ありがとう。そう言ってくれて嬉しい」


 そう言って、彼は私の体をそっと引き寄せ優しく抱きしめた。

 突然のことに混乱で身動きが取れない私に、シヴァル様の顔が近づいてくる。



 ――そして、唇に、柔らかい感触が。



「っ!?」


「今はまだ普通のシスターだからな。このくらいで勘弁してやる」


 悪戯っぽく笑う彼の顔がすぐそこにある。


「君のことが素敵だと思う。この遠征の前からずっと。そして、この遠征が終わった今、もっとそう思う。……愛している、プリス」


 そう囁くと、シヴァル様は名残惜しそうに私から体を離して自分のテントへと入って行った。


 私はその場に残され、しばらくの間、身動き一つとれずにいた。


 この状況で気を失わなかった私を、誰か褒めてはくれないだろうか。



 もちろん、その夜は一睡もできない夜となった。



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