第4話:月下の幻影
月影村の森は、相変わらず夏の昼下がりでも薄暗く、湿った空気が肌にまとわりついた。怜は、制服の白い半袖シャツが汗で背中に張り付き、首に下げた月下光のウサギ型月のチャームが重く感じられた。蝉の声が遠くで響き、木々の隙間から差し込む陽射しが、地面にまだらな影を落とす。怜は村の外れにある古い祠に向かっていた。光のスマホに残された祠の写真——錆びた扉と、苔むした石碑が写る一枚——が、彼女の死の鍵を握っている気がした。
公民館での佐藤の言葉が、怜の頭を離れない。
「悠のじいさんが月の使者だった。あの嬢ちゃん、月の石に近づきすぎた」。
光が追っていた月の石とは何か?なぜ悠は光を恐れていた?怜は光のスケッチブックを手に、ページを開いた。井戸と月の絵、ウサギのシルエットが月光に照らされるように鮮やかだ。スケッチの隅に書かれた「月の石、真実」が、怜の心を刺す。光はただの空想家じゃなかった。彼女は村の秘密に迫っていたのだ。
祠に着くと、朽ちかけた木の扉が風に軋む。怜は扉を開け、中に踏み入った。埃と湿気の匂いが鼻をつき、薄暗い空間に古い巻物が積まれている。怜は一冊を手に取り、ページをめくった。そこには、月影村の歴史が記されていた。「月の石は、月の力を操る遺物。一族が井戸に封印し、月の使者が守護す。乱す者は水の底に沈む」。巻物の最後には、悠の祖父の名前——月守悠一。怜の息が止まる。悠の家系は、月の石を守る一族の末裔だった。
さらに、光のスマホの写真を調べると、祠の扉の裏に隠された石碑の画像があった。石碑には「月下の真実、井戸の底に」と刻まれている。光はここに来ていた。月の石を暴こうとしていたのだ。怜の頭に、合宿初日の光の姿が浮かぶ。制服のスカートを揺らし、井戸のそばでスケッチブックを抱える光。「怜、月は全部を見てるよ」と笑った彼女の瞳には、好奇心と、どこか怯えた光があった。怜は気づかなかった。あの時、光が祠の写真を撮った後、悠に「隠してるよね?」と囁いた瞬間、彼女の手が震えていたことを。
古民家に戻ると、悠が縁側で制服のシャツのボタンを外し、暑さに耐えていた。額に汗が光り、革ジャケットが脇に置かれている。
「怜、どこ行ってた?」
悠の声は穏やかだが、目が鋭い。怜はスマホを握りしめ、
「光が祠で何を調べてた?月の石か?お前の家系の秘密か?」
と問う。悠は一瞬目を逸らし、ポケットに手を突っ込む。
「光が勝手にオカルトにハマっただけだ。月の石なんて、ただの迷信だよ」
だが、彼の声には震えがあった。怜は見逃さなかった。悠のポケットから、光のノートと同じ紙の切れ端が覗いていることを。まるで、光の詩を隠しているかのように。
夕方、怜は古民家の部屋で光のメモを読み返した。「月の影に気をつけて。月が知ってる」。光は悠が月の石を守る一族の末裔だと知っていた。彼女は祠でその証拠を見つけ、井戸の秘密に迫ったのだ。怜の胸に、怒りと悲しみが込み上げる。光はなぜ死ななければならなかった?悠が彼女を止めたのか?怜は光のスケッチブックを開き、ウサギのシルエットを指でなぞった。
「光、ウサギは君だろ?教えてくれ」
夜、怜は井戸に向かった。制服のシャツが湿気で重く、蝉の声が不気味に響く。満月に近づく上弦の月が空に浮かび、井戸の水面に揺れる。怜は水面を覗き込んだ。そこには、光の姿が浮かんでいる気がした。白いワンピースを着た光が、月の儀式の夜のように微笑む。「怜、月が真実を隠す」と彼女は囁く。怜の背筋に、冷たいものが走る。幻だ。科学では説明できない。だが、怜は信じたかった。光がまだここにいることを。
水面が揺れ、井戸の底に何か光るものが見えた。怜は目を凝らす。ウサギの月のチャーム——光が儀式の夜に身につけていたものと同じ形が、井戸の底に沈んでいる。
「光…」
怜は呟き、チャームを拾おうと手を伸ばしかけたが、深すぎて届かない。光の幻が再び現れ、
「月を見上げて」
と囁く。怜は空を見上げた。上弦の月が、まるで光の瞳のように輝いている。
怜は古民家の裏で悠を呼び止めた。
「光が祠で月の石を調べてた。お前、知ってたよな?」
怜の声は鋭い。悠はポケットに手を突っ込んだまま、目を細めた。
「光は危ないことに首を突っ込んだ。井戸に近づかなければよかったんだ」
彼の声には、冷たさと、微かな後悔が混じる。怜は追及する。
「お前が光を止めたのか?月の石を守るためか?」
悠は無言で月を見上げ、立ち去った。怜は気づいていた。悠のポケットの切れ端が、光の詩の一部——「真実を隠す影」と書かれた紙だったことを。
怜は井戸に戻り、水面を見つめた。光の幻が、ウサギのシルエットとなって水面に揺れる。
「光、俺が暴くよ。月の石、お前の真実を」
怜は決意した。悠が隠すもの、村の呪い、月の石。全てを明らかにする。首のウサギのチャームが、月光にキラリと光る。蝉の声が一瞬止まり、村全体が息を潜める。満月が近づくにつれ、井戸の水面が不気味に波立った。まるで、光がそこにいるかのように。