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第2話:呪いの水面

月影村の朝は、霧が山の谷間を這うように漂っていた。古民家の縁側に座る怜は、光のノートを手に、彼女の詩を繰り返し読んでいた。「月がウサギを呼ぶ、井戸の底で待つ。月の声が聞こえる、真実を隠す影」。光の筆跡は柔らかく、まるで彼女の声が夏の空気に溶け出すようだった。怜の眼鏡の奥で、科学的な思考が渦巻く。だが、胸の奥では光の笑顔が疼き、理性を揺さぶる。彼女は事故で死んだんじゃない。何かを知りすぎたんだ。

怜の夏服の制服は、暑さで汗ばんでいる。白い半袖シャツの襟が少し乱れ、首には合宿初日に井戸の縁で拾った光のウサギ型月のチャームが下がっている。蝉の声が、蒸し暑い空気を切り裂く。怜はノートを閉じ、チャームを握りしめた。冷たい感触は、まるで井戸の水面のようだった。「光、教えてくれ。何を見つけたんだ?」怜は呟き、半月が浮かぶ空を見上げた。昨夜の井戸での光の死が、頭から離れない。月の儀式で着ていた白いワンピース、月光に濡れた彼女の顔。事故なんかじゃない。

悠が縁側に現れ、缶ジュースを差し出した。制服のシャツの袖をまくり、革ジャケットを手に持つ彼は、転校生らしいミステリアスな雰囲気を漂わせる。「まだ光のこと考えてる?」悠の声は穏やかだが、どこか探るような響きがあった。怜はノートを膝に隠し、「光は何か残したかった。この詩、ただの遊びじゃない」と答えた。悠の目が一瞬曇り、ポケットに手を突っ込む。「村の伝説に夢中だっただけだろ。子供じみた話だよ」彼はそう言い、視線を井戸の方に投げた。怜は気づいた。悠の指が、ポケットの中で何か小さなものを握りしめていることを。

「村の伝説、詳しいよな。転校生なのに」怜は探るように言った。悠は肩をすくめ、「子供の頃、夏にここに来たことあるから」と答えた。だが、彼の目が井戸の方をちらりと見た瞬間、怜の胸に冷たいものが走った。悠は何か知っている。光が井戸で死んだ夜、悠がそばにいたかもしれない。合宿初日、悠が光と井戸のそばで囁き合っていた姿が、怜の頭に浮かぶ。光が「悠、隠してるよね?」と小さな声で言った瞬間が。

怜は村の公民館へ向かった。夏の陽射しがアスファルトを焦がし、蝉の声が耳に刺さる。制服のシャツが背中に張り付き、汗が首筋を伝う。公民館の奥で、古老の佐藤が木の椅子に座り、遠くの山を眺めていた。皺だらけの顔に、鋭い目が光る。「月下の呪い、知りたいのかい?」佐藤の声は低く、村の歴史を語るように重い。「戦前、月の力を操る遺物、月の石を一族が井戸に封印した。月の使者が守ったが、裏切った女が井戸で死んだ。それ以来、満月の夜に井戸から声が聞こえるってな」佐藤の目が悠に向く。「お前のじいさん、その一族の末裔だろ?」

悠は無言で頷いた。怜は驚いた。悠が月影村の子孫?転校生として現れた彼が、そんな深い繋がりをなぜ隠していた?佐藤は続ける。「亡くなった嬢ちゃん、あの井戸にやたら興味持ってたな。スケッチしてたよ。危ねえって言ったのに、聞かなかった」怜の頭に、光の笑顔が浮かぶ。合宿初日、井戸のそばでスケッチブックに月を描いていた光。彼女の制服のスカートが風に揺れ、ウサギのチャームがキラリと光っていた。「月は全部を見てるよ、怜」と彼女は笑った。その瞳には、純粋さと、どこか秘密を抱えた光があった。

古民家に戻り、怜は光のスケッチブックを開いた。そこには、井戸と三日月の絵が丁寧に描かれていた。井戸の水面に映る月、その周りにウサギのシルエット。ウサギの目は、まるで光自身のように純粋で、どこか悲しげだ。「光…ウサギは君だろ?」怜は呟いた。スケッチの隅に、「月の石、真実」と書かれている。光は伝説を追い、井戸の秘密に近づいていたのだ。だが、なぜ死んだ?誰かが彼女を殺した?

夕方、怜は古民家の裏で悠を呼び止めた。制服のシャツのボタンを外し、暑さに耐える悠の額に汗が光る。「光が井戸で何を調べてた?お前、知ってるだろ?」怜の声は鋭い。悠はポケットに手を突っ込んだまま、目を細めた。「光は空想好きだっただけ。月の石なんて、ただの石だよ」だが、彼の声には微かな震えがあった。怜は見逃さなかった。悠のポケットから、光のノートと同じ紙の切れ端が覗いていたことを。まるで、光の詩の一部を隠しているかのように。


夜、怜は一人で井戸に向かった。制服のシャツが湿気で重く、蝉の声が不気味に響く。半月が空に浮かび、井戸の水面に揺れる。怜は水面を覗き込んだ。そこには、光の笑顔が浮かんでいる気がした。「怜、月って全部を見てるんだよ」光の声が、頭の中で響く。合宿初日、井戸のそばで彼女はそう言った。「月は真実を隠すけど、いつか全部見せてくれる」。その時、彼女の瞳には、どこか怯えた光があった。怜は思い出した。光が悠に「隠してるよね?」と囁いた瞬間を。彼女の制服の袖を握り、どこか不安げな表情だったことを。

ふと、背後で草を踏む音。振り返ると、悠が立っていた。制服のシャツが月光に光り、まるで影そのものだ。「こんな時間に何してる?」悠の声は低く、どこか緊張している。怜は光のスケッチを見せ、「光が何を追ってたか、知ってるだろ?」と問う。悠は目を逸らし、「考えすぎだ」とだけ言って去った。だが、怜は気づいていた。悠が井戸の縁に手を置いた瞬間、その指が震えていたことを。合宿初日、悠が井戸のそばで光と囁き合っていたことを。光が「悠、隠してるよね?」と小さな声で言った瞬間を。

怜はスケッチブックを抱きしめた。「光、ウサギは君だろ?教えてくれ、何を見つけたんだ」半月が村を照らし、井戸の水面が静かに揺れた。蝉の声が一瞬止まり、まるで村全体が息を潜める。怜の背筋に、冷たいものが走る。光の詩が頭の中で反響する。「真実を隠す影…」それは、悠のことを指しているのか?それとも、村そのものが隠す秘密なのか?

怜は井戸の水面をじっと見つめた。半月の光が、まるで光の瞳のように揺れている。彼女はここにいる。怜はそう確信した。この夏、彼女が残した真実を、必ず暴いてみせる。井戸の水面が、かすかに波立ち、月の光が揺れた。まるで、光がそこにいるかのように。怜の首に下がるウサギのチャームが、月光にキラリと光った。

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