第50話 龍、限界す
今まで何の変化もなかった龍穴が、高坂さんが前に立っただけで、空気が動いていくのを感じた。
高坂さんから放たれる空気のうねりと奥の方から吹く風が絡み合い、また次の風を呼ぶ。
それは徐々に強くなった。
見えないけど感じる。
ここではないどこか、現代世界ではないどこかと、この穴の奥は繋がり始めている。
奥から吹く風はどんどん強さを増し、目を開けているのもしんどくなってきた。
中から風が唸ってるのか、わーーんと何かが共鳴する音がする。
これが龍穴開放か…
「早川さん、もう一度お願いします」
斎藤さんの声かけに私は我に返り、もう一度その風に負けないようにさっきより深く息を吸い込んで、大声で穴の奥に叫んだ。
「イルサ・ハナ・ルエンカ! 我のもとに今降り立て!!」
私の声はさっきとは比べ物にならないくらい穴の中で共鳴し、その響きがどんどん奥へ伝わっていくのを感じた。
「さあ、龍は来ますかねえ…」
堀江課長の呟きが聞こえたあと、龍穴の奥からシューッという少し変わった音が聞こえ始めた。
空気の流れが、少し変わる。
あ。
来る。
穴の奥に見入っていた私の腕を、高坂さんが引っ張った。
「早川さん、危ない!」
穴の入り口の端に引っ張られた私は、薄い緑色をした細長く大きなものが穴から勢いよく出てくるところを見た。
それはその勢いのまま舞い上がり、空の上からこちらを見下ろす。
メイリンより少し大きい体、青緑色の目、そこに現れたのはーー
「ライタン!!」
ライタンだった。
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空に舞い上がったライタンは、ちょっとぼんやりした感じでこっちを見下ろしていた。
現実に目の前に現れた龍に、その場の人たちは釘付けになっていた。
今まで感情を表に出さなかった官僚の人たちも、「本物…」と呟き呆気にとられている。
高坂宮司もライタンに視線を合わせたままだったけど、表情は崩さなかった。
「すごい!本当に龍が来た」
テンション高く叫んだのは堀江課長だった。
あの会議室での張り付いた笑顔のキャリア官僚の雰囲気は消えていて、今はただ純粋に龍に感動している人になっていた。
「ライタン!!」
私がもう一度名前を呼ぶとライタンは私に気づき、ゆったりと地上に降りてきた。
私に近寄ってこようとするので、私も思わず駆け寄ってライタンに抱きついた。
ライタン…!会いたかった…
温かくて、少し硬い龍の体。
龍合地で毎日触れていたあの龍だ。
ライタンも私に顔を擦り付け、再会を喜んでるようだった。
言葉もなく、ただライタンの体を抱き締めた。
「あ、堀江さん、あんまり近づくと…」
斎藤さんの声にそちらを見ると、堀江課長が嬉しそうに近寄ろうとしていた。
「いやあ、ついに本物を見られた…」
ふらふら近づいてくる堀江課長に気づいたライタンは顔を上げると、鼻息を荒くし尻尾をビタン!と地面に叩きつけた。
それは私が初めて見た龍の威嚇だった。
一気に殺気立つライタンに驚いたけど、龍は警戒心が強く神経質だといわれていたのを思い出す。
それを見て堀江課長は慌てて、「ごめんね」と言いながら後ろに下がった。
でも顔は嬉しそうだ。
こんなに人って変わるんだ…
「あ…やっぱり出てますね」
斎藤さんの冷静な声が響く。
斎藤さんは手元のタブレットを操作しながら、何かを確認していた。
興奮してるライタンをなだめながら、私は聞いた。
「何が出てるんですか?」
「SNSですよ。ライタンがさっき空を飛んだ姿、それが撮られて拡散してます」
「…!」
思ってもみなかった言葉に驚く。
「一応このあたりは立ち入り禁止にしていたので、直接見られることはないようにしていたんですけど、やはり空を飛ぶと見つかりますよね…」
斎藤さんは淡々と言ってるけど、血の気が引いていく。
慌てて自分のスマホも見てみたけど、私のは圏外だった。
ライタンのことが世の中に知られてしまった?
しばらく斎藤さんは無言でタブレットを確認していたけど、少し安心したように言った。
「いくつか確認しましたけど上がってるのはごく少数ですし、どれも画像は不鮮明です。フェイクじゃないかって言ってる人もいますね」
そ、それならよかったのかな?
「それでも、世間の食いつきはすごいですね。”龍みたいなもの”が空に現れただけで、この反応ですから。もう海外まで拡散してます」
一気に青ざめる。
ハウエンの祷雨も全世界に中継されて怖かったけど、こっちはその比じゃないくらいあっという間に情報が伝わる。それもこちらの意図しない形で。
でも斎藤さんは落ち着いていた。
「でもこれで世間の反応が確認できてよかったです。実際に祷雨を行うと影響はもっとすごいでしょうから」
火曜金曜19時更新予定
ライタンとの感動の再開。
ちょっと堀江課長が暴走してますが…
そして不穏な展開はまだ続きます。




