第26話 黒龍祷雨 前編
その日もハウエン国の空は晴れ上がっていた。
容赦ない日差しが、地面に照りつけている。
晴れてる日をいい天気だと日本では言うけど、今はとてもそうは思えなかった。
儀式を行う前に、アズミルを着替えることになった。
渡されたのは真っ白の生地に赤と金の刺繍が入った、独特なデザインのアズミル。
何となく、日本の神社で巫女さんが着てる装束と雰囲気が似ていた。
祷雨の会場としてつれてこられたのは何の変哲もない、みるからに荒れた山あいの平野だった。
ここも昔は川が流れ木々が生い茂って、ここに住む人たちは主に果物を生産していたらしいけど、今はみる陰もない。
そしてそこにはハウエン国の人たちも数百、いや数千人集まっていた。
どの人も痩せてかなり、栄養状態が悪いように見える。
ちらほら見える子供たちの目も虚ろで、かなりギリギリの状態なのが分かった。
私たちが会場につくと、その人たちが一気にざわめくのが分かった。
「あれが祷雨の巫女か…」
「…サーカップ様まで隣にいるぞ」
「雨、降らせられるの?本当に」
みんな思い思いに呟いてる声が聞こえる。
期待と不安と諦め、それらが入り交じった視線を向けられる。
確かに誰も本物を見たことがない、そして成功率が決して高くない祷雨に対して、みんないろんなことを思うんだろう。
軽く打ち合わせをしたあと、祷雨を行うために整えられた場所に案内される。
そこは他の人が入らないように区切られていて、その広々とした空間に私は1人たたずんだ。
回りのハウエンの人たちの視線が、一気に集まるのを感じる。
怖い。
そもそも祷雨が成功する保証はない。
ここまで来てしまって後戻りはできないけど、祷雨が心底成功してほしいのか、この時点でも私は迷っていた。
でも私は、今やるべきことをやるしかない。
晴れ渡った空を見上げる。
目につき刺さる太陽の光から目を守るため、そしてこれから起こるであろう出来事を考えたくなくて、私は目を閉じた。
その状態で空に向かって大声で叫ぶ。
「メイリン!イルサ・ハナ・ルエンカ! 我のもとに今降り立て!」
その瞬間、ヒヤリと冷たい空気が首を撫でた。
カラカラに乾いた暑苦しい空気の中、その冷気はかなり異質だった。
しばらくして、周りの人たちがざわめき始めた。
「おい、見ろ。何か来るぞ」
「何だあれ、まさか…」
その声に私も、みんなが見ている方に視線を向ける。
何か細長く大きなものが、遠くからゆったりとこちらに飛んでくるのが分かった。
メイリンだ。
普段は人目につかず、空を飛んでいる姿も滅多に見せない龍。
恐らく龍の姿をこんなに近くで見た人はほとんどいないんだろう。
現れたメイリンの姿に集まった人たちは一気に動揺し始めた。
「龍だ…本物の龍…」
「すごい…こんな間近で見られるなんて」
お年寄りの中には、跪いてぶつぶつと拝む人もいた。
「ありがたい、龍神様…まさか生きているうちにお姿を目にできるとは…」
セイランさんが言っていた龍神信仰、それはここでも根付いてるようだった。
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ゆっくりと地面に降り立ったメイリンは、私を見つけ嬉しそうに近寄ってこようとした。
でも私はそれを手で制した。
今、メイリンに近寄ってしまったら、私は祷雨を行う自信がなかったからだ。
久しぶりに会ったメイリンは、かなり憔悴してるようだった。
飛行機で8時間もかかる距離を1人で飛んできたメイリン。
体も傷だらけで、恐らくここ数日はまともに水も口にしてないに違いない。
あの龍合地でのんびり穏やかに過ごしていたメイリンのこんな姿を見て、胸が張り裂けそうだった。
メイリン、こんな思いをさせて本当にごめん…
私に拒否されたメイリンは、かなり動揺してるようだった。
でも、もう、後には引けない。
「メイリン!」
泣きそうになりながら、私は必死で言葉を絞り出した。
「サライ・ミナ・トゥエナ ハシリ・ノア・イリヤ!」
ビシッとまたメイリンが硬直する。
そして苦しそうに身をよじりながら、ふわりと空に舞い上がった。
メイリン自身も、自分に何が起きてるのか分からないようだった。
必死に何かを訴えるように私の方を見てくる。
「サライ・ミナ・トゥエナ ハシリ・ノア・イリヤ」
この言葉は何度も繰り返さなければいけないらしい。
それで徐々に龍の雨雲を呼ぶ力を溜め込ませるようだった。
「サライ・ミナ・トゥエナ…」
この言葉を繰り返す度に、メイリンは苦しそうに呻き声を上げる。
辛い。
私は何でこんなにメイリンを苦しませてるの。
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実際に始まった祷雨の儀式を目の当たりにした人たちは、シンと静まり返っていた。
初めて目にした龍が、ただならぬ動きを見せながら空を舞っている。
それは、神聖なのか残酷なのか分からない光景だった。
また、ある人が空を指して言った。
「見ろ!あそこ!雲が…」
もう涙が止まらない目でそちらを見ると、今まで影も形もなかった黒い雲が湧いているのが分かった。
その黒い雲は徐々にこちらに向かってくる。
その雲の黒さをみて、初めて分かった。
黒龍祷雨という名前の意味が。
人々の歓喜の声とは裏腹に、空を舞うメイリンは苦しそうに身をよじっている。
「サライ・ミナ・トゥエナ…」
あふれでる涙で、前が見えない。
ダメ、もう私はメイリンの苦しむ姿を見たくない。
もうこれ以上、何も言えない。
そう思って下を向き、崩折れそうになった私の肩を、誰かがガシッと支えた。
驚いてそちらを見ると、私の肩を支えていたのはユイさんだった。
火曜金曜19時更新予定
ギリギリのアユミを支えてくれたユイさん。
まだ儀式は終わりません。




