パール絵画展
一緒に誕生日会をしようと幸香に誘われた冬香はご機嫌だった。今夜はいつもの路地で無人の絵画展を見つける。
[受取3日前]
12月16日土曜日。
土日はフロント勤務が無く、その代わりほぼ1日中空港のシフトが入っていた。退勤時間も1時間遅い。それでも朝10時くらいまで眠れるから平日よりも遥かに楽だった。12月の空港は人の移動が多く特に忙しいけど、やることがなくてだらだらと時間が経つよりずっとマシ。
今にして思うと国際線は今自分が居る世界と全く知らない広い世界への境界線のようなもので、他の場所と比べて少し息がしやすい所が好きなのかも。
もし私が車だったなら、ここで飲むアイスティーはガソリンだと思う。長距離運転の前は満タンにしておかないと。
「今日は午後出勤ですか?」
満員状態のショーケースをぼんやり眺める私に幸香が声をかけた。
「そうなんですよ、でももっと遅い時間に終わるんです。」
「毎日大変ですね、休日は?」
「大抵は月曜が休みです。稀に人手不足でシフトインすることもありますけど。でも今月は前日と当日の2連休です。どちらの職場もバースデー有給休暇制度があるので。」
「それは素晴らしい!連休はどこかに出掛ける予定はあるんですか?」
「いえ、特にないです。ここにケーキを受け取りに来るくらいで。」
「それはもったいない!そうだ、もし良ければ当日の夜一緒にお祝いのパーティーをしませんか?」
「え、良いんですか?」
思いがけない提案に一瞬戸惑った。自分の誕生日を誰かが祝ってくれるなんて、そんなことしてもらって良いのかな。
「もちろん!一緒にお祝いして一緒に美味しい物食べましょうよ!!」
幸香はノリノリだった。彼女につられて私の顔も綻んだ。
「じゃあ、お言葉に甘えて祝ってもらおうかな。」
「やった!それじゃあ当日は19時くらいにこの店に来てくださいね!」
午後から国際線に出勤した私は非常に機嫌が良かった。時間が経つごとに誕生日パーティーをしてもらえることが嬉しいというを実感がくっきりとしていった。そんなご機嫌な私だから、常に負のオーラを放つ沼子と同じ空間に居ても苦にならなかった。国際線でもお局な彼女の難は、自我は他者に押し付けたいくせに本人は決して誰からも嫌われたくないということだった。いつも接客や仕事内容に対し全くもってどうでもよいことをねちねちと注意した後、必ず発する言い訳の定型分があった。
「私は家庭環境が良くなかったので精神のコントロールが難しいです」
彼女が不幸モードに切り替わった時はいつもうんざりさせられていた。自分の行動を改める努力もせず、何かしらの要因を盾に自分の過ちを許す責任を周囲に押し付ける人間は大嫌い。沼子がちくちくと虐めるその対象の心に痛みの要因がないとは限らない。どんな傷を抱えて生きているかは当人にしか分からない。だからこそ常に自分だけが可哀想で許される存在でありたい思考の彼女を私は断じて許せなかった。
でも今日はあなたの不幸オーラなんて私には届かない。
普段より1時間ほど遅い23時頃、路地に入ると予想通り今度は料理学校の隣に灯りが見えた。左側の通り、右側の通り、の順に新しい店が増えていく。どこまで増えて行くのだろう。それにこの路地に元々あった飲食店はいつまで休業しているのか。今日はどんなお店かな。ステーキハウスとか焼肉店があると嬉しいのだけど。
今夜は店名は照らされていなかったから、中からの灯りで「Pearl’s Art Gallery 」という文字がぼんやりと見えた。飲食店ではないことに少しがっかりした。中へ入ると受付カウンターのようなものもなく、今夜は幸香の姿もなかった。
(さすがに幸香さんもお休みを取らないとね。)
入場券を買うわけでもなさそうなのでそのまま奥へ進んだ。船内に居るかの用に連想させる焦茶色の木目調床に柱、グレーがかかった白い壁。まず最初に小さな水色の額縁に入れられた文章が目に入った。作者プロフィールのようだ。
**********
Pearl.K
1998年生まれ。韓国出身。幼少期に通い出した絵画教室の講師に才能を見出され本格的に技法を学び出す。かつては多様なジャンルの作品を手掛けていたが、美術大学卒業後、友人との豪州旅行で海洋生物の美しさに魅力されて以降は海に関連する絵を中心に描く。この時に作家名をPearlと改め、現在では国内各地に展示室を持つ。作品のほとんどがアクリル絵具で仕上げられているが、パステルで描いたかのような柔らかいタッチに定評がある。
**********
私と同じくらいの歳なのに、芸術という狭い門を抜けて個人ギャラリーをあちこちに持つなんてすごいなあ。確かに掛けられた絵は全て海をモチーフにしたものだった。浅瀬に泳ぐ亀や魚類、岩に張り付いたヒトデの絵、高い建物の一室から海と共に長く続く橋を眺めている視点の絵、浜辺の近くをゆらゆらと泳ぐエイの絵....。通路に沿って進むと全部で30枚ほどの絵が展示されている。額縁は深い青色、木製風の焦茶色等の色合いで統一されている。何にも縛られないのびのびと平和な表情を見せる絵画の中の動物を見ていると心が和んだ。
中間辺りに飾られた、浜辺でヤシの木から吊るされたブランコをこぐ女性の絵。よく見ると、そのモデルが幸香にそっくりだった。赤いバラの模様が入ったワンピースに白くて大きなリボンのついた帽子を被っている。もしかして...?
更に気になるのは最後の方にある数枚の絵だった。全く見たことのない神話にでも登場しそうな生き物達の絵が並んでいる。
まず1枚目。頭の部分は海面より上、胴体は海中にある、カマイルカの風貌なのに手ビレがエイの一種みたいに三角型にひらひらとしている。背鰭と尾鰭は実際のカマイルカと同じ形に見えるけど、尾鰭は胴体の割にかなり大きい。2枚目は北極の氷の上を歩く生物。顔は白い狼でおそらくホッキョクオオカミ?なのに身体はシロクマのように巨大だった。一見ふさふさと大きく白い動物で違和感はないのに、明らかに図鑑やドキュメンタリーでは見たことのない生物だった。3枚目が1番衝撃的だった。ザトウクジラ...なはずなのに簡略化したイラストでよく見かけるような球体に描かれていた。実物のように相当巨大な設定なのか、周囲を泳ぐ魚や亀は米粒のように見えた。この画家は想像画も得意なんだ。温かさと摩訶不思議さのどちらもこんなに美しく表現できるなんて。才能というのはまさに生まれ持った贈り物なのかもしれない。
あんな生物達が海で発見されたら大ニュースになりそう、などと考えながら路地を出て坂を下りる。
相変わらず幸香が経営する店に居る間は時間が経たないのでまだ23時ぴったりだった。あの広いカラオケを自分の家にしてずっと過ごしたいなあ。
未知の生物3匹は存在するのでしょうか。次回から物語は大きく動きます。