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自由な長女  作者: 南国誠菓
2/9

誕生日ケーキ専門店

風変わりなコンセプトのケーキ屋のオーナー幸香と主人公冬香の出会い。

最寄り駅から家路に着くまで約10分、人通りの多い下り坂の途中、左手側に一本の広い路地がある。食堂や呑み屋、カフェがずらりと並んでいて、いつも深夜まで明るい道だった。以前通っていた麺屋や定食屋もそこに並んでいた。しかしここ数ヶ月は外食をする気力もない。


それなのになぜか今夜は路地から漂う甘い香りが気になり、入口の所で立ち止まった。

何かカステラのようなものを焼く匂い。毎日この坂を通っているのに、なぜ気づかなかったのだろう。しかもまだ22時手間なのに、その路地の飲食店の明かりは全て消えていた、左奥の1軒を除いては。そこだけなぜだかポツンと明かりが付いているので遠くからでもやけに目立つ。甘い香りはあの店から?菓子屋かな?どうして他の店は閉まってるの?心身共に疲れているはずなのに、誘われるように足が勝手に店の明かりの方へと向かっていた。


周囲が暗くて外観の雰囲気はよく掴めないけれど、甘い香りの元はここの厨房に間違いなさそう。

(新しくオープンしたのかな?)

さて帰ろうと店に背を向けた瞬間、パッと店内の照明が点き、細長い自分の影が現れた。チリンとベルの音が聞こえた。振り返ると、女性が1人笑顔でこちらを見ながら入り口ドアを開けて立っていた。白い七分袖のシャツに深緑色のベレー帽、スカーフを身につけ、同じ色のロングスカートを履いていた。赤みのある茶色く長い髪を後ろに一本結んでいて、パッチリとした目の奥は田舎の澄んだ夜空でしか見られない星のようにきらりと光っていた。

「いらっしゃいませ、ご来店ありがとうございます。どのような誕生日ケーキをお探しですか?」

女性は終始笑顔のまま問いかける。急なことで戸惑ったし営業していることに驚いた。そしてなぜ誕生日ケーキを買う前提なのか。誕生日を祝ってあげる相手なんて今は身近にいない。どこから突っ込めば良いか分からず、わずかに口を開けたまま数秒黙ってしまった。

「あ、ええと、このお店はいつからあったんですか?いつも何時まで開いてます?」

「たった今開いたところです、今夜はお客様のご予約が完了したら閉店です。」

たった今とはどういうことなのか、質問の意味が伝わっていないのか。店のドアなら確かにたった今開いたけど。私はケーキを予約しないと帰れないの?とても怪しげではあったけれど、いや怪しげだったからこそちょっと中を覗いてみたくなった。

「じゃあ少し見て行ってもいいですか?」

「もちろんです、どうぞ!」


まるで帰宅した飼い主を迎える犬のような人懐っこい笑顔で中に招き入れてくれた。入ってすぐ目の前に2段ショーケースが置いてあった。1人用ケーキが横に20個ほど入りそうな大きさだったが中は空だった。もう売り切れだろうか。その上にはどことなく間抜けな顔の雪だるまの人形が置かれていた。更にその左側にはこれでもかというくらいオーナメントが飾られているクリスマスツリーが飾ってあった。プレゼント、ジンジャークッキー、雪の結晶...全て種類の違うオーナメントを飾っている様だった。1つ1つがピカピカとした素材なのでイルミネーションがまとわれていなくても充分豪華なツリーに仕上がっている。

暖色系の照明が木目デザインの床と白い壁を照らして温かみのある空間を演出していた。

「こちらへどうぞ。」

ショーケースの左側にある2人用の円卓に案内された。円卓にはすでにコップに注がれた水が用意されていた。

(特に買うつもりはなかったのだけれど...でも1つくらい持ち帰っても良いかもしれない)

などとあれこれ考えながら奥側の席に座ると、女性はそのまま案内を続けた。

「改めまして本日はご来店ありがとうございます。まずはこちらを読んでお待ちください。」

そう言って2枚の紙とボールペンを私の目の前に置いて軽くお辞儀をし、ショーケースの背後にある扉の向こうへ消えて行った。おそらくそこが厨房なんだ。ここに座っているよりもこっそり厨房に侵入してみたかった。

ひとまず渡された紙の1枚目を手に取った。


        **********


「自分だけの誕生日ケーキ専門店、Sweets Island My Day」へようこそ!!

当店ではお客様自身のための誕生日ケーキをお作りしています。注文方法はとても簡単。別紙に書かれた項目を埋めて頂くのみです。

※贈り物用のケーキはご用意できませんのでご了承ください。

※受取日には必ずお客様の誕生日当日の日付を記入してください。

        **********


なるほど、だから唐突に誕生日ケーキのことを聞いてきたのか。少し納得した。たしかに丁度一週間後は私の誕生日だけれど。誕生日ケーキって家族や友達に用意してあげるイメージなのに、自分自身のために買いに来る人ってそんなにいるだろうか。でもコンセプトは面白い。

どんなケーキが選べるのだろうと注文書に目をやった。



          『注文書』

         受取希望日:

         サイズ:18cm

         名前(ローマ字):

         合計:¥4000



日付と名前以外書き込む項目がないし注文書なのにケーキの写真もない。

女性が戻って来た。

「これってどんなケーキが頼めるんですか?」

この質問を待ってましたとばかりに女性は張り切って答えた。

「それはこれから話し合いましょう。」

女性は再びにっこりと微笑んだ。

なるほど、「自分だけの誕生日ケーキ」というのは味も自分の好みに作ってもらえるということか...もうこうなったら騙されたと思ってケーキを予約してしまおうかな。これほど疑惑だらけな店なのにも関わらず警戒心より好奇心が勝った。

「それではお客様のお誕生日をどんなケーキでお祝いするか決めていきましょう、楽しみですね!」

女性は随分と楽しそうだった。

「果物を主役にした爽やかな味わいのケーキと、チョコレートやキャラメルが主役の濃厚なケーキ、どちらかお好みですか?」

正直な所、甘い物はよほど疲労が溜まった時にクッキーを数枚つまむくらいで普段から欲するものではなかった。むしろポテトチップやポップコーンなどの塩気のある物が好みだった。そうだ、塩気といえば...

「チーズケーキもお願いできますか?」

甘味と酸味に加え、塩気も適度にあるチーズケーキは唯一1切れ完食できるデザートだった。再び食べたいと思うような味に出会ったことはないけれど...。

「もちろんです、チーズでしたら...何か果物を合わせるのはどうですか?ベリー系でも柑橘系でも相性が良いですよ!」

もしかして私が甘ったるい物を好まないことを察したのかな。ベリーに柑橘...どちらも捨て難い。でもチーズが白いから色が映える赤が欲しい。

「じゃあ、苺と合わせてください!あの、ただ苺をのせるだけではなく苺の味も強くしてください。あ、でもやっぱり苺がもっと多いのがいいです!」

「かしこまりました、苺味を主役にしたチーズケーキでパティシエに注文しておきますね!他に何かご要望はありますか?」

「あ、お酒を使わずに作ってもらえますか?」

「分かりました、それも伝えておきますね!」

さらさらと紙に注文の内容を書き込んでいた。

「それでは注文書に日付とお名前の記入をお願い致します。日付はお客様の誕生日当日の日付を書いてくださいね。」

日付と名前を書いた。それにしてもなぜ誕生日当日でないと受け取れないのだろう。当日は予定があって前もって受け取りたい人も多いはずなのに。

「オーダーメイドなのにこの金額で良いんですか?」

18cmという大きさに対してかなり安いように思えた。

「はい、金額は固定です!」

「1番遅くて何時まで受け取りに来れば間に合いますか?」

「受取日当日の午前0時から23時59分までの間であればいつでも大丈夫ですよ。」

そんなケーキ屋って存在するのか。そこまで融通が効くなら前日に受け取れてもおかしくなさそうなのになぜ当日にこだわるんだろう。もう質問しても終わりが見える気配が無いので諦めた。

「会計をお願いします。」

現金で5000円札を渡した。

「1000円お返し致しますね、ありがとうございます!当日はこの注文書控えをお持ちくださいね!」

多忙で同じ日課を猛スピードで繰り返しているような日々だったから、こんな近所で新感覚を体験できるのは嬉しかった。今年は誕生日当日とそれまでの1週間が少し心踊るものになりそう。渡された控えをチラリと確認した。


          『注文書』

         希望受取日:2023.12.19

         サイズ:18cm

         名前(ローマ字):冬香(Fuyuka)

         合計:¥4000


「あ、そうそう大事なことを忘れてました!」

両手の平をポンと打って女性はまた何か言い出そうとしていた。

「サービスでお客様のケーキにコーヒーか紅茶のティーバッグを付けているので、どちらかお選びください!」

「紅茶でお願いします!」

即答した。コーヒーの苦味は刺激が強すぎる。



「遅くまでありがとうございます、では。」

私が駄々をこねて閉店間際に上がり込んだわけではないが。軽くお辞儀をして私は店を出た。

「ありがとうございます、おやすみなさい!」

女性はドアの前で笑顔を絶やさず元気よく手を振って見送ってくれた。私もつられて軽く手を振った。そのまま振り返らず出口を目指し、薄暗い路地を出たところで、腕時計を確認した。まだ22時になったばかりだった。店に入ってから数分しか経っていない。そこそこ時間が経っていると思っていたのに。さっき時計を見間違えていたのかな。



そうだ、検索してお店のレビューを見てみよう。しかしレビューどころかホームページすらなかった。オープンしたばかりだとしても、普通は何かしらの書き込みや宣伝が見つかるはずなのにおかしいな。さすがに少し不安になった。騙されたかどうかというよりも、その店の存在が空想のものであって欲しくないという思いが強かった。どうせ通勤途中にある店だから、帰りにまた店舗のあった場所まで行って確認してみよう。

自宅のあるアパートに着いた。疲労が溜まっているはずなのに目が冴えていた。シャワーのあとに夜食用の食パンを4枚こんがりトーストし、バターと苺ジャムをたっぷり塗ってもしゃもしゃと食べた。


次回から冬香の不思議なバースデーウィークが始まります。

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