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夏休みに入った。
キャンプに行く前日の夕方、仕事を終えたトウマが帰ろうとしていたその時、玄関から誰かが入って来る音がした。母親かと思ったが、すぐにそうではないという事が分かった。
「ういー、ただいまぁー」
「誰でしょう」
「親父だな、今日の夜に帰って来るって言ってたけど意外と早かったね」
「お父さん…あの噂の」
「噂なんてしたっけ?」
リビングで待っていると、結構な荷物を持った親父が入って来た。
そして入ってすぐに俺とトウマを見つけ、久々に息子の顔を見た喜びと、知らない女の子がいる戸惑いの入り混じった顔をしている。
「ただ…えー…誰?」
「おかえり、こいつトウマ」
「當間詠歌です、トウマと呼んでください」
「あー!その子が!お手伝いの」
「家政婦ね」
親父には母親の方からトウマという家政婦を雇っているという話はされている様だが、実際に目にしたのは初めての様だ。
「いやぁ、お噂はかねがね」
「あ、こちらこそ」
「何でお互い立ってもない噂を聞いてるの?」
親父が帰って来たという事で、少し話をしていくことになった。
「キャンプ、トウマも行くの?」
「そういえばお休みが取れるかどうか確かめるって言ってなかった?」
「あー…まぁ取ってますけど、本当に良いんですか?他人が付いて行っちゃって。他人様の家族旅行に」
「まだ言ってんの?」
「いやそりゃ言いますよ、家族旅行もそこまでしない家だったので」
「へぇ~じゃあ久しぶりの旅行だ」
「まぁ俺たちは別に何の問題もないから、好きなようにすればいいよ。強要はしないから」
「俺は強要するけどね」
「どっちなんですか…。…まぁ、せっかく取った休みですし、涼しい所にも行きたいですし…」
「はい決定、じゃあ早く帰って荷物纏めなよ」
「分かりました、まぁそこまで持っていくものないんですけどね」
そしてトウマは家に荷物をまとめに帰った。
次の日、事前に集合時間を連絡しておいたのでトウマはぴったりその時間に家に到着した。いつもより早い時間にうちに来たからなのか、彼女の眼はとても眠たそうにしている。
「お邪魔します」
「ほんとに荷物まとめられたんだ」
「どういう意味ですか?」
「いや、荷物まとめるのって前日で出来んだと思って。女子だし」
「別にこれと言って持っていくものはないでしょう?タオルとか、洗顔とか、着替えとか、あとは財布と携帯だけあれば」
「化粧道具とかは?」
「必要あります?」
「女子の言葉とは思えないな…」
「女子にも色々いるんですよ」
「まぁトウマならいらないか」
「どういう意味ですか?」
「そういう意味だよ」
どうせすぐに車に積むからとトウマの荷物は玄関先に置いておく。
リビングに入ると化粧をし終えた母がトウマの到着を喜んだ。
「おはよートウマ、朝早かったでしょ?よく寝られた?」
「まぁぼちぼちです」
「トウマ化粧してないの!?化粧しなよ~もっと可愛くなるのにぃ」
「これ以上の可愛さはいりません」
「自分で言うなよ」
先ほど俺が言った事を自分で言ったトウマ、どうしてだろう?自分で言っている所を見るとムカつく。
出発までまだ両親の準備が整っていないので俺とトウマはダイニングテーブルで、俺の作ったアイスコーヒーを飲んでいた。
周りでバタバタしている両親をよそに、グラスに当たる氷の音をダイニングにて奏でている。
「私も何か手伝えることは…」
「ないよ、ジッとしてな」
「むぅ…」
「何?今日仕事モードで来てるの?」
「河橋家は基本的にお仕事をする場所ですから」
「いいってそんなの。今回は仕事モードは無しで」
「…まぁ、じゃあ友達の旅行についてきた感じでいますよ」
「そうしときな」
そんな話をしている間にアイスコーヒーを飲み終わり、それと同時に準備を終えた両親が俺たちを呼んできた。
「二人ともー行くよー」
「うい~」
「はい、今行きます」
4人全員車の中に乗り込む。
席順は親父が運転、母が助手席、俺とトウマが後ろの席で、最後尾は荷物でいっぱいだった。
「4人いるにしては荷物少なくない?」
「ほとんどはあっちに郵送してるから」
「あぁそう」
「あの、行きにコンビニ寄りますか?」
「寄るつもりだけど、なんで?」
「日焼け止め忘れてしまったので買いたいんです」
「私の貸そうか?」
「いえ、まるまる一本欲しかったところなので」
トウマの要望通り俺たちは高速道路に入る前にコンビニに寄り、軽い朝食を買うことにした。
「あーまだ全然白いですねぇ空は」
「夏とはいえね」
「でも暑いですね」
「東京だもの」
そんな暑い東京の朝から逃げるように冷房の効いたコンビニに入る。
飲み物とおにぎりを俺は買い、母が持っている籠に入れた。
選び終えた俺がコンビニをフラフラしていると、お菓子コーナーでしゃがみ込んでお菓子を選んでいるトウマを見つけたので、彼女の肩辺りを膝に軽く小突いて呼びかけた。
「何悩んでんの?」
「甘いお菓子にしようかしょっぱいお菓子にしようか悩んでいる所です」
「ふーん、早くしないと会計行っちゃうよ?」
「別に、自分のお金で買えますから」
「…因みにどれとどれで迷ってんの?」
「これとこれです」
トウマが指さしたお菓子の袋を俺はすぐに一つずつ持ってレジの前に立った。
俺の行動に驚きながら、トウマは後ろでごちゃごちゃ言っている。
「ちょっと、私が出します」
「そんな事よりおにぎりとかサンドイッチ買って来なよ、親父たち待ってるよ」
「トウマ、おにぎりとか買った?」
「あ、えっと…まだです」
「早く選んで、一緒に買ったげるから」
言われてトウマは自分で払うと言いそうになったが、結局折れて母の持つ籠の中におにぎり二つとお茶を入れた。
「私、買ってほしいなんて強請ってないですからね」
「分かってるようるさいなぁ」
両親の会計待ちの間、コンビニの前で待っていた俺にトウマが歩み寄ってきてそんなことを言ってきた。
「いくらしました?」
「いいから俺のおごりで」
「えぇ…」
「お前、俺に服とか買わせておいてこんな小さい買い物に貸し借り言うの?」
「予想だにしていない幸せに弱いです」
「サプライズって言えばいいと思う。あと、こんな事でいちいち貸し借りとかないから」
「でも…」
「良いから、ほら車乗りな」
店から出てきた両親が車のロックを外したので、俺たちも車に乗り込む。
しばらく駐車場に停めさせてもらい、カーナビに目的地を設定したり、その間にお菓子や軽食を食べたりして腹ごしらえを済ませた。
「それじゃあしゅっぱーつ!」
母の一言で車は発進した。
学生は夏休みだが、世間がそうとは限らない。
高速道路に入る前の一般道には、当たり前のようにスーツや仕事着で出社している人間たちが闊歩していた。
「あの人たちは今から仕事ですかね」
「だろうね」
「なんか、妙な背徳感があります」
「働いてるとそんな気持ちになるの?」
「いえ、私だけでしょうね。高校卒業してからずっと働いてばかりでしたから」
「両親がいた時でも旅行は少なかったんだっけ?」
「ですね、なので今有給取ってでも旅行に参加しているこの状況が信じられない気持ちです。ずっと仕事だけして生きていくと思ってたので」
「人生思った通りにならないでしょ」
「そうですね。…まぁでも、悪くない気持ちです」
「ふふっ」
トウマは窓の外を見ながら話していたので顔は見えなかったが、おそらく笑っていた筈だ。
高速に入り、しばらく車を走らせ続けていると軽い渋滞にハマった。
「渋滞か、しばらく動けないか?」
「いえ、大したものではないのですぐ流れますよ。渋滞は嫌いですか?」
「好きな人いるの?」
「私嫌いじゃないです」
「え、何で?」
「時間がゆっくりというか、焦ったって仕方がないのでのんびりしているのが許されている気がするからです」
「何その考え、すごいね。そんな考え方があったのか」
「イライラするよりマシでしょう?」
「確かに」
一度渋滞大嫌いな友達とドライブしたことがあって、殺伐とした空気が流れていたのを思い出した。
母がお手洗いに行きたいと言い出し、時間もちょうど良かったのでサービスエリアで昼食を取ることにした。
「広いですねぇ」
「サービスエリアだからね」
「サービスエリアってテンション上がりますよね」
「そういうならもっと分かりやすく言って」
トウマのテンションは依然として家で仕事をしている時と何ら変わらない様に見えた。
中に入るとやはりとても広く、いくつもの席と食べ物屋、お土産屋がある。
「美味しそうな匂いがしますね」
「だねぇ、何食べる?」
「朝は控えめだったので結構がっつり行きたいです」
「俺も。ラーメンとかにしようかな」
「私海鮮丼にしようかと考えています」
「トウマ、一久、私たちトイレ行ってくるから先に席取っておいて」
「分かった」
「ゆっくりで良いですからね」
夏休みのお昼時とあって家族連れの人たちが多く、4人席を確保するのは少し骨が折れた。
「やっと空いたぁ、四人席」
「混んでますねぇ」
「そうだね、ここら辺じゃ一番大きいサービスエリアだし。景色もいいらしいよ」
「へぇ~惹かれますね」
「後でちょっと見に行く?」
「行きたいです」
「じゃあ行こ」
二人で話していると、ちょこちょこ視線を感じる。
「…なんか、視線を感じます」
「やっぱり?俺もそう思う」
「もしかしてここ、座っちゃいけない場所だったんじゃないですか?」
「そんなわけないよ、普通の席でしょ」
「ですよねぇ…」
(…あ)
なんとなく分かった気がした。
トウマだ、これはトウマが視線を集めてるんだ。
化粧すれば多分芸能人レベルまで奇麗になるトウマを、みんなが見ているんだ。
そんなことを一人で思っていると、トウマが無自覚な言葉を発した。
「一久さんのせいですね」
「何が?」
「この視線」
「ぜぇったいトウマだわ!」
「私じゃないですよ」
「トウマだよ」
「私だったら女の子の集団は見向きしませんよ」
「…トウマだわ」
「まだ言いますか。そんな事よりあのハンバーグサンド美味しそうじゃないですか?」
「あ、美味そう」
「私アレにしようかなぁ…」
「一口ちょーだい」
「良いですよ、一久さんのくださいね」
話していると一足先にトイレから帰ってきた親父が席を見ていてくれるそうなので、俺たちは食券を買いに席を離れた。